王女殿下は銀竜の最愛~病弱な弟王子の幸せを守るため伯父に勝負を挑んだら、龍帝陛下に求婚されました。慌てないで、婚約から始めましょう~

石河 翠

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(8)姫君は竜と翔ける

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 高らかに神殿の鐘の音が鳴った。竜競べの始まりだ。

 開始の合図を聞いて最初に飛び出したのは、やはり伯父の代理人が乗った竜だった。どんどん高度を上げ、あっという間に見えなくなる。続いて従兄弟の代理人が乗った竜が後に続いていく。ステファニーたちはすぐに引き離されてしまった。

「ちょっとエルヴィス、追いつかなくてもいいの?」
「ああ、構わない。気分良く走らせておいてやれ。お前は楽しんでいればいい。徐々に高度を上げるから、覚悟しておけ」
「……わかったわ」

 高度を上げていないステファニーからは、心配そうに彼女を見守る街の人々の表情がよく見える。王族同士の不仲を歓迎する国民はいないだろう。

(伯父さまたちには、彼らの顔は見えないのかしら)

 ステファニーは最初の約束通り、竜競べについてはエルヴィスに任せることにした。父王が亡くなってから、久しぶりとなる竜乗り。それをただ全身で味わう。

「ステファニー、あいつらがどこを飛んでいるか見えるか」
「ぼんやりとだけれど。もうすぐ、神殿に到着するようね」
「ならばちょうどいいな」

 ――!!!!――

 突然響いたエルヴィスのいななきに、前を進む竜たちはどちらも進むのをやめた。くるりと踵を返すと、ステファニーたちのところまで逆走してくる。そしてエルヴィスにひれ伏すようにゆっくりと頭を下げると、そのまま背中に乗る騎士たちを振り落としてしまった。思わぬ光景に観客である市民たちが笑い声をあげる。彼らにしてみれば、普段偉そうに踏ん反り返っている騎士の醜態は娯楽でしかないないのだ。

「まあ!」
「安心しろ、この程度からなら落ちても怪我をしない程度の訓練はつんでいるはずだ。それに、身体強化と防御の加護の気配がした。お前の伯父とやらから、特殊な装身具でも貸し出されているんだろうよ」
「それなら、大丈夫かしら?」
「ああ。ただ単純に格好悪いだけのこと」
「エルヴィス、騎士が名誉を重んじる生き物だとわかっていて、しかけたわね」

 竜に行き先を指示できず逆走した挙句、その背から落下。しかも竜たちは竜競べの競争相手に付き従っているとなれば、彼らの誇りは相当に傷ついただろう。ステファニーたちの後をゆっくりと飛んでいた竜たちは、神殿に来てもおとなしくしていた。龍神を祀っていることを理解しているのだろうか。

 神官たちはそんな竜たちを笑顔で撫でていた。各王国と王国内の神殿が共同で竜の管理をしていると思っていたが、実際は一枚岩ということではないらしい。神殿はその性質上、龍皇国寄りなのだそうだ。

 そのせいだろうか、今までステファニーの窮状を知りつつも積極的な介入をしてこなかった神殿が、竜競べに参加すると伝えてからは下にも置かぬもてなしぶりだ。

(王族として竜に乗り、竜競べに参加すると言うことは、それほどまでに価値があることなのかしら)

 少しばかり不思議に感じていると、神官の中でも特に年かさの男性に声をかけられた。彼はこの神殿の神官長なのだという。

「王女殿下、お疲れさまです。良きパートナーに巡り会いましたね」
「はい。偶然とはいえ、素晴らしい相棒のおかげで健闘させてもらっています」
「この世の中には、偶然などというものはありませんよ。すべては必然。運命とでもいいましょうか」

 苦笑するステファニーに、神官長は優しく言い聞かせるように繰り返す。そして、さもたった今気がついたと言いたげに疑問を口にした。

「ところで、こちらの文様は?」
「これはエルヴィスに言われて、自分で刺繍したものです」

 つい正直にエルヴィスに言われてと答えてしまったのだが、訝しむこともなくさらりと受け流すあたり、ステファニーの服に施された刺繍は、神官たちにとって馴染みのあるものなのだろう。龍神にまつわるものなのかもしれない。

「ではこちらも?」

 竜の首に巻かれたチョーカーについても問われて、ステファニーは小さくうなずいた。周囲の神官たちの様子が、嬉々と言おうか、鬼気迫っていて怖い。感心したようにめつすがめつ眺められて、エルヴィスも居心地が悪そうだ。

「あんまり上手ではないからじろじろ見られると恥ずかしいです。そんなに変かしら。エルヴィスに渡した時、彼もなんだか戸惑っていたわ」
「なるほど、なるほど。いやはや、大丈夫です。きっと喜んでおられることでしょう」

