愛するひとの幸せのためなら、涙を隠して身を引いてみせる。それが女というものでございます。殿下、後生ですから私のことを忘れないでくださいませ。

石河 翠

文字の大きさ
上 下
6 / 8

(6)

しおりを挟む
「贄になるのは聖女だけだと……」
「まあ偶然なんだけれど、私も魔力が高かったのよ。今代の王太子が新たな贄をこちらに寄越さずに済むくらいにはね」

 そもそも最終的に私と結婚したところで、夫となるひとの心は永遠にあの子のものなのだ。そんな結婚生活、控え目に言って地獄である。死んだ女には勝てないなんて世間では言うらしいが、似たようなものだ。そもそも別に元婚約者に恋なんてしていなかったし。

「どうして、君は僕に全部教えてくれたんだ? 両親でさえ、ここまで説明してくれなかったのに」
「二人は王太子さまには伝えたそうよ。まあ、あなたが信心深いタイプじゃないから、諦めたのかもね。変に引っ掻き回されて、結界が緩んでも危ないし」
「それでも!」
「それに私があなたに教えて上げたのも、優しさからではないわ」

 七不思議に言及すれば、正体がバレることはわかっていた。それでも、彼に私のことを覚えておいてほしかった。

「私はね、あなたを傷つけたかったの」

 淡々と語る私のことを、ジョシュアは目を丸くして見ている。

「プリムローズ、僕は君のことが!」
「同情ならいらないわ」

 思わず薄い笑みがこぼれた。もういいのだ。自分の存在が擦り切れるまでの時間を、ただ少しずつ伸ばしながら生きていくしかないと思っていた。

「私、婚約破棄なんて意味がないと思っていたのよ。だって、ただの茶番じゃない。でもね、あなたを好きになって初めて気がついたの。好きなひとのいる世界なら、守れるわ。どんなに寂しくても、相手が私のことを覚えていてくれるなら耐えてみせる」

 人々から忘れられたら、贄は消えてしまう。それは呪いであると同時に、救いなのだと思う。愛するひとが自分のことを忘れてしまったら、この世界にとどまる理由はきっとなくなってしまうから。

「どうして笑うんだ、こんな時に」
「愛するひとの幸せのためなら、涙を隠して身を引いてみせる。それが女というものでございます。殿下、後生ですから私のことを忘れないでくださいませ」

 図書室で読んだ戯曲の中から、とびきりの一文を選び出す。芝居掛かった仕草で台詞を吐けば、彼が顔を青ざめさせた。

 私は、あらんかぎりの力で咲き誇る満開の桜に向かって彼を突き飛ばす。窓はこっそり開けておいた。咲き誇る桜の枝が、落下する彼を抱きしめてくれるだろう。その間に私はこの図書室を内側から閉じてしまえばいい。

 七不思議にも数えられていた告白が絶対に叶う桜の木。ここでいう告白とは、愛を告げることではない。王族が、聖女の役割を婚約者に告げる贖罪の場。意思を持つ桜は、王族の守護神だ。

 桜の花はやっぱり嫌いだ。私の大事なものを、全部連れ去ってしまう。私ひとりを置き去りにして。

「ジョシュア、あなたの幸せを願っている。あのひとの息子としてジョシュアが私の前に現れたように、今度はあなたの子どもたちがこの学園に来てくれるのを楽しみに待っているわ。それまでちゃんと守っておくから。安心してちょうだい」

 下を見ることなく窓から離れようとしたら、思い切り腕を掴まれた。なんと彼は壁のへりに掴まって、図書室へと舞い戻ってきたらしい。さすが学年首席の第二王子殿下は、座学だけでなく運動神経も抜群のようだ。

「諦めるなんて許さない」
「ちょっと、ジョシュア。何を怒っているの?」
「まさか、僕の父親のことを今でも好いているのか?」
「違うってば。あなたのご両親とは、本当に友人だったのよ。好きになったのは、あなただけ」
「プリムローズ、愛している。絶対に誰にも渡さない」

