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1部 3章
生きていくこと、それは決断
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「おやアンタ! ついさっき出て行ったばっかりじゃないかい! 忘れもんかい?」
出迎えてくれたのは、恰幅のイイ女性だった。両手には絞めた鶏が一羽ずつ。
この人が宿屋の店主なのだろうか。
「いえ、私たちはすぐにまた発ちます。今ここへ来たのは、この子たちをしばらく休ませてあげて欲しいのです。食事付き、一室で。代金は私が支払いますので」
「えっ、えっ、えっ」
女性の言葉はあまりに想定していないもので、オレは戸惑いの声を連発した。あまりに間抜けだっただろうが、それほど急なことだったからしょうがない。
宿屋さんの皺の多い日焼けした顔が、オレとシルキアのほうを向く。
「この子たちって、この二人かい? そっちの子はアンタの連れだもんねぇ」
「はい。金貨一枚でしたら、どれほどの期間、朝昼晩の食事付きで宿泊できます?」
「金貨ぁ~あ? ちょいとちょいと待ちなさい! しばらくって言うがぁ、一体どれほどの期間を考えて言ってるんだい?」
この国――《バイナンクリプト皇国》で発行されている通貨は
『金貨』
『銀貨』
『銅貨』
の三種類しかない。それぞれ両面にこの国の紋章が刻まれているもので、かつて人間族も同種族で争っていた群雄割拠の戦国時代には、無数の通貨があったと聞く。都市の数だけ種類があって、それはもう、商売がハチャメチャに複雑だったそうだ。
それを、今の王が、王家が統治してから、一種類へと――厳密には三種類へと絞られた。
そして、その三種類の中でも、金貨は最上位の通貨だ。
だから驚いたのだろう。
オレもびっくりした。
小さな町では、まず見かけないからだ。日常の様々な商売でも使わない。基本は最も価値の低く、しかし最も流通している銅貨でのやり取りが主で。せいぜい使っても銀貨だ。
グレンさんも金貨は持っていたようだが、かつてこう愚痴っていた。
――金貨はお飾りだ。流通が少なすぎて使いづらいったらない。
と。
「どれほど……すみません。少しこの子たちと話をしたいのですが、どこか部屋を使わせてはもらえないでしょうか。すぐに済ませます。それについても支払いが必要でしたら――」
「いらないよ! この村はねぇ、馬と共存する小さな村なのさ! アンタみたいな旅人さんも時々来るし、行商人が使うときもあるから宿屋やってるけどねぇ、そんな守銭奴じゃないの! 話くらいでお金なんて取るもんですか! アンタたちが使ってた部屋使いな!」
機嫌に障ったのか、宿屋さんの口調は荒かった。
「申し訳ございません。侮辱するつもりはありませんでした。ありがとうございます」
行きましょうとオレたちへ促したあと、女性が歩き出す。
オレは宿屋さんに礼を告げてから、あとをついていった。
素人目にもちょっと雑な造りで不安になる階段を上り、廊下奥の部屋に入る。
とても簡素だった。束ねた藁を並べて造られた寝所が一カ所あり、その上には、触れずともわかるほど薄っぺらい焦げ茶の毛布が一枚あるだけ。あとは木製の机と椅子がひと組のみ。それらも、不器用な村民の手製なのか、不安定な造りで使いづらそうだ。
「毛布の上に腰かけてください」
「ありがとうございます」
オレとシルキアは、言われた通り座った。草の擦れる音を上げながら身体が少し沈む。
女性はすぐ傍の壁に凭れかかり、未だひと言も喋っていないあの子――少女は椅子にちょこんと腰を下ろした。その灰色の目は、ぼーっと、一つだけある窓へ向いている。
「さて、手短に話しましょう。あなたたちは今後、どうしていくつもりですか?」
今後、どうしていくか。
オレはシルキアのほうをチラと見る。目が合うと、妹はくっついてきた。
「……体力が快復したら、リーリエッタに向かおうと思っています」
「そうですか。目的地が決まっているのなら、ひとまず安心しました。でしたら、一ヵ月はお世話してもらえるように交渉しますので、ひと月したら向かってください。ああ。馬も必要ですね。馬も私が一頭、用意します。それで大丈夫ですね?」
「え、あ、あ~、どうなんでしょう」
大丈夫ですねと言われても、わからない。
