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月夜に歩く猫の秘密

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 音を立てないように気をつけながら静かな夜道を足早に歩く。コンビニすら近くにない住宅地で真夜中に歩き回るやつはまずいない。それでも慎重になるのは、俺がとある任務を遂行している真っ最中だからだ。

(とにかく気をつけるに越したことはないからな)

 今夜は満月だから散歩してみようか、なんて洒落たことをする輩がいてもおかしくない。そういうやつらに見つからないように、壁伝いを歩きながら小さな公園に向かう。

(……よし、誰もいないな)

 周囲を警戒しながら、そろりそろりと四つ角を通り過ぎた。キョロキョロと周囲を見回し、誰もいないことを確認したところで素早く公園に入る。歩道沿いに外灯が二つしかない小さな公園は、いつもどおりひっそりとしていた。

(ひとまず公園で休憩してから任務再開だ)

 気合いを入れながらブランコの前を通り過ぎる。そのまま滑り台の近くに差しかかったところで、少し離れたところに小さな影があることに気がついた。
 公園の中央にはサルスベリの木が何本も植えてある。その木を取り囲むレンガの近くに小さな影が見えた。外灯から離れているせいで影にしか見えないものの、あれは木やレンガの形じゃない。「俺は夜目が利くほうじゃないんだよな」と思いつつ、そろりと近づいた。

「……なんだ、猫か」

 思わず声に出してしまい、慌てて口を閉じた。吐息みたいな小さなつぶやきだったのに声が聞こえたのか、猫の顔がほんの少しこっちを向く。灯りが反射したグリーンの目はチラッと俺を見ただけで、すぐに前方に戻った。

「なぁ、何してんだ?」

 思わず声をかけてしまった。猫でも油断しないほうがいいことはわかっているが、グリーンの目というのが懐かしくてそのままゆっくり近づく。よくよく見れば毛並みも懐かしいブルーグレーだ。

「何か見えるのか?」

 近づきながらそう尋ねた。もし不快なら「シャーッ」と威嚇してくるだろうが、そういった様子はない。それならかまわないだろうと思って隣にすとんと座る。

「なぁ、何見てんの?」

 じっと前を見つめる様子が気になった。そんなに珍しいものでもあるのかと視線を追ってみたものの、目の前に広がるのはただの暗闇だ。

「なぁ、なに見てんだよ」
「……」
「なぁってば」
「……」
「もしかして言葉、通じないとか?」
「変な訛りだけど、一応通じてる」

「訛りってなんだよ」とムッとしながら改めて隣を見る。チラッとこっちを見た目はやっぱり綺麗なグリーンで、思った以上に毛並みは艶々していた。「もしかして飼い猫か?」と思ったけど、最近の飼い猫は外出禁止らしいから違うのかもしれない。

「なぁ、何が見えるんだよ」
「月」
「へ?」
「今日は満月だから」
「……満月」

 空を見ているわけじゃないのに何を言っているんだ。そんなことを思いながらもう一度前方を見ると、少し離れたところに小さな水たまりがあることに気がついた。夕方遅くの土砂降りでできたんだろう。

(……あ、月ってあれのことか)

 ちょうど水たまりの真ん中に満月が映っていた。水たまりの月を見る猫なんて変だなと思ったものの、空を見上げるより楽だし案外悪くない。

(そういや月なんて久しぶりに見たな)

 こっちに来てからというもの、空を見るなんて余裕はまったくなかった。「ま、いまだって月なんて見てる場合じゃないんだけど」とつぶやくと、グリーンの目がまたもやチラッとこっちを見る。その目が「暇そうなやつが何を言ってるんだ」と言っているみたいに見えて、思わず「なんだよ」とジロッと見返した。

「こう見えても俺は重要な任務の真っ最中なんだよ」
「……重要って」
「あ、いま馬鹿にしただろ」

 本当は口外厳禁の内容なんだけど、呆れたようなグリーンの目に思わず「誰にも言うなよ」と口を開いていた。「そもそも馬鹿にされたままなんて性に合わないからな」と言い訳じみたことを考える。

「絶対に誰にも言うなよな? ……じつは俺、この星を侵略しに来た宇宙人なんだ。まずは先住民たちの様子を観察すべく先遣隊として派遣されて……って、何だよその目は」
「宇宙人って、猫だろ」
「猫じゃない。いや、この星じゃ猫が一番似てるとは思うけど猫じゃない」
「どこからどう見ても猫だろ」
「猫じゃないって言ってんだろ」
「俺と会話できてる時点で猫だろ」
「だから猫じゃないんだってば!」

 静まりかえった公園に「にゃぁあん!」と鳴き声が響いた。慌てて口を閉じ、髭と耳をピンとさせながら周囲を警戒する。

「猫と話せるのは見た目が近いからだよ。この星以外でも猫みたいな姿のやつとなら会話できるって聞いたからな。どうしてかなんて聞くなよ? 下っ端の俺にわかるわけないんだから」

