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報せ
しおりを挟む行きに歩いた廊下を帰る途中、イーノイは何度も振り返り道を必死に覚えようとしている。
何故自分だけ明日も来いと言われたのか、その説明もなく不安を覚えていた。
ただ、気を失う前に呟いた自分の名前。いや、気付かされたと言うべきか、失ったものを取り戻したような感覚を覚えた。
自分に氏があるなど知らなかった。
名を聞かれた時、イズンから延びる魔力の糸が伸び、それはスルスルと身体の中を駆け巡り、同時に泣きそうになるほど懐かしく暖かい感情がその魔力の糸に絡め捕られ、呼び覚まされた自分の氏名。
イーノイ=テペ=ヨリョトリ
意識せず自分の口が紡ぎだす真名と同時に、溢れ出した魔力の本流が身体中を支配し、その力は凝縮され、今も身体の内に感じることが出来る。
集中すればその力が現れる。
気を失ってみた夢は母の夢だった。
大きく、そして優しく包み込むような母の感覚。
息を引き取る前に、母は自分が下げているペンダントをイーノイに託しこう言った。
『イーノイ、力に目覚めても、その力を使ってはダメよ、その力はあなたの身を亡ぼす。これを身に着けていれば、恐ろしい力からきっと守ってくれる、だからこれを…』
それが何のことかは解らなかった、母の形見。お守りとして大切に持っていた黒曜石のペンダント。
母は力を使うなと言っていた、力。魔力。いまこの体に燻ぶる感覚は正に魔力そのものだ。
それは感情。それは感覚。
手を伸ばすとそれらは増幅され、そこから鞭の様に撓りながら、意識した場所へ伸びてゆく。
恐ろしい力。だがその力はいまは何の意味も持たない。
そう、これは色を持たない力の顕現。だたそれだけの事だが、それらは身体中に溶け込み。そして漲る。
「フフフ…」
思わず笑みがこぼれた。それを目敏く見つけたルキアはニヤニヤと忍び寄り耳元で囁く。
「なぁ~に? ナオヤに抱きしめられたのがそんなに嬉しかった?」
「ちっ…! 違いますもんッ! そんなこと…」
「そんなこと? ん? ん? ん~~?」
歩きながら本を捲っていたナオヤはそんな二人を横目で見つつ、ふと視線を戻すと、長い廊下の向こうからエンバランが駆け足でこちらに向かってくる、いつもと違う焦りの表情だ。
その表情に一抹の不安を覚えた。
その知らせは伝書鳥で届けられたという。
「テトの町で物資の補充をしていた兵からの報告です。テトへは侵攻せず、そのまま東の山中へ大きな荷を二つ、運びこんでいたと…」
ルキアは整った顔を歪め、怒りの表情を浮かべ、その書面を乱暴にエンバランに押しつけた。
書面が放鳥された日付から二日経っている。
国境の砦からの連絡は無い、恐らく既に落とされ陥落しているだろう。
あの場所に残してきた部隊も絶望的だ。
目的ははっきりしている。『流星』だ。
ルキアは速足で廊下を進み、重厚な甲冑を身に着けた近衛兵が両脇に控える大きな扉を開け中へ入っていく。
その扉の中、エレジア王はナオヤを引きとめる説得をしていた。
三日あれば三千の兵を用意するとエレジア王は約束したが、それでも頑としてナオヤは首を縦に振らない。
その報せとほぼ時を同じくして届いた第三国の伝書によると。
カスピラーニ領とレジア領に接する第三国。オセニアラは、イギスト側、つまりカスピラーニ領との国境を封鎖したという。
これは、戦の火の粉を被らないよう考えた措置であり、今回の件については直接被害が出ぬ限り、静観するとの事だった。
カスピラーニ領は辺境の領土を持つ。イギスト帝国へ流星を持ち出すためには、イギスト本国側とオセニアラの間に切り込む様に伸びる海峡を船で運ぶか、若しくはヘルモス山脈の南側を越えなければならない。
このうち、オセニアラの国境封鎖は航路を封鎖した事になる為、山越えのルートであの大きさの『流星』を帝国領へ持ち出す事は合理的に考えにくい。
たとえ流星を奪取されても、オセニアラの国境封鎖でカスピラーニ領内に足止めをすれば、孤立した辺境伯の領地へ攻め入って、必ず奪還できると説明をしていた。
だがその説明はナオヤには逆効果だった。
皆が流星と呼ぶフロンティア号は、核燃料を積んだ宇宙船である。
船体の作りは、長期使用を考え頑丈に造られているが、精密で弱い場所もあるのだ。
