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一つのモノに執着した女性の願い

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 爛々としている緑の双眸の奥に揺らめく憎悪という焔。
 私達を見据えて私達に対して憎悪という炎を燃やしている様は今までの人形染みた姿とは一変、何処までも人らしく痛いくらいの熱量を感じさせた。
 けど、今まで向けられた憎悪や怒りと何処か違うと、此処まで憎悪を向けられても引っかかるモノが私にはあるのだ。
 強いて言えばフェルシュルグから向けられたモノに近い気がする。
 彼は【闇の愛し子】を排除したい程憎んでいた。
 貴族というモノに対しては呆れも含まれていたけど、完全に目の前から排除したいと渇望していたのは【闇の愛し子】に対してだけだった。
 だからこそ私が『同胞』であるという事実が彼の憎悪を和らげる結果となった。

 王妃様は私達に向ける憎悪を和らげる事は無いだろうという事は真っすぐ此方を睨みつける視線で分かる。
 だから全部がフェルシュルグと同じという訳では無い。
 ないけど、王妃様の憎悪の向ける先が私達であって私達ではない、とそう感じるのだ。
 何か根拠がある訳じゃない。
 根拠がある訳じゃないけど、何処までも確信がある。
 説明出来ない何かを私は感じ取っている。
 けどそれを探る事は出来ない。
 出来ない程曖昧なのだ。
 明確なモノが無いからこそ厄介な確信だ。
 どうしてもそれを探るのに意識を割かざるを得ないのだから。

 王妃様の豹変よりもその「何か」を探る事に必死な私は「噂の王妃様」の有様を無防備なままを叩きつけられる羽目に陥る事になってしまうのであった。

「リートアリス様! このような下賤のモノ達の言葉に惑わさないでください! 私は貴女様を裏切ってなどおりません!」

 突如王妃様の足元に縋りつく元侍女。
 あれ程絶叫しどん底まで叩きつけられたというのにもう回復したというのだろうか?
 だとしたらあの騒ぎっぷりすら本気では無かったという事になるんだけど……どんな理由にしろ王族に仕えるにはとことん向かない性質なのだというしかない。
 みっともなく王妃に縋りつく元侍女。
 そんな元侍女を見る王妃様の視線は凍えるようでいて何処までも無感動なモノだった。
 一瞥するだけで切り捨てられた事を悟るには充分だっただろう。
 更に縋りつき慈悲を請う元侍女に王妃様は段々苛立ちを募らせていったのだと思う。

「……ウルサイ!!」

 ついには直接的な対応に出たのだから。
 パシンという音と共に元侍女が王妃から離れて尻もちをつく。
 何時の間に持っていたのか王妃は扇でもって元侍女の頬を張り倒したのだ。
 女性の力だったからだろう、元侍女は頬を少し赤くするだけで血が出ている様子はない。
 けれど王妃の仕打ちに呆然としているようだった。
 そんな元侍女に王妃は眦を吊り上げて、もう一度元侍女を扇で張り倒す。

「裏切っていない? えぇえぇそうでございますわね? 最初から私を食い物にし何時か自分がこの地位-オウヒ-になるためだけについていたのですものね? 私を踏み台にしゆくゆくは王妃になるために私に従順な振りをしていましたのに、こんな所で馘になる訳にはいきませんものねぇ?」

 口元を吊り上げて甲高く激しく言葉を叩きつける王妃は私には見慣れないモノだけど、噂の王妃として何処までも「らしい姿」だった。

「知らないとでも思っておりましたの? 陰でどれほど私の事を罵り、陛下に媚びを売り私を蔑んでいたという事を私が知らないとでも? 「貴女様に仕える事が出来光栄です」と口で言いながらも私を常に見下していた事を知らないとでも? 私の指示など一切耳に入れる事無く王妃という威光だけを笠に好き勝手放題。その責任を私に全て擦り付けていた事を私はずっと知っておりますわよ?」

