あやかし坂のお届けものやさん

石河 翠

文字の大きさ
上 下
18 / 29

(17)三川内焼き-2

しおりを挟む
 歩いている途中で携帯が鳴っていることに気がつく。慌てて確認してみると、電話の相手は会社の部長だった。お昼休みぎりぎりだと思っていたが、もしやすでに休憩時間は終了していたのだろうか。

「もしもし? すみません、もうすぐ戻ります」
「いや、そうじゃなかと。わるかばってん、買いもんに行ってくれんね(いや、そうじゃないんだよ。申し訳ないんだけれど、買い物に行ってきてもらってもいいかな?)」
「おつかい、ですか?」
「お客さんのうちにくっけん、シースケーキばこうてきて(お客さんがうちに来るから、シースケーキを買って来て)」
「はい。おいくつでしょう?」
「お客さんはひとりばってん、せっかくやけん会社の女ん子の分ば一緒にかわんね。おいが出すけん、気にせんでよか(お客さんはひとりだけれど、会社の女性社員の分も一緒に買いなさい。僕が支払うから、気にしないでいいからね)」
「みんな喜びますね。わかりました」
「そいじゃ、頼むけん(それじゃあ、頼んだよ)」

 伝えられた内容に、ほっと胸を撫でおろす。「やぜか電話とか出らんでよかけん、外でたべてこんね(面倒な電話に出る必要はないのだから、外で食べてきなさい)」と言ってくれる優しい上司がこの部長だ。長崎弁が強いので、県外のひとから見ると部長はいつも怒っているように見えるらしい。実際は、単純に長崎弁特有の早口で、声が大きいだけの素敵なおじさまなのだ。

 部長がわざわざ来客用にシースケーキを用意するということだから、ご年配のそして結構大事なお客さまなのかもしれない。急かされなかったとはいえ、早めに戻るほうがよさそうだ。とはいえ、ちょうど浜んまち商店街にいたので焦る必要はないだろう。浜市アーケードを曲がり、ベルナール観光通りを電車通りに側に向かって進めば目的のお店である梅月堂はすぐそこなのだから。

 梅月堂は、長崎の老舗和洋菓子店だ。明治27年に創業したこのお店は、長崎市民にはおなじみのケーキ屋さんである。何と言っても祖父母の世代なら、確実に梅月堂が全国にあると信じ込んでいるレベルで市民に浸透しているのだ。

 確かに浜んまちにあり、長崎駅前にあり、長崎大学病院の中にもあり、各ショッピングモールや大型スーパーの中にもあるのだから、誤解するのも仕方がないのかもしれない。一応私より若い世代は梅月堂が全国チェーンだとは思っていないものの、じゃあ果たしてどれくらい梅月堂以外のケーキを食べたことがあるかと言われると、また難しいところだったりする。

 梅月堂以外のケーキでみんなが知っているケーキ屋さんとなると世代ごとにばらつきがあるのだ。安くて美味しいケーキ屋さんとして有名なシャトレーゼが長崎に上陸したのは2017年。私も成人してから初めて食べた。

 個人経営のケーキ屋さんの知名度は言わずもがな。あとは梅月堂の隣の西銀は長崎市民ならやっぱりみんな知っているだろうけれど、それも高級志向の梅月堂、庶民派の西銀みたいな祖父母や父母の世代が知っているからこその認知度の高さのようにも思えた。

 さて、そんなじげもんなら絶対に知っている梅月堂。浜んまちにある梅月堂の本店に入れば、色とりどりのケーキがショーウィンドウに並んでいた。季節のケーキはどれも美味しそうで心躍るけれど、私は頼まれた通り、シースケーキをお客さまと女性社員の人数分注文する。

 シースケーキというのは、梅月堂発祥のケーキだ。長方形のスポンジケーキの間にカスタードクリームが挟まっていて、表面は生クリームで覆われ、黄桃とパイナップルで飾られている。その昔苺が手に入りにくかったことから、このトッピングになったのだそうだ。

 まさに昭和レトロとでも言うべき懐かしいお味がするのだが、長崎市内では定番のケーキであり、いつお店に行ってもどーんと王さまみたいな存在感でお客を待ち構えている。

 お客さまと職場の女性の数を足した分を注文して、ふと予感がした。もうひとつ、多めに買った方が良いような気がする。食べ物の恨みは恐ろしい。食べ損ねたひとが出たら、のちのちまで言われることになるだろう。特に会社は事務のお姉さまたちの努力で回っている。絶対に敵に回したくないし、かといって私がケーキを我慢するのは嫌だ。万が一にもケーキが余ったら、こっそり部長に献上しよう。

 そんなことを考えながら会社に戻ると、着物姿の品の良い年配の女性がちょうど会社に入っていくところだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

菱沼あゆ
キャラ文芸
「同窓会っていうか、クラス会なのに、知らない人が隣にいる……」  クラス会に参加しためぐるは、隣に座ったイケメンにまったく覚えがなく、動揺していた。  だが、みんなは彼と楽しそうに話している。  いや、この人、誰なんですか――っ!?  スランプ中の天才棋士VS元天才パティシエール。 「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」 「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」 「同窓会なのに……?」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...