吸血鬼のしもべ

時生

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第六話 夢王の懲罰(3)

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 (爸爸パパぁ……今いい?)
 (今最高にイイトコなの)
 (でもお客さん来たよ。――真血しんけつの主様)
 (あぁ。来たんだ)

 水の中を深く落ちていくような感覚の中で、誰かが会話をしている。いつしかそんな声も消えて、自分の心臓の音だけが残った。拍動は段々と遅くなり、自分の存在を含め、何もかもが水に溶けるようになった瞬間、バチリと体を打たれたように全身の感覚が戻った。

 頭の先からつま先まで重さが戻るなり、魁英かいえいは激しく嘔吐した。横向きになって吐き、ひうひうと必死に呼吸しながらうつぶせになりもう一度吐いた。汚れた手で頭を抱える。そのまま頭を引きちぎりたかった。

「魁英!!」

 ゴリゴリという音に混じって聞こえた声に、全身が震えた。抱きかかえられる感覚に混じって鼻に届く甘い匂いに思わず声を上げていた。

「ごめんなざいっ!!」
「魁英?」月鳴げつめいの声が耳元でする。
「もうしないで、ごめんなざい。もうやだ、もうやだ、もうやだぁ!!」
「おい!こいつに何した!!」
「ごめんな。あんまり可愛いもんだからちょっとやりすぎたかも」
「くそっ!」

 放して欲しくて腕を振り回すが、すぐに押さえつけられた。そのままぎゅうと体中を抱きすくめられる。何度かその背を殴りながら魁英はくしゃりと顔を歪めた。月鳴を殴りたくなんかない。どうして生きているの。どうして抱きしめるの?混乱のままガンガンと頭を床に打ち付ける。

「朱昂!何とかしてくれ、死んじまう!」

 月鳴の叫びの後、物凄い力で顎を掴まれ、上下に開かされる。顎が砕けると魁英の恐怖が頂点に達した時、ぽとん、と何かが舌の上に落ちてきた。

「アガ……」

 甘い蜜をさらに煮詰めたような感覚。強すぎる甘みなのに、舌の奥深くに潜り込む内にそれはとろとろと優しいものになった。ぽとんぽとん、と次々に雫が落ちてくる。染みこむ甘さにほわんと体が温かくなった。

 月鳴の香りと体温に包まれている心地よさに、全身から力が抜け、目が熱くなる。涙の気配が恥ずかしくて瞼を下ろすと、口を手で覆われ、甘い蜜が次々と流れ込んできた。舌で蜜を舐めると、眠気が襲う。体も痛くない。心地いい。いい気持ち。抱きしめられていた力が緩む。やだ。もっともっと抱きしめていて欲しい。口を覆っていた大きな手が離れた。
 誰の手だろう。月鳴様の両手は、腰にあるのに。

「月鳴様……」
「落ち着いたか?大丈夫か?」
「ん、ねむい、です。きもちい……」

 ふっと笑う気配がする。腕を腰に回したままの月鳴に恐る恐る視線を向ける。ギシと、寝台が鳴った。ころんと魁英の腹の上から降りて横になる月鳴の黒い瞳と、魁英の目が出会う。月鳴の眦は少し濡れていた。見つめる中ですっと目が細くなった。月鳴の笑顔に、魁英は顔を歪める。

 月鳴は怒っていない。ひどく魁英を苛めたりもしない。さっきの月鳴とは別だと本能的に分かった。

「月鳴様、おれ、ごめんなさい」
「うん?」
「怪我させた、……おれっ、月鳴様死んじゃったって、おれが殺しちゃったって。生きてて、良かった、よかった……!」

 改めて月鳴を抱きしめる。すがりつくように肩に顔を埋めると、ため息が四方から聞こえてきた。

 ひとつは確実に月鳴のものだが、他のため息も聞こえたのに驚いて辺りを見回すと、月鳴とは反対の背中の方に紅い目の男が腰掛け、呆れたような目で見下ろしてきていた。朱昂しゅこうの後ろ側には蜂蜜色の髪の男、その奥に見える扉からは魁英と同じか年下くらいの若い青年や少女がどっさり覗き込んでいる。魁英と目が合うと、若者たちはごくりと喉を鳴らした。

「朱昂~、部屋代くれれば寝台貸すぞ~」
「パパぁ、俺たちも混ざりたいよ。お兄さん、いい精出しそうな体してる」
「パパが味見してないからだめ」
「パパ夢の中でいっぱい遊んでたじゃん!」
「でも飲んでないもん」
「いい加減にしろ、淘乱とうらん