 どうやら噂の一部は元侍女の愚行らしい。
 とは言え、知っていても止められなかった王妃にも責任はありそうだけど。……止めようとしなかった、のかもしれないけど。
 
「最近はもう成り代わった気でいたのか側仕えの者達を自分付きかのように扱っていましたわね? 高々侍女の分際で王妃である私を見下し、まるで王妃のように振舞い続けた。だと言うのに私を裏切ってない? バカバカしくてお話にならないのではありません事?」

 元侍女を蔑み、せせら笑う王妃の姿も又人形なんて言えない。
 名誉を傷つけられて元侍女に相当の怒りを抱いていたらしい。
 けど正直さっきまで私達に向けている怒りと恨みの方が強いと思う。
 長年馬鹿にし続けていた相手に向けるよりも強い恨みを私達に向けている王妃。
 一体理由は何なんだろうか?
 其処まで恨まれる理由なんてさっぱり思い当たらないのだけれど。

「此度の事だけ素直に聞いたのは、私を失脚させるに足る弱みと思ったためかしら?」

 王妃の言葉に今まで呆然としていた元侍女が顔色を変える。
 だけど私と殿下も又驚いて王妃の顔を見つめてしまった。
 だって今王妃はとんでもない事を暴露するのではないかと思ったのだ。
 私達の驚きのままに王妃はある種決定打となる事を言いだした。

「私の命令だと言えば自分は言い逃れが出来ると思ったのかしら? そうやって私一人に咎を背負わせた挙句失脚、幽閉されれば後釜に座る事が出来るとでも? だから私の命令を拡大解釈して確実に殺すように仕向けたのかしら? 依頼の内容を「怪我」から「暗殺」に書き換えたのは貴女ですわね?」

 ……嘘でしょう?
 まさか此処で王妃様が暴露するなんて。
 怒りに我を失っている?
 ううん、違う。
 だって目に怒りは宿っているけれど、理性を手放しているようには見えない。
 王妃様は何処までも正気のまま自分が首謀者の一人であると暴露したのだ。

「一体どうして?」

 思わず声を上げてしまう。
 幸いにも王妃様達には聞こえていなかったようだけど。
 自分の迂闊な行動に内心舌打ちしつつ王妃の目的を思考する。

 自分はあくまで「怪我」をさせる程度で済ませるつもりだったのだという事の主張?
 ――けれど襲撃した事自体が問題である以上、行く先は然程変わらない。
 自分の策を潰された事への苛立ち?
 ――それは確かにあるかもしれないけど、それを主張するには怒りの度合いが低すぎる。
 
 一体王妃の目的は何処にあるんだろうか?
 未だに冷静さを持っている王妃の眸が恐ろしいと思った。

「しかも殿下達含めて全員を暗殺する事を付け加えたのは自分が王妃になった時、自らの子に王位を継がせたいと思ったからですわね?」

 言葉だけならば私は王妃は自らがお腹を痛めて産んだ子の事を思って怒っているのでは? と考えたんだけど思う。
 けど残念ながら違う。
 王妃は「殿下達」と言ったけど、その単語に感情が籠る事は無かった。
 まるで記号として話しているような寒々しさを感じたのだ。
 とてもじゃないけど子供思いの母親とは思えなかった。
 
「そんなにこの国の国母という地位が欲しかったのかしら? 誰もかれもを踏み台だと思っていたのね? 本当に浅はかで愚かです事。……いえ、違いますわね。本当に愚かなのはそれら全てを誰も知らないと思い込んでいた事ですわね」

 扇を降ろした事によって見えた口元は吊り上がり毒々しい程に綺麗な円を描いていた。
 あらゆる侮蔑の感情を込め蔑みに笑み見下ろす姿は黒幕に相応しい堂々たる姿と言えた。
 
