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1 ある日の魔術師と弟子

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 間もなく冬が来るというのに、今日は朝から日差しがたっぷりで春のような暖かさだ。「なるほど、これならスティがご機嫌なのも頷けるな」と頷きながら銀髪の男がお茶を飲んでいる。

「お師さま」

 呼ばれた男が視線を上げると、ストロベリーブロンドを後ろで一つに結んだ小柄な青年が立っていた。右手にはやや大きめのバスケットを持っている。

「お師さま、散歩に行きませんか?」
「散歩?」
「はい。今日はとてもいい天気ですから、外でお昼を食べると気持ちがいいと思うんです。それに最近部屋に籠もりきりでしたし、少し外の風を感じたほうがいいですよ」

「お昼も準備しましたから」と言いながら弟子の青年がバスケットを男の前に置く。そうして菫色の瞳で覗き込みながら中身を丁寧に説明し始めた。お師さまと呼ばれた男は銀色の長い髪を空色の紐で結わえながら、弟子と同じようにバスケットを覗き込む。

(まぁ、散歩も悪くないかな)

 それにせっかく弟子が誘ってくれているのだ、断る理由はない。

「そうだね。外で昼食というのも楽しそうだ。寒くなるといけないから一応上着を持っておいで」
「はい」

 小柄な体がパタパタと動き回る。男は傍らにあったフード付きのマントを纏うと、長いローブの裾を揺らしながらバスケットを持って一足先に玄関へと向かった。

「慌てなくていいからね」
「はーい!」

 元気な声に「今日も元気でなによりだ」と男の口元に笑みが広がる。
 外履きの靴に履き替えた男は「なるほどいい天気だ」と空を見上げた。まるで初夏のような青空がどこまでも広がっている。ただし色合いは夏より少し薄く日差しにも焼けるような強さはない。

(そういえばスティを拾った日もこんな青空だったかな)

 拾ったのは人間が住む森ではなくこちら側の森・・・・・・だった。

(気まぐれだったとは言え、まさかわたしが人の子を拾ったうえに育てることになるなんてね)

 そんなことを思いながら空を見る銀髪の男は、名をジルネフィと言った。“人間の世界”と“魔族や魔獣が住む世界”の境界の地に住んでいる魔術師で、すらりと高い背に長い銀の髪、それに異様なまでに整った顔をしている。

(あれから十三年が経つのか)

 空を見る瞳がクルクルと色を変えた。美しい外見もさることながら、ジルネフィの中でもっとも目を引くのは虹のようなこの虹彩だろう。
 上側が赤系で下側が青系、真ん中が黄色という美しいグラデーションは奇跡の色と呼ばれていた。プレイオブカラーとも呼ばれる稀有な瞳は、光の加減で単色や全色見えるときもあれば黄金色に見えるときもある。
 その目を細めながら、ジルネフィは改めて「人の子と十三年も暮らすなんて予想外すぎる」とバスケットを見た。しかも初めての弟子だ。想定外のことが続いている現状に思わず苦笑すると、虹色だった瞳が一瞬だけ黄金色に輝く。

「お師さま、お待たせしました」

 振り返ると、言われたとおり上着を羽織った弟子が立っていた。そうして小走りで近づき「せっかくだから泉のほうへ行きませんか?」と魔術師を見上げる。

「そうだね、この天気なら水辺も気持ちがよさそうだ」

 ジルネフィの返事に弟子が眩しい笑顔を浮かべた。
 小柄な弟子は名をスティアニーと言った。美しいストロベリーブロンドは肩より少し長く、やや幼さの残る顔つきが愛らしい。その中でもとくに目立つのがアメジストのように光る菫色の瞳だった。

(こんなに美しい瞳なのに、そのせいで捨てられたなんておかしな話だ)

 ジルネフィが胸の内でそっとため息をつく。
 スティアニーは瞳の色のせいで親から、同族であるはずの人間から捨てられた。幼かった本人は色のせいだと気づいていないようだが、捨てられたことは理解している。
 人の世界で完全なバイオレットの瞳を持つ人間が生まれることはほとんどない。そのせいで紫色は悪魔の瞳と呼ばれ忌み嫌われていた。一部の地域では赤毛を悪魔憑きと呼び迫害もしてきた。
 スティアニーは完全な菫色の瞳に加え赤みを帯びた金髪だった。二つの忌まわしい色が揃っていたため人間の世界で疎まれ捨てられたのだろう。あくまでジルネフィの推測だが、これまで見てきた人間の様子から間違いないだろうと思っている。

(しかも人間の世界からわずかに外れた辺境の地に捨てられるなんてね)

 偶然かもしれない。しかし、獣か魔獣に食われるしかない場所を選んだことに捨てた側の思いが見える気がした。そこにたまたまジルネフィが出くわした。
 スティアニーを拾ったのは気まぐれだった。幼い子どもだから助けようという気持ちは一切なく、それなのにここまで育ててきたことにジルネフィ自身驚いていた。

「お師さま、お昼にしましょう」

 泉に到着すると、スティアニーがバスケットを開いていそいそと昼食の準備を始める。几帳面に畳まれた敷物と、それを丁寧に広げる様子は弟子の真面目な性格をよく表していた。

「今日のは自信作なんです」

 そう言いながらサンドイッチを並べる弟子に「スティが作るご飯はいつもおいしいよ」と師が答えた。途端に動いていた手がぴたりと止まる。「どうしたのだろう」とジルネフィが顔を見ると、やや俯き加減の頬がわずかに赤くなっていた。

「お、お茶の用意をしますね」

 視線を感じているからか、スティアニーが頬を赤くしたまま忙しなく手を動かす。手際は悪くないものの、いつもよりぎこちない。「どうしたのかな」と思いつつ、ジルネフィは出会った頃のことを思い出した。

