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trial 試練
記憶
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「伊織さん、……鷲塚……」
何かを思いだそうとするお姉さんは、癖なのか、爪を咬み始めた。
その顔は険しくなっていく。
ーーー ″ 車から降りなさい! ″
″あなた、何年生なの?!名前は?! ″
″ 伊織、いいから帰れ、早く″ーーーー
見つかった時の修羅場を思い出す。
暗がりの中で、私に掴みかかる奥さんを、橋元先生が押さえて、私は、車から降りて逃げるように帰ったんだ。
「んー、……ごめんなさい。奏太と同じ学校なのよね?なのに聞いたこと無いわ、どうして?」
「……」
弟と息子の判別もつかないのに、私の名前なんて覚えてるわけ無いか。
正直、ホッとした。
でも……。
「母さん、貰ったお菓子食べる? 母さんの好きなバームクーヘンだよ」
「そんなこと大きな声で言わないの! うちの実家は和菓子の老舗なんだから」
「和菓子屋の娘が、和菓子しか食べないなんて事無いから気にすんなよ」
「そうね、家族で饅頭好きなのはうちの人くらいよね」
「お父さん、酒も好きなのに甘いものも好きだよね」
「そう、それでよく生徒にもからかわれてるみたいよ」
離婚前の、幸せな記憶しかないような、このお姉さんに謝罪をする意味があるのだろうか?
バームクーヘンを美味しそうに食べる二人を見て、一体、葉築さんがどうしたいのか分からなくなった。
「伊織ちゃんも、ほら、食べなよ」
ーー ″ 伊織ちゃん″
まるで、本当の友達のような呼び方をして、私にもお菓子を勧める葉築さんの顔は笑ってたけど……。
「奏太。………お母さんが入院してる間も、ちゃんと宿題しなさいよ。あと、お父さんは、あんまりお家のこと得意じゃないから 部屋が散らかったら奏太もお片付けして」
「……うん、分かった」
バームクーヘンを、お茶で流し込むようにして、返事をするその瞳は、やはり暗い。
「ごちそうさま、伊織さん、私が退院したら家にも遊びに来てね」
「……はい……ありがとうございます」
およそ一時間。
面会を終えるまでの間、葉築さんは、壊れそうな笑顔で、ずっと″ 息子役 ″ を演じていた。
今日の目的が果たせないまま、私は、無言で病棟から出る彼の後をついていく。
バス停で、ようやく低い声を発した。
「何しに連れてきたんだよって、思ってるだろ?」
私の顔を見る、葉築さんの表情は切なかった。
「……そんなこと思ってない」
……でも、いくら私が過去を後悔し、謝罪しても、お姉さんには……橋元先生の奥さんには伝わらないんだと、悲しくなった。
「これが、夫を失った姉さんの現実。……それを身を持って知ってほしかったんだ」
「……」
もう、治らないのだろうか?
治る過程で、ひどくツラい想いをするなら、ひょっとしたら今の方が幸せ?
「お子さんは、面会には来ないの?」
本物の、″ 奏太 ″ くんは……。
誰も居なかったバス停に他所から人が集まり出して、葉築さんは、少し声を落として返事をした。
「奏太は、一番ヒドイ時の姉さんがあまりにも怖かったらしくて、一度もお見舞いには行ってないよ」
「………そうなの?」
じゃあ、何年も会ってないってこと?
