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夢の中に咲く無垢の花(3)

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 僕がダーリエに初めて会った時から変わらぬラーズシュタイン家。
 父上がようやく重い腰を上げたから僕等は弁解をしに行く事になった。
 フェルシュルグを切り捨てた事には何の憂いも無いはずなのに、何故、筋書き通りの事を述べに行く事を嫌がるのか僕には分からない。
 父上と別れて僕はダーリエと義理の兄の居る応接室へ一人向かう事になった。
 大人は大人、子供は子供と言う事なんだろう。
 ダーリエに会える事を楽しみに思いつつ、怯える父の姿が妙に印象的だった。

 僕はもしかしたらラーズシュタイン家を侮っていたのかもしれない。
 怯えていた父上。
 完璧に統率の取れた使用人達のそれでも隠し切れない僅かな敵意。
 そして……すっかり変わってしまったダーリエ。
 僕にとってラーズシュタイン家は貴族らしくない所がある変わり者でありダーリエの生家という意味合いしかなかった。
 だからあまり気にしていなかったんだ、ラーズシュタイン家が建国から途切れる事無く受け継がれていた公爵家である事も当主が現宰相である事の意味も。
 もしその事に気づいていれば父上の怯えようも理解出来たのかもしれない……今更ではあるのだけれど。

 何時もの僕でいられたのは応接室までだった。
 応接室に入った僕はマリナートラヒェツェ家の没落を確信してしまったのだから。
 いや、最初は違ったかもしれない。
 ダーリエもアールホルンも普通だった。
 変わった事と言えばダーリエが新しく飼ったのか【使い魔】の類なのか分からないが黒猫が居た事ぐらいだ。
 銀色と金色の瞳に黒い毛並みの猫……一瞬フェルシュルグが思い浮かんだのは多分同じ色彩を纏っていたからだと思う。
 其方の猫に気を取られたからだろうか。
 僕はダーリエ達が変わる瞬間を見逃してしまった。
 何か心が騒めいて違和感を感じて再びダーリエに視線を戻した時。
 彼女等と再び対峙した時、もう僕の知る「ダーリエ」はいなくなっていた。

 シルクのような銀糸の陽を透くと煌く髪も人々の眠りを護る安寧の夜のようなラピス色の眸も変わっていないのに。
 僕の愛する無垢な笑みを浮かべる、少しだけ背伸びした可愛いダーリエは其処には居なかった。
 居たのは優雅に微笑み、此方を探り、無感動に感情を読ませない硬質な双眸で僕を見据える一人の淑女。
 銀色の髪は今までと変わらず柔らかく注がれた陽が透いているのに、柔らかなシルクではなく鉱物の銀のような硬さを感じるし、何よりも「眼」が違った。
 安寧の夜ではなく、全てを飲み込む怖いくらいの静寂の夜。
 ラピス色の双眸に飲み込まれそうだった。
 ダーリエ――キースダーリエの座っている椅子の背もたれに黒猫が飛び乗り、同じように此方を見ている。
 黒猫の金色と銀色がまるで夜に浮かぶ月のようだった。
 同じ雰囲気を持つ一人の淑女と黒猫。
 違和感を微塵も感じさせない、一体感が怖かった。

 一体何時から僕のダーリエは変わってしまったのだろうか。
 フェルシュルグはいなくなった。
 けどダーリエが居なくなる事なんてないと思っていたのに。
 本当に僕の目の前に居るのは僕のダーリエなんだろうか?

 全くの別人なんじゃないか?

 バカバカしい事は分かっている。
 愚かだと言われようとも僕がそう思ってしまう程にダーリエの変化は顕著だった。
 飲み物を飲む動作一つで分かる。
 背伸びをしていた我が儘なお嬢様じゃ決して出来ない仕草と優雅さに僕は「女性」を見てしまった。
 
 もう無垢な笑みを浮かべる無邪気で愚かなダーリエは居ない。

 そう突き付けられた。
 その事実に僕は酷く動揺して泣いてしまいたかった。
 
 フェルシュルグは命を絶った。
 それは僕の得になる最期と言えた。
 失った事に寂しさと残念だという気持ちを抱いたが、割り切る事は出来た。
 けれど、ダーリエを失った事はそれじゃすまない。
 僕の愛する娘が消えた。
 切欠は分からない。
 けど何かを切欠にダーリエは女性になってしまった。
 あの、僕の愛した無垢な笑みはもう二度と見られないと、嘆いても戻ってこないと云うように喪失感が胸に広がる。

