愛して欲しいと言えたなら

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その手を離さないで

その手を離さないで・・・その9

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「あら?意外だったかしら?」

「ええ・・・ちょっと」

「よく子供たちが言ってたわ。あたしにとって、お母さんが全てだって。あっ、お母さんって京子の事よ」

「えっ・・・?」

「これで、分かったかしら?」

「いえ・・・あの・・・」

今度は、さすがに、直美も驚いてしまった。
初めて聞く夏樹の意外な言葉でにも驚いたが、
それよりも、今の夏樹の言葉の中にある夏樹の心情にである。

「あの・・・京子は、その事を・・・」

「もちろん知ってるはずよ。よく、子供たちが言ってたからね」

「知っているって・・・あの・・・」

「きっと、京子は、本気にしていなかったんだろうけどね」

「いえ・・・あの・・・私も、ちょっと・・・」

聞かされた直美にとって、あまりに意外といえば意外な言葉だった。
夏樹さんにとって、京子が全てだなんて。
聞かされた私でさえ、ちょっと、信じられないわ。

「だから言ったでしょ?京子が、あたしに媚びればよかったって。でも、京子は媚びる事よりも、あたしより優位に立つ方を選んでしまったの。生活の損得勘定なんてどうでもいいけど、心の損得勘定は、その人の本心を暴き出してしまうの・・・。だから、あたしは言ったのよ・・・もういい・・・って」

「ちょっと・・・あの・・・」

「でも、その言葉・・・もしかしたら、自分に言ったのかもしれない。あたし自身に、もういいって・・・」

「ちょっと待って下さい。話が、飛躍し過ぎて、ちょっと理解不能気味です」

「あはは・・・後で、ゆっくり考えてみるといいわ」

「はあ・・・でも、それと、雪子さんとはどう繋がるんですか?」

「どう繋がる・・・」

続きの言葉に、少しだけ時間を・・・。
いや、直美にとっては少しの時間に感じられたのかもしれないが、
夏樹にとってのその時間は、きっと少しだけの時間ではないのかもしれない。

その少しだけの時間の中で見せる夏樹の表情の中には、嬉しさとも、悲しさとも違う、
そして、寂しさとも、どこか違うような・・・。どう、表現したらいいだろう?

言葉を続けようとする夏樹が、また、コーヒーカップの中でスプーン遊びの仕草をし始める中で、
ほんの少しだけ見せた夏樹の、はにかんでいるような恥ずかしさ?が、なぜか、直美の記憶に残った。

「雪子が、あたしに会いに来た・・・。それが、全てよ!」

夏樹が、静かに・・・言葉を声に乗せて、笑みを浮かべる。

「それが全てって、言われても」

「それが全てであり、それが現実であり、そして、それが、あたし自身を写す鏡なの」

「いえ・・・あの・・・もう少し、分かりやすく言ってもらえると」

夏樹が、コーヒーカップの中でスプーン遊びをしながら。

「雪子はね、いつも、こうやってスプーンで遊ぶの。昔も、今も、同じ仕草で同じ遊びをしているの」

「いえ・・・あの・・・」

「きっと、雪子は、気がついたのかもしれないわね。今の、こんな、あたしに・・・。だから、あたしに会いに来たのかもしれないって思ってね!」

「そんな、まさか・・・」

「あんた、本気で、そう思える?」

「えっ・・・?」

「35年も過ぎているっていうのに、それでも、雪子はあたしに会いに来たのよ。その行動にどれほどの勇気が必要だったと思う?」

「・・・」

「心の損得勘定があったら、会いになんて来たりしないわよ!」

「確かに、リスクは高いかと・・・」

「高いなんてもんじゃないわよ。普通なら、出来ないような行動なのよ。35年も経っていればあたしの性格も変わっているかもしれないのよ?ましてや、あたしは事業で失敗して家族にも見捨てられてるの。もしかしたら、心まで荒んでしまっているかもしれないって、誰もが、そう考えても不思議じゃないの。」

「言われてみれば、確かに・・・」

夏樹は、コーヒーカップの中で居場所を探すスプーンを見つめながら静かに言葉を声に乗せる。

「そして・・・雪子は、あたしに、さよならを告げに来たの」

「えっ・・・」

「きっと、あたしが壊れたって思ったのかもしれないわね・・・。だから、あたしを助けようとして」

「でも、そんな事って、ちょっと、信じられないっていうか、何ていうか・・・」

「そして、雪子は、自分が生きてきた偽りの人生にも、終止符を打つつもりだったんだと思うわ」

「えっ・・・あの・・・」

直美は、夏樹の話が、いきなり、急加速していくみたいに進んでいく事についていけなかった。
ただ驚くだけで、何を言ったらいいのか、何て答えたらいいのかも分からないまま、
勝手に進もうとする時間を止める術を探している自分に、後悔の文字が見え隠れするだけだった。

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