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これらの品々からは、夜ごと黒い液体が溢れている。壊れた蛇口のように、あとからあとからしたたり落ちてくるのだ。蔵の中に閉じ込められた日の晩のこと、文乃は雨漏りでもしているのだろうかとうっかりその液体を素手でぬぐってしまったことがある。その夜は散々な目に遭った。
見たことのない誰かの記憶が、一晩中頭の中を駆け巡る。人間よりもずっと長い一生を、何度も何度も体験するのだ。引き延ばされた時間の繰り返しは、人間の身には耐えがたいものがあった。最終的に熱を出し、息も絶え絶えで倒れ込んでいるところを発見されてなんとか薬だけはもらえたのだが、もう少し遅ければ命を失っていたかもしれない。単なる偶然であろうとも、それとも真実霊障であったのだとしても、文乃はもう二度とあの液体に手を触れようとは思わなかった。
けれど「曰くつき」たちの方はというと、文乃を逃がしてやるつもりはないらしい。どんなに暗い中でも、見失うことのない謎の液体。それは、少しずつその量と粘度を増しているように見えた。その上まるで生き物のように、じりじりと文乃が布団を敷いている場所に近づいているではないか。
さまざまな記憶が入り混じり、自分が誰で、歳がいくつかさえわからなくなったあの感覚を思い出し、吐き気が込み上げてきた。「曰くつき」から出てきた黒い液体に、本当に意志があるのかどうかなんてわからない。けれどもしも存在するのだとしたら、それはきっと「悪意」なのではないだろうか。もう思い出せない母の顔と、自分を蔑む姉の冷たい瞳を思い出し、震えが止まらなくなる。
(井手本家は、古くからある旧家。「曰くつき」の穢れを祓う役割を担っていたとしてもおかしくはない。でも、私は祓い方など習ってはいないわ。せめてどなたかにお話を聞くことができたら……)
生前の祖母に教わったものといえば、料理に裁縫、書道など、およそ穢れを祓うものとは縁遠いようなものばかり。もちろん花嫁修業としては意味があるのだろうが、母や姉にここまで嫌われている以上、嫁ぎ先を見つけてもらえるとは到底思えない。
(そもそも、ここから生きて出ることなどできるのかしら)
小さくため息を吐いたその時。床で黒光りしていた液体が、唐突に質量を増したような気がした。もともとこの蔵の中は、昼間でも薄暗い。その上、今日は新月。あかりとりの窓から、月光が入ることもない。
(あれ?)
見間違いだろうかと目を瞬かせた文乃は、声にならない悲鳴を上げた。むくむくと軟体動物のように膨らんだ液体が、一直線に文乃に向かってやってくる。温度なんてわからないはずなのに、触れれば心まで凍りそうな気がした。しゃがみ込み、小さく丸まったものの、いつまで経っても衝撃が来ることはない。
「おい」
「だ、だれ?」
「助けてやろうか?」
どこか面白がるような、甘い声が聞こえた。ゆっくりと目を開けると、文乃に向かって飛び込んできたはずの黒い物体は、子どもに押さえつけられたぜんまい仕掛けのおもちゃのようにじたばたともがいている。呆然とする文乃をよそに、べしべしと軽妙に軟体動物もどきを叩きのめしているのは、それはそれは美しい銀色の猫だった。
見たことのない誰かの記憶が、一晩中頭の中を駆け巡る。人間よりもずっと長い一生を、何度も何度も体験するのだ。引き延ばされた時間の繰り返しは、人間の身には耐えがたいものがあった。最終的に熱を出し、息も絶え絶えで倒れ込んでいるところを発見されてなんとか薬だけはもらえたのだが、もう少し遅ければ命を失っていたかもしれない。単なる偶然であろうとも、それとも真実霊障であったのだとしても、文乃はもう二度とあの液体に手を触れようとは思わなかった。
けれど「曰くつき」たちの方はというと、文乃を逃がしてやるつもりはないらしい。どんなに暗い中でも、見失うことのない謎の液体。それは、少しずつその量と粘度を増しているように見えた。その上まるで生き物のように、じりじりと文乃が布団を敷いている場所に近づいているではないか。
さまざまな記憶が入り混じり、自分が誰で、歳がいくつかさえわからなくなったあの感覚を思い出し、吐き気が込み上げてきた。「曰くつき」から出てきた黒い液体に、本当に意志があるのかどうかなんてわからない。けれどもしも存在するのだとしたら、それはきっと「悪意」なのではないだろうか。もう思い出せない母の顔と、自分を蔑む姉の冷たい瞳を思い出し、震えが止まらなくなる。
(井手本家は、古くからある旧家。「曰くつき」の穢れを祓う役割を担っていたとしてもおかしくはない。でも、私は祓い方など習ってはいないわ。せめてどなたかにお話を聞くことができたら……)
生前の祖母に教わったものといえば、料理に裁縫、書道など、およそ穢れを祓うものとは縁遠いようなものばかり。もちろん花嫁修業としては意味があるのだろうが、母や姉にここまで嫌われている以上、嫁ぎ先を見つけてもらえるとは到底思えない。
(そもそも、ここから生きて出ることなどできるのかしら)
小さくため息を吐いたその時。床で黒光りしていた液体が、唐突に質量を増したような気がした。もともとこの蔵の中は、昼間でも薄暗い。その上、今日は新月。あかりとりの窓から、月光が入ることもない。
(あれ?)
見間違いだろうかと目を瞬かせた文乃は、声にならない悲鳴を上げた。むくむくと軟体動物のように膨らんだ液体が、一直線に文乃に向かってやってくる。温度なんてわからないはずなのに、触れれば心まで凍りそうな気がした。しゃがみ込み、小さく丸まったものの、いつまで経っても衝撃が来ることはない。
「おい」
「だ、だれ?」
「助けてやろうか?」
どこか面白がるような、甘い声が聞こえた。ゆっくりと目を開けると、文乃に向かって飛び込んできたはずの黒い物体は、子どもに押さえつけられたぜんまい仕掛けのおもちゃのようにじたばたともがいている。呆然とする文乃をよそに、べしべしと軽妙に軟体動物もどきを叩きのめしているのは、それはそれは美しい銀色の猫だった。
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