何もかもが初めてのことだから。《リーリエッタ》にも行ったことはないし。
「決断してください。私も悠長にはしていらっ、っっっ、ゴホッゴホッゴホッ!」
いきなり女性が激しく咳き込んだ。
右手で口を覆い、軽く前屈みになって、上半身が震えるほど咳をしている。
「だ、大丈夫ですかっ!」
咳き込みが長く、オレは声をかけた。
咳は二十秒ほど続いただろう。
女性の右手が、口元から離れる。
「えっ」
目に映ったものは、オレに驚きの声を出させた。
カノジョは見せないようにだろう、右手を口から離しながら握ったけれど。
指と指の隙間から、それは洩れていた。
赤黒く濁った液体が。
どう見ても、どう解釈しようとしても、それは血でしかなかった。
妹がギュッと抱きついてくる。
顔をオレの胸元に、ちょっと痛いと思うくらい、強く押しつけてくる。
血から少しでも逃げようとしているみたいだ。
……きっと、そうなんだろう。
妹は町で何を見たんだろう。
この村に来るまでにも思ったことを、また思う。
いや、それは今悩むことじゃない。
「あの、あ、何か拭くものを」
「気にしないでください。慣れてますから」
そう言うと、女性は右手を太腿に擦り付けた。
灰色のズボンが、赤く汚れる。
意識が初めてカノジョのズボンに向いたからか、気が付くことがあった。
あちこちに赤や赤茶、赤黒い汚れがあるのだ。
慣れていると言ったし、何度も何度も拭ったのだろう。
「…………」
なんと、言えばいいのか。
「……重い病を患っていて、もう、先が長くはないのです」
「そう、だったんですか」
青白い顔も。
黒ずんで見える唇も。
酷く掠れた、痰が絡んでいるような声も。
何か患っているかと思ったが、その通りだったようだ。
「だから、悠長にはしていられないのです。健常だったら、あなたたちをリーリエッタまで送ることもできましたが。私は、死ぬまでに故郷に……故郷で、死にたいのです」
「故郷は、どこなんですか?」
「ストラクです」
《ストラク》……。
《ストラク》?
聞いたことがない場所だ。
学舎でも習ったことがないし、グレンさんから聞いてもいないはず。
「ごめんなさい、初めて聞きました」
素直に謝る。知った振りをすることは失礼だろうから。
「構いません。この国でも辺境の辺境にある、ここよりも小さな村ですから」
卑下するような言い方だったが、なんとなく、語感は温かいものに感じられた。
故郷として本当に大切に思っているのだろう。
「ここから行くのに、どれくらいかかるんですか?」
「順調に行っても、二週間ほどはかかるかと」
二週間。
穏やかな日々の中であれば、長いとも感じる時間かもしれない。
しかし、大病に毒されている人にとっては、あまりに短い時間だろう。
それこそ、やりたいことがあるのなら、焦燥感に駆られるくらいには。
引き止めていてはいけない。
でも……この村にオレと妹だけとなるのは、あまりにも……あまりにも心細かった。
とはいえ、そんな自己中心的なこと決して口にはできないが。
「ですから」
区切りをつけるような言葉だった。
「はい」
頷くしかなかった。
「支払いなどはしておきますので、ゆっくり休んでからリーリエッタに向かってください。私たちはもう行きますので」
私、たち。
たち。
あの少女も《ストラク》が故郷なのだろうか。
親子にも姉妹にも見えないから、恐らくは他人だと思う。
そんな人たちが同行しているのは、目的地が同じだったから?
わからないが……わからないが……。
そうか。
ここで無理に別れなくても。
一緒に行くという選択肢もあるのか。
……でも。
でもそうしたら、《リーリエッタ》から遠ざかってしまう。
あくまでもオレたちの目的地は《リーリエッタ》だ。
大都会であり、国軍もいるそこに行ければ、ひとまず命の心配はしなくていいだろう。
……どうする。
提案に甘えてここでひと月休んで、シルキアと二人、馬で向かうのが最善か。
どうする。どうすることが正しいんだ。
生存戦略として。
「それでは、行きますね。無事辿り着けること、心から願っています」
「あ、あ、はい……」
女性が背を向け、続いて、ずっとスンとした表情でいた少女も歩き出す。
二人とも、部屋から出て行ってしまう。
ああ、行ってしまう。
行ってしまう……。
たちまち、不安が込み上げてきた。
いや! そんなことでどうするっ!
