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11 二人の関係
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さらに数日が経った。すっかり回復したシュエシは、以前と同じように朝起きて夜寝る生活を送るようになっていた。日に三度食事をし、外を眺め、夜になれば湯を使ってベッドで寝る。屋敷に来た当時と何も変わらない。ただ一つ変わったのは、世話をするのが執事ではなく見えない何かになったということだけだ。
「これからは影がおまえの世話をする。これまでもそれがおまえの世話をしていた」
黄金色の瞳が椅子に座るシュエシの斜め後方を見る。つられてシュエシも振り返るが、そこには誰もいない。しかしなんとなく気配のようなものは感じる。
「影もおまえの世話係になって喜んでいる」
「は、はい」
「おまえに水を与えていたのはその影だ」
どういうことだろう。しばらく考えたシュエシは、床に倒れ意識が朦朧としていたときに水の音が聞こえたことを思い出した。毎日テーブルに新鮮な水が置いてあったことも思い出す。
「もしかして、水差しの水を交換してくれていたのは……あなたですか?」
どこに顔があるかわからないが、このあたりだろうかと想像しながら話しかけた。返事は聞こえないものの何かが動いたような気配を感じる。
「影が人に懐くのは珍しい。よほどおまえを気に入ったのだろう」
「そう、ですか」
人ではないものに懐かれるというのは奇妙な感じがする。シュエシは曖昧に頷きながら領主のほうを向いた。
「その影は元は東の者だ。だからかもしれんな」
「え?」
慌てて振り返った。この土地に来てからシュエシが東の国の人に会ったことは一度もない。この土地が街道から少し外れているからか旅人を見かけることも滅多になかった。そんな場所で、たとえ人ではないにしても同郷の者に出会えたことにシュエシは喜んだ。姿は見えないが、自分と同じような黒髪黒目に違いないと想像しながらぺこりと頭を下げる。
「おまえは姿が見えない存在を恐ろしいと思わないのか?」
「それは……少しは、その、恐ろしいです。でも、領主様のそばにいる存在なら、怖くはありません」
見えないものは恐ろしい。シュエシも月がない夜や明かりのない納屋を恐ろしいと思ったことが何度もある。しかしそれよりも恐ろしいのは偶然垣間見える人の表情のほうだ。微笑んでいた人が横を向いた瞬間に見せる酷薄な表情や、手を取り悲しんでいる者が俯きながら笑っている表情のほうがよほど恐ろしい。
(それに、手に入れるためにお腹の子を流そうとするような人もいる)
それに比べれば姿が見えないことを恐ろしいとは思わない。なにより見えないこの存在は命の恩人なのだ。
「命の恩人を、恐ろしいと思うことはありません。それに領主様に仕えているのなら、その、領主様が僕のためにと考えてくださったのなら、恐ろしくはないです」
段々と声が小さくなる。本心ではあるものの「僕のため」と言ってしまったことを後悔した。傲慢なことを言ってしまったと俯くシュエシに、黄金色の瞳がわずかに細くなる。
「おまえは何を望んでいる? 本当は欲しいものがあるのではないのか?」
「え?」
「金か? 宝石か? それとも貴族の地位か?」
突然何を言い出すのだろう。問われた意味がわからず視線を上げたシュエシは、それでも聞き返すことができずに不安な眼差しを領主に向ける。
「人であるおまえが欲を持たないわけがない。何が欲しい?」
冷たく告げる声にシュエシはハッとした。慌てて「そ、そんなこと考えていません」と答える。
「僕は好きな人の、その、領主様のそばにいたいだけです。ほかに欲しいものなんて、ありません」
「嘘をつくな。人は欲深い。ほしいものが一つであるはずがない」
「そういう人も、たしかにいると思います。でも僕は、領主様のそばにいられればそれで、それだけでいいのです」
「そう言って何かを持ち出せと土地の者たちに言われたか?」
「ち、違います。そんなこと、誰にも言われていません」
「では取り入って化け物を殺してこいとでも言われたか?」
