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二章 鬼の王に会いて

其の伍

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「突っ立ってないで座ったらどうだ?」

 鬼の王の声は力強く、是とも否とも答えられないほどの威圧感を持っていた。
 俺は何も答えられないまま、ただ廊下に腰を下ろすしかなかった。後ろをついて来ていた金花も同じように廊下に座る。面を付けた男はそのまま部屋の前を通り過ぎ、どこかへ消えてしまった。

「席をはずしましょうか?」

 鬼の隣に座る男が、そう告げる。

「かまわん。それに、其処そこの男はおまえにも会いたがっているだろうからな。今回は特別だ」
「わたしに……?」

 男の目が俺を見た。思わずじっと見返してしまったが、さすがに無礼だと気づき慌てて頭を下げる。
 少年と呼んでもよさそうな小柄な体つきで、たしかに高貴な雰囲気に感じられる。しかし鬼のようには見えず、ただの人にしか感じられない。だが鬼の王の傍らにいるということは、この男こそが敦皇あつおう親王なのだろう。

「……その顔立ちは、もしや」
「どの程度の繋がりかは知らんが、おまえの血縁者だろう? 匂いが少しばかり似ている」
「ということは、成皇ひらおう様か良皇ながおう様の子孫でしょうか?」

 敦皇あつおう様の言葉に返事をしてよいものか。勝手なことをして鬼の王の不興を買ってしまっては、ここまで来た意味がなくなってしまう。
 迷う俺の頭上に鋭い声が響いた。

「さっさと答えろ」
「もう、そう急かすものではないでしょう? あなたはせっかちすぎるのです」

 敦皇あつおう様のたしなめる言葉にギョッとして思わず顔を上げてしまった。いくら大事にされているとは言え相手は鬼、しかも鬼の王なのだ。そのような言葉遣いでは鬼の王の機嫌を損ねやしないかと思ったのだ。

「あぁあぁ、わかっている」

 しかし鬼の王の返事はぶっきらぼうながら柔らかな声色で、口元には笑みさえも浮かべていた。
 御所で対峙したときとはあまりに違う様子に、俺はただ呆気にとられてしまった。これは本当にあのときと同じ鬼の王なのか、顔はたしかに同じに見えるが別人ではないだろうか、そんな考えが頭をよぎる。

「おい、れが優しいからと言って、いつまでもだんまりか? おまえにとっては仕えるべき主人あるじの一族だろうが。さっさと答えろ」

 再びの鬼の王の声にハッとし、慌てて頭を下げた。敦皇あつおう様と思われる男は、鬼の王を恐れることなく「朱天しゅてん」と再びたしなめている。
 聞いていたとおり鬼の王が奥方として敦皇あつおう様を扱っているのなら、俺にとっては僥倖ぎょうこうかもしれない。しかしまずは、この男が本当に敦皇あつおう様なのか確かめなくてはいけない。

「ご無礼しました。我が祖先は良皇ながおう親王にて、のちに後壱帝ごいちていとなられました」
良皇ながおう様のほうでしたか。涼やかな目元は成皇ひらおう様にも似ていらっしゃると思いましたが、お二人は顔立ちのよく似たご兄弟でしたから、なるほど納得しました」

 敦皇あつおう様は、ふむふむと口元を指でなぞりながら頷いている。それを見る鬼の王の目は驚くほど優しく、本当に奥方として傍らに置いているのだろうことがわかった。

「わたしは現関白の末の弟になります。……我が関白家は、北家右大臣の血を継いでいます」
「そうですか」
「…………恨んでは、いらっしゃらないのですか?」
「もし恨んでいたとしても、はるか昔のこと。それに当時からわたしは右大臣を恨んでなどいませんでした」
「しかし右大臣は、その、……あなたを帝にさせまいと都から追いやった人物、……と聞いています」

 当時、右大臣だった関白家の先祖が帝に娘を嫁がせ、自分の血を引く親王を帝にしようと画策したということは朝廷や御所の誰もが知っている。いまの関白家が力を持っているのは、敦皇あつおう様を排除し、二代続けて右大臣の血を引く帝が誕生したからだと誰もが思っている。

 二歳で左大臣家の姫だった生母を亡くし、元服間近の十二歳で後ろ盾の左大臣であった伯父を失った敦皇あつおう様は、都を追われたせいで守りが手薄となり鬼に狙われた。敦皇あつおう様からすべてを奪い、鬼の元へと追いやったのは右大臣ということになる。
 であれば、右大臣の血を引く関白家を恨んでいてもおかしくないはずだ。

「当時のことがどのように伝えられているかわかりませんが、養母の彰后しょうごう様にはとてもよくしていただいたんですよ? それに、お父上である右大臣も笛を教えてくださったり、幼い頃はかわいがっていただいたものです。……たしかに都を離れ寂しいと思ったことはありますが、恨むことなどありません」
「……そうであれば、よいのですが」
「それに、都の外れに住んでいたからこそ朱天しゅてんと出会い、共にあることができるのです。そういう意味では、感謝しているくらいです」

