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1 Ωと判明した王子

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「……ええと、もう一度言ってくれるかな?」

 よく聞き取れなくて、起こしていた上半身ごと老齢の元侍医を見る。そうして再び「僕が、なんだって?」と聞くと、すっかり白髪ばかりになった元侍医が困ったように眉を下げながら口を開いた。

「申し上げにくいことですが、……ランシュ殿下は、Ωでいらっしゃいます」

 Ω、と聞いて、ふかふかの掛け布団を握る手に少しだけ力が入った。背中を支えてくれている枕が、少し沈んだような気がする。

(そうか……僕は、Ωだったのか……)

 元侍医の言葉を脳内でくり返していた僕は、ハッとした。僕が本当にΩだとしたら、いろいろ考えなくてはいけないことがある。
 まず、僕のお妃候補の姫君たちに話をしなくてはいけない。それに、妹には未来の国王にふさわしい人物と結婚してもらう必要が出てくる。王太子の地位も返上しなければいけないし、僕自身の未来についても考えなくてはいけない。なにより父上も母上も驚くだろうなぁと思っていると、元侍医が「殿下、お気をたしかに」と声をかけてくれた。

「大丈夫だよ。そりゃあ多少は驚いたけど、別に死ぬわけじゃないんだからな」
「ですが……」
「それより、これから忙しくなるだろうから体調を戻すのが先決だ」
「薬を飲んでおとなしく寝ていらっしゃれば、二日と経たずによくなられるでしょう」

 元侍医の言葉に、大きな枕に背中を預けたまま「そうか」と頷いた。

「Ωのことは、僕から父上たちに話す」
「……承知いたしました」

 そう言って頭を下げた元侍医の白い眉毛が下がったままなのを見て、「大変なことになったなぁ」と改めて思った。



 僕は三日前、原因不明の高熱を出して寝込んでしまった。六歳の頃に一度高熱を出して以来、病気らしい病気をしたことがなかった僕が寝込んだということで、父上も母上も大急ぎで医者を呼んでくれた。それでも原因はわからず、三年前に引退して王宮を去った侍医をわざわざ呼び戻して僕を診せた。
 そうして判明したのは、高熱がΩの体質によるものだということだった。さすがはΩ専門医の息子を持つ元侍医だ。そんな元侍医でもあれだけ驚いていたのだから、そのくらい珍しいことが僕には起きているのだろう。

「まさか、僕がΩなんてなぁ」

 しかも、僕は第二次性徴がとっくに終わっている二十四歳だ。普通、αかΩであれば十歳前後には判明するものなのに、とんでもない遅さでわかったということになる。もしかして体に何か問題があるのではという話も出たが、熱以外で悪いところは見つからなかった。そういうことから、急なΩへの変容で体が驚いたのではという診断で落ち着いた。

「急にって、そんなこともあるのか」

 そもそもΩという性を持つ人自体がとても少ない。だから、よくわからないことも多いのだろう。
 Ωは“生む性”だと言われている。Ωであれば、生まれ持った性別とは関係なく出産することができる。つまり、男性でもΩなら子どもを生むことが可能だということだ。
 逆に、“生ませる性”として有名なのがαだ。αなら男性でも女性でも相手を孕ませることができる。もちろんαの女性は生む側になることも可能だ。
 本来の性別とは違うという点では両者は似ているかもしれないが、αにはΩとは決定的に違う部分があった。それはΩやその他の人たちと違い、圧倒的に優れた才能と肉体を持っていることだ。
 αはあらゆる面で突出し、ほかの追随を許さない優れた人たちだ。その証拠に大陸にある大国の王はすべてαだし、建国以来揺るぎない繁栄を続けている。
 そんなαもΩ同様に数が少ない。そういう意味では、どちらも選ばれた性と言えるかもしれない。

