PiNK

莇 未麻

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 2人が次に目覚めたのは、深夜から数時間経った明け方だった。部屋の中がほんのりと照らされている。
 どちらからともなく起きて、手狭なソファで寝たからか2人は同じタイミングで身体を伸ばした。
 
 「少しは休めたかな。あまりゆっくりもしていられないし、行こうか。」
 「うん。ユウ、体調は?」
 「ああ、もうすっかり大丈夫だよ。ありがとな。
 お前こそ、なんともないか?」
 「大丈夫。」

 即席の脱走劇から数時間経ち、いつ追手が来るかもわからない。マリーの深意はわからないが、宗教施設の人間はなんとしてでもこのままピンクを逃がしたりはしないだろう。
 2人は家を出て、再び車に乗り込んだ。

 ーーーーーー

 車を走らせてしばらくした頃、海沿いの道に出た。
 
 「水…?」

 ピンクは車の窓に釘付けになっている。窓におでこをピッタリとつけて、青く広がる景色をまじまじと見つめている。

 ーーよく考えたら、ピンクは海なんて見たことがないんじゃないか?
 気がついたらマリーと一緒にいたと言っていたことがあるし、マリーがピンクを実験以外の目的でどこか遊びに連れ出すとは考えにくい。

 「海のことか?初めて見る?」
 「海…。うん…!」

 ピンクは窓の方を向いたままやや声を弾ませて答えた。
 実はユウも海を見たのは数回しかない。両親はユウが生まれた時には既にヴェルへミア教に傾倒していたので、どこか家族で遊びに行った記憶はない。ただ移動する目的で海沿いを車で走ったことがあるだけだ。そんな感じなので、幼い頃のユウは、本ばかり読んでいる子供だった。
 ーー俺も、本の挿絵でしか見たことがなかった海を初めて見た時、感動したな。
 などと、ぼんやり考えていた。

 「地図にあった建物も海沿いだったから、部屋からも見えるといいな。」
 「…!、うん。海って、飲めるの?」
 
 ピンクは瞳を輝かせて訊いた。興味津々なことが表情だけで伝わってくる。
 確かに前の家は飲み水に困ることがたまにあったっけ。
 ユウはくすりと笑って答えた。

 「今度試してみたらいいよ。」
 「そうする。」

 ピンクが真剣に頷くのを見て、ユウは笑いを堪えられなかった。
 ピンクはユウの反応を見て不思議そうに首を傾げたが、ユウは海水を飲んだ時のピンクの反応が見たくて、なんでもないよ、と言った。

 ーーーーーー

 地図上では、さらに車を走らせたのちまた中路に入っていくようだった。
 しばらく進むと、スラム街のような場所に出た。道路と呼んで良いのかわからない路は舗装されておらずでこぼこで、人影と建物は増えてきたが、所狭しと立ち並ぶ建物は荒廃しているし、壁の落書きのようなものも増えてきた。物陰に潜む視線も感じる。
 
 「少し頭を下げて座ってて。」

 ピンクはもう既に手元にハンドガンを持っていた。するりと頭を下げ腰で座るような姿勢になると、

 「なんだか、嫌な視線ばっかりだ。」

 と言った。治安の悪い場所へはマリーの仕事上何度も2人で訪れたことがあるが、此処へは初めて来る。当然、こういう場所は新参者が警戒されるのだ。

 「ああ。もう少しで到着するよ。」

 嫌な雰囲気で緊張感も消えないままさらに車を進めると、目的の場所へ着いた。

 『最後の安息の部屋』らしいその場所は、細く縦に長く、奥行きのある赤い煉瓦造りの古い建物だった。海に面した方角に大きな窓が付いている部屋が縦にいくつか重なっている。両脇に非常に細く暗い路地があり、入り口はその路地に面している。
 
 ユウの携帯に電話がかかってきた。非通知の電話だ。

 「やあ、待ってたよ。」
 電話の向こうから、どこか楽しげな声が聞こえてきた。

 「無事に辿り着いてよかった。部屋は5階だよ、早くおいで。」

 そう言って電話は切れた。電話の相手はこの間の電話と同じだった。
 ーーやはり、罠だろうか。
 しかしここまで来た以上、行ってみるしかない。

 「この間俺に電話してきた相手がこの先で待ってるみたいだ。一応準備して行こう。」
 「わかった。」

 2人はそれぞれ自分の銃を持って、建物の中に足を踏み入れた。
 折れ曲がって上に続く階段をしばらく上がり5階に着いた。扉は一つしかなく、2人を待ち受けていたかのようだ。

 「俺が先に行く。」

 ユウがそう言って、部屋の扉を開けた。

 ーーーーーー

 2人は銃を構えて部屋の中に入る。
 
 部屋の中はコンクリートの打ち付けの壁と床で、冷たい印象を受ける。狭い玄関を抜けると、やや広めの最低限の家具が置いてあるだけの殺風景な部屋に出た。

 窓の方を向いている人影が、ゆっくりとこちらに振り返った。
 薄緑の髪は顔にかかるくらい長く切り揃えられていて、一見女性的な柔らかい印象を受けるが、背の高さと体格から男だろう。表情も笑顔を浮かべているが油断はできない。

