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5 遅咲きのΩ王子、大国に嫁ぐ1

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 ビジュオール王国から届いた手紙に目を通した父上は、驚愕と喜びを混ぜこぜにしたような複雑な顔をした。財務大臣は大きな額をハンカチで拭いながら、「殿下、本当によろしいのですか?」と何度も確認してくる。

「僕はかまわない。いや、むしろこれこそが僕の活躍の場だと思っている」
「活躍とおっしゃられましても、これは婚姻のお話ですから……」
「僕は第一王子だ。自分の婚姻は国のためだと心得ている」
「殿下……」

 財務大臣のハンカチが、額から目元へと移った。そんな大臣の隣に座っている父上は、なぜか少しだけ眉を下げている。

「ランシュの気持ちは立派なものだと思うが、これはまごうことなき婚姻の話なのだぞ? それも政略結婚だ」
「承知しています」
「それの婚姻というのは、あー……その、なんだ、つまりはそういうことなのだぞ?」
「だから、承知していますと言っているじゃないですか」
「しかしだな……」

 父上が珍しく口ごもっている。国家存亡の危機のときでさえウンウン唸ってはいただけで、こんな様子は見せなかった。一体どうしたのだろうと首を傾げていると、視線を上げた父上が意を決したように口を開いた。

「ビジュオール王国は、αの王太子の妃候補にΩのおまえを求めてきた。それは、優秀なαを生んでほしいということだ。……つまり、おまえはαの王太子と閨を共にすることになるのだぞ?」
「Ωの役割については大体わかっています。そもそも、僕だってそれがわかったうえで各国に打診していたのであって……って、閨を共にする、って……」

 閨を共にする、というのはベッドを共にすること、つまり夜の営みのことだ。
 第一王子の僕はいずれ妃を迎えるときのためにと、成人してから閨教育を受けてきた。内容はよりよい夫婦関係を築くコツから妃を労るポイント、さらには夜の営みのハウツーに至るまでを学ぶ夫婦学のようなものだ。これらは代々王族が学んできた教本を使った教育で、教本には文章だけでなく様々な図柄も描かれている。
 文章だけならまだしも、破廉恥にも思える図柄には何度も赤面させられた。それでも王太子として必要なことだと覚悟し、三冊分しっかりと学び終わっている。

「……閨を共にする」

 もう一度その言葉を口にした僕は、教本に描かれていた図柄を思い出し眉をひそめた。たしか教本には、男女の営みしか書かれていなかったはずだ。図柄もそういった内容で、僕は恥ずかしさを感じながらも「未来の妃のために」と何度も読み返した。
 あれを、αの王太子とΩの僕がするということだ。……あれを、王太子と僕が? いや、αとΩであれば可能なのだろうし、夜の営みがなければ子が生まれないことも十分わかっている。しかし、あれをやるということは……。

(……αのアレを、僕のどこに入れるというんだ?)

 それがわからない。わからないから、思わず眉が寄ってしまった。
 そんな僕の表情に何を感じたのか、財務大臣が「なんと不憫な……」と目元をさらに拭いだした。父上は、渋い表情を浮かべながら「王子であるランシュには耐えられないだろう」と口にしている。

(耐えられない……? いや、僕は耐えてみせる)

 夜の営みの具体的な方法はわからないが、その結果優秀なαを生むことができれば王太子の妃になれるのだ。何番目の妃であっても大国の妃になれれば、アールエッティ王国のためにできることもあるはず。

(そうだ、画家として以外にも僕にできることがあるということだ)

 そのためなら、αの王太子とベッドを共にするくらいなんてことはない。夫側から妻側に立場が変わるだけなのだから、これまでの閨教育も少しは役に立つだろう。

「大丈夫です、父上。僕はΩの王子として、αの王太子の元へ行きます。これは僕にしかできないことだと思っています」
「ランシュ……」

 父上の目に涙が浮かんでいる。僕は力強く頷き、すぐさま早馬で返事を届けるように手配をお願いした。

 使者が王宮を出た八日後、ビジュオール王国から「今月下旬には馬車が到着するように手配する」という返事が届いた。思った以上に早い動きに、僕は「これでアールエッティ王国は生き延びられる」とホッとした。
 財政的には安堵できる早い返事だったが、父上と母上にとっては別れを惜しむ時間が短くなるということでもある。毎日のように涙を流す母上を慰め、まだウンウン唸っている父上を労り、その合間に自分の支度を進めることになった。