「そ、んな……!」
夢で見た光景を思い出した。あんなことを自分がするはずがない。「そ、そんなこと、僕がするはずありません!」と声を上げたが、なぜか黄金色の瞳はシュエシではなく背後を見ている。直後、シュエシの後ろ髪がふわっと舞い上がるように揺れた。
領主がため息をついた。シュエシがビクッと肩を震わせると後ろ髪もフワッと浮き上がる。それを見た領主が「わかった」とため息をつくように口にした。
「わかったからそう怒るな」
もしかして背後にいるという“影”とやらに話しているのだろうか。そう思い振り返ったもののシュエシの瞳には何も映らない。
「わかったと言っているだろう。やれやれ、おまえの世話係は元の主よりおまえのほうが大事らしい」
慌てて領主を見ると呆れたような表情をしている。
「影が目をつり上げわたしを睨んでいる」
「え……?」
「そう睨むな。これを追い出すことはしない。念のため尋ねただけだ。あぁそうだ、おまえの主はこれだ。この先もそれは変わらん」
領主が大きなため息をつく。するとフワフワと揺れていたシュエシの黒髪がストンと落ちた。
「ここまで好かれるとは、まったくおまえはつくづく興味深いな」
そう言われても、どう答えていいのかわからない。戸惑うように視線をさまよわせていると「まぁ、いい」と声がした。
「おまえがこれまでの花嫁と違うことはわかった」
「……これまでの花嫁、ですか?」
黄金色の瞳がツイと窓の外を見る。
「花嫁として屋敷に来た娘たちは、わたしの姿を見た途端に気に入られようと媚びへつらう者ばかりだった。下卑た笑顔を浮かべ、勝手に部屋に入ってきてはドレスを脱ぎ股を開く者までいた。欲にまみれ濁った目で見つめながら、わたしの愛がほしいとうそぶいた。そのくせ勝手に屋敷の物をくすね売り払おうとする。外から人を呼び寄せよからぬ算段をする者もいた。何をしてもわたしに気づかれないと思っていたのだから滑稽なものだ」
シュエシはじっと耳を傾けながら、この人はどれだけ人に欺かれてきたのだろうかと考えた。家族を土地の者に殺され、花嫁としてやって来る者からは己の欲望ばかりを見せつけられる。そんなことが続けば人を信じなくなるのも当然だ。
(だから僕にもあんなことを……)
死にかけたこともシュエシは仕方がないと納得した。
「だが、おまえは違うようだ。死にかけているというのにわたしを好きだと言い、体が動くようになっても部屋に留まっている。何かを持ち出そうとも、誰かを招き入れようともしない」
外を見ていた視線がシュエシに戻る。
「それどころかいまだにわたしのそばにいようとする。好きだという言葉もどうやら嘘ではないらしいな」
「う、嘘なんて言いません。僕はあなたがその、好き、なんです。好きだから、そばにいたいんです」
緊張しながらも、シュエシははっきりとそう告げた。そうしてさまよわせていた視線を上げ、黄金色の瞳をじっと見つめる。どうかこの気持ちは真実なのだと伝わりますようにと見つめ続けた。
段々と熱いものがシュエシの中にわき上がってきた。胸のあたりがポッポッと熱くなり、それが首や頬を赤くする。黒目がゆっくりととろけ始めたところで「なるほど」という領主の声が聞こえハッとした。
「父や母が人を眷属にした理由がわかった気がする」
そうつぶやいた領主がシュエシの傍らに立った。肩を隠すまで伸びた黒髪を右手ですくい上げると、現れた首筋に美しい顔をそっと近づける。
「それにこの香り……これだけでもそばに置くに値する。極上の血は永遠にわたしを満足させるだろう」
「……あの」
髪を持ち上げていた指が耳の縁をするりと撫でた。冷たい感触に肩を振るわせながらもシュエシは動かない。というより、これまでと違う領主の雰囲気に動けなくなったというほうが正しかった。
「おまえはわたしの花嫁になりたい、間違いないか?」
「は、はい」
「化け物の花嫁だぞ?」
「ば、化け物でもかまいません。僕はあなたのは、花嫁になりたいと、思ってます」
「男の身でか?」
「そ、それは……」
「それでも花嫁になりたいか?」
頬に吐息が触れる。美しい顔がすぐそばにあることにシュエシは今更ながら緊張した。
「おまえが望むのならば、本当の意味での花嫁にしてやろう」