 胡散臭そうに俺を見る顔にムッとした。でも、言葉のことはいくら聞かれても本当にわからないから答えようがない。

「っていうか、この星の猫に猫だって自覚はないはずだ。それなのに何で俺のことを同じ猫だって言うんだよ」
「自覚ないなんてわけあるか。これだけヒトにまみれて生きてるんだから、ヒトはヒト、猫は猫って自覚くらいある」
「……ほんとに?」
「ヒトの近くにいる生き物の大半は自覚してる。そうしないと生きていけない」
「そんな事前情報聞いてないんだけど」

 思わずそうつぶやくと、グリーンの目がますます呆れたような雰囲気になった。

「そんなふうで、よく侵略とか口にできたな」
「それが俺たちの生きる術なんだよ。生まれたときから俺たちにはほかの星を侵略するんだって本能が備わってる。何でかなんてことも聞くなよ? 俺に難しいことなんてわかるわけないからな。とにかく、俺たちは生まれたときから侵略先を探す。そうして何年もかけて見つけたのがこの星なんだ。幸い、先住民たちは俺たちを猫だと思って警戒しない。そこを一気に数で攻めれば絶対に侵略できる」

 そう熱弁すると、今度は「はぁ」とため息をつかれてしまう。

「何でもいいけど、動き回るなら保健所やら保護団体やらに捕まらないように気をつけたほうがいい。あいつらしつこいから」
「は?」
「あと、この辺りはヘッドライトつけて野良猫探しをしてるヒトがいる。見つかったら保護されて愛玩動物まっしぐら」
「え?」
「変態的な猫好きが五、六人はいるから」
「……マジか」

 段々と戦意が消失していく。たかが二足歩行の先住民、大したことないと思っていたのに捕まって愛玩動物なんて冗談じゃない。想像しただけで俺の漆黒の毛がぞわっと逆立った。

「なに、怖いの?」
「ば……っか言うな。俺は宇宙人だぞ。そこら辺の猫と一緒にするな」
「そのわりには尻尾膨らんでるけど」
「……っ」

 猫に猫扱いされるなんて最悪だ。しかも相手はグリーンの目にブルーグレーの毛並みをした猫だ。見た目がそっくりだからか、高貴な彼らにけなされているような気がして気分が悪くなる。

(実際にはこんな近くで話すことなんてなかったから、あの方たちがどんなこと話すのかなんて知らないけどさ)

 忘れかけていた自分の立場を思い出したからか余計に気分が落ち込んだ。思わず俯くと、突然ペロッと顔を舐められてぴゃっと尻尾が膨らむ。

「は? え?」

 慌てて顔を上げると、額のあたりをまたペロッと舐められた。

「おい、何すんだよ」
「意気消沈してるみたいだったから慰めてやろうかと思って」
「だからって舐めるな。俺は猫じゃない」
「猫から見ても猫なのに? どこからどう見てもヒトに好かれそうな黒猫なのに? そんな可愛い姿してたら絶対にヒトに愛玩される」

 突然の言葉にドキッとした。可愛いと言いながら見つめてくるグリーンの視線が気恥ずかしくて、やっぱり俯いてしまう。

(こんな真っ黒な毛の俺を可愛いとか……親でも言わなかったのに)

 俺が生まれた星では、俺みたいな漆黒の毛は下っ端の証だった。黒毛は闇に紛れやすいから全員が先遣隊に配属される。先遣隊なんて言葉はいいけど、ようは使い捨ての駒みたいなものだ。

(そんな俺を可愛いとか……こいつ、絶対に目ぇ悪いだろ)

 そもそも俺は猫じゃない。この星の奴らからすれば宇宙人ってやつだ。ブルーグレーの毛並みとグリーンの目が故郷にいる王子に似ているからって、つい油断して話しすぎた。

「おぉ~い、デンカ~」

 突然の先住民の声に驚いた。ぴゃっと毛を逆立てたところで「あぁ、あれは僕の下僕だから心配しなくていい」とブルーグレーの猫が口にする。

「下僕?」
「僕のいいなりだから下僕」

 もしかしなくても下僕にした先住民、ということだろうか。

(いやいや、まさか)

 そう思ったものの、「デンカ~」と呼ぶ先住民の声は明らかに心配そうな声色だ。それに遠目でも必死に探しているのがわかる。そこまでして探すなんて、もしかして本当にこの猫の下僕なんだろうか。

(もしそうだとしたら、こいつはたった一人で先住民を下僕にしたってことになる)

 それは俺が目指している最終目標だ。

「……なぁ。もしかしておまえも宇宙人なのか?」
「だから猫だって」
「嘘だ。この星の猫が先住民を下僕扱いできるはずがない」
「できるだろ。猫の近くにいるヒトは大抵下僕になるって猫なら知ってるし」

 何でもないことのようにそう言った猫の目は、まるで宝石のように光っていた。まるで故郷の王子そっくりの眼差しと自信に満ちた雰囲気に、思わず平服しそうになった。

(こいつ、本当にただの猫なんだろうか)

