遅咲きオメガ王子は婚活に孤軍奮闘!

朏猫(ミカヅキネコ)

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9 小さな異変

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「どうも調子がよくないな」

 朝、すっきりと目覚めることができなくなってきた。夜も寝付きが悪いように思う。

「枕が変わっても横になれば即寝られる僕が、どうしたことだ」

 いや、原因には心当たりがある。おそらく日々のスケッチ時間を減らしているからだ。それに満足いくスケッチもできていない。
 僕は六歳の頃、自分の絵が気に入らなくて勝手に臍を曲げたことがあった。想像しているものと自分が描き出すものがあまりに違いすぎて癇癪を起こしたのだ。
 いま考えれば、なんとも芸術家らしい気質じゃないかと微笑ましく思う。しかし当時の僕にそんなことがわかるはずもなく、腹が立って仕方がなかった僕は絵を描くことを放棄した。というよりも、描けないなら描かなくていいと考えたのだ。
 最初の三日間は何ともなかった。ところが四日、五日と経つにつれて少しずつ寝付きが悪くなり、十日が経つ頃には食欲までなくなってしまった。それでも頑なに絵を描こうとしなかった僕は、十四日目、ついに高熱を出して寝込んでしまった。

「後にも先にも、あれが初めての病気だったな」

 あのとき、自分は絵を描かなくてはいけない体質なのだと理解した。それから今日こんにちまで、時間の長短はあれど毎日必ず絵を描いている。
 そういう意味では、昨日も今日も短時間ではあるもののスケッチはした。しかし、どうにも調子がよくない。

「……やはり、楽しいと思いながら描かなくては絵を描いているとは言えないか」

 わかってはいるが、最近はいろいろ考えることがあってスケッチに没頭することができなかった。そのせいで体調が少しおかしくなっているのだろう。この状況を打開する方法は一つしかない……そう、ノアール殿下に確認をすることだ。

「まずは、殿下に芸術をどう思っているか訊ねたいところなんだが……」

 殿下とは毎日のように廊下ですれ違っている。そのとき、ほんのわずかの時間呼び止めるくらいなら問題ないだろう。「殿下は絵画はお好きですか?」でもいいし、「いつも身につけていらっしゃるカメオが素敵ですね」でもかまわない。その流れで僕が絵を描くことをどう思うか尋ねればいい。
 脳内ではいくつものパターンを考えて準備しているのに、実際に殿下の姿を見ると言い出せなかった。それをもう何日もくり返している。

「絵を描く僕は不愉快だ、と言われるかもしれないと思うと、どうにも言い出せなくなるな……」

 これまで、そんな言葉を投げかけられるかもしれないと考えたことすらなかった。誰もが僕の絵を褒め、僕自身も画家であることを誇りに思ってきた。その絵を否定されるということは、すなわち僕自身を否定されるということだ。どうしてもそう考えてしまって、ノアール殿下に話しかけることができなかった。

「僕が絵を描くことを好まれなかったとして、それと妃になることは関係ないはずなのに、なぜか気になってしまう……うーん。困ったな」

 絵を描くことが不快なら、殿下の目に触れないようにスケッチすればいい。そうして子をもうけさえすれば妃になれるのだし、あとは絵を描こうが何をしようがかまわないだろう。
 まぁ、二人目三人目は望めなくなるかもしれないが、あとは三十人近くいる妃候補の姫君たちが何とかしてくれるはずだ。

「うん、この際細かなことは後回しだ。まずは殿下が芸術にどの程度興味を示すか探って、それから僕が絵を描くことをどう思うか聞き出そう。運がよければ会話が弾むだろうし、そうなれば発情も近づくはずだ」

 それに絵を描くことを不快に思っていなければ堂々と描き続けることもできる。一石二鳥どころか三鳥だと考えれば、ためらうことは何もない。

「……よし。さっそく今日、殿下に尋ねてみることにするか」

 そう考えた僕は、結局一度も木炭を手にすることなくスケッチブックを閉じた。そうして汚れていない手を念入りに洗い、服を整えてから廊下に出る。後宮を出て王宮の表に入り、いつもどおりフカフカの廊下を左に曲がったところで殿下の姿が目に入った。