例えば耐熱パネルは熱対策では無敵だが、衝撃には弱い。
現在船体を支えている着陸装置も機械部分を露出させている。
船体は一見滑らかにアーモンド形の流線型をしているが、外部には沢山のセンサーが取り付られている。
格納式の推力偏向装置。吸気口など、考えられる不安要素は尽きない。
その船を狙うのは、一方的に条約を破棄し、手薄な隙をついて兵を侵攻させる荒事を厭わない国である。
何やら大きな荷物を準備して運び込んだとの報告からも、物理的に地上を動かして持ち出す気だろう。
兵が招集されるのを手をこまねいて待っている訳にはいかないと考えていた。
「エレジア王。無理を承知でお願いします… 僕に馬を一頭、お譲りください! …どうかこの通りです。どうか…」
「頭を上げてくれヨシダ殿… 余もお主を呼び付けた責任を感じ、心が痛い。だが解ってくれ… 相手は1500の兵を展開させているという。そんな中にお主を単独で行かせる訳には…」
「それは違います! 僕達だけなら! 僕達ならば流星を動かすことが出来ます。もし大勢の兵が船の周囲で戦い『流星』に何かあれば、その呪いでレジアの西は死の森になってしまう!」
そう言ってイズンから渡されたHR36の頭部を見せる。
「一刻の猶予も惜しい状態です! どうか… 馬を… 僕を行かせてください」
エレジア王は、その兜の如き頭部の部品をじっと見つめ、暫らく考えた後、大きく息を吸って静かに頷いた。
「そうか… 相分かった… この国で一番強く、早い馬を授ける。だが、決して無理をするな。お主の背中をすぐに3000の兵が追いかける。二手に分かれ、退路を断つように展開する。命を賭してなど、考えないでくれ」
エレジア王はナオヤが出て行った扉を見つめ、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「ヴァハグンの… 戦狼煙… か…」
ナオヤは自分の荷物を纏めていた、今すぐにでも出発するつもりだ。
「ナオヤさん…」
今まで見たこともない険しい横顔。
ライフルと呼ばれる黒くゴテゴテした杖が、分解された状態から組み立てられている。
ヴィータも同じく、また更に大ぶりなレールガンライフルを組み立ててはそれの部品を細長く黒い鞄にいくつも詰めている。
既にナオヤはここへ来た時の軍装を身に付けていた。
「イーノイ…、心配しなくても大丈夫だ。キミはこの都で待っててくれ」
「でも…」
「だめだ、僕らだけで行く。イーノイは連れていけない」
「でも… 王様が兵を出してくれるって…」
「それじゃダメだ! 遅過ぎる!」
ナオヤは驚いた顔の彼女の両肩に手を置いて、諭すかのように目を見る。
「大きな声をだして、ごめん…」
「ううん…」
「大勢で行くより、僕とヴィータだけの方が動きやすい、君を守りながらでは上手く動くことは出来ないんだ」
「足手まとい… ですか?」
「違う! そういう訳じゃないんだ、ただ僕は…」
「解りました。わたしはここで待っています」
まっすぐナオヤを見つめるイーノイにナオヤは安心したように笑みを漏らした。
「必ず戻ってくるよ」
「必ず…、ですよ?」
大きく頷いて、ナオヤは右手の小指を出した。不思議な顔でそれを見つめるイーノイ。
「指きりだ」
「ゆびきり?」
「僕らの時代のおまじないさ」
二人は小指をそっと絡めて
「ゆーびきーりげんまん。うーそつーいたらはーり千本のーます。ゆーびきった!」
「何ですか? それは」
急に小さな子供が遊びで歌うような音色で歌い出しだナオヤに、目を丸くしてイーノイが訪ねる。
「もし僕が嘘をついたら、針を千本飲んで詫びましょうって、誓いの歌だよ」
「フフフッ… 嘘ついたら、本当に飲んでもらいますからね? だから…」
そして彼女は自分の首に手をかけ、母の形見のペンダントを外し、ナオヤの首に架けた。
「イーノイこれは、大切な物じゃないか」
「うん。お守り、だから…」
ナオヤは黒曜石のペンダントヘッドを握りしめ。
「わかった。必ず戻る」
そう言って服の中に仕舞い込んだ。
「待ってます」
イーノイは離れた小指をそっと左手で大事そうに握っていた。
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