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(12)べっ甲-6

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 車のエンジン音。近くの横断歩道に設置された音響信号機の鳥の声。近くの飲み屋から漏れ聞こえるカラオケの音楽。周囲からさまざまな音が一瞬にして消える。

 目も見張るような豪奢な着物、結い上げられた髪にいくつもの簪をさした太夫が、女子高生の後ろに浮かび上がった。

 鎖国時代、「江戸のきっぷに京都の器量、長崎の衣装で三拍子揃う」と言われていたのはこのことか。そう納得してしまうような美しさだった。

 慌てて周囲を見回せば、アスファルトの道路があったはずの場所にはうっすら川が透けている。行き交う小舟や川に架かる橋までご丁寧に見えていた。

「行こうか戻ろうか思案橋ってことか……」

 繁華街には「思案橋通り」という名前が付けられているが、それは行けば散財してしまう丸山遊郭に行こうか、行くまいか皆が橋の手前で考えたために思案橋と言われるようになったそうだ。だが、ここはもうずいぶん昔に埋め立てられて道路になっている。橋が本当にあったなんて知らないひともたくさんいるだろう。

 それならば、私は一体誰の記憶を見せられているのだろうか。

 そっと目をやれば、リードに繋がれた狆には女子高生や橋のように透けて見えるものがない。この犬には前世がない? あるいは、この犬はかつて太夫に飼われていたときから、変わらず生きているのではないだろうか? あやかしとして。

 瞬きをもう一度すると、先ほど見た景色は疲れ目が見せたただの幻であったかのように立ち消えてしまった。

「あの、どうかされましたか?」
「あ、ううん。なんでもないの」

 だが、なんとなく確信する。この指輪を渡す相手は彼女だ。けれど、直接彼女に渡しても話が終わりそうにないこともなんとなくわかった。届ければ済むのであれば、この隠し事の多い犬が自分で届けたはずなのだから。

「あの、ちょっと心配だから聞くんだけれど。修学旅行って班行動じゃないの? もしかして迷子になっちゃった? 待ち合わせ場所とかがあるのなら、案内しようか?」
「いえ、さっきまで班のみんなと一緒にいたんですけれど。実はわたし、逃げてきちゃって」
「だ、大丈夫なの?」
「ええと、たぶん?」

 いや、たぶん大丈夫じゃないよね? 犬もちょっと心配そうに女子高生を見上げている。犬って、こんなに表情が顔に出るのか。面白いな。

「同じ班のメンバーに彼氏がいるんですけれど、喧嘩しちゃって。居づらくて飛び出してきたんです」
「えーと、喧嘩の原因って聞いてもいいかしら」
「実はさっき中華街に行ったときに、途中でなぜかべっ甲の指輪をもらったんですよ。でも、べっ甲って長崎じゃなくて、東京でも買えるじゃないですか。学校の授業で、東京・大阪・長崎で盛んな伝統工芸品だって習ったし。それなのに、わざわざここで買うのも変だし、それにお土産屋さんみたいなところじゃなくって、ちゃんとしたところでちゃんとした指輪を買ってほしかったし」

「ああ、わかるわかる」
「別に今日は記念日でもないし、みんなに冷やかされるのも恥ずかしくて」

 いやあ完全に青春である。甘酸っぱいなあ。

「でも一番嫌なのは、そうやって文句ばかり言っている自分なんです。どうして、ありがとうって言えなかったのか」
「なるほどねえ。でも、その彼氏くんも怒ってはいないと思うよ。心配はしているだろうけれど」
「そうでしょうか」
「うん、大丈夫だって。背が高くて、ちょっと日本人離れした目鼻立ちのイケメンくんでしょ?」
「え、はい、そうですけれど、どうして?」
「いや、だって、そこの電柱の影でこっちの様子を伺っている見知らぬ制服のイケメンくんがいるからね」
「!」

 電柱の後ろ、正確には見返り柳の後ろで、イケメンくんが切なそうに女子高生のことを見つめていた。
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