「お兄様、侍女や侍従を連れて行かないというのは本当なの?」
「本当だ」

 ルーシアにそう答えながら、鞄に入りきらない絵の具を出しては選び直し、詰めてはもう一度出してをくり返す。

「一国の王子が後宮に入るというのに、どういうことかしら」
「それがビジュオール王国の決まりなんだそうだ」

 先に届いた手紙には、荷物は鞄に四つまで、侍女や侍従は必要なく身一つで馬車に乗るようにと書かれていた。それをルーシアは「おかしい」と何度も口にしているが、そうしなければ大変なことになるからだろう。

「王太子には、すでに三十人近くの妃候補がいるそうだ。候補の一人一人が大勢の従者を連れて行ったり大荷物を運び込んだりしては、さすがのビジュオール王国の後宮でも収まりきれないということなんじゃないか?」
「……そんなに候補者がいるのに、まだ足りないというのかしら」
「どういう理由かはわからないけど、まだお子が一人もいないという話だから、そのせいだろうな」

 これは返事を出した後に調べてわかったことだ。
 ビジュオール王国の王太子は、今年で二十六歳になる。成人した十八歳のときには五人の妃候補がいたらしいが、一年経っても二年経っても子ができなかったらしい。
 そこで国王は、大陸中のΩを集めることにした。名だたる名家の姫君から豪商の娘に至るまで、年頃のΩだと聞けば妃候補として声をかけ続けた。その結果、王太子の後宮には三十人近くの妃候補が集まることになった。
 それでも、いまだに王太子には子がいない。ただでさえΩは数が少ないのだから、年頃のΩは底をついてしまったのだろう。だから僕のような行き遅れと思われても仕方がない二十四歳の男のΩにも声がかかったのだ。

「男のΩはすごく珍しいらしいからな。女性のΩで駄目なら男のΩを、と考えるのは理解できる」

 調べてみると、大陸ではここ五十年ほど男のΩは生まれていないらしい。とうことは、僕はそれだけ珍しいΩということだ。ちょっと珍獣的な感じがしなくもないが、おかげで大国から声がかかったのならよかったと喜ぶべきだろう。

「そんな後宮に行くことを、お兄様は本当に納得しているの?」

 珍しく力のないルーシアの声に視線を上げる。画材を散らかしているテーブルの向こう側に座ったルーシアは、なんだか泣きそうな顔をしていた。

「大丈夫、僕は平気だよ。それに、これを逃したら僕の嫁ぎ先は永遠に見つからないかもしれない。僕にとっても最大にして最後のチャンスなんだ」
「チャンスって……。そんなことをしなくても、お兄様は画家として生きていけるわ」
「それじゃあ駄目なんだ。いま、アールエッティ王国の財政は国が破綻しかねないギリギリのところで持ちこたえている状態だ。いままでのように目先の危険を後先考えずに乗り切ったところで、あと何年持つかわかったものじゃない。今回、僕がビジュオール王国に無事に嫁ぐことができれば、国を一気に健全な状態に戻すことができる」
「でも、それではお兄様は人身御供のようじゃないの」

 ますます泣きそうな表情に変わっていくルーシアに、満面の笑みを浮かべて答えた。

「僕はそれでもいいと思っている。国王になるよりも、もっと国のために役に立てるんだ。それに、行き遅れで出来損ないのΩの僕にも、夫や子どもができるかもしれないってことだしな。独り身でいるよりも、家族ができるほうがよほどいいだろう? それに僕は父上や母上のような夫婦になりたいと思っているし、僕らのような子どももほしいと思っているんだ」
「お兄様……」

 そのためにもまずはビジュオール王国へ行き、なんとか発情しなくてはいけない。
 結局僕は、未だに発情を迎えていない。今回の話を進めながら、なんとかしなければと思って書庫にあるΩに関する本を片っ端から読み漁った。そうして気になる記述を見つけることができた。

 ――Ωはαによって発情を迎える。逆もしかり。

 それが本当かは確かめようがなかったが、可能性はあると思っている。周りにαがいなかった僕だから第二次性徴でΩとわからなかったのかもしれないし、いまも発情を迎えられないのかもしれない。ということは、優秀なαである王太子の近くにいれば発情できるかもしれないということだ。

(それなら、子が生まれるかもしれないしな)

 一番は子を生んで王太子の妃になることだが、最悪出戻りになったとしても一人前のΩになっていれば新たな嫁ぎ先を見つけることができるだろう。どちらに転んでも、僕にとってマイナスの要素は見当たらない。

「大丈夫。僕はどこに行ってもアールエッティ王国の第一王子として生きていくよ」

 僕の言葉に小さく頷いたルーシアは、「それじゃ、わたしもとっておきの嫁入り道具をプレゼントするわ」と言ってにっこり笑ってくれた。
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