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17 変様
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ゾワリと何かが近づいて来る。それはドロリとしているような、それでいて煙のような不確かなものだった。ただ、それが黒く淀んだ色をしていることだけはわかる。
少しずつ近づいてくるそれの気配にシュエシはブルリと震えた。得体の知れないそれが、なぜかものすごく恐ろしい。じわり、じわりと近づいてくるそれから逃げたいのに足が動かない。足どころか手も、首も、体のどこも動こうとしなかった。
逃げなければと焦れば焦るほど体は固まったように動かなくなる。ゆっくりと近づいてくるそれの気配に体が震えた。這い寄るそれから逃れるため、震えながらも必死に足を動かそうとした瞬間、体がストンと闇の中へ落ちた。
「……!」
ビクッと震えた直後、シュエシの目がパッと開いた。一瞬息が止まったものの見慣れた天井が目に入りホッと息を吐く。呼吸が少しだけ荒い。それより忙しないのが鼓動で、走った直後のようにドッドッと激しく動いている。
(さっきのはなんだったんだろう)
夢だとわかっても不気味な気配が忘れられない。あの気配が何かわからないのに、恐ろしいものだということだけはわかる。
「っ」
不意に夢と同じ何かを感じた。ゾワリとした気配に夢じゃなかったのかと冷や汗が出る。
「おまえも感じるようになったか」
聞こえてきた声にドキッとし、ゆっくりと視線を動かした。いつからそこにいるのか、ベッドの端に腰掛けたヴァイルが美しい顔でシュエシを見下ろしている。
「ヴァイル、さま」
「それは土地の者の気配だ。正確には人の邪念と言うべきか」
「じゃねん……?」
「土地の者たちは欲を持って屋敷に近づいてくる。そのほとんどは歪んで醜いものだ。むしろ、そうした邪念を持った者しか屋敷には近づかないがな」
冷たく光る黄金色の瞳が窓のほうを向く。つられて見た窓の外は、朝と呼ぶにはとても明るかった。
(たしか、ヴァイルさまが部屋に来たのは夕暮れ前だったはず。それなのに、もう昼に……?)
いつの間に眠ってしまったのだろう。というより眠る前の記憶がぼんやりしていて思い出せない。思い出そうと何度か目を瞬かせていると、珍しくヴァイルがため息を漏らした。
「よりにもよって、いまやって来るとはな。我が花嫁の目覚めにはふさわしくないというのに、とんだ邪魔をしてくれたものだ」
寝室の扉あたりを見たヴァイルが「行ってこい」と口にした。すると黒い霧がふわりと現れ、スーッと窓の外へ流れていく。シュエシはそれを見ながら「はなよめ……」とつぶやいた。
「なんだ、記憶が飛んだか?」
シュエシを見る黄金色の瞳はいつもと変わらない。だが、少しだけ違うように見える。
「僕、は……」
「おまえはわたしの眷属になった」
「けんぞく」
そういえばと、シュエシはようやく眠る前のことを思い出した。
「それじゃ、僕はその……化け物になったんですか?」
おそるおそるといった問いかけに、美しい顔にほんの少しの笑みが広がる。
「なんだ、わたしと同じものになったというのにうれしくないのか? あれほど同じものになりたいと口にしていたのは偽りだったのか?」
責めるような言葉だが、声も表情も変化はない。「おまえはよくわからんな」と続く言葉にも呆れたような雰囲気はなかった。
(ヴァイルさまはこんな人だっただろうか)
美しい姿は同じだ。ただ、纏っている雰囲気が違うように感じる。それとも自分がこれまでよく見ていなかっただけだろうか。
(そんなことじゃ駄目だ)
自分はヴァイルに求められて花嫁になった。そして同じ化け物にもしてもらった。これからはしっかり見なければ、密かにそう決意する。
(大好きなヴァイルさまの花嫁として、ふさわしくならないと)
命まで一つになった愛しい人のために……美しい黄金色の瞳を見つめるシュエシの鼓動がドクンと跳ねた。ドクドクと脈打つ鼓動に一瞬目の前がクラッとする。