オレがシルキアを守らなきゃいけないんだぞ!
二人になった程度で不安になって。そんなことでやっていけるのか?
《リーリエッタ》に行くまでの間、馬に乗ったとしても、何週間も夜を超えなければならないんだぞ?
不安になって、どうする!
「ねえ? お兄ちゃん」
「ん?」
「あの女の人たち、行っちゃうのぉ? お別れなのぉ?」
「ああ、うん。少し遠いところに、急いで行かないといけないみたいでさ」
「病気、すっごい悪そうだったねぇ」
「そうだな」
「……いいのかな」
「え?」
「助けてもらったのに、恩返し、できてないよぉ」
オレはシルキアの顔を見詰めたまま、口を開いたはいいが言葉が出てこなかった。
「お兄ちゃん。グレンさん、言ってたよぉ? 助け合いは大事ってぇ」
ハッとする。
思い出した。
――正しき者に助けられたら、必ず助け返せ。正しき助け合いは、強固な繋がりを生む。もしも助けなかったとしたら、お前は一生罪悪感を負うことになり、人生が毒される。
そう、グレンさんは言っていた。
言っていたじゃないか。
「シルキア、行こう」
「う? んっ」
きょとんとした顔だったが、シルキアは頷いてくれた。
オレは妹の手を握ったまま立ち上がった。
小走りで、部屋から出る。
二人は、まだ宿屋さんと話していた。
「待ってください!」
声をかけながら階段を下りる。
予想外だったのか、女性の切れ長の目が少し見開かれた。
オレとシルキアは、二人の前に並んで立つ。
「オレたちも一緒に行きます!」
「どうして? リーリエッタとは、ほとんど真逆ですよ?」
「構いません」
「……わかりません。なぜ、突然? 何が目的なのですか?」
「目的、目的は……」
「恩返しっ、でっす!」
シルキアが言った。
切れ長の目がさらに見開かれる。
「そう、恩返しです。オレたちの、先生のような人に教わったんです。助けてもらったのなら、ちゃんと助け返せって。なので、今度はあなたを助けさせてください!」
「助けなんて、そんな……」
よほど衝撃だったのか、女性は戸惑っているようだ。
「迷惑ですか? 足手まといだと思われるのなら、迷惑にはなりたくはないので、一緒には行きません。でも! 道中、重い物を運んだり、火の番をしたり、オレでもやれます!」
「……ですが……」
と。
ここで女性が、傍に立つ少女へ顔を向けた。
少女のほうはと言えば、ジッと、無感動な灰色の瞳でオレたち兄妹を見てくる。
女性は、少女に向けていた顔をまたオレたちに向け、また少女を見て、再度オレたちに顔を向けて……頷いた。
何か考え、何かを決めた。
それは明らかだった。
「わかりました。そこまで言うのなら、一緒に行きましょう」
「はい! ありがとうございます!」
「ということなので、申し訳ございません。宿泊の話はなしということで」
「ぜぇ~んぜん構わないよ! 気持ちのいい人情も見れたしねぇ!」
ダッハッハッハ! と宿屋さんが豪快に笑う。
オレたち四人は、宿屋を後にした。
出入り口のところで灰色の愛馬を引き取り、栗毛を一頭購入した。
「そうだ。共に旅をするのですから、自己紹介しておきましょうか」
村から出たところで、女性が提案してきた。
「そうですね! オレは、アクセル=マークベンチです! 妹は……」
ポンと、優しく妹の背を叩く。
「シルキア!」
「はい。アクセルとシルキアですね。私はセオ=ディパル。それでこの子は……」
女性が少女に顔を向ける。
オレたち兄妹も見る。
さすがに、ようやく声が聞けるのだろうか。
「……ファム。ファム=フィニセント」
聞けた。
キレイな声だった。
子どもとは思えないくらい淡々とはしていたけれど。
「さて。では、行きましょうか」
オレたちは、それぞれ馬に乗る。
オレとシルキアは栗毛で。
女性……ディパルさんと、ファム……いや、フィニセントさんが、灰毛に。
二頭の馬は、オレとディパルさんの指示を受け、緩やかに歩き出した。
出迎えてくれたのは、恰幅のイイ女性だった。両手には絞めた鶏が一羽ずつ。
この人が宿屋の店主なのだろうか。
「いえ、私たちはすぐにまた発ちます。今ここへ来たのは、この子たちをしばらく休ませてあげて欲しいのです。食事付き、一室で。代金は私が支払いますので」