実の息子なのに。
「……そんなことも知らずに、別れた義兄さんやアンタが平穏な生活を送ってるのだとしたら、許せないと思ってた。……そしたら、偶然にもアンタと同じ会社に入っていることに最近気がついたんだ」
「……」
冷たい風が、停留所にも容赦なく吹く。
私達が乗るはずのバスが来ても、葉築さんは一歩も動かなかった。
「ずっと近づく機会を狙ってた。もし、幸せなら、それを壊してやろうって」
″ 壊す ″……ーーー
確かめるのと同時に、始めから、私の結婚を壊すつもりだったんだ。
他の人達がバスに乗り込み発車してしまうと、静かなバス停に二人きりになった。
「……俺の前から逃げ出すなら、今のうちだよ」
何かを思いだそうとするお姉さんは、癖なのか、爪を咬み始めた。
その顔は険しくなっていく。
ーーー ″ 車から降りなさい! ″
″あなた、何年生なの?!名前は?! ″
″ 伊織、いいから帰れ、早く″ーーーー
見つかった時の修羅場を思い出す。
暗がりの中で、私に掴みかかる奥さんを、橋元先生が押さえて、私は、車から降りて逃げるように帰ったんだ。
「んー、……ごめんなさい。奏太と同じ学校なのよね?なのに聞いたこと無いわ、どうして?」
「……」
弟と息子の判別もつかないのに、私の名前なんて覚えてるわけ無いか。
正直、ホッとした。
でも……。
「母さん、貰ったお菓子食べる? 母さんの好きなバームクーヘンだよ」
「そんなこと大きな声で言わないの! うちの実家は和菓子の老舗なんだから」
「和菓子屋の娘が、和菓子しか食べないなんて事無いから気にすんなよ」
「そうね、家族で饅頭好きなのはうちの人くらいよね」
「お父さん、酒も好きなのに甘いものも好きだよね」
「そう、それでよく生徒にもからかわれてるみたいよ」
離婚前の、幸せな記憶しかないような、このお姉さんに謝罪をする意味があるのだろうか?
バームクーヘンを美味しそうに食べる二人を見て、一体、葉築さんがどうしたいのか分からなくなった。
「伊織ちゃんも、ほら、食べなよ」
ーー ″ 伊織ちゃん″
まるで、本当の友達のような呼び方をして、私にもお菓子を勧める葉築さんの顔は笑ってたけど……。
「奏太。………お母さんが入院してる間も、ちゃんと宿題しなさいよ。あと、お父さんは、あんまりお家のこと得意じゃないから 部屋が散らかったら奏太もお片付けして」
「……うん、分かった」
バームクーヘンを、お茶で流し込むようにして、返事をするその瞳は、やはり暗い。
「ごちそうさま、伊織さん、私が退院したら家にも遊びに来てね」
「……はい……ありがとうございます」
およそ一時間。
面会を終えるまでの間、葉築さんは、壊れそうな笑顔で、ずっと″ 息子役 ″ を演じていた。
今日の目的が果たせないまま、私は、無言で病棟から出る彼の後をついていく。
バス停で、ようやく低い声を発した。
「何しに連れてきたんだよって、思ってるだろ?」
私の顔を見る、葉築さんの表情は切なかった。
「……そんなこと思ってない」
……でも、いくら私が過去を後悔し、謝罪しても、お姉さんには……橋元先生の奥さんには伝わらないんだと、悲しくなった。
「これが、夫を失った姉さんの現実。……それを身を持って知ってほしかったんだ」
「……」
もう、治らないのだろうか?
治る過程で、ひどくツラい想いをするなら、ひょっとしたら今の方が幸せ?
「お子さんは、面会には来ないの?」
本物の、″ 奏太 ″ くんは……。
誰も居なかったバス停に他所から人が集まり出して、葉築さんは、少し声を落として返事をした。
「奏太は、一番ヒドイ時の姉さんがあまりにも怖かったらしくて、一度もお見舞いには行ってないよ」
「………そうなの?」
じゃあ、何年も会ってないってこと?
実の息子なのに。
「……そんなことも知らずに、別れた義兄さんやアンタが平穏な生活を送ってるのだとしたら、許せないと思ってた。……そしたら、偶然にもアンタと同じ会社に入っていることに最近気がついたんだ」
「……」
冷たい風が、停留所にも容赦なく吹く。
私達が乗るはずのバスが来ても、葉築さんは一歩も動かなかった。
「ずっと近づく機会を狙ってた。もし、幸せなら、それを壊してやろうって」
″ 壊す ″……ーーー
確かめるのと同時に、始めから、私の結婚を壊すつもりだったんだ。
他の人達がバスに乗り込み発車してしまうと、静かなバス停に二人きりになった。
「……俺の前から逃げ出すなら、今のうちだよ」
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