「どうした?」
「……ヴァイルさまと同じものになれたのが、うれしくて」
頭の奥がとろりととろける気がした。しかし完全に溶けることはなく、喜びの気持ちがゆっくりと体中に広がっていく。ジワジワとした熱が指先まで行き着くと、どうしようもない多幸感で胸がいっぱいになった。
「そうか」
ヴァイルの手が頬をひと撫でした。その感触にシュエシの目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
それから数日の間、シュエシはベッドの中で過ごした。体がだるく起き上がることができなかったからだが、それもようやく解消しつつある。昨日からは着替えて居間で過ごす時間も増えた。ようやく以前と同じような生活に戻りつつあったが、以前とは大きく違うことが一つだけある。それは食事をしないことだ。テーブルに用意された水差しの水は飲むものの空腹を感じることがない。
(化け物になったからなのかな)
それに屋敷を動き回る影の輪郭もはっきり見えるようになった。たまに人のような形をしているのも目にする。そしてもう一つ、変わったことがある。それはヴァイルが頻繁に顔を見せるようになったことだ。雰囲気も以前より柔らかくなった気がしていた。
(それとも僕が勝手にそう感じているだけなんだろうか)
それでもいい。距離が縮まったような気がしてうれしくなる。
「気分はどうだ?」
部屋に入ってきたヴァイルにそう尋ねられ「大丈夫です」と答えた。相変わらず美しい姿に見惚れていると、座っていたソファの隣にヴァイルが腰掛ける。
「空腹は感じるか?」
「目が覚めてからは、一度も感じません」
こうした何気ない会話ができるのもうれしい。以前なら近づかれるだけで緊張のあまりガチガチに固まっていたが、同じものになったのだという気持ちがあるからか隣に座られても落ち着いていられる。
「あの、化け物になると食事はしないのですか?」
「我らは人のような食事を必要としない」
「そうなんですか」
「人のように飲み食いはするが嗜好として楽しむ程度だ」
だから空腹を感じないのだろうか。ほかにも変わることがあるんだろうか。
「ほかに人とは違うところはありますか?」
「さて、わたしは人になったことがないからどうだろうな」
「そ、そうですよね。すみません」
「だが、身近にいた眷属の話では嗅覚が変わるという話だ」
「嗅覚?」
「自分に合った血を探すためだろう。我らは肌の上から好みの血を嗅ぎわけなくてはならない。そのためには鋭い嗅覚が必要だ」
「血の、匂い」
「穏便に血を得るために人を魅了する力も持つ」
「魅了……」
「すべて人と無用な争いを避けるために得た力だ。だが、おまえはまだ人には近づくな。人に近づきすぎるのは好ましくない。人は欲望のままに人を殺め、財産を奪うために騙し貶める。人のように見える我らがそれに巻き込まれないとは限らないからな」
黄金色の瞳がギラリと光った。それを見たシュエシの肌がぞわりとする。続けて嫌悪感のようなものがわき上がり戸惑った。変だなと思いながらもヴァイルを見つめる。
「人にとって人こそがもっとも警戒すべき化け物だ。それに気づかぬとは愚かにも程があるが、愚かゆえ予測不能なことをしでかす。これからは人であったときのことは忘れ人には近づかぬことだ」
「わ、わかりました」
突然ヴァイルの指が頬に触れた。どうしたのだろうかと戸惑いながらも、こうして触れてもらえることがうれしくてたまらない。
「……あ、」
「どうした?」
「いえ……」
「言ってみろ」
触れていた指が離れていく。それを目で追いながら「冷たくないなと思って」と答えた。
「あぁ、そのことか。我らは人より体温が低い。同じもの同士なら冷たく感じなくても不思議ではない」
「同じもの同士」
そうくり返したシュエシの顔がほころんだ。我を失ったようには見えないが、心からうれしそうな柔らかい笑みにヴァイルの目がわずかに細くなる。
