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綱渡りの策の結果は?(2)
しおりを挟むもう躊躇する事は無い。
私がとるこれからの行動がどう決着するかは分からない。
けれどそれを恐れる心は私の中には存在しない。
私は私の望むまま行動に移すだけだった。
殿下の言葉に赤い獣人は何処か不満そうに、けれど納得したように頷き私へと視線を流してきた。
無理に此方に意識を持ってこさせる必要がなくなった事に内心喜び、けど決して表情には出さないように無表情を貫く。
「いい所までいってんだけどなぁ、ちょっと足りてねぇんだよナァ。そーいう意味では嬢ちゃんの方がいいのかネェ」
「あら? ワタクシは何か期待されているようですわね」
そこで私は赤い獣人にニッコリ笑いかける。
けれど内心はもっと騒がしくて、切欠が早々にやってきたと喝采を上げていた。
これから成す事のためには出来るだけこっちを向いていてもらわないと困るんですよ。
だから私に注目していて下さいね、獣人サマ?
分からないように密やかに動き、体の下敷きになっている掌を床に押し当てる。
「殿下の足りない所を自分は持っているなどと大きな事が言える程自身が優れている自信など御座いませんけど?」
「いや、嬢ちゃんも充分優秀だゼ。ただそれじゃあオレ等の目的には達成しないなぁって話なだけでナ」
次取ろうとしている行動には精霊の力は必要無い。
獣人の何方かは精霊が視えているか気配は感じている可能性があるから、その方がありがたいけど。
話に、私の表情に注目を集めて水面下で実行のための機会を伺う。
背中を踏みつけられてはいるけれど、抜け出そうと動いてからか、今更少しくらい動いて未だ足掻いているようにか思っていないようだ。
私が抜け出すための策のための下準備をしている事に気づていない。
強者故の余裕を私は隙と考える。
私の「生きる事への執着」を甘くみた貴方方のミス。
けど私はそれを生かしてこの状況を逆転して見せる。
「複数形という事は獣人として、という事ですか」
「そーだナ。オレ等の目的知りてぇカ?」
素直に答えないと分かりやすく言っている表情に私の上から溜息が聞こえた。
赤い獣人の意地の悪い所に青い獣人も困っているのかもしれない。
暗殺者の割に感情が漏れ出ていると思うのは私の持つ『先入観』のせいだろうか?
随分人間臭い動作だと思った。
まぁ人間臭い所を見せられても私がこれからする事を止めようとは思わないけど。
だってこれは命の取り合いなのだから。
「(享楽的な光の宿る赤い眸も冷静でいて何処か激情を感じる青い眸も美しかったし、忘れる事はないと思うけどね)」
それでも最後に生きてココに立っているのは私達です。
下準備は全て終了した。
後は実行に移すのみ。
「いいえ? 特に知りたいとは思いませんわ」
「ホォ。そりゃ残念だネ。何でダ?」
だからさよならです、眸美しき獣人サン達。
私は毅然とした態度で顔を上げると笑う――傲慢でエゴに塗れた、何処までも人らしい笑みで。
「これから負ける者の戯言など聞く必要もないでしょう?」
言い放つと同時に右手を体の下から無理矢理引き抜き私の髪を鷲掴みしている腕を掴むと身体を少し浮かし体と床の間に隙間を開けた。