 あぁ、全くの別人なら良いのに。

 そんな馬鹿らしい願いを思い浮かべてしまう程、ダーリエの喪失は僕を打ちのめした。
 同時に分かった事がある。
 僕はフェルシュルグの喪失を割り切ったと思っていたけれど、それはダーリエという失っていない大切な人が居たためだったと知った。
 僕自身が考えているよりも僕は彼を気に入っていたらしい。
 ダーリエとフェルシュルグの喪失により僕の胸にはぽっかりと穴が開いたような気がする。

 キースダーリエ嬢の質問に前もって用意していた言葉を返す。
 特に脱線する事無く言葉を続ける僕にキースダーリエ嬢が不思議そうな表情をしているのが分かった。
 けど、僕の中から何かを探ろうとする姿は誰が見ても立派な貴族令嬢のあるべき姿だった。
 優雅に微笑み、言葉を裏を探る、社交界では必要な能力。
 それをこの年で身に着けているのなら流石公爵家の令嬢、というべきかのかもしれない。
 けれど優雅な仮面のような笑みを見るたびに僕のダーリエはいなくなったのだと思わされて胸が痛んだ。
 悟らせないくらいの仮面は僕も身に着けている、んだけどね。
 上手くいってはいなかったかもしれない。
 変わってしまったキースダーリエ嬢の完璧な貴族令嬢ぶりに僕は言葉を返し切れなくなっていったから。
 最後の方は胸の痛みとキースダーリエ嬢の持つ威圧感にも似た何かに押されて言葉も出なかった。

 僕の謝罪は謝罪として受け入れられた。
 けれど、それはマリナートラヒェツェが許されたという意味では無い。
 キースダーリエ嬢がそんな甘い存在には見えない。
 良くて没落、悪ければこのまま表舞台から消える事を余儀なくされるはずだ。

 最期を迎えるのならばダーリエの手で下して欲しかった、とか。
 フェルシュルグに天の世界で会えるかもしれない、とか。
 
 そんな事考えている時点で僕は「彼女」に負けてしまったんだ。
 代償は僕等の命か。
 いや、もう代償は払っている。
 僕の心を占めていた彼女-ダーリエ-と彼-フェルシュルグ-の喪失という大きな代償を。
 
 負けの代償はとても大きなものだった。

 此方を観察するかのように真っすぐと視線を逸らさないキースダーリエ嬢とフェルシュルグを彷彿とさせる黒猫。
 外見だけ見れば僕の望んだ光景に近しい代物かもしれない。
 中身は全く想像とは違った訳だし、最初で最後である事には違いないけど。
 殺伐した光景は僕が望んだ、けれど一番かけ離れた光景となってしまったのだった。

 多分、ラーズシュタイン家の辞すれば、もう二度とキースダーリエ嬢に会う事は無いだろう。
 勝敗はでたのだから。

 僕は最後だと思い心につっかえていた事をキースダーリエ嬢に問いかけた。
 虚無感を抱く中、それでも忘れる事は出来なかった疑問。
 それはフェルシュルグの墓、もしくは遺体を埋葬した場所だった。
 打ち捨てたとは考えられない。
 ラーズシュタイン家は平民だろうと遺体を更に辱めるような事はしないだろう。
 咎人だから分からないけど、何となく酷い扱いはされなかったのではないかと思ったのだ。
 実際キースダーリエ嬢は場所こそ言わないが、手厚く埋葬した事だけは教えてくれた。
 僕とフェルシュルグの関係を不思議に思っていたようだったけれどね。
 やっぱりラーズシュタイン家の人間は甘い。
 これがマリナートラヒェツェならば遺体だろうと八つ裂きにして魔法の研究のために使いかねない。……そうならなくて良かったと素直に思ってはいるけど。
 
 筆頭貴族と言える公爵家。
 敵対する気は無かった……少なくとも僕は。
 けれど母上は敵意を隠していなかったし、父上も見下した態度を隠しきれていなかったように思う。
 僕も……やり過ぎた事は事実だ。
 キースダーリエ嬢が僕に対して愛情を抱いていないのなら誤魔化しきれない所まで来ているかもしれない。
 
 僕等、マリナートラヒェツェは公爵家と敵対したのだ。
 
 その結果が「今」だった。

 負けを潔く認めて風が胸に通るような虚しさを抱えたまま応接室を出た後、僕は何となく振り返り閉まる扉から応接室を見やった。
 その時僕は再び衝撃に襲われた。

 キースダーリエ嬢が微笑んでいたのだ。……あの僕が愛した無邪気な微笑みで。
 多分相手は兄か何時も傍にいたメイドか、黒猫か。
 それは分からないけど、確かに彼女は微笑んでいた。
 もう二度と見れないと思っていた微笑みを浮かべていた。

