愛して欲しいと言えたなら

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霞んでいく記憶

霞んでいく記憶・・・その16

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どれくらいの時間が過ぎたのだろう・・・
おそらくは、ほんの数分なのだろうが、今の裕子には1時間にも2時間にも感じられた。

「あの・・・それで、夏樹さんは、そんな雪子の想いを・・・」

「おそらくは、知っておられるのでないかと・・・」

「それじゃ、夏樹さんが、愛奈ちゃんに繰り返し何度も自分を恨むようにと言っていたのは?」

「それには色々な意味が隠されていると思われます。その中で、2つの大きな意味があると思われますが、その1つには、愛奈様を気遣っての言葉かと」

「愛奈ちゃんを・・・」

「はい。裕子様も気がついていると思いますが、幸せな家庭を捨てるという事は、幸せな家族を捨てるという事になります。それは、そこで暮らしていた全てを否定しまう行為と同じなのです」

「確かに、それは分かります」

「きっと、愛奈様はこう思われたのではないかと。雪子様の瞳の中には、初めから自分は存在していなかったのかもしれないと・・・」

「ええ、確か、夏樹さんも同じような事を言ってました。夏樹さんもその事を否定していたのですが、愛奈ちゃんが、なかなか納得しないので思わず言っちゃったんです。自分が愛奈ちゃんの名付け親だって」

「夏樹様が、愛奈様の?」

「私も、数か月前に初めて聞いたので、その時は、正直、驚きましたけど」

「それで、愛奈様は?」

「それを知った時はちょっと驚いたみたいなのですが、愛奈ちゃんの名付けの親が夏樹さんだと知ったら、妙に納得しちゃったというか、雪子にとっての愛奈ちゃんが、どれほど大切な存在なのかが分かったみたいで・・・」

裕子は、愛奈が、雪子に愛されていたと知って安心していた事を話していたのだが、
それを聞いていたマスターの表情が少し曇ったように見えたので、そのわけを訊いてみた。

「あの・・・どうかしたんですか?」

裕子の問いかけに、マスターは言葉を探すかのように少しの間を置いてから言葉を口にする。

「夏樹様とい方は、とても恐ろしい方ですね」

「えっ・・・?あの・・・それは・・・」

「夏樹様は、人、一人の人生の、その全て奪い取ってしまう、とても恐ろしい人です」

「いえ・・・あの・・・」

「たとへ、この先、雪子様に最悪な事態が訪れたとしても、涙一粒も流さない。夏樹様は、そういう人です」

マスターのあまりに予想外な言葉に裕子は驚きを隠せなかった。
それって、夏樹さんが冷酷な人っていう事なの?
いくらなんでも、それは、ちょっとあり得ないと思う。
夏樹さんが優しすぎるというのなら分かるけど、どう考えても冷酷な人ではないはず。

「あの・・・マスター、それは、いったい、どういう事なのですか?」

「あっ、すみません、。ちょっと唐突過ぎましたね」

「ええ・・・ちょっと、どころでは・・・」

「ははは。これは、大変申し訳ない事を言ってしまいました」

「いえ、ただ、あまりに意外な言葉だったので、ちょっと・・・」

「私は、正直、言いまして、雪子様がとても羨ましいんです」

「えっ・・・?」

「もし雪子様が、夏樹様の命を望んだとしたら、夏樹様は、何一つためらう事なく雪子様の前に自分の命を差し出すのだと思います。裕子様は、そう思いませんか?」

「そう言われると、確かに、夏樹さんってそんな感じかもしれません」

「人は、いつしか、自分がこの世に生まれた意味を探し始めるものです。それでも、私も含めほとんどの人は、その意味を見つけられずに一生を終えてしまいます」

「ええ、確かに、そうかもしれません」

「きっと、雪子様は、ご自分がこの世に生まれてきた意味を知ったのでしょう。それゆえに、私は、雪子様がとても羨ましいと言いました」

「でも、それじゃ、雪子はどうして?」

裕子が、喫茶店のマスターと話をしている頃、夏樹は、いつものように冴子と手をつなぎながら、郵便局まで、お散歩がてら商品の発送に向かっていた。
お財布と小物が入ってる手提げバッグの中で、スマホが鳴ったので取り出して見ると、
呼び出し音を鳴らしているのは愛奈のようである。

「あら?愛奈ちゃん、どうしたの?」

「夏樹さん?もしかして、お母さん死んじゃうんですか?」

夏樹の優しい問いかけに答えないまま、愛奈は、少し弱弱しい声でそう呟いた。

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