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金色の覚悟(2)

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 突然の闖入者は弟殿下に御執心の令嬢サマでした。
 然程意外感が無い所しょっぱい気持ちにならなくも無いなぁと思ったり。

 和やかな雰囲気をぶち壊す甲高い声に思わず顔を顰める。
 けどまぁ私だけじゃないからご勘弁を。
 弟殿下は勿論の事兄殿下様、目が笑ってません。
 そして我が愛しのお兄様、貴方も目が笑ってませんよ?

「(あー我が儘女って私の事だよねぇ? ってか我が儘って何をもってして言っているんだか)」

 王都で自身の噂が気になる今日この頃です。

 令嬢サマは私を一言罵倒すると後は全く眼中に無く只管弟殿下にまとわりついて話しかけていた。

「(いや眼中に無いは言い過ぎかな? 時々私を睨んだり、見下す様に笑ったりしてるし)」

 そんな事されても忙しないなぁとしか思えないけど。
 そもそも私は両殿下の何方とも婚姻関係を結びたいという気持ちは一切ない。
 政治の中枢に自ら飛び込むなんて面倒なことゴメンだ。
 弟殿下なら将来の王妃様だろうし、兄殿下だとしても王族である事には代わりは無い。
 継承権を放棄したとしても王族の男子である事実は変えようが無いのだから。
 最悪政戦に巻き込まれる。

 正直殿下というのは結婚相手としては苦労が確定されている相手と言える。
 物語の中で憧れの王子様が出てくるシンデレラストーリーなど鉄板だが、あれは物語だからこそ美しく憧れる結婚となるのだと私は思っている。
 
 将来誰かに嫁がなければいけない身の上とは言え殿下は勘弁してほしい所である。
 家格的と年頃的には問題ない処が更に問題である。
 政略結婚に本人達の意志など関係は無いのだから。
 お互いを嫌悪し憎悪していない限り周囲の御膳立てであっという間に婚約者に仕立て上げられかねない。
 殿下にだって好みがあるから私なんぞ嫌だと思って断ろうという話になったとしても政治的判断で断れない可能性は充分にあるのだ。
 貴族として生きるのだから理解していて当たり前の事柄なのだから自分の意志を押し通す事はかなり難しい。
 こと婚姻に関しては「個人」よりも「家」「王族」として判断されるのだ。

 弟殿下にまとわりつき話しかけている令嬢サマは本当に分かっているのだろうか?
 恋に夢するだけではこの先殿下と共に歩む事など出来ない事を。
 少なくとも現実をみない限り彼女が弟殿下と結ばれる可能性は低いだろうに。

 ついでに私が恋敵に見えているなら、見る目を養って出直して来いとしか言いようがない。
 殿下を取り合う気概なんて欠片も醸し出していないと思いますけど?
 と言うか現状席を立ってもいない訳ですけど。
 ……これも不敬と言えば不敬か?
 けどなぁ、此処で何かしら諫める言葉を出そうものなら完全恋敵認定されて今後五月蠅そうなんだよなぁ。
 それはやだなぁ。

 諸事情と今後の絡まれた際に起こる不利益と天秤にかけると微妙に手を出さない方に傾くだよね。
 これで分かりやすく殿下に助けを求められているとかだったら問答無用なんだけど、そんな様子も無いし。
 と言うか殿下の目が滅茶苦茶死んでますが。
 さっきまでの王者の風格? 王の気質? とか、そういったモノが一切消えてますけど。
 どんだけウンザリしているんですか、殿下。

「ロア様、あのような女にまとわりつかれておかわいそうに。今すぐあんな女追い出してワタクシと過ごしましょう!」
「パザミーネル嬢、何故ここに?」
「ナッツィッセル。いえナッツィとお呼び下さいませロア様。貴方様とワタクシの間ですのに他人みたいでおさびしゅうございます」
「――そもそもその呼び名も許可していないのだが」

 ――うわぁ。
 最後の言葉がすっごい切実だった。

 正直言いたい事は沢山あるんだけどね?
 殿下達にまとわりついた覚えはありませんとか、家格が上の私をあんな女呼びするのはどうよとか。
 けど最後の殿下の心底疲れましたぁって感じの言葉に同情が先立ちました。