(……さすがに緊張するな)

 どんな大国の王族を前にしても緊張など感じたことがなかった僕だが、ほんのわずか手に力が入ったのがわかった。足も少し重く感じているが、発情のためにも今後のためにも早く確認したほうがいい。
 僕は意を決して殿下のほうへと足を踏み出した。

(まずは頭を下げ、体二人分ほど離れた瞬間に声を……)

 そう思いながら頭を下げていると、「最近描いていないそうだな」と頭上から声が聞こえてきた。

「え……?」

 言われた意味がわからず間抜けな返事とともに顔を上げると、すぐ目の前に殿下が立っている。相変わらず美しい装いだなと思いながら、「何のことでしょうか?」と返事をした。

「後宮の庭で絵を描いていただろう?」

 おっと、すでにご存知だったとは。

(それもそうか。あれだけ毎日妃候補の姫君たちに見られているのだから、誰かから話を聞いていてもおかしくない)

 逆に、こうして殿下のほうから話題を振ってくれたのは絶好のチャンスだ。この機会を逃す手はない。

「はい。祖国では絵を描くことを日課にしていましたので、こちらでも少々スケッチをしていました」

 そう答えてから、そっと殿下の顔を伺った。……別に不快そうな表情にはなっていない。しかし、念のためともう一押し確認することにした。

「もしや、ぼ……わたしが絵を描くのは不快だったでしょうか」

 ストレートすぎるが、これで不快そうな表情になったら絵を描くことは諦めよう。部屋の中でも侍女たちに見られてしまうから、それこそ寝室で隠れてスケッチするしかない。あとは気分を害したことを謝り、これまでどおり廊下ですれ違う作戦を続ければいい。
 そんなことを考えていた僕の耳に、「別に不快ではないし、描きたいのなら描けばいい」という返事が聞こえてきた。

「…………そう、ですか」

 意外な言葉に驚いてしまった。おそらく目も見開いているに違いない。

「なぜ驚いている」

 ……やっぱりそういう表情をしていたか。僕は慌てて微笑みを作り、小さく頭を下げて「すみません」と謝罪した。

「なぜ謝る?」
「あぁいえ、失礼な態度を取ってしまったかと思いましたので」
「別に失礼だとは思っていない。ただ、なぜ驚いたのかと思っただけだ」
「それは、こちらでは王族が絵を描くことは一般的ではないと思っていたからです」

 僕の返事に、殿下がじっと視線を向けてきた。

「たしかに一般的ではないな。だからといって、貴殿が絵を描くことを不快に思ったりはしない。アールエッティ王国は芸術の国で王族も芸術を嗜むということは、わたしもよく知っている」

 殿下の言葉に、重く感じていた気持ちが軽くなったような気がした。

「ありがとうございます。おっしゃるとおり我が国は誰もが芸術家でして、王族であっても芸術家の一人として活動しています。かく言うわたしも、幼い頃から絵を嗜んできました」
「知っている。隣国の王太子が、見合い用の肖像画を貴殿に描いてもらったと喜んでいた」
「そうでしたか! 肖像画はわたしの得意とするところでして、これまで多くの王侯貴族の肖像画を手がけてきました。そうだ! 殿下も肖像画がご入り用でしたら、喜んで描かせていただきます……ので……」

 しまった、調子に乗りすぎた。昔から絵のことになると、すぐにこうだ。相手のことなどおかまいなしに話をしてしまう。妹のルーシアから「子どものようにキラキラしたお顔で話す姿は可愛らしいとは思うけれど、二十歳を過ぎた王子としてはいかがかしら」と呆れられたことを思い出す。

「大変失礼しました。少ししゃべりすぎたようです。これ以上執務のお邪魔をするわけにはまいりませんので、ぼ……わたしは、このへんで失礼を……」
「別に急ぎの仕事はないからかまわない」
「……そうですか」

