上 下
1 / 45
一章 鬼に繞乱(じょうらん)されしは

其の壱

しおりを挟む
 大きな荘園のある町から川沿いの街道を歩いて半日、そこから山へと向かう道に入り、内陸の町を二つ通過して寂れた里山に入ったのは二日前だった。人がいなくなって久しいのか立ち寄った村は荒れ果てていて、朽ちかけた家がポツポツと立つだけの様子はひどく寂しい。
 その中でも比較的まともそうな空き家を拝借し、これから挑む大仕事に向けての準備を始めた。

「明日には行けるか」

 手にした鴉丸からすまるを鞘から抜き、椿油で灯した火に刀身を照らして確認する。
 鴉丸からすまるは、天下一の刀師かたなしが一生に一度と精魂込めて作り上げた名刀だ。刀身は月の光のように静かに輝き、切れ味は鋭く、数代前の帝が大層お気に召して枕元にも置いていたというくらいで“濡れ羽の刀”とも呼ばれている。

「濡れ羽の刀とは、言い得て妙だな」

 普通、刀というものは連続で斬り続けることはできない。血で滑り、脂で斬れ味が落ちてしまうからだ。
 しかし、この鴉丸からすまるはどれほど斬り続けても斬れ味が落ちることはなかった。それどころかますます斬れ味は鋭くなり、斬れば斬るほど月光のような刀身がドス黒い血で光り輝く。
 その輝きが鴉の濡れ羽色のように見えることから、いつしか“鴉丸からすまる”と呼ばれるようになった。

「そしていまは鬼を斬る刀になったというわけだ」

 二代前の帝の御代に、都を騒がせた大鬼がいた。その大鬼はいかなる刀や槍、弓矢でも傷一つつけることができなかったが、唯一この鴉丸からすまるだけが大鬼を退けることができた。
 そのことから鴉丸からすまるは“鬼をも斬る刀”とたっとばれ、鬼退治の刀、退魔の刀と讃えられるようになった。そんな刀を手に、俺はある目的を果たすため都から遠く離れたこの里山までやって来た。

「目指すは“山の高貴なる畏怖”か……」

 この寂れた村から入る蔽衣山おおえやまには、古くから鬼が棲むと言われている。昔は鬼神様と呼ばれ、この辺り一帯での信仰の対象になっていたそうだ。それがいつしか“山の高貴なる畏怖”と畏れられるようになり、次第に山伏たちの調伏対象になったらしい。
 しかしどんなに高名な山伏も、“山の高貴なる畏怖”を退治することは叶わなかった。それどころか大勢の山伏や僧侶が打ち負かされ、いまでは遠く離れた都にまでその話が届いている。
 そういう経緯もあってか「ほふれば莫大な富を得られる」という話がまことしやかに広がり、各地から腕自慢を名乗る者たちが鬼退治と称して山に向かうようになった。なかには家を継げない公達までもが富と名声のために挑み、都では一種の度胸試しのようになりつつある。
 その結果、蔽衣山おおえやまの鬼に返り討ちに遭う者たちが後を絶たず、そのことを憂いた帝より勅命を賜ることになったのが俺だった。

「鬼とはいえ、こちらが手を出さなければ害を成す相手ではないのにな」

 都を騒がせる小鬼たちとは違い、蔽衣山おおえやまの鬼はこちらから手を出さなければおとなしいと聞く。そもそも山から下りてくることもなければ、自ら人を襲うことすらないのだ。
 だから“山の高貴なる畏怖”と呼ばれるようになったのだろうし、こちらの勝手で山に入り荒らしているのだから返り討ちに遭うのは当然だ。それを「人に害を成す悪鬼だ」と喚く貴族のほうがどうかしている。
 とは言え自分もその貴族の端くれであり、今回こうして鴉丸からすまるを携えて鬼に挑むことになった。
 母上には泣いて止められたが、鴉丸からすまるを継いだ身としては勅命を断れるはずもない。「兄上様はひどいことをおっしゃる」と泣き崩れた母上を思い出すと胸が痛むが、その母上の降嫁に先の帝が持たせたのが鴉丸からすまるだ。そうして鴉丸からすまるに魅せられて体を鍛えたいと思うようになったのが俺なのだから、これは運命だったのだと納得している。