シュエシは気づいていないが、変化はシュエシ自身にも起きていた。ヴァイルの前で強張っていた表情は柔らかくなり、体を強張らせることも減ってきている。おどおどと話すことも少なく、視線をさまよわせたり逸らしたりすることも減った。なにより笑顔が増えた。それも夢うつつのような笑みではなく、自然と浮かんだような笑顔が多い。
「なるほど、内と外が一つになったということか」
「え?」
「それとも、それが本来のおまえなのか」
「ヴァイルさま……?」
再び伸びてきたヴァイルの手が顎を掴んだ。少し持ち上げながら親指で唇を撫でる。途端にシュエシの頬がサッと赤くなった。
「初心で感じやすいところはそのままだな」
「ヴァ、ヴァイルさま」
「それでいい。おまえはそのままでいろ」
言われた意味がわからず黄金色の瞳をじっと見つめるが、どういうことか説明する言葉はない。
「さて、わたしは少し用事を済ませる。おまえはどうする?」
「え?」
「まだ部屋から一歩も出ていないだろう。そろそろ庭を散策するのによい季節だ」
「庭……」
窓の外に視線を向けた。青空が広がる外は熱くもなく寒くもない。たしかに歩くにはよさそうな様子だが、本当にいいのだろうか。やや不安そうな眼差しでヴァイルを見る。
「庭ならかまわん。それに少しは歩いたほうがいい。落ちた体力の回復にもなる」
「わかりました」
「それに、体力がなくてはわたしの相手は務まらんぞ」
「相手?」
立っていたヴァイルが腰を屈め耳元に美しい顔を近づける。
「おまえはわたしの花嫁だろう?」
言われた意味を悟り慌てて俯いた。黒髪から覗く赤い耳にヴァイルが小さく笑う。
「おまえは変わらんな。いや、だからこそおまえなのだろう」
「ヴァイルさま……?」
そっと視線を上げると柔らかい黄金色の瞳が自分をじっと見ていた。それだけで体の奥がポッと熱を帯びる。
「これからは好きに庭を歩けばいい。ただし庭から外へは決して出るな。念のため庭に入れぬようにしておいたが、欲深い人のやることはわからんからな」
「はい」
不意に頬に口づけられ鼓動が跳ねた。シュエシは顔を真っ赤にしながら美しい後ろ姿を見送った。そうして立ち上がろうとしたものの腰が抜けてしまったらしく足に力が入らない。全身を真っ赤にしたシュエシは、しばらくソファから動くことができなかった。
少しずつ近づいてくるそれの気配にシュエシはブルリと震えた。得体の知れないそれが、なぜかものすごく恐ろしい。じわり、じわりと近づいてくるそれから逃げたいのに足が動かない。足どころか手も、首も、体のどこも動こうとしなかった。
逃げなければと焦れば焦るほど体は固まったように動かなくなる。ゆっくりと近づいてくるそれの気配に体が震えた。這い寄るそれから逃れるため、震えながらも必死に足を動かそうとした瞬間、体がストンと闇の中へ落ちた。
「……!」
ビクッと震えた直後、シュエシの目がパッと開いた。一瞬息が止まったものの見慣れた天井が目に入りホッと息を吐く。呼吸が少しだけ荒い。それより忙しないのが鼓動で、走った直後のようにドッドッと激しく動いている。
(さっきのはなんだったんだろう)
夢だとわかっても不気味な気配が忘れられない。あの気配が何かわからないのに、恐ろしいものだということだけはわかる。
「っ」
不意に夢と同じ何かを感じた。ゾワリとした気配に夢じゃなかったのかと冷や汗が出る。
「おまえも感じるようになったか」
聞こえてきた声にドキッとし、ゆっくりと視線を動かした。いつからそこにいるのか、ベッドの端に腰掛けたヴァイルが美しい顔でシュエシを見下ろしている。
「ヴァイル、さま」
「それは土地の者の気配だ。正確には人の邪念と言うべきか」
「じゃねん……?」
「土地の者たちは欲を持って屋敷に近づいてくる。そのほとんどは歪んで醜いものだ。むしろ、そうした邪念を持った者しか屋敷には近づかないがな」
冷たく光る黄金色の瞳が窓のほうを向く。つられて見た窓の外は、朝と呼ぶにはとても明るかった。
(たしか、ヴァイルさまが部屋に来たのは夕暮れ前だったはず。それなのに、もう昼に……?)