右手を挙げた事により体と床の間の隙間に右ひざを無理矢理曲げ入れると体勢を安定させる。……一瞬だけで良い、次の行動に移すにはその一瞬だけで事足りるのだから。
瞬間的に体にかかる圧力に一瞬息が出来なくなるけど、言葉を発せる事が出来る様に無理やり整え【力ある言葉】を叫ぶ。
「【Offnen!!】」
瞬間、体に雷が落ちたかのような衝撃が駆け巡った気がした。
「っ!?」
「アァァ!!」
一瞬の事だったのに、意識が持っていかれるかと思った。
だけど目の前で驚き目を見開く殿下と獣人の姿に私は自分の意識を強引につなぎ合わせて開いた空間に手を突っ込む。
背中から圧が消えた所私を拘束していた獣人にも今の衝撃は走ったらしい。
ぶっつけ本番だけど、うまくいって良かった。
私は火花が散ったようにチカチカする視界を無視して開いた空間から剣を取り出すと勢いのまま振り払いそのまま後ろに突き出す。
けど、それは見えないまま攻撃を仕掛けようとしたわけじゃない。
見えない相手を切りつける技量は私には無い。
だから私は自分が自由になる事を優先する。
仮令それが貴族の令嬢として、有り得ない選択だとしても。
獣人を掴んでいた手を離して自分の髪の根元を掴み直すと未だに掴んでいる手との間に剣を滑らした。
ザリザリと不快な音がするけど、躊躇する事無くそのまま剣を滑らせると急に身体が浮いたような感覚に襲われて前につんのめる。
「(髪の切断に成功した!)」
後ろを振り返る事無く、私は足を踏ん張り、そのまま体を前の押し出した。
同時に構築していた風の魔法を【詠唱】し発動させる。
「【我が魔力よ 変異し敵を倒す力となれ! 我が願うは鋭き風の刃! その刃持て全てを切り裂け! ――Wind!】」
現状私が唯一自由自在にタイムラグ無く発動できる魔法――【風の刃】を赤い獣人へと向けて繰り出すとほぼ同時に私は風の精霊に希い風の刃に飛び乗った。
風の刃に乗った私は勢いを殺すことなく突き進む。
嘗て先生との試合で使った手だけど、今は少しでも迅速に次の行動を取る必要がある。
どうせ此処で失敗すれば次の手を考えている暇なんて無いんだから、出し惜しみをする必要なんかなかった。
あっという間に殿下を拘束する赤い獣人に迫り、此方の攻撃が届くと判断した時には私は半ば無意識の状態で剣を槍のように突き出していた。
見開き驚きを露わにする赤い双眸の中心、眉間を貫かんと突いた剣は顔を逸らされて失敗してしまう。
とは言え完全に避け切る事は出来なかったらしく片目を深く切り裂いた手ごたえを感じた。
風の刃は体の横を通り過ぎたけど、その時赤い獣人は片目を抑えていて殿下は拘束から抜け出していた。
相当深い傷を負ったのに呻き声一つで耐える所暗殺者として……というよりも戦う者としては彼の方が上なのだと、頭の片隅で改めて実感してしまう。
格下が格上に勝つ事だって出来るのだから悲観する事ではないんだろうけど。
模擬戦の時を教訓に風の精霊に頼み衝撃を和らげてもらい風の刃から飛び降りる。
着地の際の衝撃に足が一瞬痺れたけど無視できる範囲だ。
これに気を取られてる暇は無い。
厄介な敵はもう一人いるのだから。
その時後ろから気配を感じ私は全身の力を使って剣をふりぬく。
相手を殺してしまうか、なんて葛藤は邪魔なだけだ。
今、此処で致命傷を与えなければ負ける。
私の命を賭する時は「今」じゃない!