「えっ、えっ、えっ」
女性の言葉はあまりに想定していないもので、オレは戸惑いの声を連発した。あまりに間抜けだっただろうが、それほど急なことだったからしょうがない。
宿屋さんの皺の多い日焼けした顔が、オレとシルキアのほうを向く。
「この子たちって、この二人かい? そっちの子はアンタの連れだもんねぇ」
「はい。金貨一枚でしたら、どれほどの期間、朝昼晩の食事付きで宿泊できます?」
「金貨ぁ~あ? ちょいとちょいと待ちなさい! しばらくって言うがぁ、一体どれほどの期間を考えて言ってるんだい?」
この国――《バイナンクリプト皇国》で発行されている通貨は
『金貨』
『銀貨』
『銅貨』
の三種類しかない。それぞれ両面にこの国の紋章が刻まれているもので、かつて人間族も同種族で争っていた群雄割拠の戦国時代には、無数の通貨があったと聞く。都市の数だけ種類があって、それはもう、商売がハチャメチャに複雑だったそうだ。
それを、今の王が、王家が統治してから、一種類へと――厳密には三種類へと絞られた。
そして、その三種類の中でも、金貨は最上位の通貨だ。
だから驚いたのだろう。
オレもびっくりした。
小さな町では、まず見かけないからだ。日常の様々な商売でも使わない。基本は最も価値の低く、しかし最も流通している銅貨でのやり取りが主で。せいぜい使っても銀貨だ。
グレンさんも金貨は持っていたようだが、かつてこう愚痴っていた。
――金貨はお飾りだ。流通が少なすぎて使いづらいったらない。
と。
「どれほど……すみません。少しこの子たちと話をしたいのですが、どこか部屋を使わせてはもらえないでしょうか。すぐに済ませます。それについても支払いが必要でしたら――」
「いらないよ! この村はねぇ、馬と共存する小さな村なのさ! アンタみたいな旅人さんも時々来るし、行商人が使うときもあるから宿屋やってるけどねぇ、そんな守銭奴じゃないの! 話くらいでお金なんて取るもんですか! アンタたちが使ってた部屋使いな!」
機嫌に障ったのか、宿屋さんの口調は荒かった。
「申し訳ございません。侮辱するつもりはありませんでした。ありがとうございます」
行きましょうとオレたちへ促したあと、女性が歩き出す。
オレは宿屋さんに礼を告げてから、あとをついていった。
素人目にもちょっと雑な造りで不安になる階段を上り、廊下奥の部屋に入る。
とても簡素だった。束ねた藁を並べて造られた寝所が一カ所あり、その上には、触れずともわかるほど薄っぺらい焦げ茶の毛布が一枚あるだけ。あとは木製の机と椅子がひと組のみ。それらも、不器用な村民の手製なのか、不安定な造りで使いづらそうだ。
「毛布の上に腰かけてください」
「ありがとうございます」
オレとシルキアは、言われた通り座った。草の擦れる音を上げながら身体が少し沈む。
女性はすぐ傍の壁に凭れかかり、未だひと言も喋っていないあの子――少女は椅子にちょこんと腰を下ろした。その灰色の目は、ぼーっと、一つだけある窓へ向いている。
「さて、手短に話しましょう。あなたたちは今後、どうしていくつもりですか?」
今後、どうしていくか。
オレはシルキアのほうをチラと見る。目が合うと、妹はくっついてきた。
「……体力が快復したら、リーリエッタに向かおうと思っています」
「そうですか。目的地が決まっているのなら、ひとまず安心しました。でしたら、一ヵ月はお世話してもらえるように交渉しますので、ひと月したら向かってください。ああ。馬も必要ですね。馬も私が一頭、用意します。それで大丈夫ですね?」
「え、あ、あ~、どうなんでしょう」
大丈夫ですねと言われても、わからない。
何もかもが初めてのことだから。《リーリエッタ》にも行ったことはないし。
「決断してください。私も悠長にはしていらっ、っっっ、ゴホッゴホッゴホッ!」
いきなり女性が激しく咳き込んだ。
右手で口を覆い、軽く前屈みになって、上半身が震えるほど咳をしている。
「だ、大丈夫ですかっ!」
咳き込みが長く、オレは声をかけた。
咳は二十秒ほど続いただろう。
女性の右手が、口元から離れる。
「えっ」
