せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠

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 その日イヴは、朝から柔らかな笑顔をたたえていた。穏やかな彼女の表情に驚いたのは、使用人たちばかりではない。三年の間共に暮らしてきたはずの夫エリックが一番動揺していた。

 日が昇る前、使用人よりも早く起き、しかめっ面で忙しなく屋敷内を動き回っているのが普段の彼女だ。エリックは、それが嫌でたまらなかった。朝早く起きられないのは、惰眠をむさぼる自堕落な人間だと責められているような気がしていたからだ。

 寝不足だと目を擦りあくびを噛み殺すのなら、最初からもっと寝ておけばいい。空腹でいらいらするのならば、自分よりも先に食事を済ませておけばいい。ゆっくり椅子に座るひまもないとばかりに当て擦らずともよいではないか。繰り返し、「もっとゆっくりすればいい」と言い続けてきたはずなのに、いつも言い訳ばかりでエリックのアドバイスに従うことなどなかったイヴ。

 それなのに今日はどうしたというのだろう。休みということで随分寝坊したエリックが朝食を取り始めてから、彼女は悠々と席に着いた。たっぷり睡眠をとることができたためか、丸みを帯びた頬が桜色に色づいている。

「一体どういう風の吹き回しだ?」

 怪訝に思ったエリックがイヴに問えば、彼女はころころと笑うばかり。不思議なことに普段は古めかしい服を着ているイヴが、今日は若い娘らしい華やかな服を身につけている。それだけで、随分と雰囲気が和らいでみえた。

「まあ、怖いお顔。別に大したことじゃありませんわ。一年の終わりですもの。楽しく過ごそうと思っただけです。最後の一日を、喧嘩して終わるなんてもったいないではありませんか。せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう」

 イヴの言葉に、エリックは片眉を上げた。そう、「最後の一日」なのだ。一年の終わりという意味だけではない。今日、離婚届を教会に提出することで、エリックとイヴは結婚生活を終わりにする予定だった。
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