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「カレン姫よ、なぜ魔力の刃を自分に向ける。その刃をわたしに突き立てれば、わたしは簡単に倒れただろうに。裏切り者にはふさわしい末路だろう?」
「裏切り者? 魔王さまとあろうお方が、笑えない冗談ですわ」
「冗談ではないのだが。君を傷つけた裏切り者に、わたしは加えてもらうことさえできないということか」
少しだけ低くなった声に、カレンはぞくりと背筋を震わせた。
「そもそも脆弱な人間である私に、魔王さまは倒せませんわよ?」
「今回も、君は自分に聖女の血が流れていることを知らないのか」
「……今回も? もう一度、お伺いいたします。どうして私があなたを殺さねばならないのでしょう?」
「古今東西、魔王は深窓の姫君を不当な手段で手に入れようとする生き物で、そのような卑劣な生き物は勇者によって退治されると決まっているからだ」
とうとうカレンは、戸惑いのあまり両手を下ろしてしまった。集中力が途切れてしまったせいで、魔力で作り出した刃も消失している。それでも、周囲はカレンを取り押さえようとはしなかった。魔王の不穏な台詞を聞いていたにも関わらずだ。どうやら魔王は、同胞たちに絶大なる信頼を抱かれているらしい。
「私はあなたと結婚して幸せに暮らすために、ここへ来たのです。どうして夫となるひとに、刃を向けることができましょう」
「だが、自分にはためらいなく刃を向けたではないか。それほどまでに、わたしとの結婚が嫌だったのだろう? やはりわたしの裏切りを覚えているのでは?」
「またそのお話ですか。魔王さまの裏切りだなんて、心当たりはございません。それに私の言葉をお忘れになってしまいましたの? もう一度思い出してくださいませ。私が、先ほどなんと言ったのかを」
「君がここへ飛び込んでくるなり口にしたのは……」
――あなたが私を愛さないとおっしゃるのなら、いっそこのまま殺してくださいませ。白い結婚などまっぴらごめんですわ――
カレンの言葉の意味を理解したのか、魔王がゆっくりと片膝をついた。小柄なカレンにも、ようやく魔王の顔が見えるようになる。整いすぎた男の顔には、ただただ驚きばかりが浮かんでいた。
「私の望みは、愛し愛されたい。ただそれだけなのです」
どうやら、カレンが婚姻を受け入れるとは最初から考えてもいなかったらしい。嫌われていたり、人質として粗末な扱いを受けたりすることはなさそうだが、それにしても意味が分からない。カレンは困ったように小首を傾げると、疑問を直接ぶつけることにした。
「聖女の血を引いていると言う話が真実だとしても、私が敵対することを恐れるならば、わざわざ婚姻などというまどろっこしい方法をとらずとも、排除すればよいだけの話です。なぜこのような形を選んだのですか?」
身もふたもないあけすけな物言い。けれど、魔王は小さく首を振り、カレンの髪を撫でた。
「……だ」
「はい?」
「……君を妻にと要求すれば、今代の勇者が乗り込んでくると思ったのだ」
「魔王さまは、天敵である勇者に会いたかったのですか? ですが残念ながら、今代の勇者はいまだ見つかっておりませんが」
「君が魔王に無理矢理さらわれれば、君の婚約者が勇者としての力に目覚めるのは、自明の理だろう? それでわたしが倒されれば、君は世界を救った勇者の妻となり幸せになれる」
「それは、さすがに夢を見過ぎではありませんか? そんな風に都合よく、世の中は回りません」
「だがしかし、あの男は勇者の血を引いている。君は、感じたことがないか?」
「私が元婚約者について知っているのは、女性にいい顔をしがちで、気が付けば浮気ばかりしていること。そんな馬鹿なことをされているにも関わらず、私があの男を切り捨てることができなかった愚かな女だったということだけです」
悔しさと恥ずかしさを噛みしめ下を向いたカレンの頬を、魔王はそっと優しく撫でる。それから仕方がないのだと小さく微笑んだ。
「それは勇者の血筋の特徴だな。いつどこで死ぬかわからないのだから、隙あらば種をばらまこうとするのは勇者の本能だし、そんな勇者を嫌いになれないまま庇護してしまうのは聖女の特性だ」
「本能に振り回されるなんて。勝手に家に押し入って、家探ししていく勇者も、理由もなく勇者に惚れる聖女も最低ですわ」
「残念ながらこれらの関係性は、タンスを勝手に漁る勇者や『ゆうべはお楽しみでしたね』と翌朝からかってくる宿屋の主人よりも一般的なのだ。この世界では」
「まさか、そんなゲームの世界でもないでしょうに」
思いもよらない表現に、カレンはぎょっとする。この世界では絶対に聞くことのできないはずの表現を、どうして目の前の魔王は知っているのか。
「もちろんわたしは、君に会うために頑張って世界を手中におさめたよ。やはり魔王は、自分と手を組む相手のために、世界の半分を差し出すべきだからね。それが叶わぬ恋の相手でも」
「え」
「その反応、君にも前世の記憶があるということで間違いないのだろう? だが、やはりわたしのことは思い出してくれないのだな。結局わたしは、またあの男に負けたということか」