「<ここってやっぱり許可無く入れない所なんだねぇ>」
「<そこかよ>」
「<色々言いたい事が無い訳じゃないけど、殿下のあれ見てると、ねぇ?>」

 話を聞かない人って厄介だよねぇ。 
 あれは王妃に甘やかされただけじゃ無理だと思う。
 元々の気質からして暴走特性ついてるんじゃないかなぁ。
 しかも相当恋愛脳なのかもしれない。
 ……出来れば近づきたくはない人種だなぁと思ってしまう。

 言いたかないけど高々伯爵程度の家格で王族に纏わりついて公爵令嬢に喧嘩を売るって、階級社会を破片でも理解していれば絶対にしないと思う。
 学園など基本的に身分の差などないと明言している場所ならば辛うじて、本当に辛うじて見逃されるかもしれないけど、王城でそれは完全にアウトだ。
 子供だから、と言える範囲を超えている。
 此処で私が一方的に令嬢サマを罵倒したとしても見逃されてしまう、下手すれば推奨されてしまうレベルでやらかしている。
 侮辱には敏感に反応するのが貴族だろうに。

 ただ関わるのも面倒だから私は関わりたくはない訳だけど。

「<ナッツィッセルって名前だったんだねぇ>」
「<今度はそっちか。しかも知らなかったのか? ……いやお前なら有り得るか>」
「<どーいう意味よ。……いや、何度か聞いた気がするけど、どうせ関わりなんて無いと思ったからすっかり忘れてたんだけどさ>」

 ナッツィッセル=アスト=パザミーネル嬢。
 年は同世代なんだろうなぁとは思う。
 格好はあの時のパーティーの時のようにゴテゴテしぃ、素材を完全に殺してしまった服装だ。
 普段からそれですか、と突っ込みたいです。
 この世界の貴族女性は服装一つにも気を使わなければいけないと思うんだけど。
 指摘する人がいなかったのかな?
 というか指摘しても自分への悪意だと思って癇癪起こして終わりなのかも。
 その上で親が妙なくちばし挟んでくればその話は終わりって事になる、か。
 伯爵という地位は高くはないけど低くもないしなぁ。

 この時私の中で癇癪持ちのお花畑思考の娘と馬鹿親という認識が確定したのである。
 少なくとも子供育てるのに失敗してるから馬鹿親と言われても仕方ないでしょ。
 せめて親ばかなら救いはあるのにねぇ。

 目の前では令嬢サマによる「我が儘女に迷惑を被った私の王子様を癒そうとしている健気なワタクシ」が繰り広げられているんですが、シナリオに文句言っていいですか?
 
「<付き纏われて疲れているなら一方的にその相手を貶めるんじゃなくて、別の話題を提供したりとかした方が好感度は高いと思うんだけど。同じタイプと思われるのは悪手じゃないかなぁ?>」
「<冷静に分析すんじゃねーよ。問題はそこじゃねーだろうに>」
「<眼がどんどん死んでいっているからどうにかしたいとは流石に思うんだけどさぁ。矛先がこっちに向くのも微妙なんだけど>」

 今後絡まれ続ける気がするんだよねぇ、此処で介入すると。
 これと決めたら一直線、情熱的な感じだしねぇ……良く言えば。

「<後、殿下も私に助けを求めてはいないみたいだし>」
「<手ぇ出しても顰蹙買う事はねーしお礼もいわれそーだが、気でも使ってんのかもな>」

 お前、絡まれてて辟易してたの見られてるしな、と黒いのに言われて私は内心苦笑する。
 あのパーティーの時令嬢サマに絡まれた事が疲れた一番の原因には違い無いし、トピアリーをぼぉっと見ていたのも事実だ。
 そこらへんの事実を殿下が認識していれば、私に気を使って助けを求める事はしないかもしれない。
 悪い意味で身分を取っ払っている相手には何を言っても無駄だろうし。

「強烈な令嬢だね」
「お兄様?」
「身分というモノを強く主張する気は私も弟にも無いんだけど、流石にあそこまで平然と無視されると困るんだよね」
「殿下?」

 いつの間にか二人が近くに来ていたらしい。
 気が緩んでいたみたいだ、気を付けないと。

「ココは私達王族以外は許可されない限り入れない場所だから彼女は入れないはずなんだけどね」

 王妃が許可出したんじゃないですかね、多分。
 そしてやっぱりココは王族の方以外の出入り禁止でしたか。
 そうじゃないかなぁと思ったんだけど、出来れば聞きたくなかったです。