 もしかしたら俺たちのような侵略者なのかもしれない。たった一人で作戦を遂行し、こうして下僕を手に入れて任務を続行している可能性がある。

(……もしかして、こういうのを勇者って言うのかもしれない)

 元々王族には先住民を虜にする能力があると聞いている。何百年も前にとある星を征服した王子は、その力で瞬く間に先住民を従えたのだとも言われていた。

(そして王子は伝説の勇者になった)

 勇者の話は有名で、子どもも老人も知っている。俺はそんな勇者に密かに憧れていた。俺だってそんなふうになってやるぞと意気込んでこの星にやって来た。
 そんな勇者そっくりの奴が目の前にいる。惚けている俺に、グリーンの目が少しだけ笑った気がした。

「あんたも来る?」
「え?」
「下僕の家。ちょっと狭いけどキャットタワーはあるしご飯のチョイスも悪くない。液体おやつのマグロ味とささみ味も出る。誕生日と年末年始にはまぁまぁの缶詰も出る。システムトイレに自動給水器も完備。毎日の歯磨きと年に一回のワクチン接種さえ我慢すれば、それなりの環境だと思うけど」
「いや、だから俺は猫じゃなくて、」
「猫好きの下僕は宇宙人だなんて気づかないから大丈夫。そもそもあんた、可愛い黒猫にしか見えないから」

 またもや可愛いと言われて髭がビビビッと震えた。ほんの少し笑っているようなグリーンの眼差しに心臓がドッドッと鼓動を早くする。

(どうしたんだろ、俺)

 こんな状態になったのは初めてだ。この星に降り立ったときでさえ緊張も恐怖もなかったのに、なぜか目の前の猫の視線を感じるだけで尻尾も髭もピンと立ち上がる。

「あ~、やっぱりここにいた」

 すぐ近くから声がしてぴょんと跳ねてしまった。こんなに近づかれるまで気づかなかったなんて大失態だ。全身の毛を逆立てながら背中をグッと持ち上げ、一気に臨戦態勢に入る。
 そんな俺の前にブルーグレーの猫が立った。まるで俺を庇うかのような後ろ姿に、またもやドキッとしてしまう。

「デンカ、勝手に外に出たら危ないって何度も言ってるだろ? まぁ、いつもここにいるから探しやすいけどさ。……って、あれ? そっちの黒猫はお友達? もしかして迷い猫? でもそんな情報、このあたりには出てなかったと思うけど……」

 先住民が目の前にしゃがみ込んだ。「フーッ」と小さく声を出したところで、ブルーグレーの猫が「落ち着けって」と振り返る。

「でも、」
「こいつは俺の下僕だから大丈夫って言ってるだろう?」

 そう言って先住民に向かって「にゃあ」と鳴いた。

「やっぱりお友達? あ、もしかしてお腹空いてるとか。行く宛がないならうちに来る?」

 先住民の目がこっちを見た。条件反射で「ウゥ」と小さく唸ると、ブルーグレーの猫が落ち着けと言わんばかりに俺の鼻先をペロッと舐める。途端に声が詰まり、反対に鼓動はますます早くなった。

「言っただろ? 一匹増えるくらい大丈夫だって」
「……でも」
「いろいろ調べるにしても、寝床はあったほうがいいと思うけど」

 たしかにそのとおりだ。俺はまだちゃんとした寝床を手に入れていない。このままじゃ食べ物を探すことに時間を取られ、満足に任務を果たすこともできなくなってしまう。

「で、来るの?」
「……ちょうど長期滞在先を探していたから、行ってやってもいい」
「ふぅん」

 グリーンの目が少し笑っている。それにムッと口元を膨らませながら「笑うな」と睨んだ。

「いや、やっぱり可愛いなと思って」

 髭がビビビッと痺れた。俺なんかを可愛いなんて、こいつは絶対に変だ。それとも、この星では可愛いが挨拶の言葉なんだろうか。

(いや、そんな事前情報は聞いてない)

 やっぱりこいつもどこかの星からやって来た侵略者に違いない。もしそうだとしたら、俺たちの邪魔をしないように見張っておく必要がある。そういうのも先遣隊である俺の大事な任務だ。そんなことを考えながら、ブルーグレーの猫のあとをついて行くことにした。
 こうして俺は無事、先住民の家に潜入することに成功した。あの夜から俺はずっとブルーグレーの猫が下僕にした先住民の家を寝床にしている。

「なぁ、もう少しそっち詰めろって」
「あんた、案外図々しいな」

 日当たりがいい場所にある寝床に入ると、先に寝ていたデンカが「狭いって」と文句を言った。それにかまわずグイグイと押して何とか隣に潜り込む。

(こういう寝床も悪くないな)

 丸い形をした毛足の長い寝床は下僕が用意したものだ。隣には真新しい寝床もあるけど、こっちのほうがデンカの匂いがついていて安心できる。

「ま、そういうところも可愛いとは思うけど」
「か、可愛いとか言うな」
「照れなくていいし」

「照れてない!」と文句を言ったら、いつもどおり顔をぺろっと舐められてしまった。
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