「……え?」
「それに身も心も花嫁になったおまえがどうなるか、興味がある」
冷たい唇が耳に触れる。囁かれた言葉にシュエシは目を白黒とさせていたが、意味を理解しすぐさま顔を赤くした。
「これからは影がおまえの世話をする。これまでもそれがおまえの世話をしていた」
黄金色の瞳が椅子に座るシュエシの斜め後方を見る。つられてシュエシも振り返るが、そこには誰もいない。しかしなんとなく気配のようなものは感じる。
「影もおまえの世話係になって喜んでいる」
「は、はい」
「おまえに水を与えていたのはその影だ」
どういうことだろう。しばらく考えたシュエシは、床に倒れ意識が朦朧としていたときに水の音が聞こえたことを思い出した。毎日テーブルに新鮮な水が置いてあったことも思い出す。
「もしかして、水差しの水を交換してくれていたのは……あなたですか?」
どこに顔があるかわからないが、このあたりだろうかと想像しながら話しかけた。返事は聞こえないものの何かが動いたような気配を感じる。
「影が人に懐くのは珍しい。よほどおまえを気に入ったのだろう」
「そう、ですか」
人ではないものに懐かれるというのは奇妙な感じがする。シュエシは曖昧に頷きながら領主のほうを向いた。
「その影は元は東の者だ。だからかもしれんな」
「え?」
慌てて振り返った。この土地に来てからシュエシが東の国の人に会ったことは一度もない。この土地が街道から少し外れているからか旅人を見かけることも滅多になかった。そんな場所で、たとえ人ではないにしても同郷の者に出会えたことにシュエシは喜んだ。姿は見えないが、自分と同じような黒髪黒目に違いないと想像しながらぺこりと頭を下げる。
「おまえは姿が見えない存在を恐ろしいと思わないのか?」
「それは……少しは、その、恐ろしいです。でも、領主様のそばにいる存在なら、怖くはありません」
見えないものは恐ろしい。シュエシも月がない夜や明かりのない納屋を恐ろしいと思ったことが何度もある。しかしそれよりも恐ろしいのは偶然垣間見える人の表情のほうだ。微笑んでいた人が横を向いた瞬間に見せる酷薄な表情や、手を取り悲しんでいる者が俯きながら笑っている表情のほうがよほど恐ろしい。
(それに、手に入れるためにお腹の子を流そうとするような人もいる)
それに比べれば姿が見えないことを恐ろしいとは思わない。なにより見えないこの存在は命の恩人なのだ。
「命の恩人を、恐ろしいと思うことはありません。それに領主様に仕えているのなら、その、領主様が僕のためにと考えてくださったのなら、恐ろしくはないです」
段々と声が小さくなる。本心ではあるものの「僕のため」と言ってしまったことを後悔した。傲慢なことを言ってしまったと俯くシュエシに、黄金色の瞳がわずかに細くなる。
「おまえは何を望んでいる? 本当は欲しいものがあるのではないのか?」
「え?」
「金か? 宝石か? それとも貴族の地位か?」
突然何を言い出すのだろう。問われた意味がわからず視線を上げたシュエシは、それでも聞き返すことができずに不安な眼差しを領主に向ける。
「人であるおまえが欲を持たないわけがない。何が欲しい?」
冷たく告げる声にシュエシはハッとした。慌てて「そ、そんなこと考えていません」と答える。
「僕は好きな人の、その、領主様のそばにいたいだけです。ほかに欲しいものなんて、ありません」
「嘘をつくな。人は欲深い。ほしいものが一つであるはずがない」
「そういう人も、たしかにいると思います。でも僕は、領主様のそばにいられればそれで、それだけでいいのです」
「そう言って何かを持ち出せと土地の者たちに言われたか?」
「ち、違います。そんなこと、誰にも言われていません」
「では取り入って化け物を殺してこいとでも言われたか?」
「そ、んな……!」
夢で見た光景を思い出した。あんなことを自分がするはずがない。「そ、そんなこと、僕がするはずありません!」と声を上げたが、なぜか黄金色の瞳はシュエシではなく背後を見ている。直後、シュエシの後ろ髪がふわっと舞い上がるように揺れた。