そこでカレンは、ようやく違和感の正体に気が付いた。この魔王もまた、どうやら自分と同じくかつて日本で暮らした記憶があるらしいことに。
「裏切り者? 魔王さまとあろうお方が、笑えない冗談ですわ」
「冗談ではないのだが。君を傷つけた裏切り者に、わたしは加えてもらうことさえできないということか」
少しだけ低くなった声に、カレンはぞくりと背筋を震わせた。
「そもそも脆弱な人間である私に、魔王さまは倒せませんわよ?」
「今回も、君は自分に聖女の血が流れていることを知らないのか」
「……今回も? もう一度、お伺いいたします。どうして私があなたを殺さねばならないのでしょう?」
「古今東西、魔王は深窓の姫君を不当な手段で手に入れようとする生き物で、そのような卑劣な生き物は勇者によって退治されると決まっているからだ」
とうとうカレンは、戸惑いのあまり両手を下ろしてしまった。集中力が途切れてしまったせいで、魔力で作り出した刃も消失している。それでも、周囲はカレンを取り押さえようとはしなかった。魔王の不穏な台詞を聞いていたにも関わらずだ。どうやら魔王は、同胞たちに絶大なる信頼を抱かれているらしい。
「私はあなたと結婚して幸せに暮らすために、ここへ来たのです。どうして夫となるひとに、刃を向けることができましょう」
「だが、自分にはためらいなく刃を向けたではないか。それほどまでに、わたしとの結婚が嫌だったのだろう? やはりわたしの裏切りを覚えているのでは?」
「またそのお話ですか。魔王さまの裏切りだなんて、心当たりはございません。それに私の言葉をお忘れになってしまいましたの? もう一度思い出してくださいませ。私が、先ほどなんと言ったのかを」
「君がここへ飛び込んでくるなり口にしたのは……」
――あなたが私を愛さないとおっしゃるのなら、いっそこのまま殺してくださいませ。白い結婚などまっぴらごめんですわ――
カレンの言葉の意味を理解したのか、魔王がゆっくりと片膝をついた。小柄なカレンにも、ようやく魔王の顔が見えるようになる。整いすぎた男の顔には、ただただ驚きばかりが浮かんでいた。
「私の望みは、愛し愛されたい。ただそれだけなのです」
どうやら、カレンが婚姻を受け入れるとは最初から考えてもいなかったらしい。嫌われていたり、人質として粗末な扱いを受けたりすることはなさそうだが、それにしても意味が分からない。カレンは困ったように小首を傾げると、疑問を直接ぶつけることにした。
「聖女の血を引いていると言う話が真実だとしても、私が敵対することを恐れるならば、わざわざ婚姻などというまどろっこしい方法をとらずとも、排除すればよいだけの話です。なぜこのような形を選んだのですか?」
身もふたもないあけすけな物言い。けれど、魔王は小さく首を振り、カレンの髪を撫でた。
「……だ」
「はい?」
「……君を妻にと要求すれば、今代の勇者が乗り込んでくると思ったのだ」
「魔王さまは、天敵である勇者に会いたかったのですか? ですが残念ながら、今代の勇者はいまだ見つかっておりませんが」
「君が魔王に無理矢理さらわれれば、君の婚約者が勇者としての力に目覚めるのは、自明の理だろう? それでわたしが倒されれば、君は世界を救った勇者の妻となり幸せになれる」
「それは、さすがに夢を見過ぎではありませんか? そんな風に都合よく、世の中は回りません」
「だがしかし、あの男は勇者の血を引いている。君は、感じたことがないか?」
「私が元婚約者について知っているのは、女性にいい顔をしがちで、気が付けば浮気ばかりしていること。そんな馬鹿なことをされているにも関わらず、私があの男を切り捨てることができなかった愚かな女だったということだけです」
悔しさと恥ずかしさを噛みしめ下を向いたカレンの頬を、魔王はそっと優しく撫でる。それから仕方がないのだと小さく微笑んだ。
「それは勇者の血筋の特徴だな。いつどこで死ぬかわからないのだから、隙あらば種をばらまこうとするのは勇者の本能だし、そんな勇者を嫌いになれないまま庇護してしまうのは聖女の特性だ」
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「まさか、そんなゲームの世界でもないでしょうに」
思いもよらない表現に、カレンはぎょっとする。この世界では絶対に聞くことのできないはずの表現を、どうして目の前の魔王は知っているのか。
「もちろんわたしは、君に会うために頑張って世界を手中におさめたよ。やはり魔王は、自分と手を組む相手のために、世界の半分を差し出すべきだからね。それが叶わぬ恋の相手でも」
「え」
「その反応、君にも前世の記憶があるということで間違いないのだろう? だが、やはりわたしのことは思い出してくれないのだな。結局わたしは、またあの男に負けたということか」
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