「それに例え誰かが許可を出したとしても、私達が許可してココに居るキースダーリエ嬢やアールホルン殿に対して文句を言う資格は彼女にはない。それを全く分かっていない所が、ね」

 将来の王妃候補としては失格なんですよね、きっと。
 本当に自分の首を絞める事がお好きな方ですねぇー令嬢サマは。
 
 兄殿下の目は物凄く冷たい。
 先生のように眼差しに温度が無い故の冷たさというよりも相手を凍らせてしまいたいと願う冷たさは相手に対する確かな攻撃性があるようだった。
 実験体相手だから生死を問わないと如実に出る眼差しというのも結構怖いけど、極寒地獄を味合わせたいと願っている眼差しは体が反射的に防御姿勢をとってしまう怖さがある。
 此処までの敵意に近しい視線を物ともしないのは多分鈍いからなんだろうなぁ。
 身のこなしからみても令嬢サマが護身的な何かを学んでいない事が分かる。
 血を見るのが怖い、って言うのはもしかしたら本音かもしれない。
 その割には治癒系の魔法を学んでいる様子も見られないけど……まぁこっちは見ただけじゃ分からない、か。

 ただ聞こえてくる言葉の端々に自分はいかに相手を思っていて、あの女は自分勝手なのか、貴方には私が一番良いのよ、的な言葉が混ざり込んでいる。
 聞いて大層耳障りなのは私が当事者に祭り上げられているためなのか、それとも第三者として聞いても耳障りなのか……後者の気がしてならないんだけどなぁ。
 まだお子様だというのに女の武器を駆使してそうな所が更に好ましく思えない原因かもしれない。
 恋愛の駆け引きとして涙くらいなら平気で流しそうな「女の嫌な部分」をこの年で醸し出している所が気持ち悪いと思わなくもない。
 いや、子供でも女は女って事なのかもしれないけど。

「殿下でも止められませんか?」
「彼女の中では私は才覚がないから弟に王位をとられた無能らしいからね」
「……うわぁ」

 お兄様が思わずと言った感じで出した呻き声に近い声は私は内心上げた声と同種だった。
 ついでに黒いのが影の中で「<コイツが無能なら世の中に有能な人間いないんじゃね?>」と言っていたのにも同意したかった。
 少なくとも兄殿下は神童であり、才覚に溢れた方だと思うよ。
 私や黒いののように年齢詐欺な訳じゃなく、現状の自分の周囲を把握しているし自分の事を多少知っているようにも見えた。
 この年の頃で自分の立ち位置を把握している人間は無能とは言えない。
 何処まで見る目が無いんだと言いたくなる。

「(それとも噂に左右され過ぎているんだろうか? 自分にとって都合の良い噂のみを耳に入れて、それが真実を思い込む)」

 だから私は婚約者――自称だった訳だけど――が広めていた「我が儘お嬢様」で兄殿下は「弟に才能で負けた無能」と言う噂を聞き、それが真実なのだと思い込んだ。
 後は思い込んだらそれしか見えない盲目っぷりを晒しているって所かな。

 少なくとも暴走気質である事と恋は盲目状態である事を差し引いても貴族社会で渡り歩いていける才能の持ち主とは思えない。
 王族どころか貴族としても早々に自滅コースを歩むとしか思えない。

 誰かに囲い込まれて一生を温室で過ごすなら、それでも生きていけるかもしれないけど。
 少なくとも親しい人だとしても噂なら真偽を吟味する冷静さがないと、貴族なんてやってられない。
 
「(貴族子女として失格過ぎでしょ)」

 こうなっちゃいけない、という、反面教師程度にかならない。
 暴走気質だから制御する事も出来ない、手元に置くにはデメリットが大きすぎる案件だけど。

「ああもはっきり見下されたのは初めての経験だったね。貴重な体験をさせてもらったと思っているよ」

 ……目が笑っていませんけどね、殿下。

 それにしてもそういう経緯があるなら兄殿下も無理と言う事になる。
 お兄様なんて面識すらないし、この先に付きまとわれる可能性があると言う事を考えれば近づける訳にはいかない、というよりも私が嫌だ。
 私自身近づいても何も良い事が無い。

 さて、どうしたもんだが。

 上手く収まる術を考えてはいいたんだけど、その前に弟殿下の目の死にようが酷くなったのを見せられて、いよいよ覚悟を決めて声をかけないといけないかなぁと諦めが入った頃、令嬢サマは盛大な地雷を踏んだ――しかも私の、ではなく、殿下の、である。
 御蔭と言うか、私がリスクを考えて口を挟む必要性はなくなったけど。

