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052 切り裂く闇③
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「あたたたたたた……。グラシアン、すまないが治癒を頼みたい……」
縦にも横にも大きい白銀の全身鎧から、くぐもった声が漏れる。パーティの盾である巨漢セドリックだ。その姿は、ダンジョンに入る前から比べると、ずいぶんと変わっている。全身鎧のいたる所が凹み、穴が開いている箇所まで数えきれないほどあった。まるで、壊れたブリキのおもちゃのような外見だ。
「承知した。しかしセドリック殿、今日は随分と被弾が多いように見受けられる。気を付けなされよ。我が治癒の奇跡も無限ではない故に」
発達した筋肉に押し上げられ、パツパツになった白地に青のラインが入った修道服に身を包む大男。グラシアンが、セドリックの背中に手を置く。すると、全身鎧姿のセドリックが淡い緑の光の粒子に包まれた。治癒の奇跡だ。
「すまないな……」
兜の中で反響したくぐもった声が辺りに響く。
「さすがはレベル7ダンジョンと言ったところかな。モンスターの強さも桁違いだ……」
セドリックがくぐもった弱音を吐く。彼も本当は気付き始めている。被弾が多い理由は、モンスターの強さだけではないことに。アベルだ。これまでアベルの援護射撃に随分と助けられていたことにようやく気付き始めていた。
しかし、セドリックはそれを認めることができない。アベルは戦闘では役立たず。自分たちを不当に貶める元凶だ。そうでなくてはならない。
レベル8とはいえ、一介の冒険者に冒険者ギルドを牛耳ることが可能なのか?
『最後に一つ。次にダンジョンに行くなら、レベル5のダンジョンに行くといい。そこで自分たちの実力を確認しておけ』
アベルの最後の言葉が、ふと頭を過る。
厳しい現実に叩き落され、セドリックは夢から覚め始めていた。
自分たちはレベル7ダンジョンを攻略できる実力が無いのではなかろうか。アベルの言うことが正しかったのではないだろうか。
しかし、英雄になるという甘美な夢が、セドリックたちを掴んで離さない。
「ようやく半分かしら? まったく反吐が出ますわ。ですが、半分踏破しました。残り半分。いけますわ、わたくしたちなら!」
漆黒の大剣を肩に担いでブランディーヌが、仲間を元気づけるように言った。しかし、他ならぬ彼女自身が“撤退”という言葉を何度も飲み込んでいた。
もしアベルが居れば、間違いなく撤退を指示していただろう。ブランディーヌの口にした残り半分という言葉。しかしそれは、帰り道を勘案していないまやかしに過ぎない。ダンジョンはボスを討伐してやっと半分である。
しかし、そんなアベルへの対抗心。そして、自分たちの実力の過信が、ブランディーヌから撤退という言葉を奪っていた。
他のメンバーも撤退を意識しながらも、誰も言葉にすることはできなかった。言葉にしてしまえば、アベルの言ったことが正しかったと認めることになる。そんなことは許容できない。
彼女たちは意固地になって都合のいい夢にしがみついていた。
そんな彼女たちに、非情にも現実は押し寄せる。
キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチッ!
「「「ッ!?」」」
まるで金物同士を高速でこすり合わせたような不快な音を響かせて、ソレは姿を現す。
日常でも目にするその姿。黒い小さな昆虫。アリだ。しかし、そのサイズが狂っている。大男であるグラシアンをも超えるそのサイズ。黒光りする頭部と胴体、尻の3つに分かれた流線型のボディ。大きく立派な咢は、昆虫というよりも、まるで悪魔のようだ。しかも……。
ガバッと勢いよく後ろの2本脚で立ち上がる5体のアリ。なんとアリが人間のように立ち上がったのだ。地面から浮いた4つの腕には、剣や斧、槍などの武器を持っている。これこそがこのダンジョンのモンスター。ビッグアントの戦闘体形だ。
ガチンッ! ガチンッ!
ビッグアントたちが、その大きな咢を打ち付け、威嚇し始める。ダンジョンのモンスターであるビッグアントたちには、侵入者の排除が第一だ。自分の命など勘案しない。見つけ次第排除だ。つまり、エンカウントした時点で逃げられない。
「クソが……ッ!」
ビッグアントの出現に、『切り裂く闇』のメンバーにも緊張が走る。しかし、まだ悪態をつくだけの余裕があった。これまでの道中、何度も苦戦しながらも勝ってきた相手だからだ。しかし……。
キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチッ!