「さて、寝るとするか」

 多少旅の疲れは残るものの、胆力は十分。鴉丸からすまるの輝きも都を出たときより増しているように見える。

「“山の高貴なる畏怖”とは、どんな鬼なのだろうな」

 鬼退治に行った者は誰ひとりとして戻ってこないため、どんな鬼なのかさっぱりわからない。かつては神として敬われていた存在なのだから、相当な強者つわものには違いないだろう。
 荷物を枕代わりにしただけの床に寝転んだ俺は、右の拳をグッと握り、改めて鬼退治への気持ちを奮い立たせた。





 村近くは多少道らしきものがあったが、少し分け入ると獣道とも言いがたい山道へと変わった。道なき道を、ただひたすら頂上を目指して歩き続ける。噂では鬼の棲む建物は頂上付近にあるらしい。いまはそんなわずかな情報を頼りに進むしかない。
 途中、湧き水で喉を潤し、ついでに町で手に入れておいた乾飯かれいいで昼飯を済ませた。満腹になっては体が重くなると思い、いつもの半分ほどの量にしておく。

「そろそろか」

 空を見上げて陽の位置を確認する。日の出とともに山に入ったが、陽の傾きからして昼を過ぎたくらいだろう。周囲が随分と明るくなったのは、陽が高いということと同時に頂上に近づいているという証だ。
 改めて気を引き締めながら土手のように盛り上がったところを越えると、急に目の前が開けた。そこには山の上とは思えない建物があった。

「……立派な建物だな」

 鬱蒼とした木々や草が綺麗に刈り取られた場所には盛り土が施され、屋敷と呼んでもおかしくない建物が建っている。「こんな山の上にどうやって」と思いもしたが、そこは鬼、人外の力でもっていかようにもできるに違いない。

「気配はしないか……」

 さすがに正面から堂々と入るわけにはいかない。裏手に回ったところで見つけた引き戸をそっと開け、音を立てないように中へと忍び込んだ。
 ところどころ戸は開けられているが全体的に薄暗く、ここが鬼の棲家だと言われると妙に納得がいく。外観は貴族の屋敷のように見えたが御簾や衝立のような物は見当たらず、中はがらんとした状態だ。
 足音を立てないようにいくつかの部屋を覗き見たが、鬼はおろか獣一匹いる気配もない。
 鬼は不在なんだろうか。だとすれば一旦ここを離れ、少し時間が経ってから再び来るべきか。そう考えて、「いや、それでは手間がかかりすぎる」と思い直した。
 山を降りればここに辿り着くまでに半日はかかるし、夜の山は鬼以外にも危険が多い。春になったとはいえ山の夜は冷えるだろう。それなら屋敷内に隠れたまま鬼が帰って来るのを待ったほうがいい。
 そんなふうに考え事に耽っていたからか、背後から声がするまでその存在に気がつかなかった。

「おや、今度の盗っ人は立派な体格だこと」

 振り返ると、場違いなほど美しい顔をした男が立っていた。いや、顔だけ見れば男だと気づかなかったかもしれない。まるで美姫のような顔立ちだが、俺とほぼ変わらない上背や漂う気配から男だとわかった。

「何度追い返しても、こうして新たな盗っ人がやって来る。人とは厄介なものですね」
「……ッ」

 美しい男が小さくため息をついている。ただの世間話のような様子だが、俺は背中に脂汗が流れ落ちるのを感じていた。
 目の前の美しい男は間違いなく鬼だ。“山の高貴なる畏怖”と呼ばれる鬼に違いない。上背はあるがすらりとした痩身で、ここが都なら公達と言ってもおかしくない出立ちをしている。それでも鬼だと確信できる何かを放っていた。
 予想外の姿に不意をくらって動けずにいた俺の眼前に、鬼の男は音も立てず一瞬にして近づいた。