「……ただし、Ωはαを生むしか能がない」

 大陸では、昔からそう言われている。そのせいか、王族であってもΩというだけで哀れみの目で見られることが多かった。
 それでもΩが大事にされるのは、優れたαはΩからしか生まれないと言われているからだ。王家に生まれたΩは、Ωと判明すると同時に優れたαに嫁ぐための教育が施される。最高のΩになるようにと育てられ、祖国よりも大きな国のαへと嫁いでいく。
 もし嫁ぎ先で大勢の子に恵まれれば、そのうち一人くらいは祖国に来てくれるかもしれない。それがαなら、祖国にとって大きな幸運になる。そうでなくても、大国に嫁げば陰日向に祖国のため力を尽くすこともできる。
 そういう思惑もあって、小さな国に生まれたΩは大事に大事に育てられるのだ。

「そして、僕はそんなΩになった」

 はぁ、とため息が漏れた。別にΩになったことを悲観しているからじゃない。二十四歳にもなったΩを娶ってくれる王族αがいるだろうかと心配になったからだ。
 もし嫁ぎ先が見つからなかったら、ただの役立たずなΩで終わってしまう。そうなったとしても、僕はこの国で画家として生きていくことができるだろう。我がアールエッティ王国は芸術に重きを置いているから、優秀な芸術家は生涯大事にされる。
 しかし、それでは王族として何の役にも立てないことになる。せっかくΩになったのなら、それを最大限生かさなくてどうする。もし大国の王族αに嫁ぐことができれば、一発逆転で国を救えるかもしれないのだ。

「いや、この際贅沢は言ってられない。少しでも豊かな国ならどこでもいい」

 我が国は大陸でも底辺から数えたほうが早いくらい小さな国で、芸術以外に目立った産業はない。しかも、芸術は案外金がかかるものだ。おかげで我がアールエッティ王国は、長年財政難に苦しんできた。
 しかし、ここで僕が豊かな国に嫁ぐことができれば状況を変えられるかもしれない。そうなれば、僕が国王になるよりもずっと国の役に立てることになる。
 それに国内で婚姻相手を探そうにも、我が国にはαがいない。相手がαでなくても結婚自体はできるだろうが、Ωの第一王子を嫁に迎えたいという奇特な貴族はいないだろう。
 ただの人にとってΩは手に余る存在で、そうとわかっていて引き受けようと手を上げる男はまずいない。そもそも相手がαでなければ、Ωはいつまでたっても発情で苦しむことになると聞いている。

「そうか、僕はそのうち発情を迎えるのか」

 発情を迎えると、Ωは子を生めるようになる。つまり、発情が一人前の証ということだ。ところがΩだと判明したばかりの僕は、当然発情なんて迎えたことがない。二十四歳にして発情すら迎えていないΩをほしいと言ってくれるαの王族がいるだろうか、という問題も出てくる。

「……とりあえず、まずは父上たちに話をして、それから姫君たちに話をしなくては。僕の嫁ぎ先探しは、その後だ」

 一度にいろいろ考えたからか、何だか熱がぶり返してきたような気がする。僕はベッドの傍らに用意されていた薬湯を飲み、ふかふかの掛け布団にくるまるように丸まって目を閉じた。



 僕がΩになったと聞いた父上、母上は、卒倒して丸一日起き上がることができなかった。それもそうだろう。アールエッティ王国では建国以来、αは当然のことただ一人のΩでさえ生まれたことがなかったのだ。
 一日ベッドでウンウン唸っていた父上は、それでも「大丈夫、おまえには画家として生きていく道がある」と優しい言葉をかけてくれた。「最悪、それにすがるしかないか」と思いながらも、やはりΩの王族として国のために嫁ぎ先を探し尽くすまでは諦めたくない。
 両親への報告を終えた僕は、つぎに集まってもらったお妃候補の姫君たちに話をした。大方は納得してくれたし、新しい婚約者について相談があれば王宮が責任を持って面倒を見ることも約束した。なかには「やっぱり……」と口にした姫君もいたけれど、あれはどういう意味だったんだろうか。

「それは、お兄様がどなたの寝室にも夜這いに行かなかったからよ」
「ルーシア、きみは女の子なんだから、もう少し言葉を……」
「もっと言うなら、お兄様は精通もまだでしょう?」
「ルーシア!」

 思わず叫んでしまった。王子として不作法だとは思ったが、精通なんて女の子が口にする言葉じゃない。そう思ってたしなめた僕をジトッと見た妹のルーシアは、どうしてか大きなため息をついた。

