いたずらはため息と共に

4.踏み込む

239.先輩

「永那」
「はい」
「ごめんね」
「そんな、謝らないでください」
「…ずっと、謝りたかったの。謝りたかったけど、謝っても、許されないことだって…わかってたから」
先輩の声が震える。
横目で彼女を見ると、彼女も俯いていた。
「永那にとって、私を、思い出させないのが一番良いと思って、連絡しなかった」
彼女の膝に、雫が落ちる。
彼女が「ハァ」と息を吐く。
「嬉しかった。連絡してくれたことも、会ってくれたことも。永那が幸せだって知れて…」
「先輩は、幸せですか？」
「どう、かな…わからない」
胸がズキンと痛む。
あのときは、必死過ぎて、彼女の涙や言葉に、痛みもしなかった。
だけど、今は、やけに痛い。
「あれから…お母さんとお父さんに、叱られてね。泣かれちゃって。…相手が永那だってことは、言ってないよ？でも、人に貢いでたって説明したら…」
彼女が笑みを作る。

「ホント、私、最低だよね。全員を、傷つけた」
「…私は」
肺の空気を全部吐き出す。
「私は、心音先輩に出会えて、良かったです」
やっと、彼女をちゃんと見た。
「先輩に会えたから、今の自分が、いる」
彼女が涙を流しながら、私を見る。
「先輩に会えてなかったら、きっと、今も、ひとりぼっちで…自分を殺して生きてたから」
彼女が涙を零しながら笑うから、指で拭った。
途端に、苦しそうな顔をする。
「そんな…そんなこと…しちゃ、だめだよ？」
彼女が蹲る。
「え？」
「そんな優しくされたら…私、だめだから」
絞り出すような声で言う。
「私…私…あんなひどいことしたのに…まだ、まだ、全然、永那が忘れられない…！永那が、まだ、好きなの…忘れられなくて…ひどいよね、ホント、ひどいって、わかってるのに…今日だって、嬉しくて…」
太鼓を叩いているみたいに、心臓が鳴る。
叩かれて、痛いのか。
痛いから、叩いているのか。
でも、太鼓を叩く、誰かが笑う。
こんなにも私を想ってくれていたのだと知って、喜びを感じている自分もいる。

手を彷徨わせてから、彼女の背中を撫でた。
「ぁぁっ」
彼女の泣き声が、漏れる。
「だめ、だめ」
蹲りながら、彼女が首を横に振る。
「やめ、て…」
撫でるのを、止める、けど…そのまま、トントンと優しく叩く。
「永那…好き…好き…」
彼女を抱きしめる。
縋るように、彼女が私を抱きしめ返す。
彼女の息が、耳にかかる。
あのときを、思い出す。
「心音」
「あぁっ、ああっ」
彼女が声を出して泣く。
私の肩甲骨をギュッと握って、肩に顔を押し付けた。
「ありがとう、心音」
しばらく、泣く彼女を抱きしめた。

彼女が泣き止んで、顔を浮かす。
私の腕を掴んで、ジッと見つめられた。
目が、真っ赤だ。
メイクも、落ちてしまっている。
それでも、目が離せない。
…ああ、だめだよ。
彼女の顔が近づく。
息を吐いて、目を閉じる。
眉頭に、力が入る。
唇に、あたたかさを感じた。
爪が食い込むほどに、手を握りしめた。
あのときの感覚が、鮮明に蘇る。
彼女に教え込まれた、彼女の体を、思い出す。
彼女の舌が、私のなかに入ってくる。
気づけば、私は応えていて。
でも、彼女に胸をさわられて、肩を押した。

服で唇を拭う。
彼女の目から、涙が溢れる。
「ごめん」
全身がドクドクと脈打つ。
「私、彼女が好きなんだ。初めて、好きになった人なんだ。大事にしたい。傷つけたくない」
「ハァ」と息を吐く。
「心音にも、幸せになってほしい。…でも、私がそばにいてあげることは、できない」
彼女の喉が何度も上下して、体が震えている。
「ごめんね。…今まで、ずっと、ありがとう」
私はリュックを取って、ドアを開けた。
振り返らない。
走る。
瞳に涙が溜まって、視界がボヤける。
そのうち、体の揺れで自然と涙が零れ落ちた。
あのときと同じなのか。
私は、心音とのことになると、いつも走ってた気がする。
…いや、あのときとは、違う。
謝罪も、お礼もできた。
それがなんだって話だけど、私にとっては、大事なことだった。
心音が最低なら、私も最低だ。
同じ。
同じなら、いいじゃないか。
心音も謝ってくれた。
もう、それで、いいじゃないか。

走りながら、穂に電話する。
「もしもし」
「会いたい…！」
「え！？今から？」
「会いたい、会いたい…会いたい！」
「うん、えっと…どこ？」
「駅、1時間くらい、かかる」
「わかった、待ってるね」
穂の声で、涙が溢れてくる。
肩で拭う。

電車のなか、肘を膝について、両手で顔を覆って、座った。
早く。早く。
全然つかなくて、イライラした。
駅についた瞬間電車をおりて、改札を出た。
もう、そこに穂がいて、勢いのまま、彼女を抱きしめた。
「穂」
「永那ちゃん」
彼女が頭を撫でてくれる。
穂の匂いを目一杯吸い込む。
「穂、好き」
フフッと彼女が笑って「私も永那ちゃん好き」と返してくれる。
安心する。
「頑張ったね」
そう言われて、ギリリと歯を食いしばる。
事前に、今日先輩に会うことは伝えていた。
「穂、浮気したね？」
「え！？」
「千陽の匂いがする」
「ご、ごめんね…」
「いいよ、私も、キスしちゃったから…」
彼女の鼓動が速くなる。