領主がため息をついた。シュエシがビクッと肩を震わせると後ろ髪もフワッと浮き上がる。それを見た領主が「わかった」とため息をつくように口にした。
「わかったからそう怒るな」
もしかして背後にいるという“影”とやらに話しているのだろうか。そう思い振り返ったもののシュエシの瞳には何も映らない。
「わかったと言っているだろう。やれやれ、おまえの世話係は元の主よりおまえのほうが大事らしい」
慌てて領主を見ると呆れたような表情をしている。
「影が目をつり上げわたしを睨んでいる」
「え……?」
「そう睨むな。これを追い出すことはしない。念のため尋ねただけだ。あぁそうだ、おまえの主はこれだ。この先もそれは変わらん」
領主が大きなため息をつく。するとフワフワと揺れていたシュエシの黒髪がストンと落ちた。
「ここまで好かれるとは、まったくおまえはつくづく興味深いな」
そう言われても、どう答えていいのかわからない。戸惑うように視線をさまよわせていると「まぁ、いい」と声がした。
「おまえがこれまでの花嫁と違うことはわかった」
「……これまでの花嫁、ですか?」
黄金色の瞳がツイと窓の外を見る。
「花嫁として屋敷に来た娘たちは、わたしの姿を見た途端に気に入られようと媚びへつらう者ばかりだった。下卑た笑顔を浮かべ、勝手に部屋に入ってきてはドレスを脱ぎ股を開く者までいた。欲にまみれ濁った目で見つめながら、わたしの愛がほしいとうそぶいた。そのくせ勝手に屋敷の物をくすね売り払おうとする。外から人を呼び寄せよからぬ算段をする者もいた。何をしてもわたしに気づかれないと思っていたのだから滑稽なものだ」
シュエシはじっと耳を傾けながら、この人はどれだけ人に欺かれてきたのだろうかと考えた。家族を土地の者に殺され、花嫁としてやって来る者からは己の欲望ばかりを見せつけられる。そんなことが続けば人を信じなくなるのも当然だ。
(だから僕にもあんなことを……)
死にかけたこともシュエシは仕方がないと納得した。
「だが、おまえは違うようだ。死にかけているというのにわたしを好きだと言い、体が動くようになっても部屋に留まっている。何かを持ち出そうとも、誰かを招き入れようともしない」
外を見ていた視線がシュエシに戻る。
「それどころかいまだにわたしのそばにいようとする。好きだという言葉もどうやら嘘ではないらしいな」
「う、嘘なんて言いません。僕はあなたがその、好き、なんです。好きだから、そばにいたいんです」
緊張しながらも、シュエシははっきりとそう告げた。そうしてさまよわせていた視線を上げ、黄金色の瞳をじっと見つめる。どうかこの気持ちは真実なのだと伝わりますようにと見つめ続けた。
段々と熱いものがシュエシの中にわき上がってきた。胸のあたりがポッポッと熱くなり、それが首や頬を赤くする。黒目がゆっくりととろけ始めたところで「なるほど」という領主の声が聞こえハッとした。
「父や母が人を眷属にした理由がわかった気がする」
そうつぶやいた領主がシュエシの傍らに立った。肩を隠すまで伸びた黒髪を右手ですくい上げると、現れた首筋に美しい顔をそっと近づける。
「それにこの香り……これだけでもそばに置くに値する。極上の血は永遠にわたしを満足させるだろう」
「……あの」
髪を持ち上げていた指が耳の縁をするりと撫でた。冷たい感触に肩を振るわせながらもシュエシは動かない。というより、これまでと違う領主の雰囲気に動けなくなったというほうが正しかった。
「おまえはわたしの花嫁になりたい、間違いないか?」
「は、はい」
「化け物の花嫁だぞ?」
「ば、化け物でもかまいません。僕はあなたのは、花嫁になりたいと、思ってます」
「男の身でか?」
「そ、それは……」
「それでも花嫁になりたいか?」
頬に吐息が触れる。美しい顔がすぐそばにあることにシュエシは今更ながら緊張した。
「おまえが望むのならば、本当の意味での花嫁にしてやろう」
「……え?」
「それに身も心も花嫁になったおまえがどうなるか、興味がある」
冷たい唇が耳に触れる。囁かれた言葉にシュエシは目を白黒とさせていたが、意味を理解しすぐさま顔を赤くした。
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