いつの間に眠ってしまったのだろう。というより眠る前の記憶がぼんやりしていて思い出せない。思い出そうと何度か目を瞬かせていると、珍しくヴァイルがため息を漏らした。
「よりにもよって、いまやって来るとはな。我が花嫁の目覚めにはふさわしくないというのに、とんだ邪魔をしてくれたものだ」
寝室の扉あたりを見たヴァイルが「行ってこい」と口にした。すると黒い霧がふわりと現れ、スーッと窓の外へ流れていく。シュエシはそれを見ながら「はなよめ……」とつぶやいた。
「なんだ、記憶が飛んだか?」
シュエシを見る黄金色の瞳はいつもと変わらない。だが、少しだけ違うように見える。
「僕、は……」
「おまえはわたしの眷属になった」
「けんぞく」
そういえばと、シュエシはようやく眠る前のことを思い出した。
「それじゃ、僕はその……化け物になったんですか?」
おそるおそるといった問いかけに、美しい顔にほんの少しの笑みが広がる。
「なんだ、わたしと同じものになったというのにうれしくないのか? あれほど同じものになりたいと口にしていたのは偽りだったのか?」
責めるような言葉だが、声も表情も変化はない。「おまえはよくわからんな」と続く言葉にも呆れたような雰囲気はなかった。
(ヴァイルさまはこんな人だっただろうか)
美しい姿は同じだ。ただ、纏っている雰囲気が違うように感じる。それとも自分がこれまでよく見ていなかっただけだろうか。
(そんなことじゃ駄目だ)
自分はヴァイルに求められて花嫁になった。そして同じ化け物にもしてもらった。これからはしっかり見なければ、密かにそう決意する。
(大好きなヴァイルさまの花嫁として、ふさわしくならないと)
命まで一つになった愛しい人のために……美しい黄金色の瞳を見つめるシュエシの鼓動がドクンと跳ねた。ドクドクと脈打つ鼓動に一瞬目の前がクラッとする。
「どうした?」
「……ヴァイルさまと同じものになれたのが、うれしくて」
頭の奥がとろりととろける気がした。しかし完全に溶けることはなく、喜びの気持ちがゆっくりと体中に広がっていく。ジワジワとした熱が指先まで行き着くと、どうしようもない多幸感で胸がいっぱいになった。
「そうか」
ヴァイルの手が頬をひと撫でした。その感触にシュエシの目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
それから数日の間、シュエシはベッドの中で過ごした。体がだるく起き上がることができなかったからだが、それもようやく解消しつつある。昨日からは着替えて居間で過ごす時間も増えた。ようやく以前と同じような生活に戻りつつあったが、以前とは大きく違うことが一つだけある。それは食事をしないことだ。テーブルに用意された水差しの水は飲むものの空腹を感じることがない。
(化け物になったからなのかな)
それに屋敷を動き回る影の輪郭もはっきり見えるようになった。たまに人のような形をしているのも目にする。そしてもう一つ、変わったことがある。それはヴァイルが頻繁に顔を見せるようになったことだ。雰囲気も以前より柔らかくなった気がしていた。
(それとも僕が勝手にそう感じているだけなんだろうか)
それでもいい。距離が縮まったような気がしてうれしくなる。
「気分はどうだ?」
部屋に入ってきたヴァイルにそう尋ねられ「大丈夫です」と答えた。相変わらず美しい姿に見惚れていると、座っていたソファの隣にヴァイルが腰掛ける。
「空腹は感じるか?」
「目が覚めてからは、一度も感じません」
こうした何気ない会話ができるのもうれしい。以前なら近づかれるだけで緊張のあまりガチガチに固まっていたが、同じものになったのだという気持ちがあるからか隣に座られても落ち着いていられる。
「あの、化け物になると食事はしないのですか?」
「我らは人のような食事を必要としない」
「そうなんですか」
「人のように飲み食いはするが嗜好として楽しむ程度だ」
だから空腹を感じないのだろうか。ほかにも変わることがあるんだろうか。
「ほかに人とは違うところはありますか?」
「さて、わたしは人になったことがないからどうだろうな」