 改めて見た殿下の顔は、相変わらず無表情に近い。気にしていないようなことを言っている割には表情が変わらないというか、本心が読みづらい人物だなと密かに思った。

「貴殿がどれほど絵を好んでいるのかよくわかった。後宮に限らず、スケッチをしたいのならどこででもするといい」
「寛大なご配慮、ありがとうございます。……あの、それでは一つ、お願いしたいことがあるのですが……」
「なんだ?」

 本心ではどう思っているかわからないが、少なくとも僕が絵を描くことを否定はされなかった。であれば、せっかくのチャンスなのだから全部言ってしまおう。

「部屋で、絵の具を使うことを許可いただけないでしょうか」

 言ったあと、殿下の表情がわずかに変化したように見えた。変化というか……これは、驚いている顔だろうか。

「絵の具とは……あぁ、絵を塗りたいということか」
「はい。絵の具は匂いがありますし、道具を広げるので場所も取ってしまいます。それに、万が一床など汚してしまうかもしれませんので、先に許可をと思いまして……。あぁ、でもそこはきちんと配慮します。絵の具が飛んでも大丈夫なように養生用のシートも持ってきていますから」
「持ってきているとは……もしや、荷物に絵の道具を詰めて来たのか?」
「はい。スケッチ用の木炭やスケッチブック、絵の具や溶き油に筆、大小様々なキャンバスに養生シート、組み立て式イーゼルも持ってきました。そうだ! 我が国で開発した色鉛筆も持ってきました。あれはそのまま使えば鉛筆ですが、水を含ませた筆でなぞると水溶き絵の具のような風合いに変わって……って、あはは……」

 またやってしまった。僕は引きつった笑みを浮かべながら、「すみません……」と静かに頭を下げた。

「謝る必要はないと言っただろう。それに部屋は好きに使っていいとも言ったはずだ」
「……ありがとうございます」

 変な王子だと思われたかもしれないが、少なくとも不快には思われなかったようだ。そのことにホッとしながらも、今後は気をつけなければと自分に言い聞かせる。

「それにしても、それだけの道具を持ってきたとなると、鞄のほとんどは絵の道具で埋まったのではないか?」
「四つのうち三つは画材で埋まりました」
「……では、身の回りの物は一つ分だけか」
「元々絵の道具以外はそれほど必要ありませんので、それで十分です」

 姫君たちなら化粧道具や装飾品など必要な物も多いのだろうが、男の僕は着替えの服や下着類程度だ。そのくらいなら鞄一つあれば十分に足りる。それに足りない衣服はこの国でも買うことができるが、画材はそうはいかない。
 そう思っていたのだが、僕の答えに殿下がまた少し驚いた顔をした。やはり多くの画材を持ち込んだのはよくなかっただろうか。

「おもしろい王子だと思っていたが、想像以上におもしろいな」
「……ありがとうございます」

 褒められているようには聞こえないが、ここは謝意を述べておくのがいいだろう。そう思いながらも「おもしろい王子とは、やはり珍獣ということか?」と少しばかり眉を寄せてしまった。

「このように絵に夢中になっている人物は身近にいなかった。そのうち、貴殿の描く絵を見に行くことにしよう」

 そう告げた殿下は、僕が返事をする前に執務室へと入ってしまった。

「……絵を見に来るということは、それだけ接触の機会が増えるということか」

 思わぬ展開になった。本当に絵を見に来てくれるなら、いまのような一瞬の接触ではなく濃厚接触も狙える。それなら発情も早く訪れるに違いない。

「いろいろ考えたりもしたが、よい結果になったな」

 僕は晴れやかな気分でベインブルの部屋へと向かった。



(まさか、こんなに早く見に来るとは……)

