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(4)激辛にご用心

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「腹が痛い……」

 ひとりベッドで縮こまっているのはディランだ。今までの横柄な態度はどこへやら、初めて経験する腹痛に耐えられないらしく、涙目で小さく丸まっている。耳と尻尾をぺしゃりと力なく垂らしている姿は哀れみを誘うが、そんなディランに冷たく対応するのがルビーである。

「だから言ったじゃない」
「だが、ここまで酷いとは……」
「ひとの話を聞かないからこうなるのよ」

 別になんてことはない。今まで食べたことのない辛い料理に手を出し、調子に乗った結果である。ちょうど謝肉祭に合わせて東方の国から来た商人たちがいたのだ。あちらの国の中でも、さらに寒暖の厳しい地方で食べられている郷土料理。再三にわたるルビーの忠告を無視して倒れているので、自業自得としか言いようがない。

「『ほら』とか『やっぱり』とか、『だから』とか言いたくないのよ。幼児の自主性を阻害する言葉としても有名だし」
「……俺は子どもではない」
「じゃあ、言ってもいいのね?」
「頼む、追い討ちをかけないでくれ」

 涙目の男に請われて、ルビーは小さく舌打ちした。彼女もひとの心を持っている。そもそも病人をいたぶるほど暇でもない。

「匂いがしなくて味があんまりわからないだけで、辛味成分が消えてなくなるわけじゃないの。あの地方の料理は、食べ方が悪いと人間でも注意が必要だそうよ。普段あまり辛いものを食べない獣人なら、お腹がびっくりするに決まってるわ」
「どうして人間はわざわざそんなものを食べるんだ……」
「さあ、あの地方は夏は信じられないくらい暑く、冬は死ぬほど寒いらしいの。そういう場所では夏は食欲増進のために、冬は体を温めるために辛いものを食べると聞いたことがあるわ」
「寒さをこらえるために食べ物で内側から温めるだと? 理解できない」
「そりゃあ人間は、あなたたちみたいに立派な筋肉も、もふもふの毛皮も持っていないもの」

 獣人と言えど、食事に関しては人間のものとそれほど変わらない。とはいえ、もともと嗅覚が敏感な獣人族は辛いものが苦手な場合が多いらしい。今ならば涙を流すこともなく、気になっていた辛いものを食べられると手を出しまくり、ベッドで寝込む羽目になってしまっては、本末転倒だろう。

 ちなみに先日は、レモンを大量に口に入れてやはり初めての吐き気と胸焼けを体験している。まったく学習していない。

「すごいわねえ。美形ってお腹壊して苦しんでいても、絵になるのね。そんな憂い顔をして、実際はただ唐辛子を食べ過ぎただけとか馬鹿なのかな?」
「俺をコケにするのは楽しいか」
「結構楽しい。嫌なら、店に出て働けば?」
「あなたは悪魔か」

 大の男がしょんぼりとしている姿に、ルビーはにやりと笑う。獣人族は丈夫すぎる身体のせいで、人間を意図せずして傷つけることが多い。それこそ番関連では抱き潰されそうになる事態も多いと聞く。

 こうやって普通の獣人なら体験しないような痛みを知っていれば、人間の番を迎えても相手を労わることができるだろう。思い通りに体を動かせない状態がどれだけ苦痛か、勉強になったのではないか。にやつきたくなるのを堪えながら、ルビーは用意していた薬湯を差し出した。

「はい、じゃあ悪魔からの贈り物よ。さっさと全部飲み干してね」
「なんだ、この地獄の沼を煮詰めたような飲み物は……」
「これはね、お義父さん特製の胃薬なの。ちょっと味が独特だけど、すごく良く効くから。唯一の欠点はその味だけなんだよ」
「それは唯一というか、最大の欠点なのでは?」
「でも、鼻が詰まっているんだったら別に関係ないじゃん?」

 ルビーの説明に納得したらしいディランが薬湯に口をつける。一気に喉の奥に流し込み、次の瞬間盛大にむせた。

「……ぐっ! がはっ、なんだ! 飲み終わった後に、一瞬だけ鼻を抜けるこの絶妙な不味さは!」
「あ、味がわかるんだ。よかったね」
「よくない! 全然よくない!」

 なんとも嫌そうな顔で薬湯を飲み干したディランだったが、不意に小さく微笑んだ。その柔らかな表情に、ルビーも思わず目を奪われる。

「どうしたの、急にそんな顔をして」
「いや、なに。看病されるというのは、なんともくすぐったいものだと思ってな」
「獣人って寝込むことないの?」
「まあ魔獣狩りなどで手足がふっとべば、看病されることもあるな」
「急に血生臭い話はやめて」
「とりあえず病気などになることは滅多にないということだ。ところで、この薬湯の効果についてあなたもよく知っているようだったが。もしや、あなたも鼻が詰まっているときに辛いものを食べ過ぎて寝込んだ経験があるのでは?」
「……さあて、昼休憩も終わるしそろそろ店に戻ろうかな」
「なるほど。先輩の忠告に従って、薬湯を飲んだらゆっくりさせてもらおう」
「はいはい。明日から、またきりきり働いてもらう予定だからそのつもりでね」

 ひらひらと手を振って店先に戻ったルビーに、常連客が話しかけた。

「ルビーちゃん、ディランくんと仲がいいじゃない。ようやっとルビーちゃんにも春が来たのかしら」
「あー、それがですね。彼にはどうも運命の相手がいるみたいで。私はお呼びじゃないんですよね」
「あらそうなの。残念ね。ルビーちゃんももういい年齢じゃない。この辺で身を固めてくれたら、お母さんたちも安心できるんじゃないかしら」
「いやもう、本当におっしゃる通りですね」

 ルビーくらいの年齢になると、たいていはもう結婚して子どもを設けている。ルビーの母も義父もなにも言わないが、周囲は気になって仕方がないのだろう。

「ルビーちゃんのお母さんは、理想が高そうだものね。お眼鏡にかなう相手を見つけてくるのは大変かもしれないわ」
「そんなことないと思うんですが」
「あら、この間お見合いを持ちかけたら断られちゃったのよ。ばっちり選り好みしてるじゃない。それにしても早くいいひとを見つけられるといいわね。子どもは若いうちに産まないと、体力的にもしんどいわよ」

 けらけらと笑いながら、悪気なくご婦人は話を広げていく。ちくりと疼く胸の痛みからルビーはそっと目を背けた。
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