せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠

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 ただの一度も愛されることのない結婚だった。

 それでもイヴは、夫を愛そうと努力したのだ。たとえ政略結婚だとしても、お互いを尊重しあえる夫婦になれたら。絵本の王子さまのように美しい男に抱いた淡い想いは、あっさりと踏みにじられることになったのだが。

 イヴをこきつかっていた義母は、新しい侍女を雇うたびにヒステリーを起こすことだろう。痒いところに手が届き、なおかつ住み込み年中無休のタダ働きで世話をしてくれる人間などこの世にいないのだから。

 エリックは、これからイヴが立て直したこの家の財政を食い潰すだろう。貴族としての矜持を捨てられず、勝手な理想ばかり語っていればひとは瞬く間に離れていくに違いない。

 愛人へのお手当ては、やりくり上手のイヴがいなくなれば捻出できなくなるだろう。弱々しく見えて案外したたかな女性だったから、さっさとエリックに見切りをつけてより良い物件探しにいそしむと思われた。

 エリックは美しい。けれどふわふわとその場を流されるだけだ。イヴと結婚した意味を彼はすっかり忘れてしまったらしい。あるいは最初から理解していなかったのか。エリックが背負うべきものをイヴが肩代わりしていただけだというのに、可愛げのない、冷たい血の通っていない女と罵るなんて。

 彼が見下す平民だが、彼らがいなければ生活など回らない。そして生きていくためには、誰しも金が必要なのだ。

 けれど、エリックにはそれがわからない。イヴのすべてが憎たらしいと言わんばかりに医療や葬儀にまでケチをつけられ、イヴもまたほとほと嫌になってしまった。イヴが抜ければ、この家はあっという間に瓦解するだろう。だが実家が必要としていた貴族との縁はもう十分に結べたはずだ。当主の代わりとして立ち回った甲斐があったというもの。

 だから決めたのだ。夫とともに過ごす最後の一日くらいは、夫が望む理想の女を演じてやろうと。

 夫の望む姿を演じることは容易かった。ただし、楽しいかどうかで聞かれたら話は別だ。一生、好きでもない男をおだてて生きていくなんてまっぴらごめんである。ここに来て初めてイヴは、夫の浮気相手の忍耐強さに感心したのだった。

 エリックは自分のことしか考えていない。それは性悪と言う意味ではなく、子どもがそのまま大人になったようなものではあったが、会話すらまともにできず、相手に全肯定を求める姿勢にはさすがにうんざりしてしまった。

 あれで会話が盛り上がったと思っているのだ、今後の社交は絶望的だろう。もちろんそれを理解しているからこそ、義母は嫁としてイヴを選んだのだろうが。
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