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11 花精霊の庭

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「お師さま、急がないと陽が昇りきってしまいますよ」
「わかってるよ。あぁスティ、足元には気をつけて」

 朝陽が昇る前に家を出た二人が向かっているのは、境界の地から少し離れた“花精霊の庭”と呼ばれる場所だった。目的は薬に使う薬草を摘むことで、早朝に花を咲かせるため早くに出発しなくてはいけない。
 季節は冬から春に移ろうとしているものの、薄暗い早朝は身が引き締まるような空気の冷たさだ。また熱が出たら大変だからと、ジルネフィは弟子に冬のローブを羽織るように言った。ジルネフィ自身も裾が長い暖かなローブを羽織っている。

(今日も髪の毛がキラキラ眩しい)

 少し前を歩くストロベリーブロンドが、ほんのわずかな陽の光を浴びてキラキラ輝いている。「人間の世界では……たしかポニーテールという結び方だったかな」と揺れる髪を見つめた。

(あの美しい髪も元気よく歩く体も、すべてわたしのものだ)

 そう思うだけで笑みがこぼれそうになる。心を通じ合わせて以来、ジルネフィは毎日が楽しくて仕方がなかった。

「お師さま、こっちにたくさん咲いてますよ」

 笑顔で振り返ったスティアニーの足元には金色の小さな花がたくさん咲いていた。いつの間にか花精霊の庭に入っていたらしい。周囲に結界が張られているため唐突に花園が現れたような状態だ。

「どのくらい必要ですか?」

 近づくと真面目な弟子がそう尋ねてきた。

「そうだね、この籠に山盛りはあったほうがいいかな」
「わかりました」

 籠を受け取ったスティアニーが、小振りな白い手で金色の花を丁寧に摘み始める。少し離れたところに立ったジルネフィは、花摘みに勤しむ弟子の姿をじっくりと眺めることにした。
 摘んでいるのは“華蜜鳥はなみとり”と呼ばれる花で、花精霊の庭と呼ばれるこの辺り一帯にしか自生しない貴重な薬草だ。主な薬効は痛み止めだが、量と混ぜ合わせる材料を変えれば催淫薬や閨用の香油を作ることもできる。

(そろそろ父上からの依頼もあるだろうし、少し多めに採っておいたほうがいいかな)

 華蜜鳥はなみとりを使った催淫薬は効果が高く、それでいて副作用がまったく出ない優れた薬だった。同じ原料に粘度の高い蜜液を混ぜて作る閨用の香油も魔族の間では人気が高い。
 様々な薬として重宝される薬草ではあるが、華蜜鳥はなみとりの採取を許されているのはジルネフィだけだった。すでに二度採取に来ているが、その花もそろそろ時期を終える。

(今回が最後の採取かな)

 華蜜鳥はなみとりは寒い冬の早朝に咲く。効果が高いのは花の部分で、だから花が咲く時間に来る必要があった。

(それにしても、父上がこの花の効果をほしがるとはね)

 ジルネフィの父親は強力な魅惑の力を使うことができる。それなのに伴侶となった人間の男には華蜜鳥はなみとりの催淫薬を使いたいのだという。

(人間用に調合し直してはいるけど、効果がどうなのか教えてもらえないのは困る)

 本来なら使用状況を詳しく確認し調整したいところだが、父親が使用した感想をジルネフィに伝えたことは一度もない。ジルネフィのほうも使用感を確認するためだけに父親に会いに行こうとは思わなかった。

(……そうか、人間にも使える催淫薬と香油か)

 花に囲まれたスティアニーを見ながらジルネフィが口元をほころばせた。
 自慰すらしていなかったスティアニーには刺激が強すぎるだろうが、ゆくゆくはそういったものも使ってみたい。清廉で素直なスティアニーがどう変貌するのか興味がわく。顔を真っ赤にして戸惑うか、それとも案外……そんなことを考えていたジルネフィに「お師さま」と菫色の瞳が視線を向けた。