「あまりに分かりやす過ぎて笑ってしまう所でしたもの。下賤の者が分不相応な望みを叶える事が出来るのを夢想して踊り狂う姿は滑稽でしたわ。しかも自分は順当にその路を歩んでいると欠片も疑わないなんて。その程度で陛下とお並びになれると考えるなんて本当に愚かしい事ですわね」

 ありったけの侮蔑と軽蔑を込めた視線で笑み見下ろす王妃に元侍女は恐怖からか一歩後ずさる。
 そんな及び腰に王妃の笑みは深まる。……何処までも嘲笑の方面に。

「道化としてもいられなかったなんて――無様です事」
「あ、あぁぁぁぁ」

 元侍女の心が何度目かの崩壊をきたす。
 折れられるだけではなく粉々に砕かれた元侍女の心は今度こそ元に戻る事はもう無いかもしれない。
 憐れだとは思わない。
 だってそれだけの事を元侍女はしていたし、この程度貴族令嬢であった彼女が「知らない」では済まないのだ。
 周囲を踏み台し、自分の事を賢いを思っていた愚か者は現実を叩きつけられて現実に耐え切れなかった。
 結果心を粉々に砕き逃げた。
 もう元侍女から害される事は無い。
 彼女はあらゆる意味で「終わった」のだから。

 ただ王妃がやった事の生き証人が居なくなったのが問題だった。
 王妃がそこまで分かっていて元侍女を「終わらせた」のだとしたら相当の策略家だと思うけど、そうなるとさっきの自ら指示した事を認める発言はおかしい。

 王妃は何処か矛盾しているのだ。
 自分のプライドを傷つけられた事に憤っているかと思えばその怒りの強さは然程ではない。
 謁見の間での我が子を労わるような言葉を発したかと思えば自らの子供をまるで記号であるかのように話す。
 
 ヒステリックに喚くという噂は先程の元侍女に対する態度と元侍女の王妃を蔑んでいる姿を見れば自ずと導き出される。
 じゃあ人形の様な、貴族らしい先程の姿が真実なのか? と問われれば困ってしまう。
 今回の襲撃事件のような大事を指示したという割には自分の身を案じた様子が無い。
 元侍女は自己保身の塊だった。
 王妃は逆に自己保身が全く見受けられない。
 自暴自棄なのか? と思ったけど、それも少し違う気がする。

 人の持つ多面性を今更議論する気はないけれど、多面性がぶつかり合っている様は珍しい、と思う。
 やっぱり躁鬱状態と言うのが一番ふさわしいのだろうか?

 此処で暴露したのは私達を取るに足らない者と認定したから?
 いや、それも少し違う気がする。
 私に不可解な憎しみを向けているのに、取るに足らない者と認定しているとかそれこそ大きな矛盾になってしまう。
 あの老人にも感じた事だけどどっちかにしろ! と突っ込みたくなってしまう。
 
 完全に壊れた元侍女に対しての興味は一切失ったのか王妃の目が再び私達を向く。
 途端一変した強い憎しみの光。
 貴族として長年コケにされていた元侍女に向けるのよりも強い怒りの感情に心当たりの無い私は困惑するしかない。
 王妃が敵である事は確実だ。
 此処まで敵視されれば私だって臨戦態勢に入っても良いと思う。
 実際初対面の老人を私は「敵」だと認定した。
 これだけ憎しみや怒りをぶつけられれば同じように敵認定してもおかしくはない。
 けど、何処かで引っかかっている事があり完全なる敵認識が出来ないのだ。

 自分の中にある些細な違和感という棘のせいですっきりしない。
 そんな心境を心の内に秘めたまま私は王妃を見据える。

 完全なる敵認識こそ出来ないけれど、警戒を解いて良い相手はない事は分かっているのだ。
 多分王妃にとって目障りだと思っているであろう殿下を背に庇うと私は王妃を見つめた。
 その眸の奥にあるであろう感情の違和感を探り、自分の中にある棘を飲み込むために。
 それがこの場を切り抜ける一助となる事を願って。


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