上 下
53 / 84
第五章 紫都とリスタート

またトラブル

しおりを挟む

   
    お客さま全員が乗車したあと、最後の点呼をしている時だった。
   
  「あれー? 俺の席がねぇ」
     
    見知らぬ、大柄な中年男性がフラフラと乗り込んできた。
    プゥンと、南条さんに負けない位の酒の匂いがした。
    どうやら、酔って他のバスと間違っているらしい。
 
    蛯原さんと岡田が、駐車場の、似たデザインのバスを指差している。
   
  「あちらのバスとお間違えじゃないですか?」
     
   バスの奥までウロウロする男性を呼び止めると、
   
  「バスと?」
     
    振り返るなり、完全にすわった目付きでジロジロと私を眺めた。
  
 「ほんとだ、俺の添乗員、もっとバストおっきかったもんな、間違えるわけない」

  「え」
 
     続けて失礼ついで、無遠慮に、がっ!と私の胸を片手で鷲掴みしてきた。
   
  「ちょっ………?!」

  「おいっ!」
    
    後ろから 三宅くんの声が聞こえても、酔っぱらった男の不躾な言動は続いた。
   
  「バストだけじゃない、顔もこんなブスじゃなかったし、肌ももっとピチビチしてたっけ、はは、乗り間違った」
     
    情けないことに、お客さまの目の前での侮辱に、直ぐに言葉が出なかった。
   
 「お邪魔したなぁー」
    
   と、最後に、パン!と私のお尻を叩いて入り口に向かう男の肩を、三宅くんが掴んだ。
   
 「出ていく前に謝れよ!」

  「あぁ? なんだ? カッコつけがー」
     
    男は、三宅くんをいとも簡単に突き飛ばす。彼の細い体は、通路を滑るように倒れた。
    
  「三宅さん!」
      
    蛯原さんと同時に駆け寄ろうとしたら、入口のドアがシューっと閉まり、バスは動き出した。
   
  「出発予定時間を5分過ぎました。フェリーに間に合いませんので出発いたします。なお、フェリーに乗り遅れた場合の損害補償もそちらでお願い申し上げます」
 
    この旅、初めての運転士によるアナウンス。
    
    ミラー越しに男を睨みつける岡田の凄味に、一瞬、ゾクリときた。
 
 「あぁっー?? 冗談はよせっ! 俺をおろせ!」
 
    男は、ふらつきながら三宅くんを股がり、入口扉前に立った。

  「おいっ!開けろっ!あっ!バスがいっちまう!」
     
    壊れてしまいそうなほど扉を叩いたり、蹴ったり。

  「岡田さん、止まって!」
    
    私が叫んだ途端、バスは駐車場内で急停車。
    扉が開いた。


  「あっ!?」
   
    扉にぴったりくっついていたその男は、開いた入口から転がるように落ちていく。

  「危ないっ!」
 
    見ていたお客様の間でも悲鳴が上がった。
    が。
  
    けして、飛んでいったり、怪我をすることはなかった。
    
    このバスには、ニーリング機構と呼ばれるものが装備されていて、スイッチを操作するとエアサスのエアーが抜けて車高が下がる。
   
    車椅子などで乗降されるお客様がいた場合は車高を下げ、スロープを出すのと同じようにそれを出したから。
  
 「あっ、バス!」
     
    起き上がり、本来乗るべきだったバスを追いかけて、その男の人は走り去っていった。
   
 「あっちのバスは点呼しないのかねぇ」
     
   今度はホッとしたような笑いが起き、
   
 「運転手さん!ナイス!」
   
    女の子達を始めとする拍手まで鳴り響く。
    岡田は、クラクションを鳴らして、走る男と気が付かないバスを止めて、あちらの若い添乗員の女の子が慌てて降りてくるのを確認。
  
   そして。
   そのまま熊本港を目指して走らせた。
 
 「イケメン運転手のお陰で一件落着だな」
   
    南條さんが珍しく人を誉めた。
    時間を押しても、安全運転で市街地を走り抜けるバス。
   
     岡田が、かっこよく見えた。









しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

処理中です...