 よきかなよきかなと笑う神官たちは、まさに好々爺と言わんばかりでステファニーもつられて微笑んでしまった。

「王女殿下、どうぞあなたさまの未来に幸多からんことをお祈りします」

 すでに竜競べに勝利したのかと錯覚しそうなほどの祝福を受け、ステファニーとエルヴィスは再び城へと戻っていく。対戦相手だったはずの竜たちは、乗り手はいないものの一応、城に戻る予定らしい。

「このまま竜だけ返すとややこしいですからね。こちらで竜を扱える者を見繕って、後ほど城へ向かいますよ」

 そう言われて、神官たちに竜のことは任せることにした。竜たちは勝手知ったる我が家のように、神殿の庭でくつろいでいる。せっせと竜のお世話を焼いている神官たちに一礼し、ステファニーはエルヴィスとともに再び空へと戻っていった。

「エルヴィス、神官さまたち、なんだか楽しそうだったわね」
「神殿にいるのは、竜が好きすぎる者たちばかりだからな。竜競べで気持ちが浮ついているんだろう」
「そう? なんだか、あなたのことを知っているみたいだったわ。それに、刺繍のことも。ねえちょっと、エルヴィスってば聞いてるの?」

 機嫌の良い猫のように、竜はぐるぐると喉を鳴らす。そして上を向くと、ぐんと一気に高度を上げた。慌ててステファニーはエルヴィスの背にしがみついた。父王と一緒の時でさえ、ここまで高く飛んだことなどないのだから。

「きゃっ、ちょっと、何をするの!」
「前を向けステファニー。せっかくの空だ。楽しまなくてどうする」
「そんなことを言われても怖いもの!」
「お前は一体何を言っているんだ。俺が、お前を落とすようなヘマをするとでも?」
「そうじゃないけれど」
「そもそも、お前が俺に試合についてはすべて任せると言ったんだろう。竜の背で前くらい向けなくてどうする」

 横暴とも言えるエルヴィスの言葉に、ステファニーが渋々目を開けた。吹き抜ける春の風はあたたかく、甘い香りを運んでくる。ひらひらとここまでと舞い上がってくるのは、ハリエンジュとミモザの花びらだろうか。そびえたつ山の向こう側に、きらめく青がのぞいていた。

「なんて綺麗なんでしょう。見て、エルヴィス、ずっと向こうにあるのがきっと海ね。だって湖よりもずっとずっと広いもの」
「そうか、お前は海を見たことがなかったんだな」
「エルヴィスはあるの? 竜ってすごいわ。きっと私の知らない世界を他にもたくさん知っているのね」
「竜という生き物がそんな御大層な生き物だとは思わないが、海は美しい。竜競べが終わったら、連れて行ってやろう。お前は自由だ。それに世界はこんなにも広いのだから」

 さも当然のように言ってのけるエルヴィス。嫁いだ女は自由に旅行などできない。だからエルヴィスはステファニーが勝つと明言しているのだ。そのことにステファニーは、不意に頭がくらくらしてしまう。

「そうね。何かあったら、いっそエルヴィスと駆け落ちでもしちゃおうかしらね」
「歓迎するぞ」
「もう、エルヴィスったら。ねえ、海まではどうやって飛んでいくの? それ、他国を飛び越えたら騒ぎになったりしないの?」
「知らん。どうせ、向こうは手も足も出せまい」
「エルヴィス、そういう考え方はよくないと思うわ」
「だが、力はないよりもあった方がいい。どんなに正しい理念を持っていても、実現する力がなければ意味がない。逆に言えば、力さえあれば道理が引っ込むわけだ。お前の伯父がやってきたように」
「そうね」
「だからこそ、頭を使って戦え。俺は諦めずに必死で這いつくばる人間は嫌いじゃない」
「それ、私のことを言っている?」
「お前以外に誰がいるというんだ」

 ステファニーの言葉に、エルヴィスが笑う。竜の声が大空にこだました。

 空からの景色を楽しみ、悠々と王城に戻ってきたのはステファニーとエルヴィスのみだった。

 愕然とする伯父に向かって、ステファニーは艶やかに微笑みかける。そんな彼女を見て、観客たちが一斉に歓声を上げた。日頃は伯父の陰に隠れてしまいがちな王女だが、彼女もまた王族らしい整った顔立ちをしている。華やかに咲き誇ることはないが、人々の心を穏やかにさせる春の日差しのような美しさ。

「おい、お前。手くらい振ってやれ」
「私が振っても喜ばないんじゃないかしら」
「王族とは思えないくらい、人心把握が下手くそだな。この国の教育はどうなっているんだ」

 エルヴィスのため息を聞きつつステファニーはそっと手を振る。彼女があちらこちらに手を振ると、それに合わせるように黄色い声があちこちでこだました。その声が妙にくすぐったくて、ステファニーははにかみながら微笑んだ。

 そこへ耳障りな叫び声が飛び込んできた。

「こ、こんなものは、無効だ!認められない!」

 ステファニーの勝利に異議を唱えたのは、伯父……ではなく彼女の従兄弟だった。
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