「あちらのほうの花も少しいただいてきますね」
「気をつけて」

 少し離れた場所にスティアニーが移動すると、ジルネフィを包む空気がふわりと揺らいだ。

「芳しい香りがしていると思って来てみれば、ジルネフィではないか」

 艶やかな低音がどこからともなく聞こえてくる。直後にジルネフィの眼前がゆらりと揺れ、くにゃりと歪んだ空間から美しい姿が現れた。

「お久し振りです、メルディアナ。今日も花をわけていただいていますよ」
「かまわぬ。そろそろ花も終わりだろう、ほしいだけ持っていくがよい」
「いつもありがとうございます」

 現れたのは花精霊の庭一帯を治める精霊王だった。美しい姿に妖しい笑みを浮かべながらジルネフィを見ている。しかし全体の色は淡く半透明で背後の花畑が透けて見えていた。
 花精霊の庭は精霊王の強力な魔力で守られた聖域でもある。そこに生息する華蜜鳥はなみとりを採取するには精霊王に気に入られる必要があり、その恩恵に与っているのは現在ジルネフィと弟子であるスティアニーの二人しかいない。

「お前の愛し子も元気そうで何よりだ」

 スティアニーを見る精霊王の顔が艶然と微笑む。そうした笑みを浮かべるほど精霊王もスティアニーを気に入っているという証拠だった。

「はい。先日十八になりました。人間は十八で成人を迎えることになるそうですよ」
「そうか、すっかり大人になったということか。……ほう、体のほうは成人したばかりとは思えぬほど匂い立つようになっているようだな」
「勝手にいろいろるのはあまりいい趣味とは言えませんが?」
ずともわかる。おまえに劣らず芳しい香りを、ほら、ああも漂わせているではないか。周りを飛ぶ精霊たちなど酔ってしまいそうな状態だ。それにおまえの香りも絡みつくように混じっているぞ?」
「そうですか?」
「隠さずともよい。あの人間の子を手放せなくなったのであろう? あれは稀に見るよい香りを持つ子だ、所有したくなるのもよくわかる」
「そうですね」

 澄ました顔の下に「あなたでもお手つきは許さない」という表情を垣間見せるジルネフィに、美しい精霊王がにやりと笑う。

(相変わらず勘がいいというか何というか)

 ジルネフィが初めて女性を抱いたときも男性に抱かれたときも、精霊王は似たような表情を浮かべた。そして「ますますよい香りになったな」と口にしたことを思い出す。

「よいかジルネフィ。可憐でたおやかな花は、それはそれは丁寧に手折らねばならぬ。無理をしてはせっかくの花が枯れてしまうからな。何事もはじめが肝心で……いや、そういった意味での初めては終えているようだな。最初にこぼす雫は極上であっただろう? さぞやよい香りを放ったであろうな」
「メルディアナ、あなたはもう少し俗界から離れたほうがよいのではありませんか?」
「何を言う。我は花の王にして春を愛で慈しむもの。生命が芽吹き命繋ぐ春の化身。必要ならば性技を伝授するのもやぶさかではないぞ?」
「わたしのスティに、そういったことは吹き込まないでくださいね」

 ジルネフィの言葉に精霊王がそれは華やかな笑みを浮かべた。

「メルディアナ様!」

 金色の花を籠いっぱいに摘んだスティアニーが、精霊王の姿に気づいて笑顔で近づいて来る。

「お久しぶりです、メルディアナ様」
「スティアニー、息災そうで何よりだ。成人したと聞いたが、そのうち祝いの品を用意するゆえ楽しみ待っておれ」
「ありがとうございます」

 祝いの品という言葉にジルネフィの眉がわずかに寄った。「よからぬ物でなければいいけど」と思いながら、弟子の手から花籠を受け取る。そうして細い腰に手を回し「これはわたしのものだ」と主張するように引き寄せた。

「それではメルディアナ、また来ます」
「あぁ。春の終わりからは蒼薔薇が咲き始める。あれもこの辺りでしか咲かなくなったと聞くから、ほしいだけ持っていくがよい。……ジルネフィ、忘れるな? 優しく丁寧にだぞ?」