 がやがやと若者たちと言い合いをする蜂蜜色の夢魔の王を、紅い目の男――朱昂の声が制した。淘乱と名を呼び捨てにした朱昂に若者たちが殺気立つが、紅い目に一睨みされ、悔しそうに視線をそらす。朱昂が立ち上がるのに応じて、魁英の手を握りながら月鳴も身を起こした。

「立てるか」と耳打ちされ魁英が頷く。魁英の腰を抱いた月鳴が跳び上がり壁際まで退く。そこでようやく魁英は壁が石造りではなく、先ほどの部屋とは全く違うことに気づいた。「ここはどこだ」と聞きたいが、涼しい顔をしたままにらみ合う淘乱と朱昂の緊張感を前にできるはずもない。

 二人を見る月鳴の眉間が寄っていた。暴力の気配にぞわりと背筋を這うものがある。嫌だなと考えていると、淘乱の背後の若者たちが急に後ろを気にし始めた。ねえさま、と口々に言いながら道を譲っている。若者たちの人垣の間から現れた姿に、魁英は目を見開いた。

「あ」

 白い肌。細身の割に豊かな胸。締まった腰。憂いのある黒い瞳、意志の強そうな眉。
 現れた美女はひと飛びで淘乱と朱昂の間を駆けると、魁英のすぐ目の前に現れて鳩尾に拳を叩きこんだ。
 がくがくと全身が震え、床に膝をつく。

「弱すぎ」

 胸倉をつかみ上げられ、何度か平手打ちをされる。唐突な彼女の攻撃を止める手はない。

「よくも、あたしを、襲ってくれたわ、ね」

 四度平手打ちをされ、高く持ち上げられたかと思うと、思い切り床に叩きつけられた。足首が跳ねて嫌な音がする。さして痛みは感じなかったが、驚いた魁英は床に伸びたまま頬を押さえた。次いで左足首を揺する。何とか動いた。

「生きて、たのか?」
「パパが見つけてくれなかったら死んでいたわ。あんた本当にこの間の奴と同一人物?あの時はあんなに力が強かったのに」

 起き上がろうとする魁英の胸を小さくて硬い靴がぐっと抑えこむ。踏まれた魁英は抵抗を諦めて、床に転がったまま夢魔の娘を見上げた。

「あの、」
「答えなさいよ。あんたが本当にあたしの血を搾り取った奴かって聞いてるの」
「そうだ、よ。あん時は、ごめん」
「ごめん?」
「ごめんなさい」

 つま先で顎を蹴られる。げふっとえずく魁英を見下ろしながら娘は腕組みをした。

「そんなお粗末な詫びで私が満足するわけないでしょ。あんたのせいで大変なの!ちょっとしか起きてられないし、出かけられないし、楽しいこともできない!あんたのせい!……あんたのせいなんだからね」
「え?」

 絹に包まれた丸い尻を突きだすようにして美女が腰を折り、魁英は再び胸倉を掴まれた。踏まれるものの無くなった体が床から離れ、頭を抱えられる。少し冷たい細い腕と、柔らかな胸に包まれて、びくりと腰の奥で小さく爆ぜるものがあった。かっと背骨を駆けのぼる何かに驚いて身をよじる。花のような香りがする。

「やめてくれ」
「弱虫」

 娘に目を覗き込まれた。一瞬、黒い瞳の中心から蜂蜜色の光が瞳全体に広がり、頭が熱くなって全身の力が抜ける。珊瑚色の唇が微笑んだ。近づいてくる。受け止めようと顎を上げる。触れあうまであと少し、呼気が唇にかかった瞬間、

「待った」

 大きな手に目を覆われた。瞬間、「パパ!」と娘が父親に食って掛かる。ぎゅっと抱きしめる腕の力が強くなる。

「これ、あたしの!」
「待ちなさい、まだ隷僕を持つのは早い。早すぎる。ちゃんとしつけるからパパに預けなさい、ね?」
「あたしのために捕まえてきてくれたんじゃないの?自分のためだったの?」
「違うよぉ。坊やは月鳴ちゃんが持ち帰ったらしいって聞いたから、もしかしたら朱昂が釣れるかなと思ってさぁ。本当に釣れるとは思わなかったけど。あ、言っておくけど朱昂の精が目的じゃなくて君の治療のためだよ!」

 まぁ、くれるんなら出せるだけ欲しいけど……。淘乱が話している間中、魁英の目は覆われたままだ。夢王の手首を掴み、剥がそうとすると、逆に手首を掴まれた。

「うわ!」

 強い力に引かれるまま娘の腕を離れ、気づけば夢王に背後から抱え込まれていた。日に焼けた小麦色の手に太ももを撫でられる。

「というわけでどうだい、朱昂。お宅の坊やのお陰でうちの娘の元気がない。治療してくれないかな?」

 一同の視線は、淘乱を離れ朱昂に注がれた。
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