「……おや、これはまた懐かしい都の香りですね」
「ッ!?」

 身構える間もないままに首のあたりをクンと匂われた。たったそれだけのことなのに、まるで太刀の切っ先を首筋に当てられたかのような衝撃を受けた。

(……俺では敵わない)

 一太刀も交えていないが、鬼との力量の違いを悟らざるを得なかった。しかも、退魔の太刀を持ってしても難しいだろうと感じるほどの大きな力の差だ。
 これでは鬼退治に向かった者が一人も戻らなかったのも無理はない。たとえ鴉丸からすまるがあったとしても、使い手の力量が負けていれば敵うはずがない。そもそも神と崇められていたほどの鬼だ、人ごときが軽々しく挑んでよい相手ではなかったのだ。

(それでも、……やらねばならない)

 それが帝の勅命であり、母上と兄上のためでもあった。

(何としても一太刀浴びせねば……)

 兄上が叔父上から関白の地位を取り戻すためには、俺が鬼を退治し帝に褒美を頂戴するしか方法がない。そのために俺は鴉丸からすまるを携えてこの地までやって来たのだ。

「近づくな!」

 叫びながら後ろに飛び退き、鴉丸からすまるつかに手をかけた。
 おそらく好機は一度だけ。二度目は確実に躱されるか、その前に俺の首が胴から離れているだろう。もしくは心臓をえぐり取られるか。
 どちらにしても好機が一度しかないのは間違いなかった。

(それでも、せめて一太刀浴びせることができれば……)

 蔽衣山おおえやまに来る前、八幡大菩薩で鴉丸からすまるに加護をいただいた。かの有名な鬼斬の太刀に力を与えたという大菩薩の加護があれば、たとえ一太刀でも鬼を怯ませることができるはず。本当は鬼を完全にほふるための加護だったのだが、そうも言っていられなくなった。

(せめて腕の一本でも持ち帰れば、帝も願いを叶えてくださるだろう)

 五代前の侘千帝いちのみかどの御世に、当時都を騒がせていた大鬼を退治した武士もののふがいた話を思い出した。
 鬼の討伐隊を率いていた武士もののふは名を嗣名つなと言い、見事に大鬼の腕を斬り落としたのだという。貴族や都の民が安堵したのはもちろんのこと、侘千帝いちのみかどがいたくお喜びになり、腕を持ち帰った嗣名つなに過分すぎるほどの褒美を与えたと聞いている。
 その後、残念ながら鬼の腕は御所から盗まれてしまったようだが、腕一本でも兄上に関白職をいただくには十分に違いない。兄上のため……というよりも、心を痛めている母上のために腕一本でも持ち帰らねばならないのだ。

(そのためにも、一太刀浴びせなくては……)

 それで腕を斬り落とすことができたならよし、できなくても隙を作ることができれば勝機も見いだせるはず。
 そう思い、腰をグッと落とし両足の裏でしっかりと床板を踏み締めた。右手は鴉丸からすまるつかを握り、右足を踏み出しぐぅと丹田に力を込める。
 ピンと糸が張ったかのような空気のなか、じわりと額に汗が滲むのを感じた。斬り込む隙を見極めようと鬼を見据えていると、鬼の口元が不意に緩まったのがわかった。

「よい体つきだとは思いましたが、正面から見ればなるほど……」

 鬼の黒い目がじっと俺を見ている。その目までもが段々と緩んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
 一触即発の状態で、……少なくとも俺のほうはそれくらいの気持ちで対峙しているというのに、気を抜くとはどういうつもりなのか。

「鍛えられたその体、わたし好みでとても興味があります」
「……なんだと?」
「だから、あなたの体に興味があると言っているのです。わかりやすく言えば、欲情しているということですね」
「…………は?」
「そんな野蛮なものなど置いて、その体を堪能させてくれませんか?」

 鬼の言葉に、俺は不覚にも呆気に取られてしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

処理中です...