 強く抱きしめられたかと思えば、視界がぐるりと回る。背中には冷たく硬い床。目の前には美しいかんばせ。貪り食らうとはこのことか。押し倒された私の肌には、桜の花弁のような痕がいくつも刻まれていく。

 卒業式の前日、私は乙女を卒業することになったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

城内別居中の国王夫妻の話

小野
恋愛
タイトル通りです。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

「股ゆる令嬢」の幸せな白い結婚

ウサギテイマーTK
恋愛
公爵令嬢のフェミニム・インテラは、保持する特異能力のために、第一王子のアージノスと婚約していた。だが王子はフェミニムの行動を誤解し、別の少女と付き合うようになり、最終的にフェミニムとの婚約を破棄する。そしてフェミニムを、子どもを作ることが出来ない男性の元へと嫁がせるのである。それが王子とその周囲の者たちの、破滅への序章となることも知らずに。 ※タイトルは下品ですが、R15範囲だと思います。完結保証。

【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした

楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。 仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。 ◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪ ◇全三話予約投稿済みです

顔も知らない旦那さま

ゆうゆう
恋愛
領地で大災害が起きて没落寸前まで追い込まれた伯爵家は一人娘の私を大金持ちの商人に嫁がせる事で存続をはかった。 しかし、嫁いで2年旦那の顔さえ見たことがない 私の結婚相手は一体どんな人?

【短編】隣国から戻った婚約者様が、別人のように溺愛してくる件について

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
転生したディアナの髪は老婆のように醜い灰色の髪を持つ。この国では魔力量の高さと、髪の色素が鮮やかなものほど賞賛され、灰や、灰褐色などは差別されやすい。  ディアナは侯爵家の次女で、魔力量が多く才能がありながらも、家族は勿論、学院でも虐げられ、蔑まされて生きていた。  親同士がより魔力の高い子を残すため――と決めた、婚約者がいる。当然、婚約者と会うことは義務的な場合のみで、扱いも雑もいい所だった。  そんな婚約者のセレスティノ様は、隣国へ使節団として戻ってきてから様子がおかしい。 「明日は君の誕生日だったね。まだ予定が埋まっていないのなら、一日私にくれないだろうか」 「いえ、気にしないでください――ん?」  空耳だろうか。  なんとも婚約者らしい発言が聞こえた気がする。 「近くで見るとディアナの髪の色は、白銀のようで綺麗だな」 「(え? セレスティノ様が壊れた!?)……そんな、ことは? いつものように『醜い灰被りの髪』だって言ってくださって構わないのですが……」 「わ、私は一度だってそんなことは──いや、口には出していなかったが、そう思っていた時がある。自分が浅慮だった。本当に申し訳ない」 別人のように接するセレスティノ様に困惑するディアナ。  これは虐げられた令嬢が、セレスティノ様の言動や振る舞いに鼓舞され、前世でのやりたかったことを思い出す。 虐げられた才能令嬢×エリート王宮魔術師のラブコメディ

婚約者に裏切られた女騎士は皇帝の側妃になれと命じられた

ミカン♬
恋愛
小国クライン国に帝国から<妖精姫>と名高いマリエッタ王女を側妃として差し出すよう命令が来た。 マリエッタ王女の侍女兼護衛のミーティアは嘆く王女の監視を命ぜられるが、ある日王女は失踪してしまった。 義兄と婚約者に裏切られたと知ったミーティアに「マリエッタとして帝国に嫁ぐように」と国王に命じられた。母を人質にされて仕方なく受け入れたミーティアを帝国のベルクール第二皇子が迎えに来た。 二人の出会いが帝国の運命を変えていく。 ふわっとした世界観です。サクッと終わります。他サイトにも投稿。完結後にリカルドとベルクールの閑話を入れました、宜しくお願いします。 2024/01/19 閑話リカルド少し加筆しました。

処理中です...