5体の立ち上がったビッグアントの背後から、また不快な音が走り、更に6体のビッグアントが現れる。リンクしたのだ。
「そんな……」
「嘘だろ……」
「神よ……」
ブランディーヌたちは表情を失くし、力なく呟く。
『いいか? モンスターのリンクってのは、必ず起こる。ダンジョンを攻略する時は、例えモンスターがリンクしても、そいつを撥ね退けるだけの力が必要だ。その力が無い内は、攻略を諦めるんだな』
耳にタコができるほど聞かされたアベルの忠告が、今更のように夢に浮かされていたブランディーヌたちの頭に甦る。
だが、悪態を付くほどの余力は、ブランディーヌたちに残されていなかった。
「て……撤退……」
ブランディーヌがここにきてようやく撤退の指示を出した。叩きつけられたどうしようもない現実に、ついに夢想から目を覚ましてしまったのだ。
「撤退よぉおおおおおおおおお!!!」
ブランディーヌがイの一番に後ろに向けて走り出さんと、踵を返そうとしたまさにその瞬間――――。
『撤退する時ってのは、一番危ない瞬間だ。いいか? 決して敵に背中を見せるなよ?』
「ぐうッ!?」
ブランディーヌの頭の中に、アベルが、まるでブランディーヌの蛮行を諫めるように現れて言う。ブランディーヌは、アベルへの対抗心から無視しようとするが、命の危険を感じた状況で、アベルの忠告を無視しきれなかった。
これまでずっと邪険にしていたアベルの忠告を、ブランディーヌは欲してしまった。
「くそがぁッ!」
それは、ブランディーヌの敗北に他ならなかった。
いつもの取り繕ったお嬢様言葉ではなく、彼女本来の口調が顔を出す。
「撤退するわ! セドリックとわたくしが前を抑える! クロードとグラシアンはわたくしたちの援護! ジョルジュは退路の偵察! 急ぎなさい!」
「「おう!」」
「了解!」
「わーったよ」
頭の中のアベルの忠告をなぞるように、ブランディーヌは指示を出す。絶望に染まりかけていた仲間たちが、まるで息を吹き返したように機敏に動き出した。
さすがは、曲がりなりにもレベル6ダンジョンを攻略した冒険者だ。
その様子に安堵し、しかし、ブランディーヌの心は複雑だった。
自分たちが弱者の意見と切り捨てたはずのアベルの忠告。それが今、ブランディーヌたちを動かしている。絶望の中の一筋の光となっている。
アベルの方が正しかったってのか?
自分たちは弱者だったのか……?
ブランディーヌは、己の芯にしていたものがポッキリと折れるのを感じながら、過去のアベルの忠告に従わざるをえなかったのだった。
縦にも横にも大きい白銀の全身鎧から、くぐもった声が漏れる。パーティの盾である巨漢セドリックだ。その姿は、ダンジョンに入る前から比べると、ずいぶんと変わっている。全身鎧のいたる所が凹み、穴が開いている箇所まで数えきれないほどあった。まるで、壊れたブリキのおもちゃのような外見だ。
「承知した。しかしセドリック殿、今日は随分と被弾が多いように見受けられる。気を付けなされよ。我が治癒の奇跡も無限ではない故に」
発達した筋肉に押し上げられ、パツパツになった白地に青のラインが入った修道服に身を包む大男。グラシアンが、セドリックの背中に手を置く。すると、全身鎧姿のセドリックが淡い緑の光の粒子に包まれた。治癒の奇跡だ。
「すまないな……」
兜の中で反響したくぐもった声が辺りに響く。
「さすがはレベル7ダンジョンと言ったところかな。モンスターの強さも桁違いだ……」
セドリックがくぐもった弱音を吐く。彼も本当は気付き始めている。被弾が多い理由は、モンスターの強さだけではないことに。アベルだ。これまでアベルの援護射撃に随分と助けられていたことにようやく気付き始めていた。
しかし、セドリックはそれを認めることができない。アベルは戦闘では役立たず。自分たちを不当に貶める元凶だ。そうでなくてはならない。
レベル8とはいえ、一介の冒険者に冒険者ギルドを牛耳ることが可能なのか?
