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一章 鬼に繞乱(じょうらん)されしは

其の伍

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 牛車に揺られながら、鬼――金花がおもしろそうに俺を見ている。何を考えているか、おおよその予想はついていた。わかっているから俺からは何も言わない。

「まさか兄上様にまで嫉妬するなんて、本当にかわいい方」
「うるさい」

 思ったとおりだ。金花は、俺が慌てて部屋を出たのが兄上への嫉妬からだとおもしろがっているのだ。

「そういうことじゃない」
「ふふ、わたしはとてもうれしいのに。まぁ、そういうことにしておきましょう」

 そんなことを言いながら、「あぁ重い」と言って小袿を脱ぎ始めた。白い単と朱色の袴だけの姿になっても本物の女性のように見えてしまい、俺はすっと視線を逸らした。

「おまえこそ、あれほど鬼の力を使うなと言っておいたのに、どういうことだ」
「何もしていませんよ? あなたがいるというのに、わざわざ人を惑わす必要などありませんから」
「しかし、兄上は明らかにいつもと違う様子だった」
「あぁ、それは兄上様も精が強そうでしたから、そのせいでしょう」
「兄上が?」
「そのせいで、わたしの妖魔の血に惹かれたのでしょうね」

 精が強いと言う言葉にしばらく考えてしまったが、思い起こせばなるほどと納得できた。たしかに兄上たちはいろんな意味で精力的な人たちだ。とくに女性に関しては精力的すぎるほどだった。
 長兄は内親王や一族の姫君を奥方に迎えているが、それでは飽き足りないのか都のあちこちに複数の奥方を住まわせている。下の兄上も似たようなもので、兄上たちの子は一体何人いるのかと呆れるほどだ。それなのに己の子だと認めているのは、正式な奥方たちが生んだ子だけなのだ。
 大方の貴族がそうなのだからそれが当たり前なのかもしれないが、俺はそういうところにも馴染めなくて貴族の生き方からはみ出してしまった。挙げ句、なんの因果か鬼退治で出会った鬼を娶ることになってしまった。
 つくづく俺は普通の貴族のようには生きていけないらしい。

「そういえばおまえ、金花という名前だったのだな」
「えぇ、名乗るのをすっかり忘れていました。いつも睦言のようなことしか言っていませんでしたから、仕方ありませんけれど」

 それは俺のせいではない。そう思いながら、近くにある美しい顔をひと睨みする。

「おまえがすぐに淫らなことを口にするからだろう」
「おや、だって近くに好いた方がいれば自然とそうなるもの。鬼は体と心に正直なのです」

 鬼の、金花の言葉が一瞬理解できなかった。

「……は? 待て、いま好いた方、と言ったか?」
「はい。毎日子種を求めてしまうほど好いていますよ、唐多千からたちの君。あぁ、普段はカラギと名乗っていらっしゃいましたか」
「なぜ、俺の名を、」
「好いた方の名くらいは知っていますとも」

 紅い唇がニィと笑んでいる。思わず吸い寄せられそうになり、慌てて視線を逸らした。ここで鬼の言葉に惑わされてはいつもと同じになってしまう。そう考え、そういえばと思い出したことを口にした。

「あの腕、本当に鬼の腕だったのだな」
「だから、そう言ったじゃないですか。信じていなかったんですか?」
「いや、そういうわけではないが……」

 蔽衣山おおえやまを立つ前日、俺は盗っ人目的でやって来たわけじゃないと金花に説明した。そうして問われるままに勅命のことを話してしまったのだが、それを聞いた金花は「ちょうどよい物があります」と言って布で巻かれた塊を持って来た。

「なんだ、それは」
「あなたが欲しているものですよ」

 そう言って広げた布の中身は、人の腕だった。枯れ木のような状態だったが、五本の指もしっかりと見て取れるそれは間違いなく腕だった。ギョッとした俺に、金花は微笑みながら「これは鬼の腕ですから、役に立つと思いますよ」と言ってのけた。
 それを持ち帰った俺は、兄上に鬼の腕だと言って渡した。

「あれは少し前にちょっかいを出してきた小鬼の腕です。首をへし折ったあと山の岩屋に放り込んでおいたんですが、腐らずに残っていて幸いでした。残念ながら頭は他の小鬼か妖魔が持って行ったようでしたが、腕だけでも人にとっては十分だったでしょう?」

 なにやら物騒な内容だが、たしかに腕だけでも十分な効果はあった。
 持ち帰った鬼の腕は陰陽寮で詳しく見聞したそうだが、間違いなく鬼のものだと判明した。おかげで長兄は父亡き後、叔父に奪われたままだった関白職を取り戻すことができ、俺は無事に役目を果たすことができた。
 そういう意味では、金花には礼を言っても言い尽くせないことになる。

