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第四章 浩司と転機

桜の下に美人

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 「トラベルプロの桑崎紫都を使ったツアーの評判は良い」


   
   数年かけて、南部観光バスの運転士になった俺の耳に入ってきた噂。
    
   今や大手旅行会社も、経費削減のために添乗員やガイドを保有しない時代になり、ツアーにも派遣会社の添乗員を使うようになった。
   
 「へぇ、その桑崎って美人なの? 話が上手いの?」
   
 「別に普通なんだけどね。何故かお客様アンケートでは、ダントツ人気なのよねぇ」

 「二回くらいツアーで一緒になったけど、気遣いが行き届く人だった」
  
 「うちの会社も桑崎さんばっかり指名してる」
     
   客だけではなく、運転士やガイドの間でも評判だった。
   
   女に懲りていた俺は、その噂を聞いても特に興味を持つ事なく、ひたすら長距離の運転をする毎日を過ごしていた。
    
  客もそう、仕事仲間もそう。
     
  もう、女とは極力関わりを持たない。
  そう決めていたから。


 「おはようございます。トラベルプロの桑崎です。三日間宜しくお願いします」
    
   桜の名所巡りツアー初日の、バスでの打ち合わせ。
     
   その桑崎紫都は、幽霊みたいな青白い顔で挨拶をしてきた。
 
   こいつが、評判の人気添乗員か。
     
    ATB時代から様々な添乗員を見てきたが、正直、その見た目の地味さに驚いた。
  
 「薄っ……」
  
 「え? 何か言いましたか?」
 
   思わず呟いた俺の顔を、小豆あずきのような瞳で覗き込む。
  
 「別に」
     
   老舗旅館で女将にいびられる、冴えない仲居のような女だ。   
  ていうか、もう、そうにしか見えない。
     
   拍子抜けするからあんまり此方を見ないでくれ。
     
   それなのに、桑崎はしっかりと俺の目と口元を見て話す。
   なので俺は、桑崎紫都の顔をあまり見ないことにした。
   どうせ三日間だけの付き合いだ。



 「この座席って三日間同じなんですか? 」
      
   ツアー客全員が揃って間もなく、一人の高齢の客が桑崎に質問を始めた。
     
   どうやら、桜の写真を撮りたいがために反対側の席に移りたいらしい。
     
    運転をしながら、そのやり取りに耳を傾けていたのだが、
   
 「どなたか席を替わってくださる方はいませんかー?」
     
   桑崎は、その客に応えて、他の乗客に打診している。
     
    あほー。
    そんな事にいちいち応えてたらキリがないだろう。
      
   何で「無理です」と断らないんだ。 地味な癖に八方美人だな。
    
 「僕、替わってもいいですよ」
      
   リバーに何となく似ている、美形の若い客が替わってくれたから良かったものの。
      
  桑崎は、見てるだけで苛々した。

   
  予定通り、お昼前に曽木の滝公園に到着。
    
「こちらに昇るとよく見えますよ」
     
  滝を観るために、ガイドの蛯原が客達を誘導。
  散策の時間になると、添乗員と運転士は少しばかり休憩を取れる。
   
  「……疲れたな……」
    
   何年かやってると運転には慣れてくるが、やっぱり長さも高さもあるバスの運行は神経を遣う。
     
   今では、乗ってるだけで現地に着く添乗員が、逆に羨ましく思えてくる。
     
   つくづく勝手だ、人間って。
     
   俺は、カラカラの喉を潤す為にミネラルウォーターを買って敷地内を歩いていた。
 
   桜……やっぱり散ってるな。
     
   高台になってる所はまだ残ってはいるが。
     
   花吹雪につられるように歩いていくと、そこには先客がいた。
     
   桑崎紫都だ。

  桜を見上げて、舞い散る花びらの中でどうやら考え事をしているようだ。
     
  小柄で華奢な体、特徴のない顔立ち。
  けして高そうには見えない黒のパンツスーツ。
     
   どこをとっても色気一つないのに。
     
   スキー場では、女子が全部可愛く見えるのと同じように、花吹雪の中では、どんな女も艶っぽく見えるのかもしれない。
     
   一瞬だけ、桑崎紫都が綺麗に見えた。
    
「疲れ……かな」
     
   俺の視線に気が付いた桑崎が、俺に歩み寄ってきた。
  
  「お疲れ様です」
 
   会釈する桑崎から視線をそらし、わかりきってる事を口にした。
   
 「次の桜の名所も終わってるよ」
    
    一瞬でも見とれたのがバレないように、いつも以上にぶっきらぼうに。
   
 「やっぱりそうですよね」
     
  桑崎がもう一度、桜を見上げた。
    
  ノーメイクに近い横顔を再度確認する。
    
   うん。
   やっぱり、さっきは疲れてたんだ。
    
  どこからどうみても、この女は姑に苛められている、どんくさい嫁にしか見えない。
  
 「代案を考えておいたら」と付け加えてバスに乗り込んだ。
     
   俺は、水をごくごくと飲み干して目を瞑った。
     
   皆が飯を食ってる間に少し仮眠して、目の疲れも取ろう。



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