上 下
34 / 45
二章 鬼の王に会いて

其の伍

しおりを挟む
「突っ立ってないで座ったらどうだ?」

 鬼の王の声は力強く、是とも否とも答えられないほどの威圧感を持っていた。
 俺は何も答えられないまま、ただ廊下に腰を下ろすしかなかった。後ろをついて来ていた金花も同じように廊下に座る。面を付けた男はそのまま部屋の前を通り過ぎ、どこかへ消えてしまった。

「席をはずしましょうか?」

 鬼の隣に座る男が、そう告げる。

「かまわん。それに、其処そこの男はおまえにも会いたがっているだろうからな。今回は特別だ」
「わたしに……?」

 男の目が俺を見た。思わずじっと見返してしまったが、さすがに無礼だと気づき慌てて頭を下げる。
 少年と呼んでもよさそうな小柄な体つきで、たしかに高貴な雰囲気に感じられる。しかし鬼のようには見えず、ただの人にしか感じられない。だが鬼の王の傍らにいるということは、この男こそが敦皇あつおう親王なのだろう。

「……その顔立ちは、もしや」
「どの程度の繋がりかは知らんが、おまえの血縁者だろう? 匂いが少しばかり似ている」
「ということは、成皇ひらおう様か良皇ながおう様の子孫でしょうか?」

 敦皇あつおう様の言葉に返事をしてよいものか。勝手なことをして鬼の王の不興を買ってしまっては、ここまで来た意味がなくなってしまう。
 迷う俺の頭上に鋭い声が響いた。

「さっさと答えろ」
「もう、そう急かすものではないでしょう? あなたはせっかちすぎるのです」

 敦皇あつおう様のたしなめる言葉にギョッとして思わず顔を上げてしまった。いくら大事にされているとは言え相手は鬼、しかも鬼の王なのだ。そのような言葉遣いでは鬼の王の機嫌を損ねやしないかと思ったのだ。

「あぁあぁ、わかっている」

 しかし鬼の王の返事はぶっきらぼうながら柔らかな声色で、口元には笑みさえも浮かべていた。
 御所で対峙したときとはあまりに違う様子に、俺はただ呆気にとられてしまった。これは本当にあのときと同じ鬼の王なのか、顔はたしかに同じに見えるが別人ではないだろうか、そんな考えが頭をよぎる。

「おい、れが優しいからと言って、いつまでもだんまりか? おまえにとっては仕えるべき主人あるじの一族だろうが。さっさと答えろ」

 再びの鬼の王の声にハッとし、慌てて頭を下げた。敦皇あつおう様と思われる男は、鬼の王を恐れることなく「朱天しゅてん」と再びたしなめている。
 聞いていたとおり鬼の王が奥方として敦皇あつおう様を扱っているのなら、俺にとっては僥倖ぎょうこうかもしれない。しかしまずは、この男が本当に敦皇あつおう様なのか確かめなくてはいけない。

「ご無礼しました。我が祖先は良皇ながおう親王にて、のちに後壱帝ごいちていとなられました」
良皇ながおう様のほうでしたか。涼やかな目元は成皇ひらおう様にも似ていらっしゃると思いましたが、お二人は顔立ちのよく似たご兄弟でしたから、なるほど納得しました」

 敦皇あつおう様は、ふむふむと口元を指でなぞりながら頷いている。それを見る鬼の王の目は驚くほど優しく、本当に奥方として傍らに置いているのだろうことがわかった。

「わたしは現関白の末の弟になります。……我が関白家は、北家右大臣の血を継いでいます」
「そうですか」
「…………恨んでは、いらっしゃらないのですか?」
「もし恨んでいたとしても、はるか昔のこと。それに当時からわたしは右大臣を恨んでなどいませんでした」
「しかし右大臣は、その、……あなたを帝にさせまいと都から追いやった人物、……と聞いています」

 当時、右大臣だった関白家の先祖が帝に娘を嫁がせ、自分の血を引く親王を帝にしようと画策したということは朝廷や御所の誰もが知っている。いまの関白家が力を持っているのは、敦皇あつおう様を排除し、二代続けて右大臣の血を引く帝が誕生したからだと誰もが思っている。

 二歳で左大臣家の姫だった生母を亡くし、元服間近の十二歳で後ろ盾の左大臣であった伯父を失った敦皇あつおう様は、都を追われたせいで守りが手薄となり鬼に狙われた。敦皇あつおう様からすべてを奪い、鬼の元へと追いやったのは右大臣ということになる。
 であれば、右大臣の血を引く関白家を恨んでいてもおかしくないはずだ。

「当時のことがどのように伝えられているかわかりませんが、養母の彰后しょうごう様にはとてもよくしていただいたんですよ? それに、お父上である右大臣も笛を教えてくださったり、幼い頃はかわいがっていただいたものです。……たしかに都を離れ寂しいと思ったことはありますが、恨むことなどありません」
「……そうであれば、よいのですが」
「それに、都の外れに住んでいたからこそ朱天しゅてんと出会い、共にあることができるのです。そういう意味では、感謝しているくらいです」

 なるほど、この男は間違いなく敦皇あつおう様なのだろう。
 のちに皇太后となられた彰后しょうごう様は、最後まで敦皇あつおう様のことを気にかけ、小さな仏像を手元に置き祈られていた。その仏像にひっそりと“敦”の文字が彫られていたことは、それを見た祖父と、祖父から聞いた俺や兄上たちしか知らない。
 後壱帝ごいちていは笛の名手であったが、真の名手は亡き兄だっただろうとおっしゃっていたという話も、祖父から聞いたことがある。

