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第九話 血王の牙(5)
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「大丈夫か」
「平気だ」
朱昂はその足で薬品庫に向かうと、空の瓶に魁英の血液を移し替え、蓋をした。
色も、微かに漂う匂いも何の変哲もない静脈血のようだった。
「人間の血にしか見えん。呪われているなどと……。朱昂、口に含んだだけで分かるものなのか」
「いいや。味は何やら混ざっていてよく分からん。まあ、お前がこの雑味を人間と思ってもしょうがないな。ただ、呪われている、呪いに近い何かがあると感じることはできる。俺にしか感じ取れぬくらいに巧妙だ。……巧みすぎて恐ろしい」
「もう一度言うが、奴をこの屋敷に留めておいていいのか」
一度目は聞き流された諫言は、二度目でようやく朱昂に届いた。昇りきった朝日で魁英の血液を照らした朱昂は、目の高さで赤黒い血液を揺らした。ふ、と朱昂の頬に笑みが浮かぶ。決して上品とは呼べない類の笑み。
「体は真血で、精神はお前である程度制御ができると分かったではないか。むしろあの化け物の雛はここにしか居場所はない」
「雛?」
「雛だ。人間に育てられ、己を人間だと信じながら人に馴染めず、雛のままここに転がり込んできた化け物だ。お前が危険だと恐れ、俺にすら化け物と呼ばせるほどの力があれには眠っているかもしれない。飼い慣らせば大きな力になる。伯陽、災いは力だ」
知っているだろうと、その存在そのものが災いと成り得る力を持つ朱昂が笑う。
「飼い慣らせねばどうする」
「どうなると思うよ」
朱昂の目に鋭く見つめられ、息が詰まった。手放すという選択肢はない、と朱昂の目が語っていた。
「口答えをせずに、お前はあれを精いっぱい手なづけろ。……この血液を調べればもう少し正体が探れる。手を下すのはもう少し我慢しろ」
「下したいんじゃない……」
朱昂が今度は本当の微笑みを見せてしもべを抱き寄せる。抱いた手が背を撫でる。肩にうっとりと頬を寄せて朱昂が囁いた。
「お前の優しさがきっとあれの心を癒すよ。お前がいつか俺にそうしたように」
「その手には乗らん」
甘い言葉で思い通りになるほど馬鹿ではないと、抱きついてくる主の背を叩く。しかし朱昂はくつくつと喉を鳴らすだけだ。
「お前は自分のことが見えていない。孤独に膝を抱えて泣いている者は人間であれ魔物であれお前は放っておけない。前例はいくつかある」
月鳴の耳に、朱昂の声変り前の呼び声が蘇る。
『来てくれたのか……?』折れそうなほど細い首、夕日に照らされる寂しげな表情。擦り切れそうなほど昔の記憶だ。
月鳴は朱昂の細い体を抱きしめて耳元に唇を寄せる。例え魁英を不憫に思っても、どんなに切なくても、守らなければならないのは、この腕の中の体だけだ。
「覚えておけ、俺はお前が一番だ。お前の傍に居たくて生き恥曝してここまできた」
「あぁ」
「もしあいつがお前を害すると分かれば、その時は俺のしたいようにするぞ」
「泣く子を斬れるのか」
「私欲のために月鳴がどれほど人を殺したか、お前は知っているか?……朱昂、」
体を離して目を合せる。
「俺の体は血まみれだ。呪いだとてどっさり受けているとも。」
朱昂の瞳が揺れた。小さく息を吐く。
「幻滅したか」
「惚れ直したんだよ……」
性急に唇を奪われる。情熱的なくちづけに煽られて帯を解こうとすると、手の甲を思い切りつねられた。
「駄目か」
「流石に迎えを待たせすぎる。もう一枚着なきゃいけないのだろう、持って来い」
朱昂が駄目と言えば、駄目だ。ねだるほど甘い気分でもない。
気を取り直した月鳴は、饅頭をいくつか朱昂の頬に詰め込みながら上着を着せかける。玄関を出ると、黒馬の馬車が待っていた。朱昂は懐に魁英の血液の入った瓶をしまい、先ほど血液が入っていた碗を傍らの石に叩きつけた。高い音を立ててそれが粉々になる。水ですすいでどうにかなるような呪いではないと、朱昂が呟いた。
