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敬愛すべき「夜」の御方【クロリア】

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 私-ワタクシ-はクロリアと申します。
 ラーズシュタイン公爵家の令嬢であられるキースダーリエお嬢様に仕えるメイドに御座います。
 嘗ては違う名を持ち生きておりましたが、お嬢様に仕えると決め、名を頂いた時から「あたし」は死に「私」はクロリアとして生きる覚悟を決め、こうしてお嬢様のために生きております。
 

 あたしは下級貴族を母に持ち、中級貴族の父の元で生まれた。
 ただし母親は血筋上は父親である家のメイドであり、愛人としてですら扱われない、その場限り、気まぐれで相手を強要される関係だった。
 下級貴族である母は父には逆らえなかった。
 それでもあたしを妊娠するまでは大きな問題は無かったらしい。
 貴族様の奥方様も愛情を持って婚姻を結んだ訳では無いからか見て見ない振りをし、お互い自由にしていたらしい。
 母だって貴族の社会でしか生きた事が無い人間だったのだから当初は諦観と少しの見返りを求めて貴族様の相手をしていたんだと思う。
 そんな危い均衡が崩れたのはあたしを妊娠したためだった。
 貴族様には既に嫡子がお生まれになっていた。
 けれど中級貴族らしく【魔力量】は平凡であり、家を継ぐ事は出来てもこれ以上の躍進は期待できなかった。
 あたしも女である事は良かったというのに【魔力量】に問題があった……あたしの【魔力保有量】は均衡を崩す引き金となってしまった。
 嫡子よりも多い【魔力量】は災いしか呼ばなかった。
 あたしの【魔力量】が多い理由は母の家系がかつては中級貴族だったらしくあたしはその力を引き継いでしまっていたのだろうと思う。

 一度均衡が崩れれば後は坂を転げ落ちるように瓦解していった。

 血筋上父である貴族様はあたしを道具に成りあがる事を夢想し不相応な野望を抱いた。
 血筋上の母はそんな貴族様の甘言にすっかり騙されて愛人となり、舞い上がってしまい、やはり不相応な態度を取るようになった。
 それを奥方様が許すはずもない。
 下級貴族の娘に乗っ取られる事を甘受するなんて屈辱に甘んじるはずもなく、あっという間に母は追いやられてしまう。
 あたしの知る母と確実に認識出来る最後の姿は屋敷を追い出されて遠ざかっていくモノだった。
 その後母がどうなったかをあたしが知るのは大分後になってからだった。
 それも最高に悪趣味な方法で知る事になる。
 ただ、この時は最後まで母はあたしの存在を思い出さなかったなと思っただけだけど。
 
 あたしの処遇は決まっていると思っていた。
 母と一緒に追い出されなかったのなら存在ごと無かったことにされる……つまり誰も知らずに消されるはずだった。
 けどあたしは生き残った……生きる事を強制された。
 
 あたしの魔力量に目を付けて使い潰す事を奥様は選んだからだった。

 その日からあたしはあらゆる戦う術……闇の中を暗躍する術を叩きこまれた。
 貴色を眸に宿すあたしは【土属性】に適正があり【魔力】のコントロールも良かった。
 毎日死ぬかもしれないと思う程厳しい訓練を課せられ、それでもあたしが死ぬ事は無かった。
 死ぬ事は怖くなかった、むしろ訓練の途中で死んだとしてもあたしは何も思わず生が終わる事を受け入れたと思う――今なら絶対に生き延びようと足掻くと思いますが。
 
 あたしは心が完全に死んでいた。
 ……ちょっと違うか、どっちかと言えば最初から育っていなかったのかもしれない。
 あんな環境でまともな精神が育まれるはずもなかった、と今なら分かるけど。
 当時はそんな事分かるはずもなく、ただ言われるままに訓練をこなしていた。

