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二章 鬼の王に会いて

其の玖

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 陽が昇り始める頃まで激しく交わっていたのに、思ったよりも深く寝入ることはなかった。おかげで烏の男に朝餉だと声をかけられたときにはパチリと瞼が開いたくらいだ。抱き込むようにしていた金花もすぐに目覚め、身支度をしている。
 昨夜の様子とは違い、てきぱきと動く金花を見てから自分の体を見下ろした。

(体を拭った記憶はないんだが……)

 気を失い力の抜けた金花をなおも穿ち続け、最後は俺自身も気を失うように眠った。それなのに目が覚めたときには体はさっぱりしていて、着た覚えのない単も身につけていた。そのことを金花は不思議に思っていないのか、さっさと着物を整え終わり、伸びた黒髪をきゅっと背中で一つ結びにしている。

「どうかしましたか?」

 俺が動かないことに気がついたのか、振り返った金花が問いかけてきた。

「あー……、いや、昨夜はその、随分と無茶をしたなと」
「たしかに、いつも以上に逞しく強いものでしたねぇ。やはり親王様を見て興奮したからでしょうか」
「な、何を馬鹿なことを! そんなことがあるわけないだろう!」
「ふふっ、そんなに顔を真っ赤にして、いつまでもかわいい方」
「うるさい!」

 ニィと笑う金花をひと睨みしながらも、やはりどうやって身を清めたのかと首を傾げながら単を撫でる。

「あぁ、もしかしてその単のことですか?」
「……たしか、俺もそのまま眠ってしまった気がするんだが」
「烏たちが片付けてくれたのでしょう」
「……なんだと?」
「鬼王のことで慣れているでしょうから、精の匂いを嗅ぎつけて片付けてくれたのだと思いますよ」

 片付けた、というのは、身を清めたり単を着せたりした、ということだろうか。それを、あの烏と呼ばれる面を付けた男が……?

「ふふっ、赤らめたり青ざめたり忙しいこと」
「金花!」
「烏と言っても鬼王の使いをする面の者たちのことではありません。そうですねぇ、女房たちのような役割のものといったところでしょうか」

「だから気にしなくてもよいですよ」と言われても無理な話だ。
 さすがの俺でも、屋敷で女房たちにそんなことまでさせたりはしない。金花と交わったときはとくに気をつけて俺自身が身を清めたし、着物を駄目にしたときには自ら処分もした。
 それが、知らぬ間にあれこれされていたのかと思うと……。

「なんということだ……」

 額を右手で覆いながら唸るような声を出してしまった。

「まぁまぁ、そういうこともあるのです。さぁ、朝餉を頂戴しにいきましょう」

 ……そうだ、ここは鬼の王の屋敷だ。何があってもおかしくはない。無理やりそう思い込んだ俺は、手荒に着物を整えながら、もう一度だけ大きなため息をついた。

 金花に促されて向かった場所は、昨夜敦皇あつおう様たちが交わっていたあの部屋だった。思わず御簾の手前で足を止めてしまったが、このまま入らないというわけにはいかない。
 幸いだったのは敦皇あつおう様がいらっしゃらなかったことだ。まだ眠っているということだったが、その際に「おまえらと同じで朝まで交わっていたからなぁ」という鬼の王の言葉には顔が熱くなってしまった。それを見た鬼の王は、ニヤリと笑いながら酒を飲んでいた。

 鬼の王の屋敷をあとにするときも、敦皇あつおう様は姿を現さなかった。
 もうお会いすることはないかもしれないと思うと最後に挨拶くらいはと考えたが、姿を見れば昨夜のことが蘇りそうになる。ならば、鬼の王への挨拶だけにしたほうがいいかもしれない。

敦皇あつおう様に、くれぐれもご自愛をと……」
「俺が側にいるんだ、彼奴あいつは常に元気だ」
「……それはまぁ、そうでしょうが」

 うっかり昨夜の二人を思い出し、思わず眉を寄せてしまった。あれだけの交わりに耐えられるのならば、相当頑丈な体だとうことは想像できる。いまさら俺が心配することじゃないというのは本当なのだろう。

「いまも別に疲労のせいで寝ているわけじゃない。腹の子のせいで、たまにこうなるのだ」

(…………腹の子、だと?)

 思わず鬼の王の顔を凝視してしまった。いや、昨夜も子がどうとか聞いた気がする。あれは聞き間違いではなく、俺の勘違いでもなかったということなんだろうか。
 とんでもない内容に鬼の王を見続けている俺とは違い、金花は予想していたのか静かに口を開いた。

「あぁ、やっぱり。それも棘希いばらぎの血肉のせいですか」
「だろうよ。俺ほどではないにしろ、それなりに強い鬼ではあったからな。それに、彼奴あいつも長年俺の精を受けていた。毒の部分も多かったのだろう」
「鬼王の子を生むのが人から転じた鬼とは、それはまた……。いえ、わたしには関係のないことですが」
「そっちは鬼が受ける身だ、そういうことはないだろうが……」

 鬼の王がニィィと笑みを浮かべて俺を見た。

「鬼よりも妖魔の力が強く出るようだな。おまえ、もはや人と交わることはできぬだろうよ。その精の強さでは人の女など、すぐに死んでしまう。あぁ、そういう意味では鬼となったも同然か。ふはは、これはおもしろい!」
「な……、」
「それでよいのです。カラギはこれからも、わたしだけの旦那様なのですから」
「ふはは、ははははは! 何もかもを互いで貪り合うか。いや、これは愉快! 気に入った、おまえらのことは気に留めておいてやろう」
「いいえ、結構です」