目に映ったものは、オレに驚きの声を出させた。
カノジョは見せないようにだろう、右手を口から離しながら握ったけれど。
指と指の隙間から、それは洩れていた。
赤黒く濁った液体が。
どう見ても、どう解釈しようとしても、それは血でしかなかった。
妹がギュッと抱きついてくる。
顔をオレの胸元に、ちょっと痛いと思うくらい、強く押しつけてくる。
血から少しでも逃げようとしているみたいだ。
……きっと、そうなんだろう。
妹は町で何を見たんだろう。
この村に来るまでにも思ったことを、また思う。
いや、それは今悩むことじゃない。
「あの、あ、何か拭くものを」
「気にしないでください。慣れてますから」
そう言うと、女性は右手を太腿に擦り付けた。
灰色のズボンが、赤く汚れる。
意識が初めてカノジョのズボンに向いたからか、気が付くことがあった。
あちこちに赤や赤茶、赤黒い汚れがあるのだ。
慣れていると言ったし、何度も何度も拭ったのだろう。
「…………」
なんと、言えばいいのか。
「……重い病を患っていて、もう、先が長くはないのです」
「そう、だったんですか」
青白い顔も。
黒ずんで見える唇も。
酷く掠れた、痰が絡んでいるような声も。
何か患っているかと思ったが、その通りだったようだ。
「だから、悠長にはしていられないのです。健常だったら、あなたたちをリーリエッタまで送ることもできましたが。私は、死ぬまでに故郷に……故郷で、死にたいのです」
「故郷は、どこなんですか?」
「ストラクです」
《ストラク》……。
《ストラク》?
聞いたことがない場所だ。
学舎でも習ったことがないし、グレンさんから聞いてもいないはず。
「ごめんなさい、初めて聞きました」
素直に謝る。知った振りをすることは失礼だろうから。
「構いません。この国でも辺境の辺境にある、ここよりも小さな村ですから」
卑下するような言い方だったが、なんとなく、語感は温かいものに感じられた。
故郷として本当に大切に思っているのだろう。
「ここから行くのに、どれくらいかかるんですか?」
「順調に行っても、二週間ほどはかかるかと」
二週間。
穏やかな日々の中であれば、長いとも感じる時間かもしれない。
しかし、大病に毒されている人にとっては、あまりに短い時間だろう。
それこそ、やりたいことがあるのなら、焦燥感に駆られるくらいには。
引き止めていてはいけない。
でも……この村にオレと妹だけとなるのは、あまりにも……あまりにも心細かった。
とはいえ、そんな自己中心的なこと決して口にはできないが。
「ですから」
区切りをつけるような言葉だった。
「はい」
頷くしかなかった。
「支払いなどはしておきますので、ゆっくり休んでからリーリエッタに向かってください。私たちはもう行きますので」
私、たち。
たち。
あの少女も《ストラク》が故郷なのだろうか。
親子にも姉妹にも見えないから、恐らくは他人だと思う。
そんな人たちが同行しているのは、目的地が同じだったから?
わからないが……わからないが……。
そうか。
ここで無理に別れなくても。
一緒に行くという選択肢もあるのか。
……でも。
でもそうしたら、《リーリエッタ》から遠ざかってしまう。
あくまでもオレたちの目的地は《リーリエッタ》だ。
大都会であり、国軍もいるそこに行ければ、ひとまず命の心配はしなくていいだろう。
……どうする。
提案に甘えてここでひと月休んで、シルキアと二人、馬で向かうのが最善か。
どうする。どうすることが正しいんだ。
生存戦略として。
「それでは、行きますね。無事辿り着けること、心から願っています」
「あ、あ、はい……」
女性が背を向け、続いて、ずっとスンとした表情でいた少女も歩き出す。
二人とも、部屋から出て行ってしまう。
ああ、行ってしまう。
行ってしまう……。
たちまち、不安が込み上げてきた。
いや! そんなことでどうするっ!
オレがシルキアを守らなきゃいけないんだぞ!
二人になった程度で不安になって。そんなことでやっていけるのか?
《リーリエッタ》に行くまでの間、馬に乗ったとしても、何週間も夜を超えなければならないんだぞ?
不安になって、どうする!