「任せた」と、一言だけ残して馬車が遠ざかる。その影がやがて消えるのを、月鳴は黙って見つめ続けた。
「平気だ」
朱昂はその足で薬品庫に向かうと、空の瓶に魁英の血液を移し替え、蓋をした。
色も、微かに漂う匂いも何の変哲もない静脈血のようだった。
「人間の血にしか見えん。呪われているなどと……。朱昂、口に含んだだけで分かるものなのか」
「いいや。味は何やら混ざっていてよく分からん。まあ、お前がこの雑味を人間と思ってもしょうがないな。ただ、呪われている、呪いに近い何かがあると感じることはできる。俺にしか感じ取れぬくらいに巧妙だ。……巧みすぎて恐ろしい」
「もう一度言うが、奴をこの屋敷に留めておいていいのか」
一度目は聞き流された諫言は、二度目でようやく朱昂に届いた。昇りきった朝日で魁英の血液を照らした朱昂は、目の高さで赤黒い血液を揺らした。ふ、と朱昂の頬に笑みが浮かぶ。決して上品とは呼べない類の笑み。
「体は真血で、精神はお前である程度制御ができると分かったではないか。むしろあの化け物の雛はここにしか居場所はない」
「雛?」
「雛だ。人間に育てられ、己を人間だと信じながら人に馴染めず、雛のままここに転がり込んできた化け物だ。お前が危険だと恐れ、俺にすら化け物と呼ばせるほどの力があれには眠っているかもしれない。飼い慣らせば大きな力になる。伯陽、災いは力だ」
知っているだろうと、その存在そのものが災いと成り得る力を持つ朱昂が笑う。
「飼い慣らせねばどうする」
「どうなると思うよ」
朱昂の目に鋭く見つめられ、息が詰まった。手放すという選択肢はない、と朱昂の目が語っていた。
「口答えをせずに、お前はあれを精いっぱい手なづけろ。……この血液を調べればもう少し正体が探れる。手を下すのはもう少し我慢しろ」
「下したいんじゃない……」
朱昂が今度は本当の微笑みを見せてしもべを抱き寄せる。抱いた手が背を撫でる。肩にうっとりと頬を寄せて朱昂が囁いた。
「お前の優しさがきっとあれの心を癒すよ。お前がいつか俺にそうしたように」
「その手には乗らん」
甘い言葉で思い通りになるほど馬鹿ではないと、抱きついてくる主の背を叩く。しかし朱昂はくつくつと喉を鳴らすだけだ。
「お前は自分のことが見えていない。孤独に膝を抱えて泣いている者は人間であれ魔物であれお前は放っておけない。前例はいくつかある」
月鳴の耳に、朱昂の声変り前の呼び声が蘇る。
『来てくれたのか……?』折れそうなほど細い首、夕日に照らされる寂しげな表情。擦り切れそうなほど昔の記憶だ。
月鳴は朱昂の細い体を抱きしめて耳元に唇を寄せる。例え魁英を不憫に思っても、どんなに切なくても、守らなければならないのは、この腕の中の体だけだ。
「覚えておけ、俺はお前が一番だ。お前の傍に居たくて生き恥曝してここまできた」
「あぁ」
「もしあいつがお前を害すると分かれば、その時は俺のしたいようにするぞ」
「泣く子を斬れるのか」
「私欲のために月鳴がどれほど人を殺したか、お前は知っているか?……朱昂、」
体を離して目を合せる。
「俺の体は血まみれだ。呪いだとてどっさり受けているとも。」
朱昂の瞳が揺れた。小さく息を吐く。
「幻滅したか」
「惚れ直したんだよ……」
性急に唇を奪われる。情熱的なくちづけに煽られて帯を解こうとすると、手の甲を思い切りつねられた。
「駄目か」
「流石に迎えを待たせすぎる。もう一枚着なきゃいけないのだろう、持って来い」
朱昂が駄目と言えば、駄目だ。ねだるほど甘い気分でもない。
気を取り直した月鳴は、饅頭をいくつか朱昂の頬に詰め込みながら上着を着せかける。玄関を出ると、黒馬の馬車が待っていた。朱昂は懐に魁英の血液の入った瓶をしまい、先ほど血液が入っていた碗を傍らの石に叩きつけた。高い音を立ててそれが粉々になる。水ですすいでどうにかなるような呪いではないと、朱昂が呟いた。
「任せた」と、一言だけ残して馬車が遠ざかる。その影がやがて消えるのを、月鳴は黙って見つめ続けた。
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