吸血鬼のしもべ

時生

文字の大きさ
上 下
37 / 52

第十四話 殺戮の申し子(1)

しおりを挟む
 ――何だこれは。

 全身を包む血の匂いを覚えている。得体の知れない者どもにぎゅうと引き絞られた瞬間激痛が走った。息すらできず、死を覚悟した。しかし、鼓膜を破るほどの風切音と同時に、月鳴げつめいの全身を絞るようにしていた拘束が解けた。息を吸ったのは一瞬で、すぐに落下圧が腹を襲った。

 落下の衝撃に備えて体を丸めたかったが、手足が言うことを利かない。

 ――折れたな。

 いくら真血しんけつの主のしもべとはいえ、落下までの間に手足は元に戻らないだろう。四肢を放り出したこの体勢で地面にぶつかることになる。流石に死ぬかと、冷静に考える。冷静というより、頭の芯が抜けてしまって、現実感を得られないだけだ。

 虫の脚のようなものを認識したのはその時だった。
 ビュオオオオオ。上から下へと爆音を伴ってそれが月鳴の横を通り抜けていく。黒く鈍い光を放った。かぎのような虫の脚のようなもの。

 ――何だ、これは。
 
 魔族で巨大を誇るものはあるが、これは規格外だ。それが通り過ぎた瞬間、空から滝のような雨が降った。違う、雨ではない。血だ。重さを伴った液体が傷ついた月鳴の全身を打ち砕く。悲鳴は声にならない。

 ――朱昂しゅこう!!
 
 胸中で主の名を絶叫する。だが、月鳴にわずかだが流れるはずの朱昂の真血は何ら奇跡を起こしてくれない。

 奇跡などいい。最期に主の顔が見たい。
 意志に反して月鳴の全身は力を失い。最早文字通り潰えるようにしか見えなかった。

 瞼を下ろしかけた月鳴は、何かにぶつかった。地面ではない。もっと柔らかなもの。温かいもの。月鳴の体を意思を持って抱きかかえるものがある。
 必死に瞼に力を入れ、焦点を合わせた。

「え、い」

 名を呼ぶことは叶わなかった。魁英かいえいの無表情な顔が近い距離にあった。薄い墨色の目を覗きこんでも何の反応もない。血まみれの自分の顔だけが映りこんでいる。

 バキバキバキッ
 硬い殻を割るような音を聞いて、魁英の頭の後ろにようやく意識が向いた月鳴は心臓が凍りつくような痛みを感じた。

 脚だ。三本の大きな、昆虫や甲殻類を思わせる硬質な脚が、魁英の背から突き出ている。それらが縦横無尽に空を掻き回し、種族名すら与えられぬ異形たちを薙ぎ払う。柔らかに熟れきった果実が弾けるように、異形たちは血しぶきをあげ、残骸が四散する。

 バキ。

 音とともに魁英の背がぶたれたように揺れる。この体のどこに、というほど大きな太い脚が、関節が折りたたまれた状態で現れた。四本目となる脚は淡く翠色に光る細い糸を纏っている。
 大きな猿のような異形が突然脚の向こうに見えた。大剣を魁英に振りかざしている。

「魁英!!」

 バキバキッ

 月鳴が渾身の力で叫ぶと、四本目の脚が、翠色の光の糸を断ち切って関節を開いた。新たな脚に一刀両断された猿の血から月鳴を守るように、魁英が空を蹴った。

 そう、空中のはずなのに、魁英は先ほどから駆けているのだ。ようやくそれに気づいた月鳴は魁英に抱えられた腕の中で首を巡らす。魁英のくるぶしが淡く光っているように見える。