 心底うんざりしたような顔を鬼の王に向けた金花は、くるりと俺を振り返りにこりと笑った。そうして鬼の王の言葉に困惑している俺の手を引き、さっさと屋敷の門へと向かう。そうして門あたりに立っていた烏の「いずれまた……」と続く言葉を聞くことなく、山道を下り始めた。

 帰りは下り坂だからか、ずんずんと足が進む。いや、足がもつれそうになるほどの足早だからそう感じるだけで、それもこれも金花がぐぃぐぃと腕を引くからだ。
 さすがにこれでは麓まで保たないと思い、ぐぃと腕を引っ張れば、ようやく金花の足が止まった。

「おい、何をそんなに急いでいる? それに俺には尋ねたいことが山ほどあるんだ」

 ちらりと横目で俺を見た金花が、はぁと小さく息を吐いた。

「ここまで無事に来られたということは、閉じ込めるつもりはなかったということでしょうね」
「閉じ込める? 鬼の王がか?」
「別れ際に気に入ったと言っていたでしょう? 場合によってはと思っただけです。以前、呼ばれて仕方なく都へ行ったときは半年もの間、都から出られませんでしたから」

 ……そうか、呼び出された挙げ句、閉じ込められたのか。その半年の間に舞楽や雅楽を身につけたということなんだろう。

「鬼の王とは、よくわからぬことをするんだな」
「気まぐれで厄介な、童子のような鬼ですよ」
「童子ならば、まだ人も太刀打ちできただろうがなぁ」
「いいえ、童子のように己に正直だから厄介なのです。興味が湧けば手元に置き、飽きれば捨てる。気に入らなければ殺し、おもしろければ生かす。だから、攫った上に鬼を食わせ側に置いていると聞いたときには、頭でも打ったのかと思ったくらいです」
「……敦皇あつおう様は、この先も大丈夫なのだろうな?」

 俺の問いかけに、金花が山道の奥へと黒目を向けた。

「鬼を食わせたことだけでも、本気だということがわかります。それも棘希いばらぎなどという大鬼、それだけ長いあいだ側に置きたいのでしょう」
敦皇あつおう様は、鬼の王と同じくらい生きるということか?」
「いいえ、それは無理でしょうね。鬼王の半分か、それ以下か。あぁ、でも自らの血も食わせているようですし、子が生めるならそれなりに生きるかもしれません」

 金花の言葉に、そうだったと声を上げる。

「そう、そのことだ。その、子というのは、敦皇あつおう様の腹に、あぁ、その、本当に子がいるということなのか? いや、敦皇あつおう様は男、そんなことは……。しかし話が本当なら、鬼に転じるとそういうこともあるということか? しかも敦皇あつおう様は、鬼の王の子を生むということになるのか? あぁ、どういうことだ、俺にはさっぱりわからん!」
「そんなに興奮しては疲れますよ?」
「しかし……!」
「あなたの問いには答えましょう。だから落ち着いてください。ね?」
「金花、」
「カラギはわたしの大事な旦那様、あなたが知りたいことには答えましょう。鬼のことも、あぁ、わたしの体のことも、もっとじっくり教えてあげたいくらいです」
「金花! 俺は真面目に話しているのだぞ! それを、おまえは!」
「おやまぁ、わたしも真面目に話していますよ? それとも、カラギはわたしの体のことなど興味はないと、そうおっしゃるのですか?」

 眉を下げて悲しそうにそう言われると、「おかしなことを言うな!」と叱るわけにもいかない。それに俺だって金花のことは大事に思っているのだ。そこまで言われると、何か体に問題があるのかと心配になってしまう。

「俺だって、おまえのことは大事に思っている。……やはり、体がつらいのか?」

 鬼の王の屋敷へ行く前も、そして昨夜も、散々っぱら金花の体を貪ってしまった。本人は大丈夫と言っているが、本当はつらいのだとしたら俺もいろいろと考えねばならない。

「そうですね、近ごろは胸が着物に擦れて、じくじくと疼いてしまいます。せっかく頂戴した子種がこぼれてしまいそうで不安ですし、なによりカラギの側にいると体の奥が熱くなってたまらないのです」

 やけに真剣な声に耳を傾けていたが、あまりの内容にカッと頭に血が上った。

「金花! おまえというやつは、真剣に聞けば淫らなことを……!」
「ふふっ、そんなに怒って、かわいい方」
「~~……っ!」

 ニィと笑う金花をいくら睨んだところで、まったく効果はない。
 真面目に話しているというのにどういうことだと憤慨していると、ふわりと抱き寄せられた。怒りでカッとなった頭が、ほんのり漂う伽羅の香りで幾分か落ち着いてくる。

「あなたが知りたいことには、きちんと答えます。まずは山を下り、宿へ戻りましょう。ここでは鬼王の目も耳も近すぎます。これ以上鬼王があなたに興味を持つのは嫌なのです」

 俺はおとなしく頷き、それからは二人並んで黙々と山道を下った。ひたすら歩き続けたからか、陽が傾き始める前には荘園にある別邸に辿り着くことができた。
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