 なるほど、この男は間違いなく敦皇あつおう様なのだろう。
 のちに皇太后となられた彰后しょうごう様は、最後まで敦皇あつおう様のことを気にかけ、小さな仏像を手元に置き祈られていた。その仏像にひっそりと“敦”の文字が彫られていたことは、それを見た祖父と、祖父から聞いた俺や兄上たちしか知らない。
 後壱帝ごいちていは笛の名手であったが、真の名手は亡き兄だっただろうとおっしゃっていたという話も、祖父から聞いたことがある。

(やはり敦皇あつおう様は鬼になったのか……)

 当時のことをよく知り、なおかつ少年とも呼べる雰囲気をわずかに残す姿は、十八歳で鬼に攫われた話と合致する。となれば、間違いなくこの人物こそが敦皇あつおう親王その人に違いない。

「俺はおまえが御所にいたとしても攫っているがな」
「もうっ! それでは都の皆が驚き怯えてしまうじゃないですか」

 それに鬼の王にこのようなことが言えるのは、やはり鬼の王の奥方しかいないだろう。であれば、この少年が鬼の奥方であり敦皇あつおう様なのだ。

(どうやら敦皇あつおう様は、右大臣の血筋を恨んでいらっしゃらない様子。それならば、やはり俺にとっては僥倖ぎょうこうということだ)

 鬼の王が駄目だったとしても、敦皇あつおう様を介して頼めば願いが叶うかもしれない。それに敦皇あつおう様を見る限り、鬼になれば老いることなく鬼と等しく生きられることもわかった。
 それならば、やはり何としても願いを叶えてもらわねばならない。

「で、俺に聞きたいことがあるんだろう? さっさと言え」
朱天しゅてん、」

 小さく咎めるような敦皇あつおう様の言葉に勇気をもらい、鬼の王をしっかり見ながら口を開く。

「俺は鬼になりたい。鬼の王、俺を鬼にしてはくれまいか」

 俺の言葉にあたりは一瞬、しんと静まり返った。それを破ったのは、鬼の王の大きな笑い声だった。

「ふはははは! おまえ、本気か? 退魔の太刀を持つおまえが、鬼になりたいだと? いやはや、おもしろそうな奴だとは思ったが、ここまでとは、ははははは! なんともおかしく、腹がよじれそうだ!」

 人が大声で笑うのと変わらない様子だというのに、鬼の王が笑うたびに部屋のあちこちがびりりと震え、庭の木々でさえもゆらゆらと揺れるようだった。睨みつけられ脅されているわけでもないのに、笑い声を聞くだけで背中を冷や汗が流れ落ちる。
 鬼の王とはなんと恐ろしいものなんだと、いまさらながらに痛感した。

朱天しゅてん、少し静かに」

 敦皇あつおう様の声に、ぴたりと鬼の王の笑い声が止まる。
 先ほどまで少年のようだった敦皇あつおう様の顔からは表情が消え、どこか冷たい雰囲気に変わっていた。

「あなたは、鬼になりたいのですか?」
「……はい。そう願ってここまで来ました」
「鬼になるとはどういうことか、わかって……。あぁ、それでわたしに会いたいだろうと……。わたしが何者か知っているのに驚かないのは、そのせいでしたか」

 敦皇あつおう様が唇に指を添えたまま考え込んでいる。隣に座る鬼の王は黙ってはいるものの、おもしろいと言わんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「わたしが鬼に転じたことを知ってもなお、鬼になりたいと願うのですね」
「はい」
「鬼に転ずるのは、そう簡単なことではありませんよ?」
「知っています。その、……女は、鬼の精を受けると、稀に鬼に転ずると聞きました。しかし男が鬼になるには……、大鬼を食らうしか、方法がないのだと」
「そのとおりです。わたしも棘希いばらぎの血肉を食らい、鬼になりました」
「……俺が知る限り、そんな大鬼は他にいません。であれば他の方法はないかと、鬼の王であれば何か方策を知っているのではと思い、ここまで来たのです」

 俺は鬼になることを決意したが、棘希いばらぎと同じくらいの大鬼は都の周辺にもいない。というよりも、そんな大鬼の話など聞いたことすらないのだ。
 となれば別の方法をとるしかなく、鬼の王であれば知っているのではないかと思った。

「鬼が生きるためには、人を食らうのだということは?」
「……知っています」
「それでも鬼になりたいとは……」

 敦皇あつおう様の声が、やや呆れたような雰囲気に変わった。

(それはそうだろうな……)

 俺が鬼に転じるには、まず大鬼と呼ばれるほどの鬼を食わなくてはならない。それだけでも嫌悪すべき行為だというのに、鬼になれば今度は生きるために人を食わねばならなくなるのだ。わかっていて鬼になりたいなど、正気の沙汰とは思えないだろう。
 それでも俺は鬼になると決めた。正気のすべてを捨て去っても鬼になりたい、金花の側にいたいと思ったのだ。

「……あぁ、もしや、キツラの側にいたいがために?」

 敦皇あつおう様の言葉に、後ろで黙っていた金花の気配が揺らいだのがわかった。
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