いたずらはため息と共に

常森 楽

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2.変化

108.夏休み

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本当に怖いとき、人は叫び声が出ないとよく聞くけど、真実なのかもしれない。
穂は全く声を発さず、ずっと持ち手を握りしめて俯いていた。
私の足は、自分で力を入れるまでもなく、彼女の脇にしっかり固定された。
…ちょっと痛い。
スライダーが終わり、プールに浮き輪が浮かんでも、彼女の体は硬直したままだった。
「穂?…穂、おりないと」
少し強引に足を引っこ抜いて、私が先におりる。
前に移動して、彼女の顔を覗きこんだ。
「穂?」
ようやく少し顔が動いて、私を見た。
あまりに怯えたその表情を見て、少し可哀想になる。
頭を撫でると、少しだけ表情がやわらかくなる。
左手で浮き輪を固定して、右手を差し出す。
「おいで」
ようやく彼女は動き出す。
両手を私の首の後ろに回して、抱きつくように浮き輪からおりる。
その仕草があまりに可愛くて、心臓がトクンと音を鳴らす。
「怖かったね」
左手で浮き輪を引っ張って、右手を彼女の背に回す。
水の抵抗を受けながら、なんとかプールから出た。

まだ私に抱きつく彼女があまりに可愛い。
可愛いしか語彙力がないのかと思えるくらいに、可愛いしか出てこない。
浮き輪を戻しに行く。
浮き輪が重いから、彼女を私の左側に移動させ、浮き輪を左手から右手に持ち替える。
自分の背丈くらいある浮き輪を立たせた。
通路の左側には看板が立っていて、私達は浮き輪と看板に挟まれるような形になった。
後ろを振り返ると、偶然にも誰もいない。
そんなチャンスを、私が見逃すわけがない。
腰に添えていた左手を、彼女の顎に移動させる。
潤んだ瞳で見つめられる。
彼女の濡れた唇に、そっと唇を重ねる。
すぐに人の声が聞こえてきて、私達は離れる。
「がんばったね」
ポンポンと頭を撫でてあげる。
浮き輪を戻して、手を繋いでスライダーの出口に向かう。

ちょうど千陽と優里が浮き輪を戻しに来たところだった。
「穂ちゃん、どうしたの!?」
「怖かったみたい」
私が笑うと、優里の顔が蕩ける。
「そっか~!よしよし。もう大丈夫だよ」
優里が持っていた浮き輪を離して、穂に抱きついて、頭を撫でる。
千陽は浮き輪を1人で持つことになったけど、なんてことないみたいな顔をして戻しに行った。

みんなでレジャーシートに戻る。
私は穂の飲み物を売店で買って、わたしてあげる。
ストローをチューッと吸って、「ハァ」とため息をついた。
「こんなに速いなんて、知らなかった」
「けっこうあれ、速いよね」
「みんなあれを楽しめるなんて、すごい」
穂は項垂れて、肩にかけたタオルをギュッと握った。
私は彼女の肩を抱いて、頭を寄せる。
「慣れたら楽しめるよ」
「慣れるかなあ?」
「子供も滑れるやつがあるから、それを試してみたら?」
「今日は、無理…かも」
「うん、いいよ。無理しなくて」

優里と千陽が売店でアイスを買ってきた。
「クラスのみんなで行くときは、穂ちゃんを守らないとね」
優里が座りながら言う。
「絶対、調子乗ってスライダーに乗ろうって言ってくる人が出てくるからねえ」
穂がまたため息をつく。
「みんなの楽しい雰囲気を壊してしまいそうで申し訳ないな」
「…そんな!穂ちゃん、全然そんなことないよ!」
「穂」
私が声をかけると、目が合う。
不安げに瞳が揺れている。
「私が絶対穂のそばにいるから。大丈夫だから。ね?」
穂が俯きながらも、笑顔で頷く。
「誰かが何か言っても、穂がやりたくないならしなくていい。ハッキリ“やりたくない”って言っていいんだよ?」
穂は最近、何かを思っても、注意したりハッキリ言ったりしなくなった。
それが良いことなのか良くないことなのか、私にはわからない。
でも我慢しているなら、それは良くないと思う。
穂に我慢してほしいなんて、少しも思わないから。
「そう、なの?」
「うん。そんなことで楽しい雰囲気は壊れないし、壊れさせないし…私は、穂が自分の考えをちゃんと言えるところが好きなんだから」
穂が何度か瞬きして、目を伏せる。
彼女の目尻が下がって、唇が弧を描いた。
「ありがとう」

「ハァ」と千陽がため息をつく。
「永那、かっこいい」
優里が口元を手で隠す。
「…ぇ?え、そうかなあ?かっこよかった?うへへへ。やっぱ、かっこよかったかなあ?」
ニヤニヤして頭をポリポリ掻くと「やっぱ今のなし」と言われて、イラッとする。
「かっこいいよ」
まっすぐ彼女に見られる。
一気に顔が熱くなっていく。
…そんな…こんなやり取り、冗談でしょ?
そんなまっすぐ言われたら、なんて返せばいいかわからないって。
恥ずかしくなって、膝で顔を隠す。
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