 プレイオブカラーが呆れたように細くなる。それを見た精霊王は再びにやりと笑い、霧散するように姿を消した。後には濃密な花の香りだけが漂っている。

「お師さま、優しく丁寧にとは何のことですか?」
「スティは気にしなくていいからね」

 きょとんとした顔のスティアニーも愛らしいと思いながら、久しぶりに手を繋いで帰ろうかと右手を取った。するとスティアニーがほんの少し息を呑む。「おや?」と思いながら手を見ると人差し指に赤い筋が浮かんでいた。

「指を怪我しているね」
「ほんの少し切っただけですから大丈夫です」
「駄目だよ。よく見せてごらん」

 血は止まっているようだが、ただの切り傷にしては大きい。傷口を洗わなくてはと思ったものの近くに水場はなく、水筒も持って来ていないことに気がついた。

「少し痛いかもしれないけど、我慢して」

 スティアニーの右手を持ち上げたジルネフィは、唾液の魔力を調整しながら指に舌を這わせた。傷口を拭うように舐め、それを二、三度くり返してから唇を離す。突然のことに硬直するスティアニーに気づかないジルネフィは、籠の中から花びらを数枚取り出すと傷口を押さえるように巻いた。途端に花びらが包帯のようにぴたりと指に張りつく。

華蜜鳥はなみとりの花びらは痛み止めのほか多少の殺菌作用もある。だからこうして傷口に当てれば即席の包帯代わりになるんだよ。もう痛くないだろう?」

 説明をしながら指から視線を上げたジルネフィは、弟子の顔が真っ赤になっていることにようやく気がついた。菫色の瞳は指をじっと見たままで、まるで全身が固まってしまったかのようになっている。

(さてはベッドでのことを思い出したのかな)

 スティアニーへの思いを自覚したジルネフィは、わき上がる欲のままに触れるようになった。そのぶん触れ合いも濃密さを増し、昨夜は手の指一本一本に口づけをしたところだ。そのときのことをスティアニーは思い出したのだろう。

(なんとも初心なことだ)

 内心では早くその先をと思いながら、それでも体を暴くことはしない。絶対に忘れることがなく、ことあるごとに脳裏に浮かぶような出来事にしなくてはいけないとジルネフィは考えていた。

(それにもっともふさわしいのは記念すべき日しかない)

 それまでは体を繋げることはしない。透けるほど薄い羽を持つ蝶を愛でるように、体温で溶けてしまう氷石を扱うように丁寧に触れるのだと心に決めていた。

(そういう意味では丁寧に手折ろうとしているともいえるかな)

 魔族相手ならとっくに犯して堕としている。そうしないのはスティアニーが特別だからだ。優しく丁寧に触れれば触れるだけ、スティアニーはこの腕の中でしか存在できなくなる。身も心もジルネフィに浸りきればいい。
 まだ頬を赤くしているスティアニーに、ジルネフィは優しく「帰ってお茶でも飲もうか」と声をかけた。結んだストロベリーブロンドを揺らしながら頷くものの、なぜかスティアニーは足を動かそうとしない。

「お師さま、あの……」

 伺うように視線を上げる顔は愛らしい。しかし、その奥にチラチラと色香のようなものが見える。

「もしかして腰が砕けてしまった?」

 耳元で囁くジルネフィに菫色の目元がサッと赤くなった。あまりにも愛らしい様子にプレイオブカラーの瞳がクルクルと色を変える。

「それじゃあ、連れて帰ってあげよう」

 小振りな尻の下に腕を入れ、そのまま腕に座らせる形で抱き上げた。驚いたスティアニーは慌てて首に抱きつき、麗しい師の顔がすぐそばにあることにさらに顔を赤くする。

(そろそろ体を開く準備を進めてもよさそうだな)

 そして記念すべき日に「自分はこの魔術師の所有物なのだ」と刻み込み、すべてを手に入れよう。

(成人の儀式が楽しみだ)

 幸いを願う日に身も心も所有されるというのはよい記念になるに違いない。ジルネフィは口元をほころばせながら、スティアニーを大事に抱きかかえ家路を歩いた。
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