無意識の衝動をねじ伏せると全身の力を込めて剣を振りぬいた。
再び剣が柔らかい何かに食い込む感触に何処かは分からないけど敵に剣が届いた事を私に知らしめる。
取り出した剣は初心者の汎用型の短剣だから切れ味はそんなに鋭くはない。
しかもさっき切りつけた後血を払う暇も無かったから切れ味は更に落ちるだろう。
幾ら全身の力を込めても幼女の力じゃ最後まで降りぬく事は出来ない。
けれど、私は知っている。
空中には水分が多分に含まれている事に。
故に水の精霊もまた存在している事に。
水でここら一帯を水浸しにする程の精霊は居ずとも、人一人を溺れさせるぐらいならばどうにかなる程度の精霊がこの場に存在している事に。
風の精霊程ではないけど水の精霊も私の言葉を聞いてくれるという事を。
「【水の精霊に希う! その身を変化し刀身に宿り鋭き刃とならん事を!!】」
叫び声に呼応するように私の周囲の空気が冷え込み、握っている柄まで凍り付くような冷たさを纏ったのを感じた。
私は冷たい柄を両手で握り込むと今度こそ斜めに剣を振り下ろした。
「はぁぁ!!」
肉を断つ不快な音と共に赤色に襲われるけど、それを振り払って後ろにはね飛ぶ。
そのまま目の端で視認した殿下の所へ駆け寄る。
殿下を背に護る体勢になり目の前を視線を向けた。
ようやく眼前が開けた私が最初に見たのは片目を抑えそれでもナイフを手放さない赤い獣人と片方の腕の肘辺りを失い血を流しながらも戦意を失わず此方を見据える青い獣人の姿だった。
戦況は一時的に持ち直した、と思う。
最大戦力の二人の獣人は浅くない手傷を負っている。
他の襲撃者は倒れ伏している。
生きているかも分からない。
けれど、完全に逆転したとも言えない状況だった。
二人の獣人の戦力は落としたけど、完全に倒した訳じゃない。
今後は本気で襲い掛かってくるだろう。
余裕を見せていた時でさえかなわなかった相手がなりふり構わず襲ってくる。
そんな相手をいなす事が出来るか分からない。
救援が何時来るかも分からないというのもネックだった。
一端外に出てしまえば私でもお兄様達が今どこに居るのかを判別する事は出来ない。
黒いのと脳内で会話をしながら戦える程私の戦闘技術は高くない。
それに……――
「(――……さっきの電流が走ったようなダメージが抜けてないし魔力も心もとない)」
精霊に希うためには魔法を使うよりも魔力の消費が激しい。
水を注ぐのではなく水を周囲に放出する、と言い表せる程消費には差がある。
勿論魔力を消費しなくとも問題無い願いもあるけど、水の精霊に頼んだ願いは思ったよりも魔力を持っていかれた。
風の精霊程数がいなかった事や水を氷に変換する、という行為が魔力消費が大きい要因の一つなんだろう。
検証してはいないから確定事項ではないけど、思いつきの行動が成功したから良しとするべきだろう。
代償に魔力を相当持っていかれて長期戦が難しいという状態に陥っている訳だけど。
「(お互い満身創痍って奴かな?)」
だからと言って此処で諦める理由にはなりませんけどね。
再び剣を構え二人の獣人を見据えた私は後ろで殿下がどんな顔をしていたか分からない。
けど私にかけられた言葉は恐怖以外の何かによって震えていた。
「どうして、其処まで「生」にしがみつくんだ?」
心底分からないという声で問われた私はチラっと殿下を見上げる。
困惑を隠せない殿下に私は溜息を隠せなかった。
改めて問われても私にはさっきと同じ事しか返せないのだから時間の無駄だと思うんだけど。
ただ貴族らしくは無いと言う咎める言葉でもなく、侮る言葉でも無かったから、答えてもいいかなぁと思えた。
「どれほど無様で傲慢だろうと生きたいと思うから」
剣を握りしめる。
柄まで血が流れてきて滑って握りづらくなった先程の水の精霊の力が残っている冷たい剣をまっすぐ構えて、敵を見据える。
もはや私の手は血塗れだ。
命の灯火をかき消した咎は一生背負うと決めている。
後からその重さに押しつぶされるかもしれない。
だとしても、だとしても私は私自身が生きると決めたのだ。
死を受け入れて笑うなんて事私には出来ない。
美しく価値ある死なんて私は受け入れない。
――『目の前で笑って死にゆく姿を見せつけられるなんて一度で充分だ』
『アレ』と同じ生き方を私は絶対しない。
無様だとしても傲慢だとしても私は最期の時まで足掻き続けると、その生き様にこそ価値を見出すと決めたのだ。
だから異常だと思われたとしても私は「生」にしがみ付き続ける。
――けど「人」なんてそんな生き物でしょう?
