泥棒猫になり損ねた男爵令嬢は、策士な公爵令息に溺愛される。第二王子の公妾になるつもりが、どうしてこうなった。

石河 翠

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 騙された!
 ケリーはひとりうなだれた。二度あることは三度ある。古くからあることわざの意味を、その身で味わいたくはなかった。

「どうしたんです。顔色が悪いようですが」

 微笑みかけてくる婚約者を前に、ケリーは頬をひきつらせる。誰だ、この貴公子は。整いすぎたその顔に、思い出したくもないバカップルの面影を見つけたような気がして、彼女はしくしくと胃が痛くなった。

(いやいや、髪の色も違うし、そもそも次期公爵家のご当主さまが呑気に城で下っ端文官なんかやってるはずないよね?)

 本当ならへたりこみたいところだが、これだけひと目のある場所で目立つことはしたくない。何と言っても、王都でも人気のレストランなのだ。限られた人間しか入ることのできない場所。ここでの出来事は善かれ悪しかれあっという間に広がってしまう。

「あ、あはは、大丈夫。あなたがあまりにも素敵過ぎて、ちょっとびっくりしただけ」
「いつもは適当な身なりをしていますからね。ですが、特別な日には僕だってそれなりの格好をしたいんです」

 にこりと微笑まれたはずなのに、蛇ににらまれたような気持ちになるのはなぜだろう。ケリーはうっすらと涙が浮かびそうになるのを必死でこらえた。これはきっと嬉し涙だ。そうだ、そうに違いない。

 貴族社会の闇を垣間見た彼女は玉の輿に乗ることを潔く諦め、学園を優秀な成績で卒業した。そして、王宮のとある部署に文官として配属されたのだった。

 第二王子と公爵令嬢の明後日な方向のすれ違いが無くなった結果、ふたりは国内でも評判のおしどり夫婦となった。そして彼らはケリーの恩に報いるためにと、彼女を評判の良い伯爵家の養女にしたのである。

 実際、彼らはケリーの遠い親戚にあたる人物たち。母を亡くしたあげく、実の父親に利用されていた彼女を癒してくれたのもまた彼らである。優しい家族と癖が強すぎるものの頼もしい友人、そして働きがいのある職場。ケリーの人生は、まさに順風満帆そのものであった。

 なおケリーの父親は過去の悪どい所業がばれたために、強制労働コースとなっている。とはいえ生かさず殺さずで有名な場所のため、不摂生でダラダラ貴族として過ごしていた頃よりも、よほど健康的に過ごしているらしい。もちろん、それが彼にとっての幸せかどうかというのはまた別問題ではあるのだが。

 そして職場でケリーが出会ったのが、今目の前にいる婚約者ニコラスである。伸ばしっぱなしの長い前髪に特徴的な分厚い瓶底眼鏡。文官の制服は立派なものなのに、いつも猫背なせいでちっともしまらない。けれどとても博識で、誰に対しても平等な男だった。

 学園での生活を通して、ケリーは平凡こそ幸せなのだと実感していた。もちろん多少のお金はあったほうがいい。けれど、金だとか美貌だとかは、望めば望むほどさまざまなやっかいごとを招き寄せるのだと身にしみた。

 そんなケリーにとって、変人だが真面目で博識なニコラスはとても好ましい人物だった。彼となら、きっと慎ましくも幸せな家庭を築くことができるだろう。そう思っていたのに。
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