婚約者から悪役令嬢と呼ばれた自称天使に、いつの間にか外堀を埋められた。

石河 翠

文字の大きさ
上 下
2 / 7

(2)

しおりを挟む
「はあ、まったく朝食までに時間がかかりますこと。早く用意していただけるかしら?」
「一体どうしてこうなった?」
「店構えのわりに、まあまあの内装ではありませんか。これならば、食事も食べられないということはないでしょう」

 この状況に何の疑問も抱いていないらしい小さなご令嬢は勝手に奥のテーブルに我が物顔で陣取り、やれやれと仕方なさそうに肩をすくめている。胃の痛みが空腹ゆえのものなのか、それとも彼女によるものなのか、今だけは考えたくない。

 不躾にならないように、けれど物珍しさを隠せない様子で部屋の中を観察する少女。いきなり部屋を荒らすことはないだろうと放置することにして、急いで食事の準備をする。メニューはいつも通り、俺が実家で食べていたものが中心だ。王都から出たことのない彼女にとっては異質なものだろうが仕方がない。そもそも王都の食事を用意しろと言われたところで、辺境育ちの自分には作れやしないのだから。

 スープの残りを温め直し、卵とベーコンを焼く。このベーコンは自家製だ。王都のお上品なものとは違って野性味あふれる味だが、力強い旨味が自慢だ。彼女が残すようなら、俺が美味しくいただいてやろう。王都の高位貴族は白パンを好んでいるが、俺は故郷の黒パンが好きだ。一般的な黒パンとは異なる酸味が抑えられた黒パンは、風味が豊かで食べ応えがある。

「どうぞお待たせいたしました。お口に合うとよいのですが」

 目の前に出された料理を前に、片眉を上げた少女だったが、さすがに面と向かって文句をつけてくることはなかった。これ以上駄々をこねたところで、別のものが出てくることはないとわかっていたのだろう。あるいは、どんなものでも口に入れるしかないくらいには空腹だったかもしれない。どう見ても渋々といった状態で料理を口に運ぶ彼女だったが、一口食べるなり、大きく目を見開いた。みるみるうちに頬が薔薇色に染まっていく。

「これは」
「その様子では大丈夫だったようですね」
「まあまあですわ! ところでこちらは、王都の料理ではありませんね?」
「故郷の料理でございます。王都の料理は甘いものが多いですが、故郷の料理は塩と香辛料が多いので、だいぶ趣が異なるかと」

 まあまあと評価されたが、それはあくまで「王都が一番」という高位貴族らしい反応だ。彼女がこの料理を気に入ったらしいことは、一心不乱に食べている様子を見ればよくわかる。しばらく黙々と食べていた少女だったが、腹が満ちたのか満足げににこりと微笑んだ。やれやれ。不味い料理を出したということでお咎めをもらうことはなさそうだ。

「ご満足いただけたようで何よりでございます」
「最初はどうなることかと思いましたが、これならばしばらく滞在しても、食事に困るということはなさそうです」
「大変申し訳ありません。まるで、我が家での滞在が決定されたかのような言い方でしたが?」
「ええ、そのつもりですが」

 ふざけるのもいい加減にしろよ?
 そう怒鳴りたくなるのを、ぐっとこらえる。高位のお貴族さまとのやりとりは厄介だ。ことを仕損じれば、彼らは虫けらのように簡単に自分たちを踏み潰してくる。腹立たしいことだったが、彼らの気まぐれひとつで、自分たちの人生は左右されてしまうのだ。ため息をつきたくなるのを堪えていると、彼女がいいことを思いついたと言わんばかりに手を叩いた。

「ねえ、もっと気さくにお話ししてはくださらないの?」
「どういう意味でしょうか」
「先ほどの女性を相手にしている時には、今のような嘘くさい笑顔と気持ちの悪い敬語ではなかったでしょう?」
「……おやおや、ずいぶんとお口が悪いようで」
「だって、遠回しにお願いしてもあなたにはわたくしの気持ちがちっとも伝わらないんですもの」

 つまり俺が気が利かない対応をするから、自分が歩み寄ってやっているのだということらしい。まったく不必要な心配りだ。辺境育ちの俺には、王都の貴族の迂遠な物言いはまどろっこしいだけだ。そもそもそこまでわかっているのであれば、これ以上俺を巻き込む前に家に戻ってもらいたい。いっそこのまま不貞寝できたら、どれだけ幸せだろう。

「申し訳ありませんが、言葉遣いを後から咎められる恐れもございます。その命令は承諾いたしかねます」
「もう、わたくしが気にしなくてよいと言っているのです」
「ですが、口約束では畏れ多い。特に貴族の皆さまとのお約束では、口約束ほど形を変えやすいものはございません」

 言った言わないから始まり、都合の良いように解釈したり、言葉尻をとらえて貶めたり、勝手に噂として膨らませたり。王都の貴族のやり方に慣れるまでの間に、散々煮え湯を飲まされてきたのだ。警戒しすぎることはない。小さな女の子の戯れだと思ってなめてかかればきっと自分は破滅する。俺の言葉に彼女は意外そうに目を瞬かせた。

「わかりました。それならば、これでいかがかしら?」

 ぐんと身体から魔力が引っ張りだされるのがわかった。こいつ、こちらの同意も得ずに勝手に誓約魔術を使ってくるなんて。相手の意志を確認することなく魔術を行使できるのは、魔力が非常に相性が良いか、魔力差が極端にあるときだけだ。それだけの魔力量があるというのなら……。彼女の実家候補がいくつか思い浮かんで、さらに胃が痛くなった。

「これであなたは、わたくしをあなたの姪として扱っても問題ありませんわ」
「なるほど」
「ついでにわたくしの実家について詮索しないこと、わたくしに三食を与えることについても誓約として加えておきました。しばらくご厄介になりますわ、叔父さま」
「なんだこの誓約は。ふざけるなよ」

 俺の嘆きに、少女は楽しそうに口角を上げるばかりだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

乙女ゲームは見守るだけで良かったのに

冬野月子
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した私。 ゲームにはほとんど出ないモブ。 でもモブだから、純粋に楽しめる。 リアルに推しを拝める喜びを噛みしめながら、目の前で繰り広げられている悪役令嬢の断罪劇を観客として見守っていたのに。 ———どうして『彼』はこちらへ向かってくるの?! 全三話。 「小説家になろう」にも投稿しています。

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

悪役令嬢を彼の側から見た話

下菊みこと
恋愛
本来悪役令嬢である彼女を溺愛しまくる彼のお話。 普段穏やかだが敵に回すと面倒くさいエリート男子による、溺愛甘々な御都合主義のハッピーエンド。 小説家になろう様でも投稿しています。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

【完結】あなたのいない世界、うふふ。

やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。 しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。 とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。 =========== 感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。 4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました

みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。 ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。 だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい…… そんなお話です。

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

処理中です...