 一通りの訓練を受けたあたしの最初の仕事はある女性の暗殺だった。
 教官……監視役を付けられ向かった先は平民街の中でもあまり治安の良くない地区にあるあばら家だった。
 その時は感情も無かったあたしでも貴族の奥方が気にする価値のあるような場所とは思えないと考える程見すぼらしく、中に人がいたとしても手を下す必要もなく死んでしまうのではないかと思っていた。
 だけど、あたしが此処に向かわされた理由は直ぐに分かった。
 奥様は許していなかったのだ、自らの受けた屈辱を。
 最高の復讐を躊躇いも無く実行し、そのために待つ事を知る奥様はもしかしたら貴族らしい貴族だったのかもしれない。
 その仕上げがこれだった。

 あたしの最初の仕事は血筋上の母親を暗殺する事だった。
 実家からも見放された母は変わっているようで変わっていなかった。
 だからあたしは目の前にいる女の人が母であるという確証が無かった。
 とは言え、此処で何の関係もない人を殺める理由なんて無かったし、母であるのは確かだと思うけど。
 奥様がこの瞬間のために援助していたのか、一時の夢から覚めて自力で生きていたのか、あたしに知る術は無い。
 
 落ちぶれた貴族令嬢と闇に生きる、かつて母と子であった女二人。
 ありふれた悲劇過ぎて劇にもならない。
 だとしても当事者にとってはそれなりに衝撃的ではあった……特に母であった女にとっては。
 あたしの姿を見て驚き、あたしの無感動な目を見て全てを納得し憤りを感じていた。
 もしかしたらあの時があの人にとっては一番「母」であったのかもしれない。

 あたしと母は結局言葉を一言も交わす事は無かった。
 母を殺したわけじゃない、教官兼監視役があたしごと母を殺そうとし、それに気づいた母が何故かあたしだけを庇い死んだからだ。
 最後の最後であたしの事を思い出したのか、自ら生んだ娘への愛情を思い出したのか……奥様への意趣返しでもしたかったのか。
 あたしを庇い教官を殺した母は結局何も言わずに亡くなった。
 その時僅かに微笑んでいたのはどんな理由だったのか……やっぱりあたしに知る術は無い。

 母に庇われて、だけど怪我を負ったあたしはあの家に戻る事は出来なくなってしまった。
 教官があたしごと殺そうとしたのだ、邪魔な親子を抹消するつもりだったと言う事。
 このまま戻っても待っているのは「無残な死」のみ。
 死ぬ事に恐怖は無かったが、怪我の程度を見るにほっとけば死ぬのに、わざわざ痛い方法で死ぬために戻る気持ちはなかった。
 だからあたしは母の亡骸ごとあばら家に火を付けてその場を離れた。

 当ても無く彷徨い、何処かの道で倒れた。
 大通りに近かったが、誰もあたしを気に掛ける事無く、あたしの命の灯火は消え失せようとしていた。
 厄介事は避けたいと考える道歩く人達を責めるつもるは無かった。
 というよりも当たり前の行動だと思っていた。
 だって厄介事しか感じられない怪しい子供に手を伸ばす人間なんて存在しない。
 当然の選択で必要な自衛手段だったのだから。
 
 あたしは誰も恨んでいなかった。
 父に当たる貴族様もついさっき死んだ母親も、あたしを殺そうとした奥様ですら。
 ただ全部諦めていた……生きる事すら。
 人は死ぬ、それがあたしはただ早かっただけ。
 恐怖は無かった、現状に対する憤りも。
 貴族様の強要に全てを諦めていた母のようにあたしも全てを諦めた。

 道をぼんやりと見ていたあたし。
 もう全てが遠くに見えていたし、聞こえていた。

「―――……!」

 だから大きな声が何処から聞こえてきたのか分からなかったし、あたしに向かっていているのも分からなかった。

「……――いきて!!」

 必死な声に一瞬だけ意識が現実に戻った。
 そうしてあたしが最後に見たのは全てが眠る「夜」を閉じ込めたような眸とその奥に見えた生命の輝きだった。 
 
「(「夜」があたしを迎えに来た)」

 「夜」に見守れて死ぬのならば安らかに眠れそうだ……なんて事を思いながらあたしの意識は完全に途絶えたのだった。










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