(拾ったときはまるで枯れ木のようだったのに、すっかり健やかになった)

 拾ったときのスティアニーはやせ細り青白い顔をしていた。後に五歳だとわかったが、体はずっと小さく満足に言葉も話せなかった。

(声をかけても反応がなかったから、はじめはてっきり死んでいるのかと思ったんだ)

 ところが手を伸ばせばわずかながら体を震わせる。腰を屈めて顔を覗き込めば怯えたような視線を向けてきた。「何だ、生きていたのか」と思ったものの、興味のなかったジルネフィはそのままその場を立ち去ろうとした。すると今度は縋るような気配を漂わせる。

(まるで昔拾った猫のようだった)

 それなりに可愛がっていた猫のことを思い出したからか、連れて帰ることにした。
 それから十三年が経ち、スティアニーは先日十八歳になった。体は小柄なままだが素直な性格で、なおかつ真面目でよく気がつく弟子に育った。あとは、この先どうするのか決めるだけだ。

(そろそろ答えが出るといいんだけど)

 以前、大きくなったらどうしたいのか尋ねたことがある。普段ならすぐに答えが返ってくるのに、なぜか目を伏せ何も言おうとしない。魔術師でもほかの何かでもかまわないと話しても、やはり何も言わなかった。

(わたしのことは気にしなくていいのに)

 弟子にしたのはただの気まぐれでしかない。学ぶ姿が熱心だったこともあり、その姿勢に応えているうちに弟子になったようなものだ。だからといって魔術師になってほしいと思っているわけではない。スティアニーが魔術師になろうが別の道に進もうがジルネフィは気にならなかった。もし魔術師になりたいのなら準備をし、こちら側に残りたいのならこの家にこのまま住まわせるだけだ。

(拾われたことに恩を感じる必要はないと何度も言っているのに)

 スティアニーは優しい子だ。師思いでよく気がつく働き者だが、自分の願いや欲を口にすることがあまりない。ジルネフィが促しても菫色の瞳を不安そうに揺らすばかりだった。

(優しさや思いやりは美徳なんだろうけど、もっと自分の気持ちを口にしたほうがいいんじゃないかな)

 そうしなければ人間の世界に戻ったときに苦労するだろう。そうならないように、これまでたくさんの本を与えてきたが足りなかったのだろうか。
 ジルネフィに人間の生き方を教えることはできない。それならと人間の世界で様々な本を買い求め与えてきた。書物で学ぶことは人間も古くからしてきたことで、それが最善だろうと考えた結果だ。しかし、いまとなってはそれがよかったのか疑問が残る。

(これじゃ弟子というより子育てのようだな)

 ジルネフィは子を育てたことはないが、年の離れた弟を思い出しそう感じていた。「さて、どう導いたものか」と思案しながら弟子を見ると、口の端に真っ赤なソースが付いている。

「スティ、ついてるよ」

 ソースを親指で拭ったジルネフィは、そのまま指先をぺろりと舐めた。途端にスティアニーの顔が真っ赤になった。食べていたサンドイッチを取り落としそうになり、慌てて掴み直している。

「どうかした?」
「な、なんでもないです」

 慌てたように俯きながらサンドイッチを食べる耳も真っ赤だ。明らかに普段と違う様子に見えるが、もう一度尋ねても同じ答えが返ってくるだろう。ジルネフィはこれまでの経験からそう判断し、「やはり人間の世話は難しいな」と思いながらサンドイッチを一口かじる。

(人間は触れ合うことで愛情を感じるのだと思っていたけど、成長したら必要ないんだろうか)

 覗き見た人間たちの生活からジルネフィは触れ合いというものを知った。人間にはそういうものが必要なのだということもわかった。だからスティアニーとも触れ合うように心がけてきた。
 これまでも口を拭ったり手を繋いだり、少し前までは入浴も手伝っていた。いまでも入浴後にストロベリーブロンドの手入れをするのはジルネフィの日課で、風邪を引いたりしないようにと一緒に眠ってもいる。
 しかし、最近は少し触れるだけでいまのように俯いたり顔を赤くしたりすることが多くなった。

(もしかして、わたしに触れられるのが嫌なんだろうか)

 ふと、そんなことを思った。これまでスティアニーに拒まれたことはなかったものの、本当は嫌なのかもしれない。

(いや、それならスティから触れてくるはずがないか)

 夜、ジルネフィの髪の手入れをしたいと言い出したのはスティアニーだった。もし接触が嫌ならとっくにやめているはずだ。

(やっぱり人間のことはよくわからないな)

 これまで人間に関心がなかったジルネフィには、スティアニーの表情や仕草だけで気持ちを推し量ることができない。それなら直接確認するしかない。

「ごめんね、こういうのは嫌だったかな?」
「そ、んなことは、ないです」

 尋ねてはみたものの、そうではないとスティアニーが首を横に振る。

(もしかして、これが聞いていたシシュンキというものなのかな)

 ジルネフィには腹違いの弟がいる。弟を生んだのは人間の男で、母親の影響なのか弟は魔族よりも人間に近い感覚を持っていた。
 その弟が「人間にはシシュンキってのがあるんだよ」と話していたのを思い出す。シシュンキは感情の起伏が激しくなったり気持ちが不安定になったりするらしく、本人にもどうにもならないらしい。「ということは、やっぱりこれがそうなのかな」と思いながら食事を再開した。
 そんな師に、頬を赤くしたままのスティアニーがちらちらと視線を送る。しかしジルネフィがその視線に気づくことは最後までなかった。
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