 「長旅お疲れ様!」

 ユウは銃を構えて尋ねる。

 「誰だ。お前が地図を置いた人物か?」

 その人物は両手を挙げて、肩をすくめた。眉を下げて参ったな、と呟き笑顔で続けた。

 「ごめん。やっぱり警戒するよね。そう。君に電話をかけたのも、地図を置いたのも僕だよ。」

 そう言って、彼は服の裾をめくって何も所持していないことをこちらに見せ、困ったような笑みを浮かべ続ける。

 「この建物は僕が所有しているセーフルームで誰にも知られていない場所。ここは君たちに引き渡す。僕は味方だから信じて欲しい。この通り丸腰だし、僕が知っていることは全て話すつもりだよ。」

 「………。」
 
 ユウは何も答えないまま何が最善策か思考を巡らせた。
 緊迫した空気が流れる。

 その空気を破ったのは、ピンクだった。

 「この人…知ってる気がする…。」
 「何?」

 ユウは全くの予想外の言葉に驚いて聞き返した。
 ピンクから誰か他人の話を聞いたことがなかったし、一体どこで知り合ったと言うんだ。

 「礼拝堂で…」

 ピンクがそう言うとユウは舌打ちした。

 「やっぱりヴェルヘミアの人間か。信用できない。」

 ユウが銃を構えるとピンクが焦って続けた。

 「じゃなくて!一回だけ、遊んだこと…ある…ような…?」
 
 ピンクは記憶を辿るように言葉を紡ぎ、ユウをさらに困惑させた。

 「はあ?」
 
 あの礼拝堂で遊ぶ?想像もできなかったがピンクがこのタイミングで嘘をつくとも思えない。
 すると銃の先の男がぱっと表情を煌めかせて言った。

 「覚えていてくれたの?!」

 ユウが横目で訊く。

 「…それは本当なのか?」
 
 ピンクは頷き、ようやく2人は銃をおろした。

 「まだ完全には信用しない。情報は話してもらう。」

 「ああ、もちろんだよ。よかった…正直信じてもらうところが、一番の賭けだったんだ。」

 男はピンクを見て微笑んだ。
 
 「覚えていてくれて、ありがとう。」

 ピンクは少し照れたようにユウの影に隠れる。

 「僕はキマ。君が思っている通り、僕はヴェルへミアの人間だよ。でも、君たちとは利害が一致するから連絡したんだ。」
 
 キマと名乗る人物は壁沿いのテーブルと椅子に目配せして、続けた。

 「……とりあえず、座らないかい?立ったままだと、話しづらいだろう。」

ーーーーーー

 「さて、どこから話そうか。君たちが知りたい情報から話すのが、1番良いかな?」

 キマは終始にこやかに喋る。ユウにとってはそれがかえって信用ならなくて、眉をひそめた。

 「まず、この部屋は本当に安全なのか?」

 「ああ。本当だよ。僕はここをヴェルへミアからも離れたい時に来る場所としてかなり前から使ってる。管理者とも話がついているから安心していいよ。
 見ての通り、この辺りははぐれ者ばっかりでね。裏社会からも逃げ隠れているような奴ばっかりさ。
 治安に関しては…。まあ、君たちなら弾き返せるだろう。」

 「お前の素性は。」

 「それが…、ふう。隠しても仕方がない。僕は、教祖の息子だよ。」

 ユウが銃を再び構えようとすると、

 「ちょっ!最後まで聞いて!」

 キマは慌てて手を前突き出してユウを止めようとする素振りをした。
 ピンクがユウの服の裾を掴む。

 「そんな素性を持つ僕を信用できないのは分かる。本当…、君たちになんて言葉をかけていいのか…。
 それで、これも最後まで聞いて欲しいんだけど…。」

 キマは心底申し訳ないといった表情で、瞳をギュッと瞑り言った。そして片目をそろりと開けて続けた。

 「ナノに……会った……?」

 ユウにとって信用できない要素があまりにも次々と出てくるので、もはや呆れてきてしまった。こいつはあの謎の殺害予告男とも繋がっているのか?

 「…………会った。それがどう繋がるんだ。」

 ピンクには変な不安をかけさせまいと思ってナノの件は言っていなかったので、ピンクは瞳を瞬かせ丸くしていたが、黙っていた。

 「ああ…やっぱり。ナノは、僕の双子の弟。
 その様子だと、会ったのはユウくんだけなのかな。
 僕の今の行動の全てはナノに関わっているんだ。だから、どうか最後まで聞いて欲しい。」

 キマは頭を下げた。ユウも、もうここまできたら全部聞いてしまおうという気持ちになっていた。

 「わかった。」

 「ありがとう。……ナノは、マリーが作った、pinkの被害者なんだ。」

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