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(3)姫君は竜を助ける

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 確かに声は、壁の向こう側から聞こえてきた。王宮には王族の中でもごく限られた人間しか知らされていない隠し通路があるが、それと知らなければ風の音だと思い込んでしまえるほどの微かな音だ。

 おそらく王位を強引に手に入れた伯父もまだ把握してはいないだろう。伯父の放った間諜が潜んでいるとは考えにくい。ということは、通路に潜んでいるのはステファニーの身内か、あるいはまったくの無関係の第三者だ。

(先ほどの言葉は誰かを探しているものだったわ……)

 もしや数少ない味方が負傷したというのか。最悪の想像が頭をよぎり、ステファニーははやる心を抑えて進む。

(幽霊が出るという噂を流しておいて、ちょうどよかったわね)

 声や物音がおかしな場所から響いても、誰も疑いを持つことがないようにとステファニーが用意していたのは、城で命を落とした子どもたちの話。実際、王宮の隅にあるこの場所では疎んじられた各時代の王族が非業の死を遂げてきたという。

「……そこにいるのは、誰?」

 ヒカリゴケの明かりにぼんやりと照らし出されたのは、ひとよりもずいぶんと大きな影。

(虎? 獅子? いいえ、それよりも大きい……そんななんてこと!)

 恐る恐る声をかけた彼女が見つけたものは、ぐったりと力なくうずくまる竜の姿だった。近づいてみると、すえた臭いが鼻をつく。王宮で世話をされている竜たちは、並みの人間よりも好待遇の暮らしをしている。汚れてぼろ雑巾のようになることなどありえない。

 龍皇国から各王家に預けられた竜は、各地の神殿によって厳正に管理されている。生まれた卵も、孵った竜の数も、すべて皇国に報告されるのだ。おおむね卵が孵った国で引き続き飼育されることになるが、皇国に求められれば元から預かっていた竜も、新しく生まれた竜も返さねばならない。

(野生の竜なんて存在しないわ。じゃあこの竜は一体どうしてここにいるの?)

 まさか勝手に繁殖させたあげく、奴隷のように扱うなどしては天罰が下る。ぞっとするような想像を打ち消すように慌てて首を振ると、ステファニーは目の前の竜に声をかけた。

「お願い、どうか目を覚ましてちょうだい」

(そして私に事情を説明して)

 震える手で倒れた竜の体をさすれば、ステファニーの体温が伝わったのか、ひんやりと冷たかった竜が小さく身じろぎした。

「清き水よ、我が手に」

 王女が水魔法で水を生み出し、竜の口に注いでやる。すると、億劫そうに竜がその目をうっすらと開く。

「待って、せめて私の部屋に移動して!」

 しかし必死の呼びかけもむなしく、竜は再び目を閉じてしまった。眠りについた竜を前に困惑する王女をひとり残して。

 竜の体の下に敷布をはさみ、必死に引きずる。王族ということで、ステファニーも最低限の魔法を使うことができたが、そうでなければさすがに竜を自室まで運び入れることはできなかっただろう。

 ほっと息を吐き、竜の隣で汗を拭く。このときばかりは、自身につけられた使用人がほとんどいないことに感謝した。

 万が一誰か来ても追い返せばいいだけ。使用人たちのことだ、部屋の中でステファニーが悔しさにうち震えているのだとしたり顔で噂することだろう。そして伯父は、そんな与太話を満足げな表情で聞くに違いているに違いない。

「外傷はないみたいね。空腹と疲労ということかしら。とはいえ、厩舎で準備しているような食事は私には準備が難しいわね……」

 ステファニーは頭を抱えた。竜に与えられるのは、特殊な鉱物に宝玉、季節の果物だ。王宮の庭になっている果実ならともかく、日々の暮らしに事欠くような王女では、鉱物や宝玉を竜に食事として与えることは難しい。

「それにしても、すごい汚れね。臭いも酷いし、一体どうしてあんな場所で行き倒れていたのかしら」

 隠し通路を出口から辿ってきたということであれば大変なことだ。王宮への侵入路にもなりかねない。

(隠し通路を伯父さまに伝えるのは避けたいし……。やはりこの竜が目を覚ましたら、何か手がかりを持っていないか確認しなくては)

 神話では竜は人語を話すと言われていた。つまりとても賢いのだ。厩舎で威嚇されたのも、昨日が初めて。さすがに竜がしゃべることはないだろうが、こちらの意図を汲んでここへ侵入してきた経路くらいは教えてくれるだろうと思われた。

(だから、早く元気になりますように)

 魔力を込めた手で竜の身体を撫でていく。水浴びをしたように少しずつ綺麗になるので、体力がない病人などに重宝される魔法である。

(まあ、なんて綺麗な銀色なの。まるで月の光をとかしたみたい)

 頭から背中、お腹周りとゆっくりと清め、手足の番になったとき、ステファニーはふと首を傾げた。指の形が、妙に感じられたのだ。見た目と感触のズレがあった気がして、よく見ようとするとなぜか視界がぼやけてしまう。

(まさか子どもじゃあるまいし、魔力の使い過ぎかしら。まだ今日は言うほど魔術を行使していないはずなんだけれど)

 奇妙な感覚を振り払うように、彼女は大きなひとりごとを口にした。

「ざっとこんなものかしら。汚れと一緒に臭いもとれたみたい。結構綺麗になったわね。あとは庭から果物を持ってくるとして……」
「俺から言わせれば、お前のほうがよほど酷い臭いをしているがな」
「だ、誰!」

 作業をしつつぼんやりと今後の行動について考えていたステファニーは、突然かけられた声に悲鳴をあげかけた。振り返ったところで、もちろん誰もいない。

 恐る恐る竜の方を向き直せば、いつの間に起きたのか竜がステファニーを見つめている。大きな瞳は、吸い込まれてしまいそうなほど清らかに澄んでいた。
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