(やはり敦皇あつおう様は鬼になったのか……)

 当時のことをよく知り、なおかつ少年とも呼べる雰囲気をわずかに残す姿は、十八歳で鬼に攫われた話と合致する。となれば、間違いなくこの人物こそが敦皇あつおう親王その人に違いない。

「俺はおまえが御所にいたとしても攫っているがな」
「もうっ! それでは都の皆が驚き怯えてしまうじゃないですか」

 それに鬼の王にこのようなことが言えるのは、やはり鬼の王の奥方しかいないだろう。であれば、この少年が鬼の奥方であり敦皇あつおう様なのだ。

(どうやら敦皇あつおう様は、右大臣の血筋を恨んでいらっしゃらない様子。それならば、やはり俺にとっては僥倖ぎょうこうということだ)

 鬼の王が駄目だったとしても、敦皇あつおう様を介して頼めば願いが叶うかもしれない。それに敦皇あつおう様を見る限り、鬼になれば老いることなく鬼と等しく生きられることもわかった。
 それならば、やはり何としても願いを叶えてもらわねばならない。

「で、俺に聞きたいことがあるんだろう? さっさと言え」
朱天しゅてん、」

 小さく咎めるような敦皇あつおう様の言葉に勇気をもらい、鬼の王をしっかり見ながら口を開く。

「俺は鬼になりたい。鬼の王、俺を鬼にしてはくれまいか」

 俺の言葉にあたりは一瞬、しんと静まり返った。それを破ったのは、鬼の王の大きな笑い声だった。

「ふはははは! おまえ、本気か? 退魔の太刀を持つおまえが、鬼になりたいだと? いやはや、おもしろそうな奴だとは思ったが、ここまでとは、ははははは! なんともおかしく、腹がよじれそうだ!」

 人が大声で笑うのと変わらない様子だというのに、鬼の王が笑うたびに部屋のあちこちがびりりと震え、庭の木々でさえもゆらゆらと揺れるようだった。睨みつけられ脅されているわけでもないのに、笑い声を聞くだけで背中を冷や汗が流れ落ちる。
 鬼の王とはなんと恐ろしいものなんだと、いまさらながらに痛感した。

朱天しゅてん、少し静かに」

 敦皇あつおう様の声に、ぴたりと鬼の王の笑い声が止まる。
 先ほどまで少年のようだった敦皇あつおう様の顔からは表情が消え、どこか冷たい雰囲気に変わっていた。

「あなたは、鬼になりたいのですか?」
「……はい。そう願ってここまで来ました」
「鬼になるとはどういうことか、わかって……。あぁ、それでわたしに会いたいだろうと……。わたしが何者か知っているのに驚かないのは、そのせいでしたか」

 敦皇あつおう様が唇に指を添えたまま考え込んでいる。隣に座る鬼の王は黙ってはいるものの、おもしろいと言わんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「わたしが鬼に転じたことを知ってもなお、鬼になりたいと願うのですね」
「はい」
「鬼に転ずるのは、そう簡単なことではありませんよ?」
「知っています。その、……女は、鬼の精を受けると、稀に鬼に転ずると聞きました。しかし男が鬼になるには……、大鬼を食らうしか、方法がないのだと」
「そのとおりです。わたしも棘希いばらぎの血肉を食らい、鬼になりました」
「……俺が知る限り、そんな大鬼は他にいません。であれば他の方法はないかと、鬼の王であれば何か方策を知っているのではと思い、ここまで来たのです」

 俺は鬼になることを決意したが、棘希いばらぎと同じくらいの大鬼は都の周辺にもいない。というよりも、そんな大鬼の話など聞いたことすらないのだ。
 となれば別の方法をとるしかなく、鬼の王であれば知っているのではないかと思った。

「鬼が生きるためには、人を食らうのだということは?」
「……知っています」
「それでも鬼になりたいとは……」

 敦皇あつおう様の声が、やや呆れたような雰囲気に変わった。

(それはそうだろうな……)

 俺が鬼に転じるには、まず大鬼と呼ばれるほどの鬼を食わなくてはならない。それだけでも嫌悪すべき行為だというのに、鬼になれば今度は生きるために人を食わねばならなくなるのだ。わかっていて鬼になりたいなど、正気の沙汰とは思えないだろう。
 それでも俺は鬼になると決めた。正気のすべてを捨て去っても鬼になりたい、金花の側にいたいと思ったのだ。

「……あぁ、もしや、キツラの側にいたいがために?」

 敦皇あつおう様の言葉に、後ろで黙っていた金花の気配が揺らいだのがわかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

婚約破棄されたら魔法使いが「王子の理想の僕」になる木の実をくれて、気付いたらざまぁしてた。

えっしゃー(エミリオ猫)
BL
僕は14年間の婚約者である王子に婚約破棄され、絶望で死にそうに泣いていた。 そうしたら突然現れた魔法使いが、「王子の理想の僕」になれる木の実をくれた。木の実を食べた僕は、大人しい少年から美少年と変化し、夜会へ出掛ける。 僕に愛をくれる?

無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話

タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。 「優成、お前明樹のこと好きだろ」 高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。 メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?

処理中です...