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中編 愛の深まりと婚約

105.シメは割れた腹筋で

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 あれから私たちは寮に戻り、待っていてくれたジェニファー様たちにもう一度あらためてお別れの挨拶をしてから昼食の食器を持ちつつ魔女さんを呼んで、白薔薇邸へ戻った。
 疲れたので自室でお昼寝をしてから、夜には仕事から戻ってきたレイモンドのご両親に報告をした。お母様は涙を滲ませて喜んでくれたし、お父様にもありがとうとなぜか頭を下げられてしまった。

 ……おかしい気がするんだけどなぁ。これからもお世話になるばかりなのに。
 頭を下げなければならないのは、どう考えても私の方だ。「至らないところはまだたくさんあって迷惑をこれからもおかけしますが、よろしくお願いします」とは言ったものの……それでよかったのかなと相談できる人がいないのは、やっぱり寂しい。

 ここが駄目だったなんてレイモンドも指摘してくれるわけがないし。いつか妻になる意気込みとか述べるべきだったかなとか細かいことを考え込んでしまう。

 部屋を片付けなさいとか色々うるさかったけど、本当のお母さんに代わる人は誰もいない。これだけ皆に優しくしてもらっているのに、そんな寂しさを持ってしまうのも含めて私なんだって……自分自身を認めてあげたいと思う。

 ――コンコン。

 いつものノックの音がする。

「いいよー」
「お邪魔します……」
「なんでいきなり他人行儀なの、レイモンド」

 部屋に入るレイモンドへと駆け寄り、手をとる。

「なんか……緊張して……」
「いつもと一緒だよ。いつも通りレイモンドは私を好きで、私もレイモンドが好き」

 そうだよねと笑って、手を引っ張ってソファへと誘う。

「あれ、そっち?」
「今日はお昼寝をしちゃったし。眠くなるまで、持っていく荷物を一緒に考えて」
「はは、もう考えるんだ」

 苦笑する彼の指には指輪が光っている。
 私の指にもだ。
 
「レイモンドの手作りツチノコ抱き枕は、やっぱり持って行こうかなー」
「……人に言わないでね」
「言わないってば」

 本当は、誰かに自慢したいけどね。
 
 テーブルに置いたメモ用紙に、一緒に考えながら箇条書きにしていく。

「レイモンドは私に贈り物をしすぎだよ。持って行きたいものが増えちゃうし。次からは食べ物だけにして」
「えー……そう言うから、イベントの時にしか渡していないのに。まぁ、小さい物を心がけるよ」

 いつものように話しながらも、レイモンドはすごく嬉しそうだ。将来を誓いあった恋人として見られている。こんなに幸せそうな顔を、しばらくは側にいるたびに向けてくれるのかもしれない。

 だから私も、そこに水を差さないように幸せそうに微笑んでみせる。

 きっと……ね、前だったら違ったと思うの。
 帰ってきてお昼寝をすると言ったら、一緒にしようかなんて軽口をたたいてくれたと思う。空飛ぶベッドに一緒に乗ったのに、なんてフレーズも……もうずっと聞いていない。今日は強く抱きしめてくれたけど、きっとまたそうではなくなっちゃう。

 私の好きは、とっても大きいものだって伝わってしまった。だから……私との距離を縮めようと、もう躍起にもなってくれない。

「そろそろ寝よっかな……」

 一通り一緒に考えて、ベッドへと移動する。
 彼もいつものように側の椅子に座る。

「……アリス、俺を好きになってくれてありがとう。あんな状況で婚約を申し込んでごめんね。愛しているよ」
「いいよ、レイモンドらしいし。合格、お互いおめでとう。私も愛してる」

 こんなに若い私たちの愛してるは、大人から見れば安っぽいのかもしれないけど……精一杯の愛情だ。好きで好きでたまらないこの気持ちを表す言葉は、他に見つからない。

 キスを交わして布団の中へ。学園に通うようになったら、もうこんな一日の終わりは迎えられないかな。

「ねぇ、私が子守唄を歌ってあげよっか」
「アリスが歌ってくれるなら嬉しいけど……逆じゃない?」
「一緒に布団に入って、私の子守唄で寝てもいいよ」
「……それこそ本当に寝ちゃうよ。最近声変わりなのか少し声が出にくいけど、歌おっか?」