柄を強く握りしめて、何処までも不敵に何処までも傲慢に笑う。
「私は無様で傲慢な「人」としての生き方を貫き続けてみせるわ!」
だから絶望に心を折られたりはしないし、死すら受け入れた殿下の覚悟を私は受け入れたりはしない。
胸に抱く覚悟のままに敵である獣人達を睨みつける。
再び殺し合いが始まる、そうなると思っていたのに、二人の獣人は何故か呆けたように私を見ているだけだった。
「……はは、まじかヨ」
血が止まらず手まで真っ赤に染まった赤い獣人が私を見て歓喜を宿していた、そんな気がした。
けどそれを確かめる事は私には出来なかった。
なぜなら……――
「ヴァイディーウス殿下! ロアベーツィア殿下! ご無事ですか!?」
――……ようやく待ち望んでいた救援が現れたのだから。
急速に周囲の音が戻って来た、そんな錯覚に襲われた。
剣を構えたままの騎士の一人が此方に駆け寄ってきて、私達を背に守る立ち位置につく。
残りの騎士は襲撃者達を拘束しようと動いているらしかった。
何故か二人の獣人は抵抗しなかったから、確保はスムーズに終わる。
全てがスムーズに終わり過ぎて私は呆然と見ている事しか出来なかった。
思考が完全に停止しているような気がした。
「(お、わった?)」
救援があまりに突然過ぎて目の前の騎士達が現実に居るのか実感が追い付いてこない。
私は剣をおろしてもいいんだろうか?
お兄様や殿下は無事なんだろうか?
都合の良い夢を見せられているんじゃないだろうか?
私のした事はお兄様を責める原因にはならないだろうか?
本当に彼等はココに居て私達は助かったんだろうか?
一体今回の黒幕は誰なんだろうか?
魔力不足で頭痛がする。
思考が散漫で纏まりが無い。
夢か現かそれすらもはっきりしない。
剣をおろしても良いのか、此処で立ち止まっていて良いのか何が正解で何が間違いか分からない。
頭の中が滅茶苦茶になって目の前がチカチカと明滅しだした時、手に温もりを感じた。
手元を見ると後ろから殿下の手が、其の上から目の前の騎士の手が重なって私の手を覆っていた。
「キースダーリエ嬢。もう終わったよ。私達は助かったんだ」
「武器をお降ろし下さい。もう貴女様が戦う事は無いのです」
目の前の騎士の声の暖かさに顔を上げると、心配そうに私を見る騎士の顔が見えた。
騎士の顔に見覚えがある。
彼は確か中庭で警護していた人だったはず。
「(お咎めが無かったんだ)」
そんな今関係の無い事がふと浮かんで、私は内心苦笑する。
頭の中はまだゴチャゴチャだけど、どうやら今が現実である事は認識できたらしい。
実際の温もりを与えられた事でどうにか夢と現の区別はつける事が出来たようだ。
「殿下達を守って下さって有難うございます。――そして貴女もご無事で本当に良かった」
「ああ、私も言わねば。――助けてくれて本当にありがとう」
暖かい言葉に目頭が熱くなる。
私は私の思うままに動いただけ。
やった事を考えれば咎められる可能性も充分にある。
けど、だけどこの言葉だけは素直に受け取ってもいいだろうか?
思う所があるはずの人間から、それでも注いでくれた暖かい言葉を。
そして私の所に駈けつけようとしてくれているお兄様と弟殿下の私を心配してくれている表情は作られたモノではないと思ってもいいのだろうか?
身体が重い。
無理を押し通していた身体が悲鳴を上げている。
散漫になった意識が纏まりを得ず、更に希薄になっている気がする。
「(けど、もう最悪の状況は起こらないんだよね?)」
私は心配そうに周囲で点滅する精霊達に心の中でお礼を言う。
応えを受け取る気力ももう無い訳だけど。
「(つかれた、なぁ)」
本当に疲れた。
剣が手から零れ落ちて床にぶつかったからだろうか、カツンと言う音が聞こえたけど、それを拾う気力はもう私には無くて。
目の前が黒に塗りつぶされていくのに逆らう事が出来ない。
周囲が何か言っている気がするけど、それを聞き取る事も出来ず、答える事も出来ず、そうして私の意識はあっという間に黒に塗りつぶされていくのだった。
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