「ロア様はしょうらい王になる方なのですからやばんな事などなさらないで下さい! ロア様が剣を持つ必要なんてありませんわ!」

 甲高く令嬢サマがそう叫んだ途端、弟殿下を纏う雰囲気が激変した。
 今まではウンザリした様子を見せつつ、相手は女性であるからか当たり障りのない対応をしていた。
 と言うよりも言質を取られる事のないように配慮しつつ、癇癪玉が破裂しないように受け流していた。
 まぁそれが大変だから目が死んでいったんだと思うけど。

 そんな理知的な言動を取っていた殿下が攻撃的な気配を隠さなくなったのだ。
 殺気に似た覇気は鈍い令嬢サマにも分かったんだろう。
 口を閉ざし、顔も多少青ざめている気がする。
 けど未だに自分が地雷を踏んだ事に気づいていないのが致命的と言える。
 今の殿下の中で起こっている事が見えたなら?
 泣き出してもおかしくないし、絶望すら感じたかもしれない。
 
 だって、多分だけど、今殿下は令嬢サマを切り捨てた。
 
「<分かってるのかねぇ? 自分が今切り捨てられたって事を>」
「<さぁ? まぁこれで静かになるならいいんだけどなー>」

 ごもっともです。
 私達が令嬢サマに思う所なんてこんなモンである。
 
 元々令嬢サマの言動は階級社会ならば有り得ないの一言につきる。
 幾ら王妃という大きな後ろ盾があろうとも庇いきれるものじゃない。
 それに私の中では彼女は敵になるかもしれない、けど何もしなくとも自滅するであろう相手でしかない。
 このまま、同じ振舞いを続けるならば、家諸共自滅コースである。
 今の起こっているやり取りだって、何時か自滅するであろう、その切欠が目の前で繰り広げられた程度にしか思わない。
 彼女に対して思う所なんて「自業自得だしなぁ。まぁ案外早かったなぁ」程度である。
 近々どころか今にも名前を忘れそうなのは私の悪い癖のせいもあるだろうが、十年後存在していなさそうだからでもある。
 貴族とは移り変わりが激しい訳じゃないが、それでも足の引っ張り合いもそれにともなった没落もよくある話なのだ。
 没落していった家は相当に事件の中核でない限り名前は忘れさられ、記録の中に残るのみである。
 令嬢サマの家もそうなるだろうと、名を覚えておく必要性すら失せてしまえば、私が名前を覚えておく訳がない。
 結果として現在名前も朧げになりつつあるのである。

 まぁこの切り替えの早さは薄情とか人でなしと言われるレベルである事は重々承知しているけどね。

 ただ、自分で自分の首を絞めて将来の夢を踏みにじった相手に同情なんて、私じゃなくてもしないだろう。
 普通の人でもしない同情を私みたいな薄情な人間がするはずも無く、目の前で繰り広げられている出来の悪い一人芝居に対しての呆れを感じ、巻き込まれた殿下に対して同情を覚えるだけである。

 先程まで目が死んでいた殿下。
 けれど今はその雰囲気を一変させていた。
 金色の眸は怒りにだろうか? ギラギラとぎらつかせている。
 纏う気配も殺気に似た覇気であり、遠巻きに見学している形になった私達ですら怒りの感情が伝わってくる。
 
 それを直接叩きつけられて令嬢サマは言葉も出ないようだった。  
 幾ら鈍い令嬢サマでも此処までの怒気を叩きつけられれば相手が怒っている事には気づくらしい。
 あさってな方向に解釈していなければ良いのだけれどね?

「ロア様? 確かにあのわがまま女に怒りを感じるのは当然でございますが、そのようにお怒りなさってはしょうらいの王としてはずかしい事ですわよ?」

 うわぁあさってな方向で解釈してた!
 今までの話の流れで私に対して怒っていると、どう解釈すればなるんですか?
 お兄様も横で小さく「どんな頭しているんだ?」とか呟いてたよ。
 兄殿下からも呆れた雰囲気感じるし。
 もはや怒りを感じる相手ですらなくなったようです。
 ある意味スゴイな。

