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第十四話 殺戮の申し子(1)
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――何だこれは。
全身を包む血の匂いを覚えている。得体の知れない者どもにぎゅうと引き絞られた瞬間激痛が走った。息すらできず、死を覚悟した。しかし、鼓膜を破るほどの風切音と同時に、月鳴の全身を絞るようにしていた拘束が解けた。息を吸ったのは一瞬で、すぐに落下圧が腹を襲った。
落下の衝撃に備えて体を丸めたかったが、手足が言うことを利かない。
――折れたな。
いくら真血の主のしもべとはいえ、落下までの間に手足は元に戻らないだろう。四肢を放り出したこの体勢で地面にぶつかることになる。流石に死ぬかと、冷静に考える。冷静というより、頭の芯が抜けてしまって、現実感を得られないだけだ。
虫の脚のようなものを認識したのはその時だった。
ビュオオオオオ。上から下へと爆音を伴ってそれが月鳴の横を通り抜けていく。黒く鈍い光を放った。鉤のような虫の脚のようなもの。
――何だ、これは。
魔族で巨大を誇るものはあるが、これは規格外だ。それが通り過ぎた瞬間、空から滝のような雨が降った。違う、雨ではない。血だ。重さを伴った液体が傷ついた月鳴の全身を打ち砕く。悲鳴は声にならない。
――朱昂!!
胸中で主の名を絶叫する。だが、月鳴にわずかだが流れるはずの朱昂の真血は何ら奇跡を起こしてくれない。
奇跡などいい。最期に主の顔が見たい。
意志に反して月鳴の全身は力を失い。最早文字通り潰えるようにしか見えなかった。
瞼を下ろしかけた月鳴は、何かにぶつかった。地面ではない。もっと柔らかなもの。温かいもの。月鳴の体を意思を持って抱きかかえるものがある。
必死に瞼に力を入れ、焦点を合わせた。
「え、い」
名を呼ぶことは叶わなかった。魁英の無表情な顔が近い距離にあった。薄い墨色の目を覗きこんでも何の反応もない。血まみれの自分の顔だけが映りこんでいる。
バキバキバキッ
硬い殻を割るような音を聞いて、魁英の頭の後ろにようやく意識が向いた月鳴は心臓が凍りつくような痛みを感じた。
脚だ。三本の大きな、昆虫や甲殻類を思わせる硬質な脚が、魁英の背から突き出ている。それらが縦横無尽に空を掻き回し、種族名すら与えられぬ異形たちを薙ぎ払う。柔らかに熟れきった果実が弾けるように、異形たちは血しぶきをあげ、残骸が四散する。
バキ。
音とともに魁英の背がぶたれたように揺れる。この体のどこに、というほど大きな太い脚が、関節が折りたたまれた状態で現れた。四本目となる脚は淡く翠色に光る細い糸を纏っている。
大きな猿のような異形が突然脚の向こうに見えた。大剣を魁英に振りかざしている。
「魁英!!」
バキバキッ
月鳴が渾身の力で叫ぶと、四本目の脚が、翠色の光の糸を断ち切って関節を開いた。新たな脚に一刀両断された猿の血から月鳴を守るように、魁英が空を蹴った。
そう、空中のはずなのに、魁英は先ほどから駆けているのだ。ようやくそれに気づいた月鳴は魁英に抱えられた腕の中で首を巡らす。魁英のくるぶしが淡く光っているように見える。
「こ、ろ……」
変化のなかった魁英の口が動く。下まぶたから溢れ出たのは真っ黒な体液。
呪われている、と朱昂は言った。この子は呪われている。
「げ、め……、さま……」
「英……」
「月鳴様!」
魁英の瞳に一瞬、正気が戻った。黒い涙を流す顔が紅潮する。魁英と、己が名づけた名を呼ぶ前に、ドクン、と魁英の体が跳ねた。バキバキと骨を折るような音に目を転じると、五本目の脚が魁英の背を突き破ろうとしていた。やはり光る糸に拘束されている。
叫び声を上げた魁英が真っ黒な血を吐く。目の光が失せ、ふっと魁英の力が抜けた。再びの落下に、月鳴は唯一動く指先で魁英の襟を必死に掴む。
この子を離しちゃいけない。月鳴は全力で舌を噛み抜いた。痛みで意識が遠のきそうになるが必死で堪える。力の抜けた魁英の顔に唇を寄せ、傷つき血の流れる舌を魁英の口元にねじ込んだ。
――助けてくれ、朱昂……!
