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「清月、母屋の火事は『曰くつき』に関係するものですよね?」
「その通りだ」
「それならば、普段『曰くつき』の品々の穢れを祓うように、この着物の穢れを祓えばあの火事を消し止めることができるはず。違いますか?」
「文乃は、あの火事をわざわざ消すつもりなのか?」
お月さまのようにまんまるの瞳に問われて、思わず息をのんだ。
「清月は、消す必要などないと言うのですか」
「当然だ、自業自得なのだから」
「そんな」
「別に良いではないか。このまま放っておけば、母屋の連中はみな息絶えるだろう。あの着物はお前を大切にしていた祖母のものだ。いまだ付喪神になることもできぬまま、お前を助けられないことを口惜しく思っていたらしい。ようやっと手に入れた力であやつらを一掃するつもりのようだ」
長く愛され大切にされてきたものは、付喪神になる。けれど付喪神になる前に、歪み、おかしくなってしまえば、「曰くつき」へと堕ちてしまう。
文乃は、焼け焦げた着物を抱きしめる。もしも、この着物が桐箪笥の中にしまわれたままだったなら、蓄えた力も徐々に失い、付喪神になることもなくただの着物に戻っただろう。あるいは正しく文乃に引き継がれていたならば、予定通りに付喪神になったかもしれない。けれど、文乃の姉は着物を燃やしてしまった。おそらくは、祖母や文乃への憎みつらみを語りかけながら。
それは文乃を守ろうとする祖母の想いとは相反するもの。けれど、祖母の心の中にも、同じような感情が髪の毛一筋ほどにだって存在しないとは言い切れないもの。嫁と孫に理性的に接した祖母にだって、何かしら思うところはあったに違いないのだ。だから文乃への呪詛に塗れた炎は消えるだけにとどまらずに、母屋へと飛び火したのではないか。
母からの愛情は文乃には与えられなかったけれど。姉には母がいるのだから、祖母には文乃だけを見てほしかったけれど。それでもひととして正しくあろうとした祖母の中に、これほど激しい感情があるのだと知ることができたのなら、もうそれでよいのだと思った。思えてしまった。
「清月」
「ああ、大丈夫だ。周囲の屋敷に飛び火することはない。安心して見守っているがいい」
「そうではないのです。私は、あの火事を止めねばなりません。母や姉に思うところはありますが、焼け死んでしまえとはどうしても思えないのです」
「あいつらに、文乃は今まで傷つけられてきたのに?」
「ええ。分かり合うつもりはないと最初から相手を拒んでしまったら、お母さまと一緒だもの。私が同じことをすれば、おばあさまはきっと悲しまれるでしょう」
「どうやっても分かり合えない人間だっているだろうに」
「それでも努力し続けることが、人間らしさなのではないかしら」
祖母は文乃を育ててくれたけれど、文乃だけの祖母ではなかった。だから、当たり前のように文乃の邪魔になるものを切り捨てようとする清月のことが愛しくてたまらない。この優しい生き物がいるのなら、どんな汚い気持ちを抱えていても、まだひととして留まっていられるような気がした。
「ねえ、清月」
「なんだ」
「あなたに出会わなかったら、何もかもすべて燃えてしまっても構わないと思ったことでしょう。でも、あなたがいるから。誰よりも私のことを大切にしてくれるあなたがいるからこそ、私はあのひとたちを助けようと思うの」
「文乃は、俺が大切なんだな?」
「急にどうしたの?」
「俺が一番大切なんだな?」
一番辛い時に、隣にいてくれた清月は文乃にとって家族も同然だ。もちろんだと、こくりとうなずいた。離れ離れになるなんて考えられない。
「なるほど、承知した。それによく考えてみれば、死ねば苦しみは一瞬だが、生きていれば地獄は続く。仕返しとして、なかなか悪くない」
家や財産を失った華族のご令嬢とその病弱な母親が、まともに暮らしていけるはずがない。それをわかっておきながら、何も言わずに清月は文乃の唇をなめた。
「まったくもう、せいげ」
そこで文乃が固まってしまったのは仕方のないだろう。何せ先ほどまで銀色の猫がいた場所には、美しい銀髪の美丈夫が立っていたのだから。