 けれど弟殿下にしてみればはぐらかされたようにも感じたらしい。
 一層怒りが煽られたようだった。

「貴様は俺におろか者になれと言うのか?」

 静かに、怒声を上げる事無く、だが怒りに震える事を抑えきる事は出来ず、純粋な怒気を滲ませた声音は抑え込んでいるからこそ怒りの深さを感じさせた。
 金色の眸は常の黄金の輝きではなく、何処までも相手を焼き尽くす灼熱の太陽を彷彿とさせる。
 極寒地獄を思わせる兄殿下とは違い存在するものを焼き尽くし灼熱地獄を思わせる怒り。
 こんな所まで真逆じゃなくても良いのに考えるのは現実逃避かもしれない。
 ただ、そんな他所事を考えさせる程度には殿下の怒りを恐ろしかったのだ。

「騎士達は民を、俺達を守るために戦う術をみがいている。それをやばんなどと言った上、俺には必要ないだと? 俺が剣をふるう事はやばんでおろかな行為だとでも云うつもりなのか?」

 騎士とは国を守る者。
 この世界では戦争の影は見えない。
 だが小規模の内乱が起こらない確証など無い。
 そうでなくとも魔物が存在し、盗賊も居なくなる事は無いこの世界で民を守るのも騎士の役目の一つだ。
 彼女は守るために武を磨く者達を野蛮と切り捨てたのだ。
 それこそがどれだけ愚かな事なのかと考える事も無く。
 殿下の事を本当に好いているのならば、殿下が何処に怒りを感じているのか、令嬢サマは知るべきだ。
 ……その怒りの横に悲しみが横たわっている事にも。

「ならば貴様は命の重さも知らずに命令を降せというのか? ――守るために死にゆけ、と」

 王に限らず貴族ならば、上に立つ者ならば命令を一つ降すだけで多くの命を左右する。
 相手の命を奪うかもしれない、自分の命が奪われるかもしれない。
 だが命令一つを受けて戦う者達は戦いの場に赴く。

 命を預けるに値する相手と思うからこそ下された命令を違える事無く遂行するために動くのだ。

「命の灯火をかき消す、そんなおぞましい行為を強要する立場の俺が命の価値も分からず、消えゆく命を貴ぶ事もせずにいろとでも云うのか? 命の重さを知る事が間違っているとでもいうつもなのか?」

 彼女は分かっているのだろうか?
 殿下は確かに怒っているが、それと同じくらい悲しんでいる事を。
 自分を好いている事は気づいていたはずだ。
 方向性を間違っていたとしても、自分に対して好意を抱いていると分かっているからこそ言われた事に対して他者よりも深い怒りを感じ、悲しみを感じるのだ。
 自分の意志で貫こうとしている事を自分の価値観のみを基準とし正当化して打ち捨てさせようとした。
 自分に対して抱いているであろう好意がどれほど自分勝手か、それを知ろうともしない令嬢サマだからこそ殿下の抱く怒りは深いし悲しみを帯びるのだろう。
 理解ではなく、自分の価値観の共有を強要されれば誰でも反発するだろう……私はそういう意味でも令嬢サマの自業自得としか思えないわけだけど。

「くすぶる無意識をねじ伏せる事を決意し、命を尊びながらうばう事を選択した――俺の覚悟を否定させはしない!」

 剣を振るう事を決めたのは殿下自身だ。
 命を奪うかもしれない、それを知りながらも磨く事を決意したのも。
 無意識で蠢くであろう恐怖と嫌悪感をねじ伏せる事を覚悟したのだって全部、殿下の選択であり、誰かに強要された事ではない。
 次代の王として、王族の男子として命を背負う覚悟を殿下は剣を通して決めたのだ。
 
 その全てを意味の無いモノと言い切られたのだ。
 しかも自分の価値観に合わないという、ただそれだけの理由で。
 その事にどれだけの怒りを感じただろうか。
 その事にどれだけの悲しみを感じただろうか。

「(貴女の価値観を否定する事は誰にもできないかもしれない。けど同じように殿下の価値観とて誰にも否定する事は出来ない)」

 そこに至るまでの苦悩も恐怖も全てを打ち捨てるように強要したからこその殿下の強い怒り。
 殿下にとって子供だからといって許される範囲など越えた言葉だったに違い無い。

「おろかな王へと導く言葉など聞く価値もない。――私の目の前から消え失せろ」

 立ちすくむ令嬢を他所に此方に歩いてくる殿下の金色から怒りは消えていた。
 だが深い悲しみを宿した金は翳りとなりながらも何処までも深い色となっていた。
 それも瞬き一つで消えてしまったのだけれど。

