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霞んでいく記憶

霞んでいく記憶・・・その13

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裕子が喫茶店に着くと、マスターが暖かいコーヒーを運んできてくれた。
別に注文したわけではないのだが、何も言わず、そっと、裕子の前に置いてくれた。

雪子が夏樹に会う前に、裕子が、もう一度、自分を訪ねて来る事を知っていたらしく、
店内に残っていたお客が店を出ていくと、ドアのところのプレートを「OPEN」から「CLOSED」へと変えてドアを閉める。


裕子は向かいの席に座ったマスターに雪子の娘である愛奈と一緒に夏樹に会いに行ってきた事や、
その時の会話などを、自分の記憶をたどりながら話してみた。

「それでは、愛奈様も、さぞ驚かれたでしょ?」

「ええ、夏樹さんが男性だって知った時には、すぐには反応が出来なかったみたいで、目が点になっていました」

「はははっ、そうでしたか。私も、何となく、その時の愛奈様のお気持ちが分かる気がします」

「マスターも・・・?」

「はい。私も、裕子様から夏樹様のお写真を見せられた時には正直驚きましたから」

「私も、信じられなかったんですよ。今でも、ですけど・・・。男性だった頃の夏樹さんを知ってるだけに、私の人生の中で一番の驚きだったんですよ」

やはり、会話はそこに集中してしまうらしい。
その中で、夏樹が男性だったと知った後の愛奈の反応がどのように変わっていったのかを、
少しユーモアを交えながら話す裕子の言葉を、マスターは楽しそうに聞いているようである。

「それでは、愛奈様は、男性である夏樹様を受け入れたのですね」

「それが、受け入れたというより、夏樹さんが男性でよかったという感じで安堵しているというか、喜んでいるというか」

「それで、愛奈様は、夏樹様を恨んだり憎んだりという感情の方は」

「それが、全然なんですよ。愛奈ちゃんの母親を奪った張本人なのに、恨むどころか、夏樹さんになついちゃってるというか。でも、さすが夏樹さんだなって思いました。愛奈ちゃんの不安な気持ちを言い当てるどころか、愛奈ちゃん自身さえ気がついていない心の中の隠れている想いや、感情まで、言い当てちゃうんですから、すぐ隣で聞いていた私の方が驚かされる事ばかりでした」

「そうでしたか。でも、愛奈様が夏樹様を受け入れた事で、裕子様も、とりあえずは安堵という感じでしょうか?」

「やっぱり、マスターも、とりあえずという言葉を付けるのですね」

「はい。今まで普通に存在していた家庭が、ある日、突然、壊れるというのは、それ相応の副作用を生み出してしまうものですから、これからの愛奈様が少し心配になってしまいます」

「夏樹さんも、その事を一番心配しているみたいでした」

「それは、きっと夏樹様には見えるのでしょう。この先、愛奈様を襲い始める無意味な孤独の世界にある壊れたガラス細工が示す、戻らない過去と、不自然な未来の存在を」

「不自然な未来ですか・・・」

「はい。明日の朝に雪子様がいない・・・不自然な未来です」

「それは、愛奈ちゃんの家庭に雪子だけがいない不自然な未来・・・」

「おそらく、夏樹様が心配しているのは、愛奈様の家庭には、いないはずの雪子様が存在しているという矛盾を、愛奈様が、どのように受け止めていくのだろうか?なのだと思われます」

「いないはずの雪子が存在しているというのは、どういう事なのですか?」

「はい、これが普通の別れなのなら、それなりに理解も出来るでしょうし、その事実を受け入れる事も時間が解決してくれるのでしょうが・・・。しかし、雪子様が選んだ別れ方は、時間が過ぎていくにつれて、心の中にゆっくりと傷をつけ始めていくという別れ方なのです」

裕子は、夏樹が、なぜ、これからの愛奈の未来をあれほど心配しているのかが分からなかった。
いや、裕子も、それなりには分かっているつもりだし、愛奈の力のなろうとも思っている。

ただ、裕子が気になるのは、あの夏樹が・・・なのである。

「そういえば、夏樹さんが妙にこだわっていたというか、そこだけは一歩も引かないというか。でも、まあ、普通は一般的にそうなのだと思うのですが、私が気になったのは、あの夏樹さんが?の方だったんです」

「もしかして、もし、憎むなら雪子様ではなく自分をとおっしゃったんではありませんか?」

「はい、そうなんです。それに変な事も言っていたんです」

「変な事ですか?」

「ええ、愛奈ちゃんは、この先、きっと、雪子を憎んでしまうのだからって。愛奈ちゃん自身はその事を否定しているのにです。夏樹さんが言うその意味は聞いていて何となく分かったつもりなのですが・・・」

「裕子様が分からないのは、夏樹様が、なぜ、それほどまでにその部分にこだわるのかではありませんか?」

「そうなんです。私が、夏樹さんを知ってるだけに、余計に、なぜ?、という疑問が生まれてしまうんです」

優しい表情で会話をしていたマスターが、何気なく窓の外を見るその視線の先に、
裕子は、いるはずのない雪子の姿を探してしまうのである。

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