『最後に一つ。次にダンジョンに行くなら、レベル5のダンジョンに行くといい。そこで自分たちの実力を確認しておけ』
アベルの最後の言葉が、ふと頭を過る。
厳しい現実に叩き落され、セドリックは夢から覚め始めていた。
自分たちはレベル7ダンジョンを攻略できる実力が無いのではなかろうか。アベルの言うことが正しかったのではないだろうか。
しかし、英雄になるという甘美な夢が、セドリックたちを掴んで離さない。
「ようやく半分かしら? まったく反吐が出ますわ。ですが、半分踏破しました。残り半分。いけますわ、わたくしたちなら!」
漆黒の大剣を肩に担いでブランディーヌが、仲間を元気づけるように言った。しかし、他ならぬ彼女自身が“撤退”という言葉を何度も飲み込んでいた。
もしアベルが居れば、間違いなく撤退を指示していただろう。ブランディーヌの口にした残り半分という言葉。しかしそれは、帰り道を勘案していないまやかしに過ぎない。ダンジョンはボスを討伐してやっと半分である。
しかし、そんなアベルへの対抗心。そして、自分たちの実力の過信が、ブランディーヌから撤退という言葉を奪っていた。
他のメンバーも撤退を意識しながらも、誰も言葉にすることはできなかった。言葉にしてしまえば、アベルの言ったことが正しかったと認めることになる。そんなことは許容できない。
彼女たちは意固地になって都合のいい夢にしがみついていた。
そんな彼女たちに、非情にも現実は押し寄せる。
キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチッ!
「「「ッ!?」」」
まるで金物同士を高速でこすり合わせたような不快な音を響かせて、ソレは姿を現す。
日常でも目にするその姿。黒い小さな昆虫。アリだ。しかし、そのサイズが狂っている。大男であるグラシアンをも超えるそのサイズ。黒光りする頭部と胴体、尻の3つに分かれた流線型のボディ。大きく立派な咢は、昆虫というよりも、まるで悪魔のようだ。しかも……。
ガバッと勢いよく後ろの2本脚で立ち上がる5体のアリ。なんとアリが人間のように立ち上がったのだ。地面から浮いた4つの腕には、剣や斧、槍などの武器を持っている。これこそがこのダンジョンのモンスター。ビッグアントの戦闘体形だ。
ガチンッ! ガチンッ!
ビッグアントたちが、その大きな咢を打ち付け、威嚇し始める。ダンジョンのモンスターであるビッグアントたちには、侵入者の排除が第一だ。自分の命など勘案しない。見つけ次第排除だ。つまり、エンカウントした時点で逃げられない。
「クソが……ッ!」
ビッグアントの出現に、『切り裂く闇』のメンバーにも緊張が走る。しかし、まだ悪態をつくだけの余裕があった。これまでの道中、何度も苦戦しながらも勝ってきた相手だからだ。しかし……。
キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチッ!
5体の立ち上がったビッグアントの背後から、また不快な音が走り、更に6体のビッグアントが現れる。リンクしたのだ。
「そんな……」
「嘘だろ……」
「神よ……」
ブランディーヌたちは表情を失くし、力なく呟く。
『いいか? モンスターのリンクってのは、必ず起こる。ダンジョンを攻略する時は、例えモンスターがリンクしても、そいつを撥ね退けるだけの力が必要だ。その力が無い内は、攻略を諦めるんだな』
耳にタコができるほど聞かされたアベルの忠告が、今更のように夢に浮かされていたブランディーヌたちの頭に甦る。
だが、悪態を付くほどの余力は、ブランディーヌたちに残されていなかった。
「て……撤退……」
ブランディーヌがここにきてようやく撤退の指示を出した。叩きつけられたどうしようもない現実に、ついに夢想から目を覚ましてしまったのだ。
「撤退よぉおおおおおおおおお!!!」
ブランディーヌがイの一番に後ろに向けて走り出さんと、踵を返そうとしたまさにその瞬間――――。
『撤退する時ってのは、一番危ない瞬間だ。いいか? 決して敵に背中を見せるなよ?』
「ぐうッ!?」
ブランディーヌの頭の中に、アベルが、まるでブランディーヌの蛮行を諫めるように現れて言う。ブランディーヌは、アベルへの対抗心から無視しようとするが、命の危険を感じた状況で、アベルの忠告を無視しきれなかった。
これまでずっと邪険にしていたアベルの忠告を、ブランディーヌは欲してしまった。
「くそがぁッ!」
それは、ブランディーヌの敗北に他ならなかった。
いつもの取り繕ったお嬢様言葉ではなく、彼女本来の口調が顔を出す。
「撤退するわ! セドリックとわたくしが前を抑える! クロードとグラシアンはわたくしたちの援護! ジョルジュは退路の偵察! 急ぎなさい!」
「「おう!」」
「了解!」
「わーったよ」
頭の中のアベルの忠告をなぞるように、ブランディーヌは指示を出す。絶望に染まりかけていた仲間たちが、まるで息を吹き返したように機敏に動き出した。
さすがは、曲がりなりにもレベル6ダンジョンを攻略した冒険者だ。
その様子に安堵し、しかし、ブランディーヌの心は複雑だった。
自分たちが弱者の意見と切り捨てたはずのアベルの忠告。それが今、ブランディーヌたちを動かしている。絶望の中の一筋の光となっている。
アベルの方が正しかったってのか?
自分たちは弱者だったのか……?
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