「女の子がそういう言葉を口にするのはよくない。それに僕だって、あぁ、なんだ。その、精通は一応、している」

 僕の言葉にルーシアが再び大きなため息をつく。

「お兄様の嫁ぎ先が見つかるか、わたしのほうが不安だわ」
「それは、いま必死で探しているところだから……」
「探したから見つかるなんて、世の中そんなに甘くはなくってよ、お兄様。そもそも二十四歳のΩなんて、行き遅れもいいところでしょう? きっと何か問題があると思われて敬遠されるわ」

 鋭い意見に、僕は持っていたティーカップをゆっくりとテーブルに戻した。
 ルーシアの言ったことは、あながち間違いではないのだろう。αの王族がいるいくつかの国にそっと打診してみたものの、どの国からも色よい返事はもらえなかった。
 きっと「男のΩで、しかも二十四歳?」と訝しがられたに違いない。我が国と親しくしている三つの大国にも打診しているが、色よい返事をくれる国はまだなかった。いずれも直系傍系ともに複数のαがいるというのにだ。

(こちらは側妃でもかまわないと言っているのにな……)

 それでもよいと言われないということは、ルーシアが言うとおり僕の年齢が問題になっているのかもしれない。

「でもほら、来月は芸術祭が行われるから、そこで見つかるかもしれないだろう?」
「芸術祭で、ねぇ……」

 長い銀髪を指でいじりながら、ルーシアが胡乱うろんな目つきでこちらを見た。その視線に多少うろたえながらも、僕はそこが最終手段の場だと考えていた。
 我がアールエッティ王国は、弱小国ながら芸術方面に関しては一流を自負している。絵画や彫刻はもちろんのこと、建築や造園、衣装や髪型、化粧、装飾品に至るまで「芸術」だと思われるものには積極的な財政支援と人材育成に力を入れてきた。近年では音楽や演劇にも力を入れ、多くの演者や奏者、歌い手を輩出している。その情熱と技術は大国も一目置くほどで、四年に一度行われる芸術祭には近隣諸国の王侯貴族が「新しいもの」を求めて我が国へと大勢やって来た。
 その中には当然大国と呼ばれる国々の王族も含まれているから、僕はそこで嫁ぎ先を探そうと考えていた。それに、うまくすれば芸術に明るいαを見つけることができるかもしれない。そういう人なら、芸術家でもある二十四歳のΩに手を差し伸べてくれるかもしれないと思ったのだ。

「僕はΩである前に、アールエッティ王国の第一王子だ。絵画の腕じゃあ、それなりに名を知られていると思ってる。それを付加価値にすれば、きっともらい手はあるはずだ」
「付加価値、ねぇ……」

 相変わらずルーシアの紅茶色の目は厳しいままだが、僕には画家ということしかアピールできるものがない。もし絶世の美貌でも持っていれば話は違ったのだろうが、残念ながらそこまで言い切れるほどの容姿は持っていないのだ。

(まぁ、多少造作はいいと思うけど、絶世ではないからな……)

 それに王子としては細すぎるからか、骨格的な造形美も感じられない。なぜ自分で描きたくなるような体つきじゃないのかと随分悩んだ時期もあったが、Ωだとわかりなるほどと納得した。

(Ωは全体的に華奢だと言われているが、本当だったのだな)

 ティーカップを持つ細い指が目に入り、ハァと小さなため息が漏れる。いや、この細い指でも木炭や絵筆は十分に扱えるのだから問題はない。やはりここはΩとしてよりも、画家としてアピールするほうがいいだろう。
 とにかく今回の芸術祭では、「Ω王子が手がけた絵画」と題して絵画展を行い、そこに王侯貴族のαを集めてアピールするしかないのだ。

「来月こそ、αを射止めてみせるよ」
「それ以前に、お兄様はまだ発情していないじゃないの」
「それはそうだけど、そんなの嫁いでからでかまわないだろう?」
「……はぁ」

 ルーシアのため息の意味が、このときの僕にはわかっていなかった。
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