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最後の時まで地の底ではなく天へと行けると思ってくれた優しき呪術師殿に幸あれ【亡霊】

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 赤く零れ落ちる命の雫。
 視界が段々と狭まり、体中が冷たくなっていく中、胸元だけが燃えるように熱い。
 狭まる視界の中に存在していた銀色だけがその存在を煩い程主張していて。
 私は誰かも分からぬ相手にただ「はいじょしろ。【稀人】を」と言い募った。
 それも長くは続かず、最期には視界が全て黒に塗りつぶされ、私の意識は完全に途絶えた。

 あの時、ナルーディアス=アルト=フアラエセンは死んだ。

 死んだはずなのだ。
 命の潰える時を私は確かに体感した。
 私は狂い、騎士としての地位を剥奪され、最期には味方に殺された元騎士と言う不名誉な存在として名を残すだろう。
 もしかしたら名を残す事すら躊躇われ、葬られるかもしれない。
 だが、それでも良かったのだ。
 私は狂っていた時でさえ自身の行いが正義などと思ってはいなかった。
 ましてやあの狂人が仲間であった時など一時たりとも存在していない。
 私の忠誠心はコートアストーネ陛下ただ一人に。
 あのような男に剣を捧げるなど有り得ない。
 殺された事は私自身の不明であるが、あの男の仲間として名を残すぐらいならば、葬られた方が良い。

 いや、違う。あの愚者など関係無い。葬られても仕方ない程の事を私はしたのだから、その結果は甘んじるべきなのだ。

 陛下に任命された地位を全う出来なかった。
 最期まで陛下に、そして殿下に迷惑をかけてしまった。
 だからこそ、汚名を残すも全てを葬られるも陛下の御心次第。
 それだけの話だ。

 



 身体を失った私はどうやら支配されていた狂気からも解き放たれたようだ。
 何故か死した後もこの地に残っているが生きている時のように思考し、行動することが出来る。
 まさか死後亡霊としてこの地に残ることになるは思ってもみなかった。
 思考は明瞭とは言いづらいが自分が陛下に迷惑をかけ、騎士としてあるまじき行為をした事だけは理解している。
 死した後では遅いが、死した後まで陛下を煩わせないので良しとしておこう。
 
 アズィンケインにも悪い事をした。

 私が目をかけ、近衛騎士まで上がって来た青年。
 あの子が私を親のように思っている、と誰かから聞いた時、私は確かに気恥ずかしさと共に嬉しさを感じていた。
 訳があり、伯爵とは言え一代限りであった私に子は存在しない。
 そんな私にとってアズィンケインを含めた隊の者達は最も身近な者達であった。
 その中でもあの子は一等私を尊敬くれていた。
 狂気に犯され、暴走した私の言葉に傷つき歪めた表情が脳裏に浮かびは消えていく。
 思ったよりも生前に近い状態に舌打ちが漏れ出る。
 亡霊となった身なのだから、全て忘れてしまえば良いものを。
 
 それすらも許さない罪を犯したという事かもしれんがな。

 爵位は一代、この身も死した。
 柵は無く、狂気からも解放された。
 亡霊ならば何時か“私”の意識も薄れていくのだろう。
 ならば、私としての意識が残る内に会いに行こうか。
 私を第二の父と慕ってくれていたあの子に。
 亡霊とも思えない足取りで私はあの子の気配を探り歩き出した。




 彼方此方歩き、私がアズィンケインを見つけたのは、郊外にある集合墓地だった。
 アズィンケインが墓石の前に立ち、色々な事を話しかけているようだ。
 あの女狐に後を託したが、どうやら元気ではいるようだ。
 話しかけている横顔には悲しみや怒りも感じられるか、今わの際に見たように暗い目はしていない。
 他に手段が無かったのだが、どうやらアズィンケインにとっては悪い結果にならなかったようだな。

 ああ。今更だが、私が死した後、然程時間は立っていないのだな。

 あの愚かな男がどうなったかは分からないが、殿下がいらっしゃったのだから、捕まったのだろう。
 陛下もあのような男を見逃すはずがない。
 今頃牢にぶち込まれているか、取り調べを受けているか。
 もう処刑された可能性もあるかもしれない。
 たとえそうだったとしても今、思い返してみてもおかしな事を言う男だったのだから、何の感慨も浮かびはしない。
 あの男と私はは同士ですら無かったのだ。
 私を殺した存在が誰かは分からないが、多分あの男なのだろう。
 まさか武人ではない存在に後ろを取られるとは。
 お互い切り札は隠していた、という事なのだろう。
 不甲斐ないと思いながらもアズィンケインを見ていると、そんなあの子を見守る気配を幾つか感じた。
 そちらに眼を向けた途端、驚きを感謝が最初に思い浮かんだのは覚えている。
 だが、それ以上の憎悪と嫌悪と……そして絶望が沸き上がり、脳内を埋め尽くしていった。

 ハイジョシロ
 アノソンザイヲユルスナ
 ――――コロセ

 解放されたと思っていた狂気が身体を支配していく。
 抗おうにも私にとってはあまりにも馴染み過ぎて、拒絶しきれない。
 思考が支配されていく。
 先程のアズィンケインの元気そうな顔が浮かび、悲しみ絶望した顔に成り代わる。
 銀色があのおんなが――ハイジョスベキイロガスベテヲシハイシテイク。
 
 アア、モウ「アンタ、落ち着きな」――ダレダ?