「そ、そうですよね。すみません」
「だが、身近にいた眷属の話では嗅覚が変わるという話だ」
「嗅覚?」
「自分に合った血を探すためだろう。我らは肌の上から好みの血を嗅ぎわけなくてはならない。そのためには鋭い嗅覚が必要だ」
「血の、匂い」
「穏便に血を得るために人を魅了する力も持つ」
「魅了……」
「すべて人と無用な争いを避けるために得た力だ。だが、おまえはまだ人には近づくな。人に近づきすぎるのは好ましくない。人は欲望のままに人を殺め、財産を奪うために騙し貶める。人のように見える我らがそれに巻き込まれないとは限らないからな」
黄金色の瞳がギラリと光った。それを見たシュエシの肌がぞわりとする。続けて嫌悪感のようなものがわき上がり戸惑った。変だなと思いながらもヴァイルを見つめる。
「人にとって人こそがもっとも警戒すべき化け物だ。それに気づかぬとは愚かにも程があるが、愚かゆえ予測不能なことをしでかす。これからは人であったときのことは忘れ人には近づかぬことだ」
「わ、わかりました」
突然ヴァイルの指が頬に触れた。どうしたのだろうかと戸惑いながらも、こうして触れてもらえることがうれしくてたまらない。
「……あ、」
「どうした?」
「いえ……」
「言ってみろ」
触れていた指が離れていく。それを目で追いながら「冷たくないなと思って」と答えた。
「あぁ、そのことか。我らは人より体温が低い。同じもの同士なら冷たく感じなくても不思議ではない」
「同じもの同士」
そうくり返したシュエシの顔がほころんだ。我を失ったようには見えないが、心からうれしそうな柔らかい笑みにヴァイルの目がわずかに細くなる。
シュエシは気づいていないが、変化はシュエシ自身にも起きていた。ヴァイルの前で強張っていた表情は柔らかくなり、体を強張らせることも減ってきている。おどおどと話すことも少なく、視線をさまよわせたり逸らしたりすることも減った。なにより笑顔が増えた。それも夢うつつのような笑みではなく、自然と浮かんだような笑顔が多い。
「なるほど、内と外が一つになったということか」
「え?」
「それとも、それが本来のおまえなのか」
「ヴァイルさま……?」
再び伸びてきたヴァイルの手が顎を掴んだ。少し持ち上げながら親指で唇を撫でる。途端にシュエシの頬がサッと赤くなった。
「初心で感じやすいところはそのままだな」
「ヴァ、ヴァイルさま」
「それでいい。おまえはそのままでいろ」
言われた意味がわからず黄金色の瞳をじっと見つめるが、どういうことか説明する言葉はない。
「さて、わたしは少し用事を済ませる。おまえはどうする?」
「え?」
「まだ部屋から一歩も出ていないだろう。そろそろ庭を散策するのによい季節だ」
「庭……」
窓の外に視線を向けた。青空が広がる外は熱くもなく寒くもない。たしかに歩くにはよさそうな様子だが、本当にいいのだろうか。やや不安そうな眼差しでヴァイルを見る。
「庭ならかまわん。それに少しは歩いたほうがいい。落ちた体力の回復にもなる」
「わかりました」
「それに、体力がなくてはわたしの相手は務まらんぞ」
「相手?」
立っていたヴァイルが腰を屈め耳元に美しい顔を近づける。
「おまえはわたしの花嫁だろう?」
言われた意味を悟り慌てて俯いた。黒髪から覗く赤い耳にヴァイルが小さく笑う。
「おまえは変わらんな。いや、だからこそおまえなのだろう」
「ヴァイルさま……?」
そっと視線を上げると柔らかい黄金色の瞳が自分をじっと見ていた。それだけで体の奥がポッと熱を帯びる。
「これからは好きに庭を歩けばいい。ただし庭から外へは決して出るな。念のため庭に入れぬようにしておいたが、欲深い人のやることはわからんからな」
「はい」
不意に頬に口づけられ鼓動が跳ねた。シュエシは顔を真っ赤にしながら美しい後ろ姿を見送った。そうして立ち上がろうとしたものの腰が抜けてしまったらしく足に力が入らない。全身を真っ赤にしたシュエシは、しばらくソファから動くことができなかった。
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