おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。

石河 翠

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 そうしてさらにしばらく経ち、彼らはやってきたのだ。この国に巣食う悪の竜を滅ぼす勇者さまご一行が。ちょうど国境付近から流れ着いた荒くれ者を成敗し、こんがりと焼いた後のことだった。襲われていた無辜の民に火が及ぶことはないのだが、はたから見れば襲い掛かっているようにしか見えなかっただろう。

「竜よ、覚悟しろ!」

 真ん中に立ち、見慣れた大剣を構えているのは騎士さまだった。私の騎士さまは、生きていた。生きて、勇者としてこの国に戻ってきた。騎士さまが、私を射るような眼差しで見据えている。そこには、春の木漏れ日のような優しさも温もりもなく、あるのはただ凍てつくような冷たさだけ。

 それでも、私は別に構わなかった。騎士さまが生きている。それだけで、千金に値するのだから。それに、世界を滅ぼす竜にでもなっていなければ、あんな氷のような騎士さまの表情を見ることなんてなかっただろう。これはきっと役得なのだ、たぶん。

 騎士さまが使っていた剣帯は私がかつて指を血まみれにしながら刺繍を施したものではなくなっていた。戦いの最中に千切れてしまったのかもしれないし、もういらないと捨ててしまったのかもしれない。少し寂しいけれど、仕方のないことだ。

 騎士さまの傍らには、良い匂いのする女がいた。腹に一物抱える人間は、耐えられないくらいの腐臭がする。神殿の神官たちにいたってはろくな人間でなかったせいか、死臭が立ち昇っていたくらいだ。だが、騎士さまの隣で何かを一所懸命に話している女はなぜか不思議なほど好ましかった。

 あの女に騎士さまが惚れたというのなら、受け入れよう。腰の新しい剣帯は、あの女が刺繍したのだろうか。私よりもずいぶんと手慣れた刺繍に少しだけ悔しいとは思ったが、騎士さまが生きていたことはそのすべてを上回るほどの喜びだった。

 私は多くのものを騎士さまから奪ってしまった。それを返す時がやってきたのだ。代償は払わねばならない。金品で補償できないのならば、この命を差し出すしかないのだ。

 でも、騎士さま。ひとつだけ、お願いを聞いていただけませんか?

 私とあなたの子どもを、どうか守ってやってはくださいませんか?

 念のため、私のことは母と呼べなくしておきました。あなたのことも、父とは呼べなくなっているはずです。だから、あなたにご迷惑はかけません。かつて神官さまに言葉を封じされた経験が、ここに来て生きるとは思ってもいませんでした。

 可哀想な身寄りのない孤児がそれでも何とか周りと支え合って生きていけるように、この国をしっかり治めてくださいませ。

 私は知らなかった。
 騎士さまは、本来は殿下と呼ばれる身分だったことも。私なんかに構ったせいで派閥争いに負け、王位継承権を失ったことを。臣籍降下し騎士として生きていたものの、この期に及んで私を大切に扱うように主張したせいで、神殿に疎まれてしまったことも。「災厄」を可愛がるなんて、頭がおかしいのではないか、もしや洗脳されたのではないかと疑われたことも。

 騎士さまが、死地に追いやられたのは私のせいだとわかっているつもりだった。でも、何もわかっていなかったのだ。

 全部、私のせいだった。何もかも、私のせいだった。

 私なんかがこの世に生れ落ちてはいけなかった。騎士さまの優しさに甘えてはいけなかった。大切なひとを奈落の底に突き落としたくなんかなかったのに。

「竜よ、この世界を焼き尽くさせるわけにはいかない!」

 騎士さまがまっすぐに私を見据えていた。騎士さまの瞳に映る私は、どんな姿に見えているのだろう。

 竜まで堕ちた私でも、恩を返し、罪を償い、騎士さまの幸せを願うことはできるはずだ。つまらない嫉妬なんて消えてしまえばいい。

 心を込めて騎士さまに歌を捧げる。炎が周囲を赤く染めた。
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