 殿下は呆れながらも令嬢サマの事を嫌っていた訳ではないのかもしれない。
 夢見がちとは言え令嬢サマが一途に殿下に恋をしていたのは事実だ。
 好意を無碍にできる程スレてはいない殿下が僅かだとしても思いがあったとしてもおかしくはない。
 それが恋愛の情では無かったとしても子供から大人になった時親愛の情を抱けるかもしれない。
 そんな儚い願いもあったのかもしれない。

 けれど今、殿下はそんな願いを切り捨てたんだろう。

 自分の一部を打ち捨てる事を、自分の価値観を押し付ける行為を殿下個人としても王族の者としても許す事は出来ないから。
 悲しみを感じても切り捨てる事を選んだ。

 此処で悲しみを感じる所殿下は全うな人なのだという事が分かる訳だけど。
 私なら、悲しみなんて欠片も抱かないだろうから。

 短い距離だが、此方に向かって振り返る事無く歩んでくる殿下。
 その姿に何故か私は彼が『第二王子』にはならないのだと分かった。
 
 例えこの先どんな未来がこようとも殿下は『ゲームの第二王子』にならない。

 私には【予言】なんていうスキルは無いし、この世界に予言が存在するかも知らない。
 けれどこの思いは酷く私の中でしっくりきたのだ。

 殿下は良き王になるに違いない。
 
 今まで殿下と『第二王子』を結び付けていたモノが解けていくのを感じた。
 あぁ、思ったよりも早く二者を完全に分離させる切欠がやって来たみたいだ。
 思ったよりも抵抗も無いし、むしろすっきりした気がする。
 どうやら私は自分で思っていたよりも『ゲーム』に囚われていたらしい。
 自分の事ながら情けない限りであるけど、殿下が私の中で辛うじて覚えている『攻略キャラ』として初めてあった存在なのだから勘弁してほしい所である。
 今後は無いように気を付けないといけないなと思いつつ私はやってくる殿下を見上げると自然と私の次取るべき行動が分かった気がした。

 私はゆっくり立ち上がると膝を折り頭を垂れる。
 強制されたモノではなく、ただ自身の中にある臣下としての思いに突き動かされたのだ。
 驚いた気配が周囲から齎されるが、関係無い。

 私は彼が次代の王なのだと心から思ったのだ。
 だからその通り行動したまでの事だった。

「キースダーリエ嬢?」
「……ワタクシは殿下の覚悟こそ尊いモノと存じます。殿下がその覚悟を貫かれるのならば、その下で生きるワタクシ達は大きな幸いを感じる事でしょう」
「っ! 感情のせいぎょもままならないみじゅく者でしかないというのにか?」
「悲しむななどと申しません。怒りを感じるな、とも。ですが殿下ならばそれら全てを糧とする事が出来る、と。ただそう思う事だけはお許し下さい」

 後ろで誰かが――多分お兄様が――跪いたであろう音が聞こえた。
 
「恐れながら僕達は殿下達の友であるやもしれません。なれど同時に僕達は臣下でもあります。ですが、だからこそ僕達は殿下達が次代の担い手である事を誇りに思うのです」
「殿下のその在り方こそ王族たらしめるモノである、と愚かにも御身に伝える事をお許しください。ワタクシの言葉など子供の戯言ですが、少しでも御心にとめていただければ幸いに存じます」

 殿下は何処か怒りを露わにしている事を悔いているようだった。
 切り捨てた事も何処かで後悔の念を抱いているのかもしれない。
 けれど、私はそれでも殿下は次代の王に足る人物なのだと感じたのだ。
 『第二王子』とは違い、殿下は良き王となるだろう、と。

 貴方の覚悟は怒りは決して未熟だからでも無いし、覚悟を否定する事など何人にも出来ないのだと。
 ただそれを伝えたかっただけだった。

「……顔を上げてくれ」

 殿下の言葉に私はゆっくりと顔を上げる。
 殿下の口元は笑っていた。
 けれど眸には薄っすらと涙が浮かんでいた。
 それでも、眸に宿っているのは苦しみでも怒りでもないように見えた。

「キースダーリエ、アールホルン――ありがとう」

 その一言は何処か震えていて、けれど私には何処か喜びを孕んでいる様に聞こえた。


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