「あんなものでもわたしの身代わりになったのだから、ちょっかいをかけたことは帳消しにしてもいいですね」
「鬼の世にも争いごとがあるのか」

 少し気になって問いかけると、金花が「ふふ」と小さく笑う。

「争いというよりも、鬼たちにとって半鬼であるわたしは邪魔な存在なのでしょう。鬼といえば、人でいうところの貴族のようなもの。それなのに奴隷のような妖魔との間に生まれた鬼がいるなんて、虫唾が走るのだと思いますよ」

“ようま”という言葉は何度か聞いている。てっきり鬼のようなものだと思っていたが、鬼たちの間にもそうした身分があることに少しばかり驚いた。

「鬼たちと関わるのが煩わしくて山奥に引っ込んでいたというのに、わざわざ寝首を掻きにやって来る鬼もいるんです。まぁ、全員返り討ちにしてやりましたが」
「……おまえも大変なんだな」
「それほどでもありませんよ。人の世ほどうるさくありませんし、駆け引きだのなんだのと面倒なことは少ないですしね。……それよりも、あなたのほうこそ大変そうではありませんか」

 伽羅のような香りがぐっと近づくのと同時に、白い手が太ももに触れてぎょっとした。慌てて身を逸らそうにも狭い牛車の中ではどうしようもなく、身を寄せてくる金花の体を受け止めるしかない。

「わたしたちは似たものなのかもしれませんね。鬼の世から弾かれたわたしと、貴族の世からはみ出たあなた」
「そ……れは、そうかもしれないが、」
「それとは関係なく、わたしはあなたを好いているのです。高貴な血を持ち、強い精を持ち、妖魔の血に影響されることなくあなたのまま・・・・・・わたしを満たしてくれる……」

 金花のとろりと甘くなった声に咄嗟に腰を引いた……が、遅かった。太ももを撫でていた手は、あっという間に袴の脇から中に入り込み、俺の逸物を握っていた。

「何をして……! ここは牛車の中、だぞ……ッ」
「大丈夫、声を出さなければ悟られることはありません。……ふふっ、こちらはいつもどおり、とても素直だこと」
「やめろッ! 昼日中に、このような往来の場で、なんということを……ッ!」
「昼日中になんて、これまでも何度もしてきたじゃないですか。それに、人が多い往来でだなんて、興奮しませんか……?」

 金花の言葉の直後、急に外の音が賑やかになったような気がした。人々の話し声、牛車の音、地面を歩き回る大勢の足音――それに、自分の股の間から聞こえる滑った音。
 ヌチュヌチュとした音と伽羅の香りに、段々と頭がぼうっとしてきた。金花と交わるときは、いつも酒精に呑まれているようなふわふわとした気持ちになる。それが鬼の力によるものなのか、自分が興奮しているせいなのかはわからない。

「そう、そのままわたしを感じてください……。あぁ、先走りがこんなにたくさん……、なんて良い香り……」
「ぅ、ぁ……ッ」
「そろそろですね……。ふふ、ビクビクと震えて……」
「やめ、……ッ」

 温かい息が耳にかかった。

「わたしに子種をくださいな」

 金花の甘い声に腰が震え、直後に耳の縁をかりっと齧られた俺は、ぎゅぅと目を瞑りながら呆気なく子種を吐き出していた。びゅくびゅくと出ている間も金花の手は止まらず、根こそぎ絞り出そうとしているのがわかる。
 いつもよりは短い逐情ながら、一人で慰めていたときよりもずっと多くの子種を吐き出してしまったことに愕然とした。
 必死に抗っているつもりなのに、俺の体は金花の言うがままになっている。もしや、俺までも淫らになってしまったのではないかと一抹の不安を抱いた。

「……あぁ、いい香りだこと」

 うっとりした金花の声に目を開けると、子種が付いた手をベロリと舐めているのが見えた。
 金花はいつもこうだ。手に吐き出せばそれを舐め、まるでうまい酒を飲んでいるかのようにうっとりと目を細める。俺の逸物を口に咥えたときなど、すべて吐き出したあとももっとほしいのだと言わんばかりにちゅうちゅうと吸ったりもした。
 極めつけは交わるときだ。何度腹の奥に出しても「もっとください」と言って逸物を抜くことすら許そうとしない。そんなだから俺の子種はすっかり干からびてもよさそうなものなのに、なぜかこうして毎日たっぷりと吐き出してしまう。

(これも、鬼に惑わされているからなのか)

 一度吐き出したくらいでは収まらなくなった己の体を持て余しながら、まだぼんやりとする頭で美しい金花の顔を見つめた。
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