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とある町の小さな古本屋。
そこで年若い男が、ふむふむとうなずきながらいくつもの本を読み進めていた。
「いやあ、面白い。無名の作家の作品ですからどんなものかと思っていたら。どれひとつとして同じ作品はないのだから驚いた」
「彼らの物語は、彼らの一生そのもの。同じものなどあるはずございませんわ」
「それならば、この本は一冊限り? 同じものが新しく販売されることはないと?」
「当然でございます。何せそちらの本は、この子たちと一緒に引き取っていただくものですから」
店の主である美しい女は、本棚の横の飾り棚に置かれた骨董品を示して微笑んだ。
「おや、あれは。こちらの本の中に出てきた古伊万里の皿にそっくりだ。挿絵はなかったが、頭の中で思い描いていたものと寸分変わらない」
「そちらは、確かにこの古伊万里の皿で間違いありませんよ。何せ、その本はこの子の一生をつづったものですから」
「なんとまあ。とある縁で異国の王城で飾られていたものの、また再び大和の国に戻ってきた名品。家宝として飾られることをよしとせず、お家争いの際に泥棒に盗まれ、料理皿として使われないのであればいっそ呪物になってやるとやけを起こした、あの大皿だと?」
こくりとうなずく店主に、客人はなるほどと自身の髭を撫でた。
「実に面白い商売だね。骨董品を好むものは、その品物の背景、彼らの背負う物語を好むものも多い。無名の職人の作品でも、心に訴えかける物語に触れれば思わず買いたくなるに違いない。古本屋と見せかけて骨董屋か。いやはや、なかなかお上手だ」
「高値でふっかけるためではないのですよ。お品を気に入ってくださっても、彼らの歩んできた道を受け入れてくださらなければ、お嫁にもお婿にも出せませんから。ただこの子たちに幸せになってもらうために、じっくりと顔合わせをしていただいているだけなのです」
「箱書きや鑑定書の類ではないと?」
「さようでございます。どちらかと言えば、この物語は運命の一冊。分厚い釣書だと思っていただいて構いません」
客は、古伊万里の皿とその来歴……と一言で片付けるにはいささか濃密で波乱万丈すぎる物語がつづられた本を見つめる。
「こちらの本は釣書のようなものとおっしゃったが、こちらが望んでも購入できないこともあるという意味と理解してよいのだろうか」
「はい。頑固な子も多いですので、お望みいただいてもお引き取りいただけないこともあるのです」
「つまり、彼らに選ばれないといけないのだね。我々客が選ぶのではなく?」
「申し訳ございません」
「なるほど、選ばれなければ連れて帰ることはできないわけだ。我が家なら家族も客人も多いから、毎日好きなだけ御馳走をのせてやれると思ったんだがねえ」
「そういう意味ではございません。この子は最初からお客さまの家に帰るつもりだったようです。押し付けたようで大変申し訳ないのですが」
「店主殿は、御商売がうまい。そんな風に言われたら、買う気がなくても買いたくなってしまう。やれやれ、僕がこの店に入ろうと思ったのは、お美しい店主殿がいたからご挨拶をしようと思っただけだというのに」
男が頭をかいて笑っていると、ちりんと鈴の音がする。なう。銀色の猫が暇を持て余したかのように、店主の足元に転がった。
「おや、可愛い猫だ」
はーっ! がっつりと威嚇され、猫好きらしい客人はしょんぼりと肩を落とす。くすくすと困ったように女が笑った。
「申し訳ありません。この子は、少し我儘でして」
「まあ、猫は我儘な生き物ですから」
めげずに男が手を伸ばせば、銀色の猫が素早く男の手の甲を叩いた。爪は引っ込めていたが、次に触ったらきっとざっくりとやられて血を見ることになるだろう。
「こちらはおいくらかな」
「値段などあってないようなもの。彼らに値段をつけるなど、おこがましくてできません。お気持ちでどうぞお願いいたします」
「お気持ちというのが一番難しいんだがね。まあいい。おかげさまで、良い出会いができた」
「いいえ、こちらこそ本当にありがとうございます」
満足そうな足取りで帰っていく客人の背中には、艶やかな女が張り付いていた。彼女はずっと探していた相手をようやっと見つけたらしい。ひらひらと長い着物の裾を揺らしながら、遠ざかっていく。見送る店主の後ろから、美丈夫が顔を出した。
「これ以上文乃に色目を使うならば叩きのめすつもりであったが、帰ったか」
「もう、清月ったら。そのように、お客さまを目の敵にしてはいけません。どなたがこの子たちの嫁入り先になるのかわからないのですから」
「だがあの男、文乃を目当てに店にやってきたと言っていたではないか。やはり、二度と来られぬように印をつけておくべきだったか」
「あれはあくまで社交辞令です。それに、運命のお品を見つけてお戻りになったではありませんか」
「偶然かもしれぬではないか」
「あらあら、困ったお方ですこと。お腹が空いているから、小さなことで苛々してしまうのです。さあ、お食事の時間にいたしましょう」
「うむ」
「それから、夜はまた書を書かなくては。また新しく『曰くつき』の子たちが増えましたの」
「その間、また俺は放置か」
「一緒に書を書いているではありませんか。共同作業に違いないでしょう?」
「それは仕事だ。もっと俺だけに構え」
「まあ、仕様のない旦那さまですこと」
まとわりついた美丈夫が離れる様子はない。ころころと笑いながら、文乃はいつもよりも少し早めに店を閉めることにしたのだった。