「こ、ろ……」

 変化のなかった魁英の口が動く。下まぶたから溢れ出たのは真っ黒な体液。
 呪われている、と朱昂は言った。この子は呪われている。

「げ、め……、さま……」
「英……」
「月鳴様!」

 魁英の瞳に一瞬、正気が戻った。黒い涙を流す顔が紅潮する。魁英と、己が名づけた名を呼ぶ前に、ドクン、と魁英の体が跳ねた。バキバキと骨を折るような音に目を転じると、五本目の脚が魁英の背を突き破ろうとしていた。やはり光る糸に拘束されている。

 叫び声を上げた魁英が真っ黒な血を吐く。目の光が失せ、ふっと魁英の力が抜けた。再びの落下に、月鳴は唯一動く指先で魁英の襟を必死に掴む。

 この子を離しちゃいけない。月鳴は全力で舌を噛み抜いた。痛みで意識が遠のきそうになるが必死で堪える。力の抜けた魁英の顔に唇を寄せ、傷つき血の流れる舌を魁英の口元にねじ込んだ。

 ――助けてくれ、朱昂……!

 血王のしもべはその証として主の真血をその身に流す。量はわずかだが、真血は本来微量でも霊力を発揮する。ただし、真血の霊力を発揮させることができるのは唯一血王だけなのである。

 だから、朱昂に縋るしかない。魁英を、自分を助けるようにただ一念、朱昂が願ってくれれば。
 地面がすぐ近くに迫っているのを感じながら、月鳴は魁英に真血を送り込み必死に祈る。

 〈朱昂!聞いてくれ!〉
 〈伯陽|《はくよう》!!!〉

 しもべの呼びかけに朱昂が応えた。
 確かに主の声を聞き、目を見開いた月鳴の体が熱くなる。

 ぴくりと魁英の腕に力がこもり、月鳴を抱え直すと、地面すれすれで魁英は高く跳躍するように空を蹴った。

 回転しながら浮き上がった魁英が、気を失っている間も殺戮を続けていた四本の脚をぴたりと止める。五本目の脚を拘束する光の糸が増え、背中の中に引きずり込んでしまった。次の瞬間、翠色の光糸こうしが背中から噴きだすように溢れて、四本の脚を絡め取る。もがく脚に絡まる糸が脈動し、一瞬紅い光が魁英の背から糸の先端に向けて駆け抜けた。翠と紅の光が混じって糸が白金に輝く。金色の輝きが糸の先端まで到達した瞬間、脚が見る見る形を消失させた。

 がくん、と魁英の体から力が抜けた。黒い血に汚れた頬に、一筋透明な雫が走る。魁英とともに何とか軟着陸せねばと月鳴が襟を掴み直す。その瞬間、

「頂いていきます」

 軽やかに妖艶な声が月鳴に囁いた。大烏が月鳴の脇を通り抜けた瞬間、月鳴の手から魁英がもぎ取られた。

「魁英!!!」

 高い叫び声が月鳴の喉から迸る。しかし、あっという間に烏の姿は遠くなり、月鳴は手を伸ばすことすらできない。同時に、異形の大群が口を開け、手を伸ばし、月鳴に飛び掛かってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

続きは第一図書室で

蒼キるり
BL
高校生になったばかりの佐武直斗は図書室で出会った同級生の東原浩也とひょんなことからキスの練習をする仲になる。 友人と恋の狭間で揺れる青春ラブストーリー。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~

シキ
BL
全寮制学園モノBL。 倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。 倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……? 真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。 一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。 こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。 今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。 当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

発情薬

寺蔵
BL
【完結!漫画もUPしてます】攻めの匂いをかぐだけで発情して動けなくなってしまう受けの話です。  製薬会社で開発された、通称『発情薬』。  業務として治験に選ばれ、投薬を受けた新人社員が、先輩の匂いをかぐだけで発情して動けなくなったりします。  社会人。腹黒30歳×寂しがりわんこ系23歳。

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

ハンターがマッサージ?で堕とされちゃう話

あずき
BL
【登場人物】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ハンター ライト(17) ???? アル(20) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 後半のキャラ崩壊は許してください;;

処理中です...