血王のしもべはその証として主の真血をその身に流す。量はわずかだが、真血は本来微量でも霊力を発揮する。ただし、真血の霊力を発揮させることができるのは唯一血王だけなのである。
だから、朱昂に縋るしかない。魁英を、自分を助けるようにただ一念、朱昂が願ってくれれば。
地面がすぐ近くに迫っているのを感じながら、月鳴は魁英に真血を送り込み必死に祈る。
〈朱昂!聞いてくれ!〉
〈伯陽|《はくよう》!!!〉
しもべの呼びかけに朱昂が応えた。
確かに主の声を聞き、目を見開いた月鳴の体が熱くなる。
ぴくりと魁英の腕に力がこもり、月鳴を抱え直すと、地面すれすれで魁英は高く跳躍するように空を蹴った。
回転しながら浮き上がった魁英が、気を失っている間も殺戮を続けていた四本の脚をぴたりと止める。五本目の脚を拘束する光の糸が増え、背中の中に引きずり込んでしまった。次の瞬間、翠色の光糸が背中から噴きだすように溢れて、四本の脚を絡め取る。もがく脚に絡まる糸が脈動し、一瞬紅い光が魁英の背から糸の先端に向けて駆け抜けた。翠と紅の光が混じって糸が白金に輝く。金色の輝きが糸の先端まで到達した瞬間、脚が見る見る形を消失させた。
がくん、と魁英の体から力が抜けた。黒い血に汚れた頬に、一筋透明な雫が走る。魁英とともに何とか軟着陸せねばと月鳴が襟を掴み直す。その瞬間、
「頂いていきます」
軽やかに妖艶な声が月鳴に囁いた。大烏が月鳴の脇を通り抜けた瞬間、月鳴の手から魁英がもぎ取られた。
「魁英!!!」
高い叫び声が月鳴の喉から迸る。しかし、あっという間に烏の姿は遠くなり、月鳴は手を伸ばすことすらできない。同時に、異形の大群が口を開け、手を伸ばし、月鳴に飛び掛かってきた。
全身を包む血の匂いを覚えている。得体の知れない者どもにぎゅうと引き絞られた瞬間激痛が走った。息すらできず、死を覚悟した。しかし、鼓膜を破るほどの風切音と同時に、月鳴の全身を絞るようにしていた拘束が解けた。息を吸ったのは一瞬で、すぐに落下圧が腹を襲った。
落下の衝撃に備えて体を丸めたかったが、手足が言うことを利かない。
――折れたな。
いくら真血の主のしもべとはいえ、落下までの間に手足は元に戻らないだろう。四肢を放り出したこの体勢で地面にぶつかることになる。流石に死ぬかと、冷静に考える。冷静というより、頭の芯が抜けてしまって、現実感を得られないだけだ。
虫の脚のようなものを認識したのはその時だった。
ビュオオオオオ。上から下へと爆音を伴ってそれが月鳴の横を通り抜けていく。黒く鈍い光を放った。鉤のような虫の脚のようなもの。
――何だ、これは。
魔族で巨大を誇るものはあるが、これは規格外だ。それが通り過ぎた瞬間、空から滝のような雨が降った。違う、雨ではない。血だ。重さを伴った液体が傷ついた月鳴の全身を打ち砕く。悲鳴は声にならない。
――朱昂!!