 思考が黒く濁り、意識が“何か”に持っていかれそうになった、その時。
 切り裂くように声が切り込んできた。
 と、同時に意識の主導権が急速に自分の元へと戻ってくる。
 恐ろしい程の狂気が霧散した時、私は形を取り戻し、目の前には女性が一人たっていた。

「何者だ?」
「どこにでもいる呪術師さね、亡霊さん」

 露出の多い衣装が目の前で風に揺れる。
 貴族が見れば眉をしかめる者を多いだろう。
 だが、そういったことを生業をしている店の女達とは違い、私を見る目には一切の媚びが存在していない。
 いや、亡霊である私になら、そういった女達とて媚びを売ることはないだろう。
 だが、その代わりになるであろう恐怖すら目の前の女性から感じられなかった。
 真っすぐ此方を見る目は濁りなく、心の奥まで見透かされそうな透明度だけがあった。
 
 ああ。そういえば、こうなってから初めて人と目が合ったな。

 亡霊となり、誰の目にも私の姿は映らなくなった。
 向かい合っても相手からの視線の焦点は合わない。
 今更だが、そのことを聊か寂しいと感じていたらしい。
 今、目が合ったことでようやくそのことに気づいた。

「呪術師? 呪術師とは亡霊を【視ること】も出来るのだな」

 呪術師と言われて私はとある青年を思い浮かべた。
 あの男の嘗ての友だったと紹介された青年も呪術を使ってはいた。
 だが、青年は何処か自分の呪術の才を疎んでいるようだった。
 故に呪術師ではないと思っていたが。

 呪術を使える者が呪術師と言うならばあの青年も呪術師なのだろうか? そうならば、あの青年の元へ行けばよかったか。……いや、あの青年も今頃は陛下の裁きを受け、牢にいるか。

 どんな理由があるかは知る気も無いが、常に狂気と正気の狭間にいるような印象を受ける青年だった。
 時折こちらに向けてくる憐憫の視線が鬱陶しいと感じてはいたが、常におかしな思想を口にする男よりは好感が持てた。
 今頃は共犯者、事件によっては実行犯として捕まっているはずだ。
 目の前の女と青年は全く受ける印象が違うのだな、と何となく思った。
 女は溜息をつくと腕を組み、真っすぐ私を見据えた。

「呪術師ならば大抵は視えるはずさね。あんたは、最近の亡霊にしては奇妙だねぇ」
「どういう意味だ?」
「亡霊ってのはね、死んだ時の姿、又は生前において特に思い入れのある姿になるもんなのさ。けど戦争をしていたご時世ならともかく、平和な今、騎士服の亡霊なんざ珍しいことさね。思い入れがあるなら、そんな血塗れではないだろうしねぇ」

 呪術師の言葉に私は今自分が死した時の姿である事にようやく気づいた。
 胸元には穴が開き、血がこびりついている。
 確かに、今の私は死した時の姿なのだろう。
 この国の騎士服はもう着る資格が無い。
 だが私は剥奪されようとも陛下にとっての騎士であった。
 だから、私は騎士服に似せた服を着ていたのだ。
 紛い物だろうと、私にとっては譲れないことだった。

「だとしたらそなたは随分豪胆だな。血塗れの騎士に声をかけたのだから」

 女性の身で血塗れの亡霊に声をかけるとは。
 普通は悲鳴を上げて逃げるものでは?
 そんな私の問いかけを呪術師は鼻で笑った。

「呪術師にそんな軟な奴はいないよ。大体、あたしがそんな奴なら最初の時点で声もかけてないさね。あんた、感情に引きずられて形すら崩れかけてたんだからね」
「そうなのか?」

 確かに、黒い何かに主導権を取られそうになったが。
 そう、見守っている気配――アノメギツネノケハイガアッタノダカラ。
 途端、パンッという破裂音と共に視界が広がる。
 はっと我に返り前を見ると呪術師が呆れた表情で立っていた。

「どうやらあんた、本当に最近の亡霊みたいだねぇ。しかも妙に不安定ときた。……ちょっと顔かしな」
「どこに行くつもりだ?」

 この場を離れた方が良いのは私自身感じるが、あの子が心配な気持ちもあるのだ。
 渋る私に呪術師は不敵な笑みを浮かべた。

「あんたみたいな彷徨える亡霊の話を聞くのも呪術師の仕事さね。さぁ、あんたの淀みを聞かせてもらおうか?」

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