「ねえ? お兄ちゃん」
「ん?」
「あの女の人たち、行っちゃうのぉ? お別れなのぉ?」
「ああ、うん。少し遠いところに、急いで行かないといけないみたいでさ」
「病気、すっごい悪そうだったねぇ」
「そうだな」
「……いいのかな」
「え?」
「助けてもらったのに、恩返し、できてないよぉ」
オレはシルキアの顔を見詰めたまま、口を開いたはいいが言葉が出てこなかった。
「お兄ちゃん。グレンさん、言ってたよぉ? 助け合いは大事ってぇ」
ハッとする。
思い出した。
――正しき者に助けられたら、必ず助け返せ。正しき助け合いは、強固な繋がりを生む。もしも助けなかったとしたら、お前は一生罪悪感を負うことになり、人生が毒される。
そう、グレンさんは言っていた。
言っていたじゃないか。
「シルキア、行こう」
「う? んっ」
きょとんとした顔だったが、シルキアは頷いてくれた。
オレは妹の手を握ったまま立ち上がった。
小走りで、部屋から出る。
二人は、まだ宿屋さんと話していた。
「待ってください!」
声をかけながら階段を下りる。
予想外だったのか、女性の切れ長の目が少し見開かれた。
オレとシルキアは、二人の前に並んで立つ。
「オレたちも一緒に行きます!」
「どうして? リーリエッタとは、ほとんど真逆ですよ?」
「構いません」
「……わかりません。なぜ、突然? 何が目的なのですか?」
「目的、目的は……」
「恩返しっ、でっす!」
シルキアが言った。
切れ長の目がさらに見開かれる。
「そう、恩返しです。オレたちの、先生のような人に教わったんです。助けてもらったのなら、ちゃんと助け返せって。なので、今度はあなたを助けさせてください!」
「助けなんて、そんな……」
よほど衝撃だったのか、女性は戸惑っているようだ。
「迷惑ですか? 足手まといだと思われるのなら、迷惑にはなりたくはないので、一緒には行きません。でも! 道中、重い物を運んだり、火の番をしたり、オレでもやれます!」
「……ですが……」
と。
ここで女性が、傍に立つ少女へ顔を向けた。
少女のほうはと言えば、ジッと、無感動な灰色の瞳でオレたち兄妹を見てくる。
女性は、少女に向けていた顔をまたオレたちに向け、また少女を見て、再度オレたちに顔を向けて……頷いた。
何か考え、何かを決めた。
それは明らかだった。
「わかりました。そこまで言うのなら、一緒に行きましょう」
「はい! ありがとうございます!」
「ということなので、申し訳ございません。宿泊の話はなしということで」
「ぜぇ~んぜん構わないよ! 気持ちのいい人情も見れたしねぇ!」
ダッハッハッハ! と宿屋さんが豪快に笑う。
オレたち四人は、宿屋を後にした。
出入り口のところで灰色の愛馬を引き取り、栗毛を一頭購入した。
「そうだ。共に旅をするのですから、自己紹介しておきましょうか」
村から出たところで、女性が提案してきた。
「そうですね! オレは、アクセル=マークベンチです! 妹は……」
ポンと、優しく妹の背を叩く。
「シルキア!」
「はい。アクセルとシルキアですね。私はセオ=ディパル。それでこの子は……」
女性が少女に顔を向ける。
オレたち兄妹も見る。
さすがに、ようやく声が聞けるのだろうか。
「……ファム。ファム=フィニセント」
聞けた。
キレイな声だった。
子どもとは思えないくらい淡々とはしていたけれど。
「さて。では、行きましょうか」
オレたちは、それぞれ馬に乗る。
オレとシルキアは栗毛で。
女性……ディパルさんと、ファム……いや、フィニセントさんが、灰毛に。
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ファンタジー
元恋人に騙され、捨てられたケイオス帝国出身の少年・アビスは絶望していた。資産を奪われ、何もかも失ったからだ。
仕方なく、冒険者を志すが道半ばで死にかける。そこで大聖女のローザと出会う。幼少の頃、彼女から『無限初回ログインボーナス』を授かっていた事実が発覚。アビスは、三年間もの間に多くのログインボーナスを受け取っていた。今まで気づかず生活を送っていたのだ。
気づけばSSS級の武具アイテムであふれかえっていた。最強となったアビスは、アイテムの受け取りを拒絶――!?
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