そこで年若い男が、ふむふむとうなずきながらいくつもの本を読み進めていた。
「いやあ、面白い。無名の作家の作品ですからどんなものかと思っていたら。どれひとつとして同じ作品はないのだから驚いた」
「彼らの物語は、彼らの一生そのもの。同じものなどあるはずございませんわ」
「それならば、この本は一冊限り? 同じものが新しく販売されることはないと?」
「当然でございます。何せそちらの本は、この子たちと一緒に引き取っていただくものですから」
店の主である美しい女は、本棚の横の飾り棚に置かれた骨董品を示して微笑んだ。
「おや、あれは。こちらの本の中に出てきた古伊万里の皿にそっくりだ。挿絵はなかったが、頭の中で思い描いていたものと寸分変わらない」
「そちらは、確かにこの古伊万里の皿で間違いありませんよ。何せ、その本はこの子の一生をつづったものですから」
「なんとまあ。とある縁で異国の王城で飾られていたものの、また再び大和の国に戻ってきた名品。家宝として飾られることをよしとせず、お家争いの際に泥棒に盗まれ、料理皿として使われないのであればいっそ呪物になってやるとやけを起こした、あの大皿だと?」
こくりとうなずく店主に、客人はなるほどと自身の髭を撫でた。
「実に面白い商売だね。骨董品を好むものは、その品物の背景、彼らの背負う物語を好むものも多い。無名の職人の作品でも、心に訴えかける物語に触れれば思わず買いたくなるに違いない。古本屋と見せかけて骨董屋か。いやはや、なかなかお上手だ」
「高値でふっかけるためではないのですよ。お品を気に入ってくださっても、彼らの歩んできた道を受け入れてくださらなければ、お嫁にもお婿にも出せませんから。ただこの子たちに幸せになってもらうために、じっくりと顔合わせをしていただいているだけなのです」
「箱書きや鑑定書の類ではないと?」
「さようでございます。どちらかと言えば、この物語は運命の一冊。分厚い釣書だと思っていただいて構いません」
客は、古伊万里の皿とその来歴……と一言で片付けるにはいささか濃密で波乱万丈すぎる物語がつづられた本を見つめる。
「こちらの本は釣書のようなものとおっしゃったが、こちらが望んでも購入できないこともあるという意味と理解してよいのだろうか」
「はい。頑固な子も多いですので、お望みいただいてもお引き取りいただけないこともあるのです」
「つまり、彼らに選ばれないといけないのだね。我々客が選ぶのではなく?」
「申し訳ございません」
「なるほど、選ばれなければ連れて帰ることはできないわけだ。我が家なら家族も客人も多いから、毎日好きなだけ御馳走をのせてやれると思ったんだがねえ」
「そういう意味ではございません。この子は最初からお客さまの家に帰るつもりだったようです。押し付けたようで大変申し訳ないのですが」
「店主殿は、御商売がうまい。そんな風に言われたら、買う気がなくても買いたくなってしまう。やれやれ、僕がこの店に入ろうと思ったのは、お美しい店主殿がいたからご挨拶をしようと思っただけだというのに」
男が頭をかいて笑っていると、ちりんと鈴の音がする。なう。銀色の猫が暇を持て余したかのように、店主の足元に転がった。
「おや、可愛い猫だ」
はーっ! がっつりと威嚇され、猫好きらしい客人はしょんぼりと肩を落とす。くすくすと困ったように女が笑った。
「申し訳ありません。この子は、少し我儘でして」
「まあ、猫は我儘な生き物ですから」
めげずに男が手を伸ばせば、銀色の猫が素早く男の手の甲を叩いた。爪は引っ込めていたが、次に触ったらきっとざっくりとやられて血を見ることになるだろう。
「こちらはおいくらかな」
「値段などあってないようなもの。彼らに値段をつけるなど、おこがましくてできません。お気持ちでどうぞお願いいたします」
「お気持ちというのが一番難しいんだがね。まあいい。おかげさまで、良い出会いができた」
「いいえ、こちらこそ本当にありがとうございます」
満足そうな足取りで帰っていく客人の背中には、艶やかな女が張り付いていた。彼女はずっと探していた相手をようやっと見つけたらしい。ひらひらと長い着物の裾を揺らしながら、遠ざかっていく。見送る店主の後ろから、美丈夫が顔を出した。
「これ以上文乃に色目を使うならば叩きのめすつもりであったが、帰ったか」
「もう、清月ったら。そのように、お客さまを目の敵にしてはいけません。どなたがこの子たちの嫁入り先になるのかわからないのですから」
「だがあの男、文乃を目当てに店にやってきたと言っていたではないか。やはり、二度と来られぬように印をつけておくべきだったか」
「あれはあくまで社交辞令です。それに、運命のお品を見つけてお戻りになったではありませんか」
「偶然かもしれぬではないか」
「あらあら、困ったお方ですこと。お腹が空いているから、小さなことで苛々してしまうのです。さあ、お食事の時間にいたしましょう」
「うむ」
「それから、夜はまた書を書かなくては。また新しく『曰くつき』の子たちが増えましたの」
「その間、また俺は放置か」
「一緒に書を書いているではありませんか。共同作業に違いないでしょう?」
「それは仕事だ。もっと俺だけに構え」
「まあ、仕様のない旦那さまですこと」
まとわりついた美丈夫が離れる様子はない。ころころと笑いながら、文乃はいつもよりも少し早めに店を閉めることにしたのだった。
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