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後編 魔法学園での日々とそれから

185.老いは緩やかに

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 あれから、どれだけの年月が経っただろう。

 レイモンドは、この世界で長男に対してのみ許されるという爵位の生前譲渡をした。ダニエル様も生前退位された。私たちは雑談会に行く必要もなくなり……たまに、魔女さんと定期的に会う国王陛下のご好意で、私たちも呼んでもらえる。六人ではもう会わない。ユリアちゃんが闘病生活に入ったからだ。たまに私だけ……励ましに行く。

 一年に一度くらい、未だ魔女さんに会うこともある。暇だったら今呼んでとお願いして、あの森の部屋へワープして雑談をする。

 レイモンドが空を飛ぶのを一輪車に例えていたことがあったなと思い出す。
 歳をとった私たちは……もう空を飛ぶのも難しい。意識し続けるだけのことも上手くいかず調整力も衰えてしまった。どこか遠くに行くには、神風車が欠かせない。クリスマスのソリには前方に護衛を乗せて浮かせてもらいながら、二人で後ろに乗って世界中に祈りを捧げている。扱える魔力量自体は変わらない。

 ラハニノスの近郊都市に移った私たちは、市民に扮した護衛に守られながら、同じく市民の格好をして街を歩く。辺境伯の嫁ですというプレッシャーももうないし、気楽な身だ。

「ここもいい場所よね、レイモンド」
「アリスと一緒ならどこだっていい場所だよ」

 お互いに皺が増えてしまった手を握り合って、微笑み合う。

「あっちよりは田舎感があって、歳をとるとこっちの方がいいかもしれない。上に高い建物がそんなにないし」
「そうだね。公園も屋敷から近い」

 だから、公園でよく見守りを一緒にしている。飛び続けることはできなくても、怪我をしそうな子供を助けるくらいの魔法なら使える。

 見上げると見つめ返してくれるレイモンドにはもう、かつてのギラギラした印象は一欠片もない。綺麗だった金髪も白髪に変わっているし、お互い量も減った。

「どうしたの? アリス」
「歳をとると、髪の色がお揃いになるなって」
「はは、そうだね。お揃いだ」

 彼の前では可愛くいたかったのに、もうお婆さんになってしまった。せめて可愛いってまだ思ってもらえるように振る舞いたい。昔の私を、ふわっと思い出してもらいたい。

 だって……歳をとってもレイモンドは格好いい。渋みがあるし、落ち着きを増す声のトーンに実はイケボだったのかと、この歳で衝撃を受けている。

「また変なことを考えているの?」

 何度、その台詞を聞いたことだろう。

「変じゃないことを考えていたの」
「それなら教えてくれる?」
「いいわよ」

 珍しいこともあるものだと彼が笑う。

「歳をとったレイモンドの声も好きだなって。私があの世に行く時は、その声を聞きながら旅立ちたい」
「嬉しいな。その時は、ずっと声をかけ続けるよ。泣きすぎないように気を付ける」

 道の隅に寄って、小さく頬にキスをされる。
 距離をとって後ろに護衛もいるのに、相変わらずだ。

「こんなお婆さんに、よくする気になるよね……」
「可愛いよ、何歳になったって。それに、アリスは何年経っても面白いからな」
「そんな自覚はないけど」

 彼の左手の指輪をそっとなでる。
 想いが通じていれば外せない、先に旅立ってしまったお母様がくれた大切な婚約指輪。

「まだ外れない?」
「聞かなくたって、外そうとしてみたらいい」
「外そうともしたくないから、確かめようもないし」
「俺もだよ」

 婚約指輪と一緒に重ね付けしている結婚指輪には小さなダイヤが並んでいる。精緻な細工が施されたそれは、婚約指輪同様に指に根を張るように吸い付いてくれる。

 指が細くなっても、外れない。
 きっと私が死ぬ時まで一緒だ。

 ああ……、空が青い。
 いつだって空は青い。
 婚約を申し込んでくれた日も、結婚して神風車で空を飛んで凱旋した時も青かった。

 いい人生だった。
 最高の人生だった。

 もう……今この瞬間に命が途絶えたとしても、私はもう満足だ。

 また、並んで公園へと向かう。

「帰ったら、レイモンドに手紙を書こうかな」
「今すぐ帰ろうか」
「……何しに出たの」
「お散歩?」

 あれからずっと私はレイモンドが好きで、レイモンドも私が大好きだ。変わらない想いは確かにある。

「内容は今、話してあげる」
「それなら公園へ行こうか」

 どうか、ずっとこのままで。
 今終わっても、後悔はない。
 矛盾するこの二つの気持ちは、どちらも本物だ。

「レイモンドのお陰で、最高の人生だった!」
「最初から駄目だな。俺の欲しい言葉じゃ、全然ないな」
「……厳しすぎる。その言葉、既視感があるんだけど」
「だろうね。まだ続くよ、最高の人生をまだ歩んでいる。勝手に過去形にしないでよ」
「確かに全然ダメだった」
「だよね」

 婚約の時の私の言葉、覚えてくれていたんだ。酷いダメ出しだったし、色んな意味で印象深かったかな。

「レイモンドがくれた、私のもう一つの世界。神様の愛情が目に見える優しくて穏やかなこの世界。私はここが大好き。最後のその時まで、あなたが一緒にいてくれたらな」
「もちろんだ。笛もあるし、万が一側にいなかったら呼んでね」

 そんな時に呼ぶ力はあるのかな……。
 
「呼べたらね。錆びて何代目かになっているけど……」
「ほとんど使わなかったなー」

 最初のクリスマスにもらった笛は大事にとってはある。錆びてしまって身につけるには不向きだ。

 金具を外して、ピューイと吹いてみせる。
 レイモンドの笛から、同じ音が鳴る。

「どうしたの?」
「いつでも呼べるって確認したくなって」

 公園が見えてきた。
 笑い声が聞こえる。

 希望の声だ。未来を担う子供たちの声。

「呼ぶ必要もないくらいに、側にいるよ」

 未だレイモンドは活字も結構好きだ。図書の間からなかなか戻ってこない時もある。私の頭はかなり衰えて、文字がなかなかすぐに理解できなくなってきた。

 けど……長く離れているのはそれくらいかな。同じ部屋で生活しているし、一緒に寝ている。もうそーゆーことはしないけど、抱きしめてもらうのは安心する。

 どうか最期は彼の側で――。

 祈らずにはいられない。

 最近は歳のせいで少し手が震える。
 公園で固いベンチに座る時間が長かったせいか、尾骨が座ると痛むようにもなってしまった。今はクッションを護衛に持ち運んでもらっている。

 どこもかしこも衰えて……これ以上何かを失わないうちに、なんて思ってしまうこともある。

「それじゃ、手紙の始まりはこうかな」

 声くらいは元気よく。
 そう思っても昔と比べれば小さくはなるけど――、

「レイモンドが側にいてくれるから、現在進行形で最高の人生です!」

 これが、今の私の精一杯だ。

 もし最期の瞬間に一緒にいられなかったら、レイモンド……自分を責めてしまうかな。もう一つ、まだ字をかろうじて書ける今のうちに手紙を魔女さんに託しておこうかな。

 一人で旅立っても、もう十分幸せだったから気にしないでねって。待ってるよってね!

 護衛がベンチに二人分のクッションを置いて、またそっと離れる。

 笑顔弾けるたくさんの子供たちのはしゃぎ声。

 なんでもない休日の昼下がり。
 終わりを待つ私たちは、これから未来を切り拓く希望の光を並んで見守りながら時を過ごした。

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