 僕は衝撃のあまり一瞬呆けていたらしい。
 使用人の咳払いで正気に戻った僕は慌てて足を動かす。
 そうして僕は途中で随分青い顔をしていた父上と合流してラーズシュタイン家を後にしたのだった。





 帰りの馬車の中で父上はまるで呪うかのようにラーズシュタイン家に対する恨み辛みを口にしていた。
 負けた事を認めたくはないらしい。
 母上に比べれば随分状況が見れると思っていたけれど、どうやら買い被りだったみたいだ。

 マリナートラヒェツェは潰されずに済んだらしい。
 情けをかけられたと父上は憤慨しているけど、多分違う。
 自分の所にたてついた事への見せしめだろう。
 僕の後継剥奪も許されなかった。
 父上は僕に全てをかぶせて切り捨てる事も出来なくなってしまったのだ。
 下手すれば僕がある程度の年齢になった時、半ば強制的に当主交代になるかもしれない。
 その程度の介入は公爵家なら出来るだろうから。
 内政干渉と訴える事は出来ない。
 それだけの事をマリナートラヒェツェはしでかしているし、元々派閥の主家はラーズシュタイン家だ。
 目に余るから交代するように圧力をかけた、と言えば誰も文句は言えないし、今回のようなパターンだと自業自得としか思われないだろう。
 
 父上は貴族の当主としての資質を疑われている。
 その事を自覚して動かなければ何時か大きなしっぺ返しを受けるだろう。
 
 けど、そんな事は今の僕にはどうでも良かった。
 父上が失脚しようが、どうでも良いと言えばどうでも良いし、僕に何かできる訳でもない。
 僕の言葉なんて父上は聞きはしないだろう。

 父上や家の事以外を考えている僕はマリナートラヒェツェの人間としては失格なのかもしれない。
 それでも僕にとっての一番気になる事は別の事だった。
 最後に見た彼女の微笑み。
 失ったと思っていた僕の愛した微笑み。
 それが失われてはいなかったのだ。
 それがどれだけ嬉しくて、驚くべき事だったか。
 僕以外はこの驚愕も歓喜も分からないだろう。
 その場で泣きたい程の衝動だったんだ。
 人目を気にせず泣きわめきたくなるなんて初めての経験だった。

 僕はダーリエは変わってしまったと思っていた。
 人はそれを成長というのかもしれない。
 だけど僕にとっては変化であり愛する人の喪失であった。
 変わってしまったキースダーリエ嬢はもう僕にとって愛する人ではなくなった……そう思っていた。
 いっそ別人ならば良かったのに思う程胸に痛みが走ったし、涙が零れそうだった。
 けれど……僕は完全に失った訳では無いのだろうか?

 ダーリエが浮かべていた無垢な笑みは幻では無かった。
 まだ僕が愛したダーリエは消えていないのかもしれない。

 じゃあ何故別人のように感じてしまったのだろうか?
 ……それが分からない。
 分からない事が歯がゆかった。
 
 今の僕では分からない事だらけだ。
 自分の気持ちも含めて僕は知らなければいけない事が沢山あるのかもしれない。
 不幸にもこれから時間は沢山あるだろう。
 没落を免れたとはいえ公爵家と敵対した家に擦り寄ってくる馬鹿は居ない。
 嘲笑され、遠巻きにされるはずだ。
 けど自由な時間は増えるだろう。

 貴族としての矜持を捨てる気は無い。
 平民とは違って僕等には貴き血が流れている事は変えられない。
 けど……それでも僕等は人間なのだから、大切な人も気持ちもあるはずだ。
 何としても捕まえたいモノだってあってもいいじゃないか。

 キースダーリエ嬢――ダーリエは根底が変わっていないのかもしれない。
 なら僕は僕のダーリエを何時か取り戻して見せる。
 あれだけ急激に変化して、それでも失わなかったのだ、生涯あのダーリエは消える事は無いだろう。
 勘だけど、間違っていない気がするんだ。
 なら時間をかける事は決して無駄じゃないはずだ。

 ……まずは、信頼回復から、かな。
 少なくとも“僕”は公爵家と敵対する気は無いと分かってもらわなければいけない。
 幸いにも没落する事はないから学園には通う事になるだろう。
 その時、もし僕の愛したダーリエがいるのならば……。

 もう一度僕に微笑んでほしい。
 そして共にフェルシュルグの墓に行こう。……その時はフェルシュルグそっくりの黒猫君も同行してほしい、かもな。





 目を瞑り漆黒に包まれた時、脳裏に「僕」が居た気がした。
 僕を嘲り、それでも羨望の視線を向ける「僕」は本当に僕だったんだろうか?
 ――それを知る術は僕に与えられる事は無かったのだけれど、ね。


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