 若干戸惑いながらも、背後からの視線をキャンバスと筆で受け止める。
 部屋で絵を描く許可をもらってから五日後、殿下の執務はお休みだと聞いた僕は、ベインブルに向かうことなく朝食後からキャンバスと向き合っていた。
 下絵はすでに描き終わっている。まずは手慣らしにと、ケーキ皿ほどの大きさのキャンバスに芍薬を描くことにした。この大きさならそこまで多くの道具を必要としないし、養生も簡単で済む。
 養生シートを床に敷き、イーゼルを組み立てて小さなキャンバスを置く。椅子の横には鞄を積み上げて養生シートを敷き、絵の具を置く机代わりにした。いくつかの絵皿に絵の具を出して、溶き油の量を調整しながら筆で馴染ませる。
 そうして「さぁ、下塗りを始めるぞ」と筆を握ったところで、まさかの殿下の登場だ。

「ふむ、絵とはこうして描き始めるのか」
「人に寄りけりだとは思いますが、僕はこのように下塗りをしてから、本格的な色つけに入ります」
「これは?」
「絵の具を溶く油ですね」
「……不思議な香りがする」
「我が国で開発した溶き油は、従来の油より匂いがきつくありません。代わりに植物由来の素材を使っていますので、ものによっては花やハーブの香りがするものもありますよ」
「ほう……」

 よほど珍しいのか、殿下が溶き油の入った瓶を手にとって見つめている。ほかにも絵の具や絵筆の種類、キャンバスの大きさなどいくつも質問された。

(殿下は、思っていたよりも芸術に興味があるのかもしれないな)

 質問の内容からそう判断した。それなら僕にとっても万々歳だ。
 もし本当に殿下が芸術に興味があるのなら、今後もこうして絵画をとおして接触機会が得られるかもしれない。そうなれば、僕の発情も順調に促されるだろう。発情さえすれば殿下と閨を共にできるだろうし、うまくすれば子も授かるはずだ。

(そうすればはれて妃になり、アールエッティ王国を助けることができる)

 それに芸術の話ができるのなら、妃になってからも楽しい日々が送れそうだ。こうして堂々と絵も描けるだろうし、生まれた子に絵を教えてやれるかもしれない。


(それじゃあ、まさに薔薇色の未来じゃないか……!)

 こうなったら、あとは早く発情するだけだ。まずは発情し、それに気づいた殿下とベッドを共にし……そこまで考えたところで、またあの問題にぶち当たった。

(結局、殿下のアレをどこに入れるのかはわからず仕舞いだな)

 国で学んだ教本の図柄を何度も思い返したが、男の僕には入れるべき場所がない。Ωになったら現れるのかとも思ったが、そういう場所はどこにも見当たらなかった。

(教本によれば、股の真ん中あたりにあるはずなんだが……)

 しかし、僕の股には男の証とその下にある陰嚢、それに尻の穴しかなかった。受け入れるべき場所はないままだ。

(……まぁ、発情したときに考えればいいか)

 とりあえず、いまは発情することが先決だ。そのためにも殿下とこうした接触を続け、なんとか発情しなくてはいけない。
 そんなことを思いながら木炭で描いた下絵の線に沿って淡い色を載せていく。

「ただ線で描いているだけの状態でも、うまいものだな」

 不意に聞こえてきた殿下の声にドキッとした。

「ありがとう、ございます」

 絵を褒められることには慣れているが、下絵を褒められたのは久しぶりかもしれない。そもそも完成前の絵を家族以外に見せることはないから、当然ではあるのだが。

「この線が、どのような絵になるのか楽しみだ」
「おそらく、十日前後で完成すると思います」
「そんなに早く描き終わるのか」
「まぁ、この大きさですし、手慣らしにと考えていましたので」
「なるほど。さすがはアールエッティ王国一の画家と呼ばれる貴殿だな」
「……もったいないお言葉です」

 なんだろう、胸が少しくすぐったい。これまで数え切れないほど聞いてきた賛辞なのに、殿下に言われると少し違っているように聞こえる。

(照れくさいというか、気恥ずかしいというか)

 これも、僕が妃候補という立場だからだろうか。

(……そうだな。未来の夫になるかもしれない相手に褒められれば、さすがに少しは照れるか)

 トクトクと小さく高鳴る鼓動を感じながら、僕は無心であれと念じつつ筆を動かした。
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