 不器用だって言っていたけど、かわすのが上手いよね。分かっているんだ……かわされてしまう本当の理由。察することができないほど鈍くはない。
 
 どうして距離をとるのかと寂しく思う直前に彼は……本当に小さく熱そうな息を吐くから。

 もっと深いところまで求め合う関係にならないと、私の欲しいものは得られない。そういうことだよね。

 私たちにはまだ早い。
 それも分かっている。
 
「一曲だけ、レイモンドが教えてくれたこっちの子守唄を歌ってあげる」
「歌うんだ?」
「うん、一番だけね。思い出しながら部屋で眠って」
「嬉しいな。幸せな気持ちで眠れそう。今日は最高にもう幸せだけどね」

 元の世界の子守唄は……何度か一人で歌ってみたけど、レイモンドに教えてもらったフレーズに変えても懐かしすぎて泣いてしまう。この世界の子守唄なら幸せな気持ちだけで歌える。

 トゥリン ルラン
 トゥリン ルラン
 風の精霊が 羽を揺らして覗いているよ
 明日の風を 届けたいから
 よい子は早く おねむりなさい
 パチクリおめめは もうおしまい
 楽しい一日が また始まるよ
 よい子は早く おねむりなさい
 明日を笑顔で 迎えるために

「ありがとう。アリスの歌声はすごく可愛くて……それに落ち着くね。寝てしまいそうだ」

 それなら一緒に寝ればいいじゃん……そう言いたくなる。

 手を繋いでいても、もっともっとレイモンドが欲しくなる。だって手なんて……他の人もすぐに触れるし。唇もいつも露出しているせいで、誰かが触ろうと思えば触れてしまう。
 
 私だけしか触れない場所をベタベタ触りたい。

「次は俺が歌おうか?」
「私ね、ずっと言うのを我慢してきたことがあるんだけど」
「え……な、何」
「前に腹筋割れてるのって聞いて……」
「腹筋!? え、腹筋の話をしてる!?」
「割れてるって言われて、見るかって聞かれて断ったけど」
「本当に腹筋の話!?」
「ずっと後悔していたの。腹筋を触ったら寝る。今日はそれでおしまい」
「ずっと後悔って、え、それって親善試合の日の夜だよね。そんなに長いこと後悔するくらいに実は筋肉フェチ……」
「早く脱いで」
「はぁー!?」

 しばらく石化したあとに、服をずらしてお腹に力を入れてくれる。

「本当だ……割れてる……」
「鍛えているからね。今日の終わりをまさか割れた腹筋で迎えるとは思わなかったよ……アリスらしいよね……」

 さっきまで繋いでいた手でペタペタ触る。
 細マッチョって感じ……そうだったのか。体つきがエロい。最初からこうだったのかな……もっと前から見たかった。せめて親善試合の夜に断らなければよかった。私はなんてもったいないことをしたんだろう。……これからたまにお願いしよう。

 この体で、他の女の子は抱きしめてほしくないなぁ。

「うん、満足した。おやすみ」

 本当は満足していないけど。もっと思う存分触りたいけど自重しよう。たぶんそれは私の身が危ない。そうなってもいい気持ちもあるけど……まだ学生になってもいないしね。
 
「そっか……よかったよ。他に後悔していることはないよね」
「たぶん、それだけ」
「アリスの好みって難しいよね。苦悶系でショタ寄りの筋肉ってニッチすぎだよ」

 レイモンド限定って言ったじゃん。

「訂正するのも面倒……それでいいや……」
「俺だから、だよね?」

 言わせたかったってことかな。

「そうだよ。レイモンドだったら全部好き」
「俺も、全部好きだ」

 もう意味も分かっているその音が、レイモンドの口から流れてくる。元の世界の、忘れたはずのその言葉。何度も聞きすぎて、最初から知っていたような気になってくる。

 ス・キ・ダ・ヨ
 ア・イ・シ・テ・イ・ル

 同じ未来を見つめるレイモンドとの学園生活は、これから始まる。

 変化していくことだらけの世界で、私たちの想いは本当に変わらずにいられるのか――。
 それは、私にも分からない。

 結婚したいとお互いに思っていれば外れないというこの指輪。きっと一日の終わりには、毎日引っ張ってしまうと思う。

 ――外れないことに、安心したいから。

 さぁ、眠ろう。
 新しい明日を笑顔で迎えるため。
 私たちの輝かしい未来を――、二人で目指すために。
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