胸中で主の名を絶叫する。だが、月鳴にわずかだが流れるはずの朱昂の真血は何ら奇跡を起こしてくれない。
奇跡などいい。最期に主の顔が見たい。
意志に反して月鳴の全身は力を失い。最早文字通り潰えるようにしか見えなかった。
瞼を下ろしかけた月鳴は、何かにぶつかった。地面ではない。もっと柔らかなもの。温かいもの。月鳴の体を意思を持って抱きかかえるものがある。
必死に瞼に力を入れ、焦点を合わせた。
「え、い」
名を呼ぶことは叶わなかった。魁英の無表情な顔が近い距離にあった。薄い墨色の目を覗きこんでも何の反応もない。血まみれの自分の顔だけが映りこんでいる。
バキバキバキッ
硬い殻を割るような音を聞いて、魁英の頭の後ろにようやく意識が向いた月鳴は心臓が凍りつくような痛みを感じた。
脚だ。三本の大きな、昆虫や甲殻類を思わせる硬質な脚が、魁英の背から突き出ている。それらが縦横無尽に空を掻き回し、種族名すら与えられぬ異形たちを薙ぎ払う。柔らかに熟れきった果実が弾けるように、異形たちは血しぶきをあげ、残骸が四散する。
バキ。
音とともに魁英の背がぶたれたように揺れる。この体のどこに、というほど大きな太い脚が、関節が折りたたまれた状態で現れた。四本目となる脚は淡く翠色に光る細い糸を纏っている。
大きな猿のような異形が突然脚の向こうに見えた。大剣を魁英に振りかざしている。
「魁英!!」
バキバキッ
月鳴が渾身の力で叫ぶと、四本目の脚が、翠色の光の糸を断ち切って関節を開いた。新たな脚に一刀両断された猿の血から月鳴を守るように、魁英が空を蹴った。
そう、空中のはずなのに、魁英は先ほどから駆けているのだ。ようやくそれに気づいた月鳴は魁英に抱えられた腕の中で首を巡らす。魁英のくるぶしが淡く光っているように見える。
「こ、ろ……」
変化のなかった魁英の口が動く。下まぶたから溢れ出たのは真っ黒な体液。
呪われている、と朱昂は言った。この子は呪われている。
「げ、め……、さま……」
「英……」
「月鳴様!」
魁英の瞳に一瞬、正気が戻った。黒い涙を流す顔が紅潮する。魁英と、己が名づけた名を呼ぶ前に、ドクン、と魁英の体が跳ねた。バキバキと骨を折るような音に目を転じると、五本目の脚が魁英の背を突き破ろうとしていた。やはり光る糸に拘束されている。
叫び声を上げた魁英が真っ黒な血を吐く。目の光が失せ、ふっと魁英の力が抜けた。再びの落下に、月鳴は唯一動く指先で魁英の襟を必死に掴む。
この子を離しちゃいけない。月鳴は全力で舌を噛み抜いた。痛みで意識が遠のきそうになるが必死で堪える。力の抜けた魁英の顔に唇を寄せ、傷つき血の流れる舌を魁英の口元にねじ込んだ。
――助けてくれ、朱昂……!
血王のしもべはその証として主の真血をその身に流す。量はわずかだが、真血は本来微量でも霊力を発揮する。ただし、真血の霊力を発揮させることができるのは唯一血王だけなのである。
だから、朱昂に縋るしかない。魁英を、自分を助けるようにただ一念、朱昂が願ってくれれば。
地面がすぐ近くに迫っているのを感じながら、月鳴は魁英に真血を送り込み必死に祈る。
〈朱昂!聞いてくれ!〉
〈伯陽|《はくよう》!!!〉
しもべの呼びかけに朱昂が応えた。
確かに主の声を聞き、目を見開いた月鳴の体が熱くなる。
ぴくりと魁英の腕に力がこもり、月鳴を抱え直すと、地面すれすれで魁英は高く跳躍するように空を蹴った。
回転しながら浮き上がった魁英が、気を失っている間も殺戮を続けていた四本の脚をぴたりと止める。五本目の脚を拘束する光の糸が増え、背中の中に引きずり込んでしまった。次の瞬間、翠色の光糸が背中から噴きだすように溢れて、四本の脚を絡め取る。もがく脚に絡まる糸が脈動し、一瞬紅い光が魁英の背から糸の先端に向けて駆け抜けた。翠と紅の光が混じって糸が白金に輝く。金色の輝きが糸の先端まで到達した瞬間、脚が見る見る形を消失させた。
がくん、と魁英の体から力が抜けた。黒い血に汚れた頬に、一筋透明な雫が走る。魁英とともに何とか軟着陸せねばと月鳴が襟を掴み直す。その瞬間、
「頂いていきます」
軽やかに妖艶な声が月鳴に囁いた。大烏が月鳴の脇を通り抜けた瞬間、月鳴の手から魁英がもぎ取られた。
「魁英!!!」
高い叫び声が月鳴の喉から迸る。しかし、あっという間に烏の姿は遠くなり、月鳴は手を伸ばすことすらできない。同時に、異形の大群が口を開け、手を伸ばし、月鳴に飛び掛かってきた。
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