「その通りだ」
「それならば、普段『曰くつき』の品々の穢れを祓うように、この着物の穢れを祓えばあの火事を消し止めることができるはず。違いますか?」
「文乃は、あの火事をわざわざ消すつもりなのか?」
お月さまのようにまんまるの瞳に問われて、思わず息をのんだ。
「清月は、消す必要などないと言うのですか」
「当然だ、自業自得なのだから」
「そんな」
「別に良いではないか。このまま放っておけば、母屋の連中はみな息絶えるだろう。あの着物はお前を大切にしていた祖母のものだ。いまだ付喪神になることもできぬまま、お前を助けられないことを口惜しく思っていたらしい。ようやっと手に入れた力であやつらを一掃するつもりのようだ」
長く愛され大切にされてきたものは、付喪神になる。けれど付喪神になる前に、歪み、おかしくなってしまえば、「曰くつき」へと堕ちてしまう。
文乃は、焼け焦げた着物を抱きしめる。もしも、この着物が桐箪笥の中にしまわれたままだったなら、蓄えた力も徐々に失い、付喪神になることもなくただの着物に戻っただろう。あるいは正しく文乃に引き継がれていたならば、予定通りに付喪神になったかもしれない。けれど、文乃の姉は着物を燃やしてしまった。おそらくは、祖母や文乃への憎みつらみを語りかけながら。
それは文乃を守ろうとする祖母の想いとは相反するもの。けれど、祖母の心の中にも、同じような感情が髪の毛一筋ほどにだって存在しないとは言い切れないもの。嫁と孫に理性的に接した祖母にだって、何かしら思うところはあったに違いないのだ。だから文乃への呪詛に塗れた炎は消えるだけにとどまらずに、母屋へと飛び火したのではないか。
母からの愛情は文乃には与えられなかったけれど。姉には母がいるのだから、祖母には文乃だけを見てほしかったけれど。それでもひととして正しくあろうとした祖母の中に、これほど激しい感情があるのだと知ることができたのなら、もうそれでよいのだと思った。思えてしまった。
「清月」
「ああ、大丈夫だ。周囲の屋敷に飛び火することはない。安心して見守っているがいい」
「そうではないのです。私は、あの火事を止めねばなりません。母や姉に思うところはありますが、焼け死んでしまえとはどうしても思えないのです」
「あいつらに、文乃は今まで傷つけられてきたのに?」
「ええ。分かり合うつもりはないと最初から相手を拒んでしまったら、お母さまと一緒だもの。私が同じことをすれば、おばあさまはきっと悲しまれるでしょう」
「どうやっても分かり合えない人間だっているだろうに」
「それでも努力し続けることが、人間らしさなのではないかしら」
祖母は文乃を育ててくれたけれど、文乃だけの祖母ではなかった。だから、当たり前のように文乃の邪魔になるものを切り捨てようとする清月のことが愛しくてたまらない。この優しい生き物がいるのなら、どんな汚い気持ちを抱えていても、まだひととして留まっていられるような気がした。
「ねえ、清月」
「なんだ」
「あなたに出会わなかったら、何もかもすべて燃えてしまっても構わないと思ったことでしょう。でも、あなたがいるから。誰よりも私のことを大切にしてくれるあなたがいるからこそ、私はあのひとたちを助けようと思うの」
「文乃は、俺が大切なんだな?」
「急にどうしたの?」
「俺が一番大切なんだな?」
一番辛い時に、隣にいてくれた清月は文乃にとって家族も同然だ。もちろんだと、こくりとうなずいた。離れ離れになるなんて考えられない。
「なるほど、承知した。それによく考えてみれば、死ねば苦しみは一瞬だが、生きていれば地獄は続く。仕返しとして、なかなか悪くない」
家や財産を失った華族のご令嬢とその病弱な母親が、まともに暮らしていけるはずがない。それをわかっておきながら、何も言わずに清月は文乃の唇をなめた。
「まったくもう、せいげ」
そこで文乃が固まってしまったのは仕方のないだろう。何せ先ほどまで銀色の猫がいた場所には、美しい銀髪の美丈夫が立っていたのだから。
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